○議長(
瀬川吉郎君) この際,議席の指定を行います。
新たに当選されましたお二人の議員の議席は,ただいま御着席のとおり指定いたします。
──────────────────────────────────────
日 程 に 入 る 旨 の 宣 告
──────────────────────────────────────
○議長(
瀬川吉郎君) これより日程に入ります。
──────────────────────────────────────
△日程第1 自第1
号議案 平成8年度広島市
一般会計予算
至第59
号議案 高田郡向原町と広島市との間における
救急業務の
事務委託の廃止に関する協議について
(
総括質問)
──────────────────────────────────────
○議長(
瀬川吉郎君) 日程第1,第1
号議案ないし第59
号議案を
一括議題にいたします。
これより
総括質問を行います。
発言通告者に順次発言を許します。51番
山科美里君。
〔51番
山科美里君登壇〕(拍手)
◆51番(
山科美里君) 通告いたしました
質問事項は二つでございます。その2番目の南道路の問題,今,我が江波町の方では大変な問題になっておりますが,この問題はちょっと後回しにさせていただきます。
予算委員会でゆっくりやらせていただきたいと,このように思います。1点に絞って御質問をさせていただきたいと思います。
昭和56年の2月25日,ちょうど15年前のきのうでございます。ローマ法王が広島の地を訪れました。そして12月にも申し上げましたが,「過去を顧みることは未来に対して責任を持つこと。
ヒロシマを考えることは核戦争を否定すること」というこの名文句を思い出します。今,平成8年第1回
定例会を迎えるに当たりまして,
被爆都市として広島の使命を果たすために,1点に絞って質問をさせていただきます。
昨年の12月13日,第6回の
定例会において,私は広島8・6
平和記念式典のその日に,
広島市民の総意を持って
明仁天皇をお迎え申し上げ,天皇のお声で「
ヒロシマの心」を,否,日本の心を世界に向けて発信していただくことを願って市長に提言を申し上げました。もちろん,市長さんのさわやかな答弁を聞くことはできませんでしたが,今回はぜひとも明快な答弁を期待いたしておりますので,これから申し上げることの中で多少の重複があるやもしれませんけれども,お許しを願ってよろしくお願いを申し上げたいと思います。
今さら言うまでもなく,ここ数年来の社会・
経済情勢は混沌とした情勢であります。にもかかわらず,総括的に見まして,国民・市民の大方はその異常さを異常と感じていないのでは。そこにこそ私は真の危機があるように思えてならないのであります。日本に駐在している,ある
外国人特派員は,いみじくも言っております。国民に
危機感のないことこそが日本にとって最大の危機だと言い切っております。
平成3年でした,ソ連の
社会主義の崩壊以降,冷戦の終結を思わせ,これでいい世の中になるであろうと思いきや,相次ぐ
民族紛争,
宗教戦争,飢餓・貧困等々,世界を見やれば,争いは尽きない状況でございます。国内では,御承知のように,
天災地変,無
差別殺人テロ,バブルの崩壊,
金融機関の破綻,
不良債権の
底なし増大,国の
赤字財政の
肥大化等,
自由経済の先行き不安を思わすような,あわせて人心の腐敗,堕落,こういったものは折しも世紀末を控えて混迷の極に達しつつあるような気がいたします。
社会主義の崩壊,これはまた
自由経済社会の夕暮れと同義語になっておるような気がいたします。政党は政党で権力を争う,主導権を争い,
勢力争い,
党利党略,派利派略に明け暮れ,そこには天の心を感ずることができない。国家も国民も市民も忘れたかのごとき
理念喪失,
利己保身集団と化した様相,言い過ぎでありましょうか。
公務員は公務員で使命感も緊張感もどこかへ置き忘れたのではないか。相次ぐ
不祥事件を惹起しております。12月市会は市長のたび重なる陳謝の弁となっております。
諸情勢は,まさに世紀末を控えて爛熟,腐敗の悪臭がにおっております。しかも,その様相は単に我が国のみならず,
世界的規模での
危機感となっており,その中で,この前も申し上げましたが,核の問題,公害の問題による
地球環境の危機が叫ばれているだけに,原爆の惨禍を体験した広島としては,乾坤一てき,100万市民挙げて立ち上がらなければならない非常の時と私は考えております。この危機的時を乗り越えるためには,今は争うときではありません。小異を捨て
大和協力の方向に向かって進むべきときであろうかと思います。
言うまでもありませんが,「天を恐れることは知識の初めなり」という言葉を思い出しますが,だからこそお互いに謙虚な反省の中に新しい発想,核兵器の廃絶と不戦,恒久平和への訴えを試みる必要を改めて痛感をし,12月の13日でございましたが,広島の式典を日本の式典に,広島の使命は日本の使命へと昇華させながら,その中心には憲法第1条にいう
国民統合の象徴,天皇様にお立ちいただくことが最も適切な姿であり,時期的にも戦後50年を終え,今始まる新しい50年への
スタートの年であれば,ここらあたりで真にあるべき日本を見詰めて
スタートを切らなければとの認識に私の思いは到達しておりますが,前回は市長さんの返事が重かったことは遺憾というよりほかにありません。
昨年12月13日の質問のとき以来,私は,なぜ市長の返事が重いのか,なぜ答弁を渋るのか,これまで2カ月に余って考え続けてまいりました。その結果,50年前のあの戦争,大
東亜戦争に対する
昭和天皇の
戦争責任問題に対して,一体国民はどう考えているのか,どういった
国民的合意がなされようとしているのかというところに私の思いは行き着いたのであります。
率直に,端的に言えば,何らの
国民的合意もできてはいないし,また
国民的合意を求める努力もされていない。このことは一体どのように理解,解釈すればよいのでしょうか。戦後50年も終わりました。先ほども言いましたように,今始まった新しい50年への
スタートに当たっては,ぜひとも
昭和天皇,そして
戦争責任問題に対してすっきりした決着をつけるべきだと私は考えますが,市長の考え方はいかがでありましょうか。
「天皇の
戦争責任はあると思います」発言が報じられたとたんに思いも及ばぬ大きな波紋を呼び起こした事実は,記憶に新しいことだと思います。もちろん,当時の政府側は,天皇には責任はないと明言しているのですが,この問題は,今こそだれもが納得できる決着をつけない限り,
昭和天皇のみたまは安らげないであろうし,国民の気持ちも
分裂状態のまま放置され,国民にとって,また国の未来に対して不幸なことと思わないわけにはまいりません。
「
長崎市長への7,300通の手紙」という径書房の刊行に当たっての編集部の言を借りれば,天皇,そして50年前に終わった戦争,二つの事柄,二つの言葉が,どれほど深く,そして長く国民の胸にわだかまり,しこっているかを,文面の一文字一文字が痛いほどにあらわしています。だれもがそのことを考え続けた。だが,表立って言葉にする機会もないし,言葉にすることを恐れていた。いや,口にし,文字にするには余りも重く,余りにも深い事柄であったと言うべきなのでしょうか。それが図らずも
本島市長の発言をきっかけとして,さまざまな年齢,あらゆる立場の人々の心の奥底から一挙に噴き上げてきた。この事実は,
本島発言をどう評価するか,またそれへの賛否は別として,私たち同時代に生きる
日本人について,私たち同時代に生きる
日本人に対して実に重大なことを示唆していると思わぬわけにはまいりません。
天皇,そして
戦争責任,この2語を結ぶところに昭和史の究極の焦点がある。そして天皇ないし
戦争責任を問うことは,とりもなおさず私
たち自身を問うことなのだと書いております。いまだ解決されてない天皇,そして
戦争責任問題,
史上最初の被爆地,平和への原点・我が広島で明確な決着をつけさせていただくことができれば,しかもそのことが
現代日本社会の混乱を解決する導火線ともなるならば,これほど国民・市民にとって幸せなことはないと思えるからであり,また必ずや解決できると思うし,解決しなければならない問題だからであります。(拍手)
言わずもがなのことかもしれませんが,天皇と広島の関係は,天皇様から見れば,全国いずれの都市とも同じ関係だと思います。しかし,不思議なことに,
昭和天皇は裕仁,裕は広島の広に通ずる。現天皇は明仁で明は安芸に,
皇太子殿下は浩宮で浩は広に,弟さんは秋篠宮で秋は安芸に通じ,広島への御縁は格別なものを私は感じております。ゆえにこの問題は広島から解決の道しるべをつけなさいとの天の心ではないだろうか,私はそのような受けとめ方をいたしております。
現在の日本の教育を初め,
子供たちのいじめの問題,犯罪の凶悪化,青少年の非行化等々,病める暗い社会問題を直視しながら今日の
日本社会の状態を憂える,心ある多くの人々は,その原因が那辺にあるのか気づいていながら,問題が問題だけに避けて通っているのではないかとも思える節があります。これでは日本の不幸化は阻止できません。だれかが勇気を持って真実を求めて
問題提起をしなければならないのではないでしょうか。(拍手)
さて,話をもとに戻しましょう。昭和63年12月7日,本島前
長崎市長は,「
昭和天皇の責任はあると思います」発言に対して,わずかな期間に7,300通の手紙が寄せられたことは前段に申し上げましたが,驚いたことに,そのうち7,000通近くという圧倒的な数が,天皇に責任ありという意見のようであります。私も一生懸命にこれを読ませていただきました。もちろん,陛下に好意を寄せながらも,あの状況下ではやむを得なかったと思うが,責任はあるといった内容も多くあります。これが
国民大方の正直な本音かもしれませんが,ここにこそ大きな間違いを見抜くことができるのであります。
御承知のように,私は
シベリア抑留体験者であります。本島さんへの手紙を収録したこの書を読みながら,その中の「天皇に責任あり組み」の弁ないし論は,かつて
シベリア連行後,連れていかれた後に
収容所内外で行われた,民主化に事寄せた
思想運動を思い起こさすほどの錯覚にとらわれました。今日では思想的な対立軸は薄れてはいますけれども,この書を読む限り,ここまで物の見方,考え方が相反するということは,同じ
日本人として不幸なことと言わなければなりません。特に,天皇に一方的に責任をなすりつけるという論は偏向した意識であり,見方と言っておきたいと思います。
