三原市議会 1992-03-02 03月02日-04号
しかし司令官の文書は、湾岸戦争に示されたように、秋月弾薬廠はアジアの戦争に介入するためにこそ呉にいることをみづから告白したのです。 開戦直後の1月20、21日に広弾薬庫から佐世保へと警察のものものしい警備のなか湾岸向けの弾薬が陸上輸送されたこととあわせ、私たちは、これらを総称して<湾岸戦争がヒロシマを走った>と表現しました。それは被爆地ヒロシマから人殺しの道具が戦場に運ばれたことを意味しています。
しかし司令官の文書は、湾岸戦争に示されたように、秋月弾薬廠はアジアの戦争に介入するためにこそ呉にいることをみづから告白したのです。 開戦直後の1月20、21日に広弾薬庫から佐世保へと警察のものものしい警備のなか湾岸向けの弾薬が陸上輸送されたこととあわせ、私たちは、これらを総称して<湾岸戦争がヒロシマを走った>と表現しました。それは被爆地ヒロシマから人殺しの道具が戦場に運ばれたことを意味しています。
竹川議員のアジアの近隣諸国と呉市との独自の交流、石崎議員のメモリアルパーク並びに石彫のまちづくり、岡崎議員の呉港をロマンあふれる港へとしての博物館の建設、こういったまちづくりの基本的な考え方を踏まえた上で、次の見解を述べ質問をいたします。
しかし県、国も含めてですけれども、例えば、今アジア大会に向けて、ほぼ、県も広島市あたりも最大限投資をしていくというふうになっております。それ以降になると、その投資が低下をして、その後の財政見通しがなかなか立ちにくいというようなことも、県などは発表しております。
このように、「国連軍縮広島会議」に向けて、核兵器廃絶を求める県民世論が明らかにされている一方で、国連が発表したこの会議のテーマは「大量破壊兵器及び通常兵器の不拡散」や「北東アジアにおける安全保障及び信頼醸成構築のための方策」となっており、「核兵器廃絶」がテーマとして掲げられていないのです。 被爆県民は、その悲願と会議のテーマとのギャップを、あらゆる努力をして埋める責務があります。2.