呉市議会 2020-03-19 03月19日-06号
初めに、ものづくりのまち呉市のシンボルの一つである日鉄日新製鋼株式会社呉製鉄所の全高炉休止の報道に全市民が衝撃を受け、困惑しているところでございます。本市において、この厳しい局面は大きな転換期であると前向きに捉え、全力で立ち向かっていかなければならない課題であり、さらに呉市も国、県に雇用の確保や財政面の支援をいただけますよう強く要望いたしておきます。 また、WHOがパンデミック宣言をされました。
初めに、ものづくりのまち呉市のシンボルの一つである日鉄日新製鋼株式会社呉製鉄所の全高炉休止の報道に全市民が衝撃を受け、困惑しているところでございます。本市において、この厳しい局面は大きな転換期であると前向きに捉え、全力で立ち向かっていかなければならない課題であり、さらに呉市も国、県に雇用の確保や財政面の支援をいただけますよう強く要望いたしておきます。 また、WHOがパンデミック宣言をされました。
初めに、ものづくりのまち呉市のシンボルの一つである日鉄日新製鋼株式会社呉製鉄所の全高炉休止の報道に全市民が衝撃を受け、困惑しているところでございます。本市において、この厳しい局面は大きな転換期であると前向きに捉え、全力で立ち向かっていかなければならない課題であり、さらに呉市も国、県に雇用の確保や財政面の支援をいただけますよう強く要望いたしておきます。 また、WHOがパンデミック宣言をされました。
○教育政策課長(大和庄二郎君) 今後の移築後の郡役所庁舎の活用でございますけど、先ほどから述べておりますけども、ものづくりのまち府中につながる近代工業化における府中のシンボルという位置づけを通しまして、地域特有の時代性とか文化的価値、ストーリー性を保持している文化財であり、歴史的建造物という非常に重要であるという建物でございます。
そういったことを駆使しながら見事によみがえらせていただいて、呉市のシンボル、泊まるんなら呉へ行って泊まろうというぐらいのものにぜひ仕上げていただく、そういったところをぜひとも御留意いただいて取組をやっていただきたいと思いますけれども、担当者としての御所見を述べていただければと思います。
そういったことを駆使しながら見事によみがえらせていただいて、呉市のシンボル、泊まるんなら呉へ行って泊まろうというぐらいのものにぜひ仕上げていただく、そういったところをぜひとも御留意いただいて取組をやっていただきたいと思いますけれども、担当者としての御所見を述べていただければと思います。
これは同僚議員のほうからも質問がありましたので、かぶらず広げて御質問をさせていただきたいと思いますが、呉駅周辺というのは私たちの顔でございまして、シンボルでもあります。呉市外の人も必ずと言っていいほどここは訪れる場所でございますが、ここの発展というのは呉市の未来でもありますし、若者だけでなく、市民皆さんにとっての誇り、シビックプライドであると思います。
これは同僚議員のほうからも質問がありましたので、かぶらず広げて御質問をさせていただきたいと思いますが、呉駅周辺というのは私たちの顔でございまして、シンボルでもあります。呉市外の人も必ずと言っていいほどここは訪れる場所でございますが、ここの発展というのは呉市の未来でもありますし、若者だけでなく、市民皆さんにとっての誇り、シビックプライドであると思います。
呉製鉄所は、1951年、前身である日亜製鋼が旧海軍工廠跡地に進出して以来、高度経済成長期の呉市を支えたシンボルとして、また、重厚長大型の地域経済の根幹として発展してきた。 以来70年近くの間における呉市に対する貢献は、筆舌に尽くしがたいものがあり、従業員は関係、協力会社を含めて約3,300人と聞き及んでおり、地域経済や雇用、税収などへの影響は計り知れないものがある。
呉製鉄所は、1951年、前身である日亜製鋼が旧海軍工廠跡地に進出して以来、高度経済成長期の呉市を支えたシンボルとして、また、重厚長大型の地域経済の根幹として発展してきた。 以来70年近くの間における呉市に対する貢献は、筆舌に尽くしがたいものがあり、従業員は関係、協力会社を含めて約3,300人と聞き及んでおり、地域経済や雇用、税収などへの影響は計り知れないものがある。