さらに言うなれば,戦後50年,
日本人の心の中に根強く巣くってきた頑固な
利己主義,さらに言えば
責任転嫁主義思想の最たるあらわれではないかとも私は思ったのであります。
御承知のように,
昭和天皇は,その後間もなく,明けて昭和64年1月7日お亡くなりになられました。
本島発言後,わずか1カ月のことでした。以来,今日に至るまで本島さんはこの発言を訂正されたとか,取り消されたとかを聞いておりません。ということは
昭和天皇は霊界に行かれた現在も,依然として
戦争責任の重荷を背負い続けておられるということであります。ただし,
平成元年2月24日,本島さんは大喪の礼に参列,長崎市
東京事務所で
記者会見をされ,その席で,「公務員あるいは県の
市長会会長の立場として,
象徴天皇に弔意をあらわすのは,現憲法を守るべき私の務め。幄舎の中で内外の
戦争犠牲者のことを考え,この責任を自分に問い続けなければならない。」と誓い,おわびした。式のあり方については云々と言っておられます。これは記録の109ページに書いてあります。
式のあり方については云々,いろいろと言っておられますが,そのことも全面的に責任を陛下に押しつけ,天皇を苦しめてきたということに本質的には変わりがないように思われます。
近年,
子供たちのいじめ問題が大きな社会問題としてクローズアップ,重くのしかかっておりますが,その真の原因こそ,戦後多くの国民が,天皇を
侵略戦争の
開戦責任者としてなじり,いじめ,また300万英霊の皆さんも
侵略戦争に利用されて犬死にだとして粗末にしてきたことへの反省と覚せいを促さんとしている天の重大なる警告のように私には思われてならないのであります。
天皇の
戦争責任について国民・市民の考え方について,何が正しく,何が間違っているのか,市長は一体どのように考えておられるのか,お伺いしたいのであります。
先ほどもちょっと触れましたが,私自身,終戦のとき26歳の青年でありました。だから,戦後はもちろん,戦前,戦中も置かれた立場を考え,
日本人らしく生き抜いてきたその中からそれなりの知識も持っております。あわせて今日まで,ささやかですが,歴史も学びました。今この時期だからこそ,戦後50年を終えたこの時期に,そして今新しい
日本開基50年に向かっての輝かしい出発のとき,天皇の
戦争責任問題にすっきりした決着をつけておきたいと念じている国を憂うる人は,ただ私ひとりではないと思っております。(拍手)
議員諸兄の正義感にも訴えて,御支援,御協力をあわせてお願い申し上げる次第でありますが,ここで
タイムスリップをさせて50年前に戻して,いま一度考えてみたいと思います。
「戦争の全責任は自分にある」,
昭和天皇が占領軍総
指令官マッカーサー元帥と初めて会見されたときの天皇のお言葉であったことは御承知だと思います。昭和30年の9月14日
付読売新聞は次のように報じております。「私は──これは
昭和天皇──日本の
戦争遂行に伴ういかなることにも,また事件にも全責任をとります。また私は,日本の名においてなされたすべての
軍事指揮官,軍人及び政治家の行為に対しても直接に責任を負います。
自分自身の運命について,あなたの判断が
いかようのものであろうとも,それは自分には問題ではない。私は全責任を負います」。
マッカーサー元帥は驚嘆をいたしました。彼はそのときの感動を次のように語っております。「私は──
マッカーサー元帥──これを聞いて興奮の余り,陛下にキスしようとしたぐらいです。もし国への罪を償うことができるのなら,進んで絞首台にも上ることを申し出るというこの日本の元首に対する占領軍の総指令官としての私の尊敬の念は,その後もますます高まるばかりでした」。さらに,
マッカーサー元帥の回想記の中では,「私は,大きな感動に揺すぶられた。死をも伴うほどの責任,それも私の知り尽くしている諸事実に照らして,明らかに天皇に帰すべきではない責任を引き受けようとするこの勇気に満ちた態度に,私は骨の髄までも揺り動かされた。私はその瞬間,私の前にいる天皇様が,天皇が,個人の資格においても日本の最上の紳士であることを感じ取ったのである」と述べておられます。それほど感動され,「我,神を見たり」と心の中で叫んだという,これは余りにも有名な歴史のドキュメントであります。
自来,昭和64年1月7日,お亡くなりになられるまで
昭和天皇は
戦争責任問題に関して沈黙を通し続けられましたが,その沈黙こそ戦争の全責任を背負っておられた自覚のあかしであったと思うのであります。
このことを如実に証明する一つの出来事として,昭和50年9月22日,
昭和天皇が御訪米の旅に出られる直前の外人記者団との会見の中に見出すことができたのであります。すなわち,戦争問題に関して,「そのころの人たちが数多く生存しており,私が今何か言えば,それは当時の軍当局を批判していることになるかもしれません。そうしたことは差し控えたいと思います」と述べられております。戦後30年も経過しているときにもかかわらず,いまだに一人の国民をも責めたり,傷つけようとなさらない
昭和天皇の驚嘆すべき思いやりの大御心を思わないわけにはまいりません。
ただし,ここで間違ってならないことは,陛下がとられた
戦争責任とは,占領軍総指令官,ダグラス・
マッカーサー元帥はもちろん,極東軍事裁判長,ウエップ氏も言っておられるように,天皇には法的にも,政治的にも,いわゆる戦争犯罪人としての責任者でないことは明らかであると明言しているように,低次元の法的責任ではなく,人間としての倫理を重視した,あくまで高次元の道徳的責任ということであると私は確信いたしております。
だから,天皇の道義的責任は,御みずから進んで断頭台に立つ覚悟で
マッカーサー元帥の前に出向かれた,戦争の全責任は自分にあると明言された,この至尊の行為によって
昭和天皇の道義的責任は果たされており,ましてこの行為の結果,後ほど述べる数々の好結果を生み出され,国を,国民を救ってくださったことに思い至れば,少なくとも当たり前の
日本人なら,当たり前の国民なら許されてしかるべきではないかと私は思うのであります。
開戦の詔勅を改めて読み返してみましても,「今ヤ不幸ニシテ米英両国ト釁端ヲ開クニ至ル洵ニ已ムヲ得サルモノアリ豈朕カ志ナラムヤ」と書き入れられたごとく,初めから戦争を極力避けておられた陛下が,開戦を許されたその背景は,当時のほとんどの軍部はもちろんのこと,経済界も,各種団体も,報道機関も,国民も大方の総意であり,これを拒否することは独裁者となることを意味し,立憲君主の立場としてはでき得ないことであったと思われます。しかし,国民の総意によって最終決定を下したとはいえ,この承認によって戦争は開始され,そして最後は敗戦という重大な結果を招来し,言語に絶する未曾有の苦難の道を歩むに当たって,たれよりも悲しまれ,たれよりも苦しまれ,その御心痛,御心労は言語に絶するものがあったであろうと推察申し上げるべきでしょう。
「身はいかになるとも戦とどめけり ただ倒れゆく民を思いて」。議員の先生方も御承知だと思います。天皇の御心中の真実がよく理解できる御製であります。あのとき,もし陛下が一命をかけて終戦の御決断をなされなかったならば,本土を戦場として一億玉砕の凄惨な運命,第2,第3の沖縄決戦の再現となったでありましょう。
2番目,降伏後の領土問題にしても,天皇のお働きなかりせば,四分五裂に分割占領される悲運をたどったでありましょう。
3番目,天皇の無限の徳業により
マッカーサー元帥を感動させ,この神のごとき天皇を苦しめてはならない。早く安心させてあげたいとの強い,とうとい人間愛を持って,アメリカからの莫大なる救援物資を要請させたことにより,1,000万
日本人の餓死を未然に防ぐことができたことにつながっている。当時中国は,蒋介石総統,この蒋介石総統を動かし,無占領・無賠償という博愛至誠の占領政策宣言を引き出しました。あえて言えば,終戦の見事さとでも言いましょうか,一兵の反乱事件もない,世界無類の見事な終戦処理を成就されたこと。
6番目に,全国各都市の戦災,そういった中で,特に広島・長崎の惨たんたる原爆被害が,憲法にいう戦争放棄,絶対平和への宣言のよりどころとなり,今日の発展の基礎を固める結果となっておること。
さらには,戦後荒廃の中を,昭和22年から29年にかけて全国地方巡行を天皇は果たされております。手元に「天皇の地方巡幸の意義」という,こういったものが私のこの記録の中に出てまいります。これを読ませていただきたいんですけれども,時間の関係でもうこれは省略を,大半は省略いたしますが,次のことだけは申し上げておきたいと思います。
荒廃した国土をみずから回り,国民とのきずなを再確認したい,そんな天皇の強固な意志によって続けられた地方巡幸は,敗戦後の困難を乗り切るために必要とされた,国民の団結と協和をもたらす求心力になった。これは児島襄という人がそのように言っております。「被爆地広島で見せた天皇の涙」のこの見出しのところには,これをぜひとも皆さんに聞いていただきたいと思うんですが,時間がない。そのときの戦後初代県知事,楠瀬常猪氏は次のように言っておられます。「天皇陛下の涙は,広島の原爆と戦火による被害に基づく,うらみも含むあらゆる陛下に対する批判と非難の思いを一身に洗い流したものと信ずる。時の大金侍従長は,巡幸に対する国民感情を総括し,およそ陛下に対するとき,人という人は皆その魂を浄化させられて,第一義的な
日本人としての本来に帰るのである。巡幸の基本的な意義はまさにここに帰着するのではあるまいか」,このようにも言っております。
終わりに,原爆被災者の長崎医大教授,永井隆先生は,次のように述べておられます。「私は,陛下のあの細やかな心遣いをして,どんな小さなものでもいたわられる愛情の御態度こそ,今
日本人が毎日の生活にまねしなくてはならないと思う。今,
日本人はお互いに分離しているが,陛下がお歩きになると,その後に万葉の古い時代にあった,和やかな愛情の一致がよみがえって,
日本人が再び結びつく」。つまりは,天皇はまさに
国民統合の象徴であり,地方巡幸はそれを国民に実感させた。
自来44年間,一人の国民をも責められず,一言の弁解もいたされず,崇高なる道徳的見地に立って
戦争責任を自覚し続けられ,そのままお亡くなりになられました。この崇高なる道徳的見地を理解しない,理解できない人たちが繰り返し責任追及をするのかもしれませんが,それは間違っている。
