福山市議会 2020-09-17 09月17日-05号
原爆投下直後に降った黒い雨の被害をめぐる訴訟で,政府は住民ら84人全員を被爆者と認めた原告全面勝訴の広島地裁判決を受け入れず,広島県,市は広島高裁に控訴しました。控訴断念を求める原告をはじめとする被爆者の悲痛な声に応えず,裁判を長引かせる政府の姿勢は重大です。
原爆投下直後に降った黒い雨の被害をめぐる訴訟で,政府は住民ら84人全員を被爆者と認めた原告全面勝訴の広島地裁判決を受け入れず,広島県,市は広島高裁に控訴しました。控訴断念を求める原告をはじめとする被爆者の悲痛な声に応えず,裁判を長引かせる政府の姿勢は重大です。
今年、広島、長崎に原爆が投下されて75年、戦後75年を迎えました。「安らかに眠ってください 過ちは繰り返しませぬから」。皆様御承知のとおり、これは広島平和記念公園内にある原爆死没者慰霊碑の碑文であります。この碑文をめぐって、かつて論争があったことを御存じの方も多いでしょう。
判決は,国がこれまで1980年の原爆被爆者対策基本問題懇談会の答申の科学的・合理的根拠を盾に被爆者の援護・救済の対象を狭く抑え込んできた,厚生労働省のこれまでの被爆者援護行政について,被爆者援護法に基づく行政を怠ってきたと明快に断罪しています。 ところが,8月12日,国は原告84人全員を被爆者と認めた広島地裁判決を受け入れず,広島県,広島市とともに広島高裁に控訴しました。
◎まちづくり推進部長(渡辺慎吾) 福山市原爆被害者の会についてのお尋ねであったかと思いますが,原爆被害者の会といいますのは,もう現在解散をしておられます。
慰霊碑から原爆ドームまでの軸線は,1945年8月6日に何があったのかという過去の事実です。あの日を境に,廃墟から復興へと平和を求めながら歩んできた現代の歴史そのものでもあります。
我々党広島県本部としても、平和創出大会として、毎年夏に平和公園で、原爆死没者慰霊碑と韓国人原爆犠牲者慰霊碑に献花、核廃絶と恒久平和を誓う行事を実施しています。今年は8月5日に、公明党山口那津男代表ほか公明議員が、広島市南区の被爆建物、旧陸軍被服支廠を視察されました。 今年、被爆75年の節目であります。私ごとではありますが、議員生活20年を迎えるに当たり、そして私も長崎出身の原爆2世であります。
一つ,基本構想・基本計画の中で,広島城築城と共に誕生した城下町広島や昭和20年8月6日の原爆投下など,広島の原点,歴史について記述し,伝えていくことが大切ではないか。 一つ,核兵器禁止条約の発効に向けて,世界に喚起していくためには,広島の役割として積極的に発言をしていくべきではないか。
広島市内の旧市民球場ですが、取り壊しになった、そのままなくしていいのかという中で、原爆からの復興のときもそうですが、たる募金が復活した中で市民の皆さんの共有の財産だと、これを絶やしちゃいけんという思いの中で、経済界、市民が御寄附いただいた中で、マツダスタジアムですけれども、最終的には広島市が事業主体となって公金を突っ込みながら新たな市民球場、新たなにぎわいというものを復活再生させたと。
市内を散策すると,川沿いの並木をはじめ,草花,彫刻,そして原爆の惨禍を忘れないための多くの慰霊の碑,そして各自治体から贈られてきた供木等があります。平和大通りのそもそもの成り立ちは,1995年発行の戦災復興事業誌によると,火災の延焼を防ぐ防災道路と緑地帯を道路の両端に敷いた緑の道として整備されました。
国立広島原爆死没者追悼平和祈念館の玄関ホールには,平和記念公園の地層の断面図が展示されています。これは,今回展示しようとする遺構を縦の断面で切り取ったものであり,一瞬にして廃虚となった街の地層と,その上を土で覆い公園となっていることがよく分かるものです。
想像してみてください,原爆で吹き飛んだ広島城の木造復元を。そこには夢があります。希望があります。ロマンがあります。今から少しずつ機運を盛り上げていくべき時期に来ていると思います。サッカースタジアムができ,広島城を木造復元させ,新たな価値を広島に共に創造しようではありませんか。 今年の8月6日で被爆75年の節目の年を迎えます。
及川氏は,昭和57年に本市に採用され,経済局産業振興部長,健康福祉局原爆被害対策部長,財政局次長,市民局長,危機管理担当局長を歴任した後,平成29年4月に企画総務局長に就任し,現在に至っております。 及川氏は,豊富な行政経験を有し,また,人格,識見ともに優れた方であることから,副市長として適任であると考え,選任しようとするものです。 次に,第50号議案,教育長の任命同意案についてです。
今委員御質問の証言ビデオレターなどの記憶の保存につきましては、教育部におきまして戦争の語り保存・継承事業といたしまして、戦争や原爆の恐ろしさ悲惨さをいつまでも語り継ぎ風化させないために、平成28年度から毎年はつかいち平和の祭典実行委員会に委託をしまして、当時の様子を知っておられる証言DVDを作成しているところでございます。
フランシスコ教皇は,帰国後,バチカンのサンピエトロ広場での一般謁見で世界中から集まった信徒を前にして,「日本訪問について,原爆の消えることのない傷を負う日本は全世界のために命と平和の基本的権利を告げ知らせる役割を担っている」と語られました。 教皇の核抑止力論否定の信念は,我々広島市民共通の信念でもあります。
とりわけ東京オリンピック・パラリンピックに合わせたヒロシマ・ナガサキ原爆・平和展の開催については,我が会派としても非常に強い関心を持っているところです。このヒロシマ・ナガサキ原爆・平和展は,オリンピック・パラリンピックを機に世界中から日本を訪れる多くの人々に原爆被害の凄惨さや核兵器の非人道性,平和の尊さを訴える上で,大変重要な取組であると考えます。 そこでお伺いします。
最後に,「平和への思いを共有するまち」の実現に向けては,平和首長会議総会を開催し2020ビジョンの次のビジョンと行動計画を策定するとともに,被爆75周年という節目の年に開催されるオリンピック・パラリンピック競技大会を絶好の機会と捉え,東京都内で原爆・平和展を開催するなど,「ヒロシマの心」を世界に向けて積極的にアピールしていきます。
本会議での一般質問や産業建設委員会で指摘をしたように、原爆のキノコ雲や女性の裸の下半身と重ね合わせてコラージュした笑顔の昭和天皇、私には昭和天皇や被爆地広島を侮辱し、冒涜しているようにしか見えませんでした。 答弁で市長は、昭和天皇をモチーフにした作品はアートベース百島の独自事業の企画展であり、作品についても事前に把握していないというものであります。
これは、原爆ドームや宮島などの全国的に知名度が高い観光地への国内外の観光客が急増したということが、県平均を大きく引き上げている要因となっております。
することについて │ └─────┴────────────────────────────────┘ 陳情 ┌─────┬────────────────────────────────┐ │ 受理番号 │ 件 名 │ ├─────┼────────────────────────────────┤ │ 1 │広島平和都市記念碑(原爆慰霊碑
例えば,昭和天皇の顔の頭から原爆のキノコ雲が描いてあったり,また昭和天皇の顔の横に女性の下半身のヘアヌードが表現してあるなど,天皇の存在をこのようにおとしめることは,いかに表現の自由とはいっても,ヘイトに値する行為であり許せない行為だと思っています。