しかし,当時の市民の賢明な判断により,保存され,核兵器廃絶と恒久平和を求める誓いのシンボルとして,被爆の実相と平和のメッセージを発信し続けています。 一度解体し失ったものは二度と取り戻すことができません。
まず,「活力にあふれにぎわいのあるまち」の実現に向けては,「楕円形の都心づくり」を推進するため,広島の新たなシンボルとなるサッカースタジアムの建設や旧広島市民球場跡地の活用などにより中央公園とその周辺地域の活性化を図るとともに,引き続き広島駅南口広場の再整備に取り組みます。
その中でも登山道の両側に門のように立っている二本のイチイの古木を門栂と言い、シンボル的な木として知られています。門栂を含むイチイ群の保存につきましては、文化財保護審議会から木が弱っている原因が根腐れや根が傷ついていることと指摘されたこともあり、平成27年、平成28年に関係者で水はけの改善や根が傷つかないよう迂回路を設けるなど、保存処置を実施しています。
感じてもらうでは、街道のシンボルイベントのマラニック大会の開催。また来てもらうでは、旬な観光情報を案内するとともにマラニック大会の感想や写真をSNSで発信をいたしております。
廃校リノベーションは、未活用の施設を地域資材として見直し、再び人が集い、新たなつながりが生まれる場に再生することを目的に、平成29年に広島県などが中心となって実施をされたひろしまさとやま未来博2017のシンボルプロジェクトとして、県内3カ所で採択されたうちの1つの建物の一部を改修されたものであります。
そのような中、特に学校は、地域の皆様にとってシンボル的存在であり、きずなやつながりなど、人と人とを結びつける地域の交流の場でもございますことから、市といたしましても、学校を中心としたこのような取り組みは、市民協働のまちづくりや世代を超えた地域共生社会の構築を進めていく上でも大変重要であると考えております。
天満屋はここのまちのシンボルであって、私たちもこの府中市にとっては必要なものだとは思いますけれども、一気にいくよりも少しずつ、私が言うように天満屋さんの意向と中身と実態をしっかりと把握した上で、その面積を考えていくことも必要だと思います。そういう意味では委員会を設けて、どうしたらいいのかも、天満屋さんも含めてやらないとなかなか難しいような話じゃないかと思います。
平成の世になり、それまで行われてきた「みんなの祭り」を東広島市の地域財産である酒をシンボルとし、東広島や西条などの冠をつけず、日本または世界で唯一無二の日本酒の祭典として打ち出したものが酒まつりのスタートであると聞いております。 私は、第1回酒まつりの開催時、高校1年生でした。メーンステージの真ん中で、当時のゲストタレントにくぎづけだったのをよく覚えております。
振り返ってみますと,議員生活16年間において,東桜町地区アイネスフクヤマの完成やきたはま通りのシンボルロードの取り組み,宮通りの歩車道路の完成,元町,船町のアーケードの改築,そして本通地区のストリートガーデンによる植栽化などが思い起こされます。
そういった意味においても,広島城天守閣はまさに復興のシンボルと言えます。 最近では,お城ブームや外国人観光客の増加といった後押しもあり,広島城への来場者数も随分とふえました。ここ数年は,年間30万人以上もの方が広島城を訪れております。観光資源という観点から見ても,広島城にはまだまだポテンシャルがあります。しかしながら,鉄筋コンクリートの耐用年数は50年から60年と言われております。
来年1月6日の開庁に際しましては、尾道のシンボル的存在となるよう鋭意準備を進めているところでございます。 それでは、補正予算案を初め、諸案件を提案するに当たりまして、総体的な説明を申し上げます。 まず、一般会計の補正予算案についてでございますが、平成30年度決算を受けての繰越金の追加や、次年度の事務処理体制を見通した関係経費の追加、年度後半に向けた事業費の増減調整が主な内容でございます。