私自身,そのごろシベリアの捕虜収容所において,好むと好まざるにかかわらず,意識するとしないにかかわらず,民主化の名のもとに行われた
思想運動のあらしの中に翻弄されていたことを今思い出しております。昭和53年発刊いたした「シベリア抑留体験記ラーゲル流転」に詳細記述いたしております。機会があれば御一読願いたい。昭和23年9月,九死に一生を得て私は舞鶴に復員をいたしました。今日に至っておりますが,道を求むるに日暮れてなお遠しの感はいたしておりますが,その中で,これまで述べてきたことは,私自身の到達した結論とも言うべき私の真実を申し上げておるのであります。
終わりに,もう時間が来たようですが,いま一つだけどうしても議事録にとどめておきたいことがあります。
それは,
昭和天皇は,時の東条首相や軍部の圧力に屈して戦争を始められたんではない。先ほども言ったとおり,国民全体の意志の決定を見通され,尊重してこれを御自身の意志とせられたということである。当時の日本をめぐる諸情勢は,ABCD包囲網をもって日本は経済封鎖をされ,そのまま推移すれば,無資源国日本の自滅は必至であり,戦争という非常手段に訴える以外に生き残る道はない事態に追い込まれ,国民の大方も開戦はやむを得ないと信じており,その全国民の意志を
昭和天皇が代表されたということであります。もちろん,軍部や報道機関の宣伝・扇動のあったことも否定できないが,それに圧倒的多数の国民が同調した,その紛れのない事実が
昭和天皇の開戦詔書になったその真の原因があったのであり,そこにこそ国民もまた人間として本来あるべき姿である道義的見地に立てば,
昭和天皇に対する道義的責任を国民の側も自覚せねばならない理由があると思うが,いかがでありましょうか。
天皇を一方的に責めることばかりが能ではない。
昭和天皇が開戦の詔書に御みずから加筆された文言,すなわち「洵ニ已ムヲ得サルモノアリ豈朕カ志ナラムヤ」の意味する3つの重要な真意について,市長さんはどのように解釈されておられるのでしょうか。
私は思います。その一つは,前述したごとく,全国民の総意尊重であり,その二つは,簡単に申し上げます。アメリカのアジア評論家オーエン・ラティモア氏の言を借って申し上げます。「日本が立派にやり遂げたことは,アジアにおける植民地に見る19世紀的構造を完全に破壊したことである。戦時中,日本軍によって占領されていた土地のうち,ただの一つとして旧主人であったヨーロッパ人によって満足に取り戻されたものはなかった。日本が破れる前に,極東における古い均衡と,ヨーロッパ帝国主義支配の構造を破壊したという事実こそ,日本が最後に敗退したという事実に劣らず重要なことである」。田中正明の訳です。オーエン・ラティモア氏の言でございます。
私は,中国戦線におりました。今でも中国の皆さんに御迷惑をおかけしたことは悔いていますけれども,純粋に大東亜共栄圏の確立を願い,八紘一宇,こうった言葉はもう耳にはなかなか入らないかもしれませんが,八紘一宇の大義名分を疑わず,固く信じ,規律を守って戦ってきた経験者として強調しておきたいし,またこのことは私のみでなく,その時代,戦争に参加した大多数の軍人,そして一致協力した大方の国民も同じ気持ちであったと私は今も固く信じております。このように信じない限り,戦死した数多くの戦友・同胞のみたまが浮かばれるわけはないのであります。祖国を愛し,天皇を慕い,滅私奉公,責任感強く,純粋な人ほど真っ先に進んでとうとい命をささげて散っていったんです。それを今日まで,戦争絶対悪という一面的観察で英霊や戦没者のみたまを粗末にしてきたと声を大にさせていただきたいと思います。
ただし,ただし,ここで性根を据えて自覚すべきことは,人間の生と死の極限の苦難である,恐ろしくもとうとい戦争体験を決してむだにしてはならないと思いますが,それにも増して戦争は二度と再び起こしてはならないし,断じて繰り返してはならないということを肝に銘ずることが大切だと思います。
この重大なことを,国民がかっちりと自覚していただくために,天皇は敗戦とは申されなかった。敗戦ではなくして,戦争の価値は終わったという意味から終戦と断定されたことの天皇の真意を私たちは知らなければならないのではないでしょうか。
三つ目の真意について,これが最後でございます。もうちょっとお許しください。今50年たって,過去の体験をあすの糧とするためにあえて言いたいことは,それが今日までだれもが気がつかなかったのか,気がついていても言わなかったのか,深く秘められてきた天の心とも言うべきものかもしれません。
「毒をもって毒を制する」という言葉があります。日本帝国主義の完全消滅というか,根絶にこそあったということであります。今日の情勢を見て,軍国主義の復活はあり得ないと断言できると思います。だとすれば,毒を,戦争を消滅するために率先して毒,戦争の中に飛び込み,最もつらく,最も苦しく悲惨な,しかし同時にその時代における最も困難かつ価値のある天皇陛下の開戦の詔勅を一命を賭して,承詔必謹,詔勅を承れば必ず行うというあの聖徳太子の時代に言われておる承詔必謹という言葉を私は思い出しました。承詔を必謹する大仕事を実行したものが英霊であり,当時の大多数の国民であったということであり,それゆえにこそ軍国主義はこっぱみじんに破壊をされた。世界で唯一戦争放棄を誓った憲法をつくり,絶対平和の国是と,自由と共生と人権を尊重する国家に生まれ変わることができたのであり,それはまさしく
昭和天皇と英霊並びに当時の大多数の国民が一致協力して戦ったことにより,「陰きわまれば陽になる。陽きわまれば陰になる」ごとく,日本は大変身,大転身ができたと私は思っております。この深い深慮とも言うべきものに目覚めれば,天皇の
戦争責任問題は晴れやかに決着するのであります。「災いを転じて福となす」という言葉の意味するものを深く考えるべきだと思います。
だからこそ,今こそ天皇の真実に目覚め,
広島市民の総意を結集し,平和の祭典にお招きを申し上げて,
昭和天皇への感謝の意図,おわびと敬愛のまことを
明仁天皇を通じ表明することができれば,50年にわたって背負い続けてこられた
戦争責任の重荷をおろしてくださり,その晴れやかなお気持ちで
明仁天皇の平和宣言を世界に向けて発信することができれば,待望の世界恒久平和への黎明が訪れるかもしれません。
今,国民が果たすべきこの最重要事を
広島市民が率先実行し,天皇の
戦争責任問題に真のけじめをつけた暁には,日本国民道義の大道は定まり,今日のさまざまな困難な社会問題は一挙に解消される方途が明らかになるでありましょう。
世界最初の
被爆都市広島の真実の使命は,今始まった新しい50年への初仕事として天皇を熱烈歓迎申し上げたいものでございます。
議場にあるすべての皆々様の温かい御理解を賜りますように,心よりお願いを申し上げ,市長さんの明快なる答弁を期待いたして終わりたいと思います。御清聴ありがとうございました。(拍手)
○議長(
瀬川吉郎君) 市長。
〔市長平岡 敬君登壇〕
◎市長(平岡敬君) 新しい50年への
スタートに当たって,
昭和天皇の
戦争責任問題に決着をつけるべきだと思うが,どうかというお尋ねでございます。それから,平成8年の
平和記念式典に
広島市民の総意を結集して天皇陛下をお招きし,天皇の平和宣言を世界に向けて発信していただいてはどうかと,この2点についてお答えを申し上げます。
昨年,ワシントンのアメリカン大学で開催されました「原爆資料展」やフォーラム出席などのため米国を訪問いたしました際,戦争をどう総括するのかということばかりを外国の記者並びに市民から聞かれました。広島の被害を訴えようと思っているのに,問われたのは,まず過去の責任でありました。また,昨年国会において,歴史を教訓に平和への決意を新たにする決議が採択されましたが,決議の内容については,アジアの近隣諸国から日本の軍国主義に対する反省は表明しているが,アジアの人々への残虐行為に対する明確な謝罪がなかったといったような声が上がりました。これは,我が国が国家として
戦争責任の問題を正面から受けとめてこなかっただけではなくて,私たち広島もまた戦争の歴史の中に広島の原爆投下を位置づける作業を怠ってきたからであろうと思っております。
この
戦争責任の問題については,終戦直後,1950年代半ば,それから日中国交回復のとき,それから1980年代前半の教科書検定問題など,幾つかの議論の高まりを経て今日に至っております。日本政府は,日本は
戦争責任について,また極東軍事裁判の結果もすべてサンフランシスコ平和条約で受諾した。これにより
昭和天皇の問題も国際的にすべて解決済みだ,こういう立場をとっております。
御案内のとおり,現行の日本国憲法により,天皇は日本国の象徴であり,日本
国民統合の象徴とされており,このことは広く国民に定着しているものと理解をいたしております。
戦後半世紀が経過し,次の50年の
スタートに当たり,私たちは歴史の光と影を忘れることなく,真に近隣諸国との友好関係を築き,世界恒久平和の実現を目指すためには,さきの戦争の総括と歴史認識について国民の合意を形成することが重要であると考えております。
次に,
平和記念式典に天皇をお招きし,天皇の平和宣言を世界に向かって発信していただいてはどうかとの御提案でございますが,天皇は昭和56年,皇太子時代の
記者会見で,「こういう戦争が二度とあってはいけないと強く感じます。記憶しなければならない日は四つあり,広島・長崎の原爆の日と終戦の日,沖縄戦終結の日,この日には黙祷をささげています」と話されております。また,昨年7月27日,慰霊の旅で8回目の広島訪問をされましたが,その出発の際,「原子爆弾に対する世界の認識が深まり,人類がこのような災いを二度と経験することのないよう,切に平和を願い,犠牲者の冥福を祈ります」とお気持ちを明らかにされております。
こうした一連のお言葉から,天皇の平和への強い思いは国の内外に十分に伝わっているものと考えますので,御理解をいただきたいと思います。
○議長(
瀬川吉郎君) はい。
◆51番(
山科美里君) 再質問をするつもりはなかったんですが,戦後50年たった今日ですね,
戦争責任問題が問題になっている。これはよく私も知っております。ただ,どうしても心配なことは,外国に対して,この友好を広げていくということは当たり前のことなんですが,問題は国内だ。今日では,日本民族は悪いことばっかりする民族だという汚名を着せられております。私たち
日本人は,自国の歴史に誇りも持てない民族になり下がってしまいつつあるんじゃないかというのは思い過ぎですかね。これは不幸なことであり,恐ろしいことです。私はそのことを憂いておるのです。そのよって来るところを述べる時間はありませんが,東京裁判によって日本の歴史はすべて否定された。戦勝国の主張のみが正しいものであるかのような錯覚を生み出してしもうた。特に次の世代を担う
子供たちの学校教育。ここらにも今少し変わりつつあるようでございますけれども,国際社会の常識である国旗とか国歌さえ粗末にしております。日本の国は経済で最高位に立ちながら,精神的には三等国だ,こういったような言葉も聞かれます。日本の歴史については,自分の国を卑下するばっかり。どこの国の歴史やらわけのわからぬ教科書で教えられる
子供たちが大人になるごろに,日本の国は一体どこに向かって進んでいくのでしょうか。あえてこの時期に,先ほどから何度も申し上げているように,50年も終わって,新しい50年に向かっての
スタートのとき,この国に生まれてよかったと思えるような,この町に住んでよかったと思えるような,誇りの持てる国づくり,まちづくりを目標にいたしたいわけでございます。
市長さん,人間賛歌都市広島,これをつくるために,まずこういった基本的な問題から性根を,心をたたき込んでいくことが,私は大切なことじゃないかな。言葉はちょっと悪かったかもしれませんが,どうぞそういったことを心配しながら,あえて御質問に立たせていただきました。
天皇が8回来られたからもういいよと,こういうのはどうでしょうか。ここらあたり110万のこの
広島市民が本当にこの天皇を歓迎するといえば,天皇さんは間違いなしに喜んでおいでになられるでしょう。ローマ法王のあのたどたどしい日本語での短いあの言葉さえ,今あれから十数年もたって私の頭には鮮烈に残っているというふうなことを思えば,まして私たちの
国民統合の象徴である天皇の言葉が,あの平和公園で発せられるということはすばらしいことだと私は思うわけでございます。
以上をもって再質問は終わります。ありがとうございました。(拍手)
○議長(
瀬川吉郎君) 次は,24番児玉光禎君。
〔24番児玉光禎君登壇〕(拍手)
◆24番(児玉光禎君) 通告に従いまして,順次質問をさせていただきたいと思いますので,よろしくお願いいたします。
市長さんは財界の出身ですが,その財界の中の広島経済同友会というのがございますが,その教育文化部会におきまして,文化都市づくりのアンケートを実施し,広島市に対する評価をまとめられまして,そのことが先日の中国新聞に掲載されました。
それによりますと,国際平和文化都市を標榜する広島市に対して,いまだに原爆のみが広島の顔になっているという意見が61.6%。次に,駅前や都市交通も未整備で中国地方の中枢都市とは言えないという意見が52.1%という痛烈な批判とも言える声がありました。中枢都市として充実すべき課題は,地下鉄などの整備57.3%,広島空港とのアクセス整備42.7%と,都市交通整備であるという声が最も多かったそうで,このことは経済界関係者でなく,一般市民の多くの方もそのことを望んでいると思うのであります。
これらは市民の行政に対するニーズの一部かもしれませんが,真摯に受けとめて行政に反映すべきであると思います。
そこで,私は,今回上程されました平成8年度予算案を通じて,市長が平素から言っておられる「未来に輝く希望の持てる21世紀」を迎えることとなるのか,それとも都市経営がだんだん厳しい方向に行って,財政の見通しについてどのようになるのか,21世紀当初の広島市の財政状況についていかがお考えでしょうか,まずお伺いをしてみたいと思います。
新年度予算は,広島市始まって初めて1兆円を突破する規模となりました。複雑多様化する行政需要に対して予算額が増大し,大都市に成長したものだなと喜ばしく思う反面,心配の種がふえたのではないかというような気もいたします。世の中は空前の不景気で,もちろん税収も減るでありましょうし,お金を預かり一番安全だと言われた各銀行におきましても,今年度はほとんどが赤字決算で,リストラをして経営体質を改善することが急務であると言われております。
広島県では,新年度予算が0.9%の伸びと言われ,それでも借金返済のための公債費が多く,財政の硬直化が進むことは免れないと発表されました。広島市においても,平成6年度の市の借金の比率を示します公債費比率は16.9%であり,平成7年度末の見込みは17.5%と言われております。公債費比率が15%以上になりますと,健全財政を保つことができないという黄信号であって,さらに20%を超えると赤信号で,自治省の指導を受けながら財政運営をしなくてはならないことになると言われております。
また,起債制限比率を見ますと,平成6年度が12.8%,平成7年度末見込みで13.2%となっていますが,この割合が15%以上になると,公債費負担適正化計画を自治省に提出して確認を受けなくてはいけません。そして,起債制限比率を5年間で13%以下に引き下げることとなります。広島市の場合,15%まであとわずかと迫っておりますが,このような状況も決してよいとは言えません。さきに述べた公債費比率において,広島市はあと2.5%ふえれば赤信号となります。財政が膨張し,税収が減れば,借金に対する依存度が増すのは必然で,広島市の借金が増大するのは火を見るより明らかではないでしょうか。子や孫に多くの借金を残すことになります。したがって,これからは限られた予算でいかに効率よく行政を執行するかということが大切となってくると思います。
このたび,工事請負契約に対しまして談合の疑いがあるとして,2業者の役員が逮捕されましたが,この事件では,A社からB,C,D,E社へと一括下請が繰り返され,1社平均5%の利益が抜き取られたとして,契約金額より20%も低い金額で工事が施工されたこととなります。6,000万円として1,200万円は工事とは関係ないむだ金であったことになるように思われます。このようなことは日常茶飯事と言われ,広島市が発注する土木費などのうち,相当な金額がむだ遣いになっていると思われます。このようなことも市がきちっとチェックすれば,大切な予算を有効に使うことができ,借金体質を少しでも軽減できることになりますが,どのように考えられますか,お伺いをします。
また,新年度予算の中で,「ひと・まちネットワーク財団」が公民館を管理することとなり,現在の公民館の職員がその財団の職員として勤務することとなります。しかし,条例上の定数は余り減っておりません。条例定数による現在人員は1万2,140人,外郭団体に派遣している職員は46団体に1,060人,そして新年度はそれに加えて180人近くも派遣することになると言われております。合計しますと,実質市の職員は1万3,380人となって,約10%の定員オーバーとなっています。その人たちの人件費は皆市の予算で賄うことになります。今,国会で盛んに論じられている住専問題のように,役所の失政のツケが国民に負担をかけることとなる時代ですから,広島市においても予算を計上し,執行するに当たっては,後年度負担の理屈はわかりますが,慎重であるべきだと思います。
今後,税収はますます少なくなり,基金も底をついてきて,また減税の政策を打ち立て,その減税分の原資につきましては借金をして,そして職員の数は実質的にはふやし,財政がうまくいくはずはなく,親方日の丸の都市経営の破綻はきっと市民の負担になるに違いないと予想されるわけです。
市民の負託にこたえて多額の予算を執行するに当たり,いま一度緊張して市民の税金を公正に使わなくては,また行政事務に対しても公平・公正に行っていただくことを再認識していただきたいとお願いするものであります。
次に,今回の予算の中で注目すべきは開発局の廃止であります。
先日の中国新聞には,「不祥事の開発局解体」という大見出しが載っていました。都市計画局を設け,計画,許認可,指導部門の業務を担当し,都市整備局が西風新都や段原開発等,面的な整備を,また建設局が点と線の整備をすることになったとのことであります。
そこで私が思いますのに,市長は一連の不祥事に対して,「初心に返って厳正な業務を進めてまいりたい」と反省を
記者会見でコメントされたように記憶いたしておりますが,果たしてその趣旨に沿って機構改革が行われたかどうか,二,三の疑問がありますので,順次質問させていただきたいと思います。
まず,昨年12月27日再許可された石内地区開発の許可についてお伺いします。
都市計画法29条によりますと,「開発行為をしようとする者は,あらかじめ許可を受けなければならない」と定められ,必ず許可を取った後でなければ工事はしてはいけないということになっています。工事の変更についても,軽微なものを除いて必ず事前に変更の許可を受けてからでないと変更の工事はしてはならないことが同様に法で定められております。
そこで,問題は,でき上がった団地の安全性について極めて重要な要素となるであろう防災上の伏流水を排出する地下埋設管について,当初許可を受けた総延長1万2,873メートルのうち8,248メートルが無許可で変更工事されていたことであります。このことは市当局もそれを認め,昨年12月に問題となりました。開発許可をおろす場合には,その前に開発審査会の審議を経ることが法律で義務づけられています。その開発審査会は,昨年12月の22日に開催されました。ところが,その3日前の12月19日の中国新聞で開発局長は,「排水管の強度は心配ない。当初の許可を取り消しているので,変更後の内容で新たな許可を出せば問題ない」というコメントを述べています。続いて,翌20日の読売新聞に,許認可権の担当である宅地開発指導課長が,「現在の状況と合致した書類が出てきたから諮問しただけで,違法工事の追認には当たらない」と述べ,変更の許可を受けないで埋設された排水管であっても,いずれも適法に処理され,問題ないような発言をして市民に誤解を与え,さらに開発審査会の委員にも誤解を与えかねないような発言であったので,直ちに訂正の
記者会見をするよう申し入れましたが,
記者会見は開発審査会を前にしてさらに混乱を招くからといって実現をいたしませんでした。しかし,そのとき両者とも許可前施工となって都市計画法に違反することであることは認めました。さらに,開発審査会において法律違反に関することはほとんど論じられておらず,開発局長が冒頭でしたあいさつにおいて,「地下排水施設の工事の内容を変更する場合には,事前に市と協議した上で施工すべきであったにもかかわらず,今回これを怠ったまま工事を施工したことはあってはならない行為であることから問題がないわけではない」と述べました。西風新都は本市の重要プロジェクトだから,また施工された排水管の安全性が確認されたので,苦渋の選択として既に行った地下排水施設の工事内容を含む開発行為を認めることにしたということを強調されました。
これに対して委員の中には,審査会は少なくとも法的要件を具備してここに出てきているというふうに理解してそれを議論していると思うという意見が述べられ,法律違反に関することは全くと言ってよいほど論じられないで議案を承認する旨の結論が出されました。
都市計画審議会の委員というのは,法律,経済,都市計画,建築,公衆衛生,または行政に関し,すぐれた経験と知識を有し,公正な判断をすることができる者であるはずでありますが,この法律違反についてはほとんど論じられておりません。都市計画法のどこに市の重要プロジェクトであれば法律違反をしてもいいと,また安全性が確認されれば許可前に工事をしてもよいと書いてあるのか。要するに,12月27日の再許可は法律に違反した許可であると思われますが,その点はどのようにお考えか,お尋ねいたします。
次に,安全性が確認されたことについて,開発審査会の中で開発局は,ヒューム管の納品書による記載数量,納品数量と,計画図面から必要数量がはじき出せますので,これを突合しまして数量と一致していることも確認しておりますと述べられました。広島県内の土木工事現場に納入されるヒューム管の数量は,業界において全部1カ所に申告される制度となっていますが,同業者の方に依頼して調べてもらいましたら,納入されたヒューム管の規格や数量についてはおおむね合っていますが,例えば600ミリのヒューム管について言えば,開発局の調査では421本使用したことになっていますが,実際には67本も少ない354本しか納入されていないという報告を受けました。開発局の調査した数が違うのではないかという疑いが持たれます。その反対に,直径500ミリは46本多く納入され,400ミリは少なく,250ミリは多く納入されているようで,全体的に市に言われた直径より細い管が多目に入れられて,大きい管が少なく入っているというような報告を受けているわけであります。
このように,若干でも疑問が感じられるということは,地中の現物を確認する以外,双方ともどちらの数字が正しいか確認することはできません。確かな数量はわからず,安全性もしかと確認されたとは言いがたい状況であります。
次に,32条協議について質問します。
このことについて市長は,県の同意を得られたので再許可することにしたといつかの
記者会見で発表されております。そこで,私は,国有財産管理部局長である広島県知事に対して,造成工事により,もとの里道,水路の状況を確認することが不可能と思いますが,つまり法で定められた現地立会ができない状況であるのに,どのような方法で里道,水路を確認し,その面積を算定して32条協議を行ったのか。また,どのような見解で同意をされたのかをお伺いします。今後のこともあるので,できるだけ詳しくお答えくださいという旨の文書で質問を議会事務局を通じて1月初めに出しましたが,いまだに回答がありません。このように無回答ということは,議会事務局でも前例のないことと言っております。県は,市と協議して決めたことだから,この点については市の方で説明してくれという言い分のようであります。しかし,同意権者はあくまでも県ですから,正当な事務手続が行われたのであれば,県は直ちに答えるはずであります。そこで調査をしてみますと,市が里道,水路の一形態案を提示して,県は市がそれでいいと言うのならということで同意したと言われます。
市長,あなたは県の同意を得たのでと責任が県にあるかのような言い方をされましたが,その同意のもとの案は市が作成したことになっています。その作成手法が適法なものであると言えるのかどうか,まずお尋ねします。
しかし,県におかれましても,市が法律違反の許可を出した行為によって迷惑をおかけしたことは十分理解いたしますが,市が法律違反をしたからといって,県も同様に法律に触れる行政行為をしてはならないと思われます。県が私の32条に関する質問に答えないのは,それが正当な事務処理ではなかったことを裏づけているようなものだと思います。市長の発言といい,開発局長の発言といい,宅地開発指導課長の発言といい,法律違反であることを市民に対してカモフラージュして,例えば法律違反であっても市の事業を推進するという姿勢が見られるように思います。これらの発言は公務員の信用を著しく失墜させることになりはしないでしょうか。
ついでにお伺いいたしますが,官民一体で行う西風新都開発推進に当たって,公共工事部分を行うため開発業者から開発によって得られる利益,1,200億円のうち400億円分を負担金として土地で受け取ることになっていますが,
平成元年で計算した地価が下落した場合,工事代は既に支払済みであったり,あるいはこれから支払うにいたしましても,その代金が下がることは考えられませんので,安くなった土地をでき上がったときに受け取っては多額の差損が出ると思いますが,その点はどのように考えておられますか。
さらに,法曹界の人,つまり裁判所や検察,警察,弁護士たちのような仕事をする方の何人かは,市は墓埋法違反や無許可造成や,宅地規制法違反等,数々の法律違反,つまり犯罪があると思料されるので,刑事訴訟法239条2項により関係者を告発すべきであるというのに,なぜしないのかという意見を述べられる人があります。私もかつて議会で発言しましたが,やはり市の遵法姿勢がいま一つはっきりしていないように思われるところであります。襟を正すためにはそのようなことも必要ではないかと考えますが,いかがでしょうか。
開発局を消滅させることによって数々の法律違反のイメージだけは消し去ることはできるかもしれませんが,実態的には何ら変わることないとすれば,市民の目をごまかすにすぎないと思います。再許可における法律違反を内蔵する行政事務は,許認可事務が昨年4月に開発局から都市整備局に移ってからのことですから,不祥事は姿勢を正さない限り,際限なく,脈々と受け継がれることになると思います。
次に,広島市は,高さ10メートルを超える中高層建築物の建築に関し,近隣住民との間に生じる紛争を未然に防止するとともに,地域住民の居住環境を良好に保つために必要な指導を行うことができるよう,広島市中高層建築物の建築に関する指導要綱を昭和49年に定めています。この要鋼の指導によって建築確認申請の受理や建築確認時期に多大な影響を及ぼし,建築主の経済性を大きく左右しております。その中の第8条には,「市長は建築主等に近隣住民との間に紛争が生じないよう努めさせるとともに,紛争が生じた場合においては協議させ,その解決に当たらせるものとする」と定めております。
最近,佐伯区内でホテル建設に対する住民運動が起きまして,4万5,000名余りの反対署名を添えて市長に陳情がなされました。騒ぎの発端は,良好な住宅地の中に突如,全室ダブルベッドを備えつけたホテルを建築しようという計画を知った住民が,県条例で禁止されたラブホテルでないかと,また小学校から100メートル余りのところにできれば,通学路もあることで教育上好ましくないという考えによって起きたことであります。
区建築課は,指導要綱により住民説明会を開くよう建築主を指導し,いろいろやりとりがあった後,やっとのことで住民説明会を開かせましたが,集まった住民はラブホテルではないかと,建築主の事業内容や将来の経営について質問しましたが,すっきりした回答が得られず,双方の意見がかみ合わないまま説明会が終わりとなりました。ところが,その翌日,建築主が建築課に行き,確認申請を受理するよう強く迫り,もし受け取れないのならその理由を言え,裁判も辞せずと言われて確認申請を一式受け取ってしまいました。佐伯区内では,マンションの建築に関し確認申請を,指導要綱を盾に6カ月も受け取らなかったり,またある建築物では紛争調停委員会にかけるよう誘導・指導されて2年近くも確認が引き延ばされた事例もあります。その建築物の場合には,近隣のわずか数名が反対運動を起こしたにすぎず,町内会長や多くの住民はそれほど反対していたわけではありません。それに比べ今回のホテル建設反対は,町内会,各団体,PTA,子供会,青少協,体協など,すべてを挙げて町内総ぐるみで反対運動をしていたのに,形式的な説明会をたった一回,しかもその内容は住民と建築主の意見が水と油のように全く交わることがなかったのに受理してしまったのでは,さきに述べた事例と比較して余りにも公平性を欠いた事務処理と言わねばなりません。
区建築課長の話では,行政手続法が施行されたので,受理せざるを得なくなったのですよと弁明していましたが,もしそれが本当であれば,中高層の指導要綱は意味のないこととなると思います。
いずれにせよ,今回住民の反対署名に表明された市民感情に対し,市はどのような処置をし,建築主に対して問題を解決させようとしているのか,お伺いをいたします。
次に,少子・高齢化社会についてお尋ねします。
今,国民の中で高齢者はもちろん,若い世代までが将来に不安を感じているというアンケート調査結果を見ました。まさにそのとおりで,高齢者はこれから先の生活と,それが損なわれたとき,だれが面倒を見てくれるのかと大変不安です。また,若い世代は高齢者がふえてこれらの負担がこれから大変なことになるのではないかと心配しています。
そこで,国や地方自治体は社会保障制度を充実させ,何をどこまで見るのか,その範囲や費用をはっきりさせて国民の不安を解消させる義務があると思います。
21世紀の少子・高齢社会を考えてみますと,現役世代の実質所得とバランスのとれた安定的な公的年金制度,健康の自己管理や先端技術を取り入れている医療保障制度,また介護や子育ての支援にも力を入れた充実した福祉政策が大変重要となります。国においても,これらの高齢化における老後の要介護状態の不安を解消するためには,施設の整備や人材の養成・確保など,介護供給体制の整備を図り,公的な介護保険制度を確立することが大切だと思います。
最近,NHKでは,「公的介護保険制度」という番組が放送されました。今この介護保険制度を導入しているのがドイツだということですが,日本もこのドイツ方式を取り入れるのではないかと思います。ドイツは1995年1月から,まず保険料だけを徴収し,同年4月より在宅サービスを
スタートさせました。給付形態として,1,介護サービスを受ける。2,介護サービスの4割相当額の現金給付を受ける。3,サービスと現金給付を受けるの3種類がありまして,昨年の8月までに約157万6,000件の介護保険の適用申請があったと聞きます。このうち8割までが現金給付を希望しているようですが,その理由として,介護サービス提供が家族の負担軽減につながらない。2,夜間,深夜など家族の望む時間帯にサービスが受けられないということが言われています。
日本でも先般,国の老人保健福祉審議会から第2次報告がなされ,国と地方自治体,事業主と被雇用者それぞれの負担割合や地域間のサービス格差の扱い,家族介護に対する現金給付の問題など,さまざまな議論がなされているようですが,この制度の全体像はなかなか見えてきません。
そこでお尋ねいたしますが,まず1つ,現在この公的介護保険制度はどの辺まで明らかになっているのか。
2,審議会の中で何が議論となっているのか。
3,この公的介護保険制度はいつ,どのような形でなされるのか。
4,広島市等,地方自治体とのかかわりはどうなるのか。特に地方分権も言われているときですので,このあたりをお尋ねいたします。
次に,介護の必要な高齢者の現状を見ますと,ホームヘルプサービス等のいろいろな形態の在宅サービスの需要や,特養の入所希望者等の待機者がふえていると聞きますが,来年度の予算の中にそれらに対してどのような対策を打ち出そうとしておられるのか,お尋ねいたします。
また,このように公的介護保険制度の導入や老人保健福祉計画の推進など,本格的な高齢社会へ向けての対策がいろいろ行われている中,市長さんはこれからの高齢者社会への対応をどのようにお考えになっておられるのか,お聞かせ願いたいと思います。
以上で質問を終わります。ありがとうございました。(拍手)
○議長(
瀬川吉郎君) 市長。
〔市長平岡 敬君登壇〕
◎市長(平岡敬君) 21世紀当初の財政状況はどうなっているのか,考えているのか,将来の財政運営は大丈夫かと,こういうお尋ねにお答えをいたします。
確かに,現在の財政環境は,市税収入の伸びも低く,市債残高の累増や基金残高の減少が続くなど,大変厳しい状況にございます。また,あと数年後に到来する21世紀当初においても,景気の動向等にもよりますが,それほど急激な財政環境の変化はないものと考えておりまして,私としましても,しばらくはより厳しい財政運営を強いられるものと思っております。
しかし,一方では,本会議初日の提案理由の説明でも申し上げましたように,本市は中国・四国地方の発展を視野に入れた都市づくりも期待されております。そのため,今後とも中枢性・拠点性の強化,広域都市圏の形成,都市の魅力づくり,地域経済の活性化,高齢社会の対応といった重要課題に積極的に取り組んでいかなければなりませんし,また本市の
経済情勢に目を向ければ,景気回復に向けた取り組みが緊急の課題となっているなど,大変厳しい状況の中ではありますが,これからもこうした市民のニーズや,時代時代の要請に的確に対応していくためには,やはり相当な財源を投入する必要があると考えております。
このため,新年度の予算編成に当たりましては,将来の財政収支見通しを踏まえて,基金の取り崩し額を平成7年度の当初予算に比べ50億円抑え,さらに事務事業の見直し等により約18億円の経費を節減するとともに,御指摘の市債の発行額にいたしましても,交付税措置のない,実質的な借り入れ予定額は平成7年度を若干下回らせるなど,いろいろな工夫を凝らしたつもりでございます。ただ,市債の発行につきましては,議員御指摘のとおり,公債費比率等の財政指標を見ましても毎年増加傾向にありまして,また将来的にも上昇していくことが見込まれており,私としても決して楽観視できない状況にあることは十分認識しております。今後の社会・
経済情勢の変化に弾力的に対応していくためにも,できるだけ市債残高の増加を抑制していく必要があると考えているところであります。
先ほど申しましたように,あと数年で到来する21世紀の財政環境を視野に入れた財政運営を行うために,私としては地域経済の活性化等による中・長期的な税源の涵養はもとよりでありますが,さらに進んだ行財政改善に取り組むとともに,一方では中期的な財政収支を試算しながら,議員御懸念のように,将来財政の硬直化を招くことのないよう,十分留意してまいりたいと考えております。
次に,高齢社会への対応をどのように考えているのかというお尋ねでございます。
人生80年時代を迎えまして,本格的な高齢社会を目前に控えた今日,市民一人一人が健康で生きがいを持って安心して暮らしていける社会をつくることは重要な課題でございます。
このためには,まず高齢者が健康を保ちながら,今まで培った知識と経験を生かして社会参加していただくことが大切であり,高齢者の健康づくりや生きがい対策に積極的に取り組んでまいりたいと考えております。
また,援護を必要とする高齢者の対策といたしましては,老人保健福祉計画に基づきまして,ホームヘルプサービスなどによる在宅サービスの拡充や,特別養護老人ホーム,老人保健施設などによる施設サービスの充実を図ることにいたしております。
さらに,社会福祉協議会や民生委員等の地域団体の参加によるネットワークづくりや,高齢社会に対応した市民ボランティアの育成支援の充実を図ることが必要であります。
そのために,広島新世紀都市ビジョンの中で掲げている「まちづくりボランティア20万人計画」を推進していくことといたしておりますが,高齢者の方々も積極的にこの計画に参加していただきたいと考えております。来年度の予算においても福祉ボランティア活動の促進や,福祉マンパワーの確保のための施策の充実に意を用いているところであります。
いずれにいたしましても,本格的な高齢社会を迎える中で,介護を要する高齢者や介護者への公的な支援を充実させていかなければならないのはもちろんでありますが,私は,市民一人一人が豊かで安らぎのある社会を築いていくためには,市民の皆さんに私たちの地域,私たちの町という意識を持っていただくことが大切であり,高齢者の方々が元気で,できるだけ充実した生活を送り,社会に積極的に参加していただくとともに,自立が困難になった場合には,これを地域社会全体で温かく見守り,包み込んでいき,高齢者が安心して支援を受けられるような社会を築いてまいりたいと考えているところであります。
その他の御質問につきましては,関係局長が御答弁申し上げます。
○議長(
瀬川吉郎君) 民生局長。
◎民生局長(吉中康麿君) 少子・高齢化社会の到来について数点お答えを申し上げます。
まず最初に,公的介護保険制度という制度はどの程度まで明らかになっているのかという御質問でございますが,議員御指摘のように,公的介護保険制度は,現在国の諮問機関でございます老人保健福祉審議会における審議を通じて制度の創設が検討されており,昨年の7月の第1次中間報告に続き,去る1月31日に第2次報告がなされたところでございます。
本制度につきましては,現在さまざまな立場から議論がなされているところでございますが,少なくとも2次答申の中で明らかにされております内容につきましては,一つは,給付対象としては要介護認定を受けた65歳以上の高齢者とするが,65歳未満の初老期の痴呆についても特例的に給付対象とする。それから,二つ目に,介護給付の対象となるサービスといたしましては,在宅サービスではホームヘルプサービス,デイサービス等,六つのサービスが適当であり,このほかに住宅改修サービスであるとか,訪問入浴サービスなども考えられる。施設サービスにつきましては,特別養護老人ホーム,老人保健施設,療養型の病床群等の介護体制の整った医療施設が対象となると。三つ目に,介護サービスの利用方法については,まず国が作成いたします共通的基準に基づいて介護が必要かどうかの認定を受けた後に,その認定結果に応じて必要なサービスを受けることになるなどが現在の時点で明らかになっております。
それから,審議会の中で今何が議論になっているのか,また公的介護保険制度はいつ,どのような形でなされるのかという御質問についてお答えをいたします。
現在,審議会における検討の中で議論になっている主な点は,議員も御指摘ございましたが,一つは事業主体,いわゆる保険者として市町村,国,医療保険者の三つが考えられるが,どこにするのか。二つ目に,家族の介護に対して現金を給付するのかどうか。それから,三つ目に,この保険の財源として事業主の負担は求めるのかどうかなどが議論をされております。
今後のスケジュールにつきましては,この介護保険制度の導入について,国は年度内に審議会の答申及び国会への法案提出を行い,早ければ平成9年度に一部実施したいとの考えであるというふうにお聞きをしております。
それから,四つ目に,いわゆる地方自治体とのかかわりはどうなるのかという御質問でございますが,介護保険制度の創設については,先ほど申し上げましたように,さまざまな議論が現在なされているところでございます。地方自治体とのかかわりはまだ十分明らかにはなっておりませんが,例えば市町村が介護保険の事業主体ということになれば,保険者として介護認定,保険給付等の保険運営を行うことになります。また,事業主体が国や医療保険者になった場合でも,介護サービスの給付主体は市町村がすることになると予定されております。
いずれにしましても,特別養護老人ホームなどの施設整備や,介護を支えるホームヘルパーなどのマンパワーの確保・養成など,介護サービスの基盤整備については引き続き推進していく必要があり,この制度が導入された場合には市町村は大きな役割を担うものと考えられます。
このように,介護保険制度の導入は,地方における保健福祉施策の推進に重大な影響を及ぼすものとも考えられますので,現在全国市長会等から新制度の構築に当たっては,将来にわたって安定的な運営が可能となる制度とするため,十分な議論を尽くす必要がある旨の意見書を老人保健福祉審議会に提出しているところでございます。
それから,最後に,来年度の予算の中で,介護の必要な高齢者に対してどのような対策を打ち出そうとしているのかについてお答えをいたします。
来年度予算における寝たきりなどの養護が必要な高齢者のための施策につきましては,老人保健福祉計画に定めた目標達成を12年度としておりましたが,1年早めて11年度までに達成しようと。その中でホームヘルパー,デイサービス,ショートステイなどの在宅の福祉サービスのより一層の充実を図るとともに,在宅介護支援センターの増設と相談員の加配によります体制の強化,高齢者住宅の住宅改造費の補助率の引き上げなど,あるいは市民向けの在宅福祉のしおりを作成する,そして各種制度の一層の普及を図る,そういったことを考えております。
また,福祉施設のサービスにつきましても,特別養護老人ホームを来年度は3カ所整備しまして,8年度末には31カ所の整備を行うなど,引き続き施設の整備充実を図ることとしております。
さらに,福祉マンパワー対策といたしまして,民間福祉施設の職員の福利厚生,ホームヘルパーの養成・研修等の充実を図ってホームヘルパー等の確保・研修を進めていきたいというふうに考えております。
以上でございます。
○議長(
瀬川吉郎君) 都市
整備局長。
◎都市
整備局長(加藤英海君) 都市整備局関係で4点のお尋ねがあったと思いますので,順次お答えいたします。
まず,今回の談合事件で一括下請の問題が取り上げられておりまして,このことについてお尋ねがありましたので,お答えいたします。
本市発注工事をめぐる今回の談合事件につきましては,現在捜査当局が取り調べ中ということもありまして,本市といたしましては,事件の詳細をいまだに完全に把握できておりませんが,一括下請の問題が指摘されているところでございまして,この工事の請負人が自己の請け負った建設工事をそのまま一括して他人に請け負わせる一括下請は,工事施行の責任の所在を不明確にし,工事の質の低下を招くなどの弊害が生じるために建設業法で禁止されているものでございます。公共工事において一括下請負を防止するために,現行では建設工事請負契約約款に基づく下請業者通知書による書面上の審査を行っているところでありますが,今回の事件を契機といたしまして,何が問題で,どこに原因があるのか十分に調査の上,必要に応じて工事共通仕様書,請負工事の監督規定や検査規定の見直しを行うなど,工事の監督・検査機能の見直しを検討してまいる所存でございます。
2点目のお尋ねでございますが,12月27日,西風新都の関係のものでございまして,石内学研地区のものでございまして,12月27日の再許可について法律違反した許可であると思うがどうかというお尋ねでございます。
都市計画法第29条に,開発行為をしようとする者はあらかじめ許可を受けなければならないと規定されております。この規定に違反した場合には,都市計画法第81条1項の規定によりまして許可の取り消し,工事の停止,その他,違反を是正するための必要な措置をとることを命ずるなどの監督処分を行うことが考えられるものでございます。
今回の場合には,地下排水施設の工事施行前の状態に復旧させることも考えられますが,現状の回復の規模,あるいは対応,原状回復によって予想される社会的・経済的損失等を考慮いたしますと,施工済みの地下排水施設を含む申請内容を審査し,開発許可の基準に適合していることを確認した上で再度許可するという方法によらざるを得なかったところでございます。再許可に当たりましては,当然のことではありますが,厳正な審査を行った結果,地下排水施設の材質とか,あるいは強度が妥当であったこと,また開発許可の基準に適合していることから許可することとしたものであり,やむを得ない措置であったものでございます。
次は,3点目の佐伯区内での建築確認申請の受理に当たって不公平が生じておると,この点の事務処理はどうかというお尋ねでございます。
中高層の一定の建築物につきましては,建築紛争を未然に防止するために,中高層建築物の建築に関する指導要綱に基づきまして,建築確認の提出前に建築計画を公開するとともに,近隣の住民の皆さんへの説明を行うことを建築主に指導をいたしております。
議員御指摘の紛争事例につきましては,この指導要綱により指導をしているところでありますが,事務処理に差が出ていることにつきましては,御指摘のとおりでございます。まことに,この点につきましては遺憾に思うわけでございます。
今後とも,建築主事に対しまして,統一的な事務処理を行うべく指導を徹底してまいる所存でございます。また現行の指導要綱に基づきまして建築確認の受理を拒否することには限界がありますが,紛争を防止するという点におきましては,本要綱は必要でございますので,今後指導要綱のあり方等につきまして見直すべく検討を行ってまいりたいというふうに考えておりますので,御理解をいただきたいと思います。
最後になりますが,この佐伯区の皆賀のホテルの建設に対しまして住民の反対運動が起きておると,この点につきまして市の方はどう対応しようとしているのかというお尋ねでございます。
建築確認につきましては,建築基準法に抵触しない限り,最終的には確認処分をせざるを得ませんが,本市といたしましても,地元の住民の建設反対を重大なものというふうに受けとめておりまして,建築主に対しまして,地元住民の意向を伝えるとともに建築計画を見直すよう指導をしているところでございます。
今後とも引き続き双方の話し合いの推移を見守りながら,建築主に対しまして,地元住民の理解を得るよう粘り強く指導をしてまいる考えでございますので,御理解いただきたいと思います。
以上でございます。
○議長(
瀬川吉郎君) 開発局長。
◎開発局長(樋渡敬宇君) 開発局関連の3点の御質問にお答えいたします。
まず,32条同意案の作成方法は適法かという御質問でございます。
官民境界確認の正当な事務処理方法としては,現地立会の上で官民境界確認書を作成し,それに基づいて32条協議・同意を行わなければなりません。しかし,当該開発区域内の里道,水路につきましては,通常行っている現地立会による境界確認ができない状況であったため,国有財産部局長である広島県と協議し,現時点では次の方法によらざるを得ないとの結論に達したものであります。
一つは,里道,水路の位置につきましては,造成前の航空写真をもとに作成された現況図及び公図等により特定する。二つ目に,里道,水路の幅員につきましては,既に境界確認を行った部分についてはその幅員を基準とする。それ以外については,造成されていない開発区域外の里道,水路の幅員を基準とする。三つ目には,この基準に基づき現地が推定できるようくいを打ち,くい打ち完了後,市及び関係地権者が現地立会し境界を確認すると。その後,この方法に基づきまして事務処理を行い,広島県へ副申し,同意を得たものでございます。
次に,西風新都の開発者負担については,
平成元年に試算した地価が下落した場合,差損が出るのではないかという御質問でございます。
開発者負担宅地の基準となる基準負担額は,
平成元年3月時点で固定した土地単価を用いて算出することとしており,その後の地価の変動が基準負担額に影響することがないような仕組みとなっております。一方,開発者負担は,最終的に完成した宅地により取得する仕組みとなっており,取得した宅地を現金化する時点で当該地の地価水準を反映したものとなります。現在までのところ,西風新都内の地価は,標準地の公示価格及び基準地の標準価格によると,
平成元年度の都市建設実施計画策定時点よりも高い状況であることから,現時点では地価の変動により差損が出るような状況は生じておりません。
最後に,市は数々の法律違反について,刑事訴訟法第239条第2項により関係者を告発すべきではないかという御質問でございます。
刑事訴訟法第239条2項には,「官吏または公吏は,その職務を行うことにより犯罪があると思料するときは告発をしなければならない」と規定されておりますが,この規定は,行政機能と告発による刑事司法権の行使を関連させることによって行政機能がより効果的に発揮されることを目的としているものであり,行政上の措置によって,その
違法状態が十分是正し得る場合には,行政機関の裁量により告発を見合わされることができるというふうにされております。
石内地区の開発許可に関連する問題に関しましては,関連事務の所管部局がそれぞれの立場から監督処分や行政指導を行うということで違反の是正を図っており,現時点において告発を行っていないものであります。
以上でございます。
○議長(
瀬川吉郎君) 24番。
◆24番(児玉光禎君) まず,財政問題ですが,総括的には市長の方からお答えいただいたんですが,21世紀当初予想される数字をですね,多分試算していただいていると思いますので,後ほど述べてみてください。
それから,開発の問題です。都市計画法によれば,開発行為をしようとする者は,あらかじめ許可を受けてやらなくてはいけないと。しかし,今回の市の措置は,既に違反とわかっていても,その工事をしたものが適法であれば,安全を満たしていれば許可をするということになっていて,この条文とはですね,裏腹になっていると思うんです。それでも適法なのでしょうか。もし適法だとしたら,この29条の条文はどうなるんでしょうか。この条文に従って普通みんなそのようにやってると思うんですが。
次に,32条協議も同様です。官民境界の正当な事務処理方法としては,現地立会の上で官民境界確認書を作成しというのが法律です。しかし,答弁の中にしかしという言葉がありますが,しかし,それができなかったのでいろんな方法でやったということがありますが,それは適法なのでしょうか。もし適法なのでしたら,今後もそういうふうに先に削ってしまって,後で航空写真や公図をもって現地にくいを打って,それから境界確認をすれば足りるということになるので,違法か適法かというのを質問しているので,明確に答えてください。
○議長(
瀬川吉郎君) 財政局長。
◎財政局長(上川孝明君) 将来の財政推計の件でございます。いろいろな前提条件があるわけですけども,仮に西暦2000年度,平成12年度ですけども,市税収入が毎年毎年4%から5%ずつ入るだろうという前提で推計しますと,一般会計の規模が,西暦2000年度が約6,500億円でして,ちなみに平成8年の一般会計に比しても約9%の伸びであります。また,一般会計ベースでの市債残高が,西暦2000年度で約8,000億円と推計いたしております。交付税措置を引きまして,実質の借入残高が約5,700億円と推計いたしております。その前提で機械的に試算しますと,西暦2000年度の公債費比率が約20%にとどくだろうという推計をいたしております。また,起債制限比率も約16%になるんではなかろうかという推計をいたしております。いずれにしましても非常に厳しい数字が出ておるわけであります。
以上です。
○議長(
瀬川吉郎君) 都市
整備局長。
◎都市
整備局長(加藤英海君) 12月27日の再許可についてでございますが,申請が出てきたものにつきまして審査を行い,開発許可の基準に適合しておりましたので許可を行ったものでございまして,これまでの,先ほども申し上げましたように,これまでの経緯や現在の状況から判断すればやむを得ない処置であったものと考えております。
○議長(
瀬川吉郎君) 開発局長。
◎開発局長(樋渡敬宇君) 官民境界確定の方法についての再質問でございますが,官民境界確認につきましては,国有財産管理者である広島県とも協議した上で可能な方法の中で最善と考えられる方法により対処したところでございます。御理解を賜りたいと思います。
○議長(
瀬川吉郎君) はい,児玉光禎君。
◆24番(児玉光禎君) 西風新都はですね,官民一体のプロジェクトでやってるわけですから,例えば今,東区で問題になっているように,民間業者が勝手にやってですね,
違法状態をつくり出していて,それでどうのこうのという問題ではなくて,当然市と業者とは綿密な連絡をとりながらずっとやってることと思うんですよ,今回のことについてはですね。それでですね,適法か違法かということをですね,やむを得ないという言葉でですね,はっきり言えないような行政事務を役所はすることになるんですか。適法か違法かということをはっきり言ってください。そうでないとですね,条文には確かに,先に許可を取りなさい,それから工事をしなさいいう規制法ですよ,これは。だけど,それがやむを得ないいうことになったら,条文に違っていてもやむを得ないという理解の仕方をするんだったら,これは違法じゃないかと。前,新聞で問題がない言うてたけど,よく聞いたら問題がないわけではないと前言を翻しました。だから法律違反があることは認めてるんです。特に公務員は,法律,条例,規則にのっとって行政事務,仕事をしなくてはいけないということが定められていますが,適法か違法かということをはっきり言えないような行政を市がやっているかどうか。もしあなたたちがそんなええかげんな答弁をするんだったら,市長,市長の政治姿勢はいかにあるかということを質問させていただきたいと思います。
○議長(
瀬川吉郎君) はい,都市
整備局長。
◎都市
整備局長(加藤英海君) 私たち公務員として法に遵守しなきゃならぬというのは十分承知しております。この再許可につきましても,当然に,規定に基づいて厳正に審査して対応したものでございますが,いろいろな経緯等,先ほども申し上げました事由に基づいて,やむを得なく許可したものでございます。(笑声)
○議長(
瀬川吉郎君) 開発局長。
◎開発局長(樋渡敬宇君) 先ほども申し上げましたように,官民境界の確認につきましては,可能な方法の中で最善と考えられる方法により対処したところでございます。(24番児玉光禎君「議長,もう一回質問させてください,済いません。」と呼ぶ)
○議長(
瀬川吉郎君) もう一回。はい。
◆24番(児玉光禎君) 適法か違法かいうことがですね,はっきりわからぬというのはいけぬと思うんですよ。少なくとも理事者はですね,議会の質問に対して的確に答弁しなくてはいけないという義務もあると思うんですよ。それがずうっとのらりくらり続くということは,私としては正当な答弁をいただいたとは理解できませんので,質問を留保していただいて,議会が終わるまでにきちっとした答弁をいただきたいと,こういうふうに思います。
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休 憩 宣 告
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○議長(
瀬川吉郎君) この際,暫時休憩いたします。
午後0時03分休憩
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午後1時08分開議
出席議員 46名
欠席議員 14名
○副議長(兼桝栄二君)
出席議員46名であります。
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開 議 宣 告
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○副議長(兼桝栄二君) 休憩前に引き続き会議を開き,
総括質問を行います。
46番前 恵介君。
〔46番前 恵介君登壇〕(拍手)
◆46番(前恵介君) 私は,公明を代表して
総括質問をいたしますので,理事者におかれましては明確なる御答弁を求めておきます。
当初予算の編成に当たって,本市では市税収の伸びが対前年度比当初予算に対して3.6%,対前年度決算見込み1.6%と依然として低い上に,市債は6.6%の伸びとなり,市債残高の累増,基金残高の大幅な減少など極めて厳しい財政状況を踏まえて,事務事業の見直しや経費の節減など,行財政全般にわたり,その基本に立ち返って見直しを行うとともに,中・長期的な財政見通しのもとに,財源の重点的・効率的な配分に努め,新規事業249件,182億円を中心にして民生費7.2%,衛生費4.9%,農林水産業費10.2%,消防費7%等と高い伸びに対し,市民生活中心に予算を編成していると感じるものであります。
そこで,初めに質問をいたしますが,国際協力の推進について,「つくり出す平和」の一環として,アジアを中心とする開発途上国の安定と発展のために都市レベルでの国際協力を推進すると訴えておられますが,具体的にはどのような計画を立てられておられるのか,御答弁を賜りたいと思います。
また,姉妹都市の推進について,本市はモントリオール市と都市提携するよう交流を進めてきたときもあったが,先方の事情により一時中断していましたが,今回本市より交流団を派遣するようになっているが,その真意はどこにあるのか。都市提携する前提となるのか,お聞きいたしたい。
第2点として,私が本会議等において提案をいたしてきましたが,国際協力事業として自転車及び公用車等々を再利用して贈呈する対策について,今日までどのように取り組み,実績を積んでこられたか,明確にしていただき,あわせて今後の取り組みについても御答弁を賜りたいのであります。
次に,本市の被爆建物であるレストハウスの解体計画についてお尋ねをいたします。
この件については請願も出ていたことでもあり,総務委員会として現地調査を行い,委員会としては結論を出しているわけではありますが,結論を出すに当たり,委員長より,このレストハウスの保存については,委員や請願者などから,建物は可能な限り一日でも長く残すよう協力してほしいと意見が出るなど,これまでいろんな御意見,要望がありましたが,この請願に込められた市民の要望に可能な限り対応していくよう求めた上で結論を出しているわけであります。
そこで質問をいたしますが,先日市民団体とシンポジウムを開催しているが,コーディネーターを務めた広島市立大学の金澤寛太郎教授は,公園の多面的な要素を踏まえて,「
ヒロシマの心」をどう伝えていくかを考えていくことが大切と締めくくったと報道されているが,このことについて本市はどのように受けとめているのか。
第2点は,平岡市長は,先日あるテレビのインタビューに答え,「私の判断で解体するように決めた」とお答えになったやにお聞きしているが,被爆者や身内を失った方々が,あの建物は保存してほしいと願う心に対して,もっと納得のできる,誠意ある説明が必要ではなかったかと思います。
そこで,平岡市長の平和に対する思いと,つくり出す平和への基本的な考え方について承りたいと思います。
次は,国際平和研究所の設置問題についてお尋ねをいたします。
本年1月4日,ある一部の新聞報道によりますと,平岡市長は,1998年に広島市立大学に国際平和研究所の設立を表明され,第1回準備委員会を1月28日に開催されておられます。広島に平和研究所をつくるということは,平和を願う
広島市民の長年の要望であります。これは平岡市長の平和への御熱意と世界平和への推進への歴史的な英断であると,市民の代表の一人として感謝と敬意を表するものであります。
この平和研究所の設置問題につきましては,我が公明も,昭和50年に被爆30年に,国際平和文化会館に平和研究所を設置するよう提案をいたしました。今から21年前に要望いたしてまいりました。以後,昭和52年に市議会内に平和文化施設に関する調査特別委員会が設置されまして,その中でも平和研究所の設置案が議論されました。私も,昭和57年9月議会で平和研究所の建設について市長の英断を要請してまいりました。その後昭和63年には,当時の荒木市長は,8・6
平和記念式典の平和宣言の中で,被爆地広島に平和と軍縮に関する国際的な研究機関を設置せよと世界にアピールされております。その後,昭和62年3月に国立世界平和センター(仮称)設置構想案の審議の過程の中で,国立研究所の広島設置の構想案が非公式に発表されてきております。
概略,以上のような経緯の中で,今回国際平和研究所の設置を表明されたわけでありますが,そこでお尋ねをいたしたい第1点は,この国際平和研究所の設置目的及びその設置内容はどのようなものをお考えになっておられるのか,平岡市長の御構想を承りたいのであります。
次に,私どもは,この平和研究所の設立について,昭和50年以来の要望として,1には,国際平和研究所の国際化について,例えばフランス,イギリス,アメリカ,ロシアなどの国々の学者も,広島に設置される国際平和研究所の名誉所員として招聘してもらいたいと思っております。
第2には,国際平和研究所を文字どおり,平和に対するものであり,本来から言えばこれは国がつくるべきであり,国立にするよう働きかけてもらいたいのであります。もし,それが無理であれば,相応の国の援助,補助を要請してもらいたいのであります。
第3点は,国際平和研究所の権威を高めるために,広島市として平和問題に貢献のあった個人を顕彰する平和賞の発行ができるような考慮をしてほしいと思うのであります。平岡市長の所信をお伺いいたしたいと思います。
21世紀を平和の世紀にするために,平和の原点・広島の市民に市長の所信を明らかにしてもらいたいと思います。
次に,まちづくりボランティア総合支援対策についてお尋ねをいたします。
広島市は2020年に向けての都市づくりの行動目標の理念として,「世界に輝く人間賛歌都市ひろしま」を策定してその実現に向けて鋭意取り組んでおり,平成8年から10年度の実施計画の中にも,その対策に向けての新規事業が組まれていることに対して高く評価をいたします。
私は,このビジョンの中で特に注目をいたしているのは,アジア大会の貴重な体験を生かしたボランティアによる20万人計画であります。今回も当初予算に新規事業として,まちづくりボランティア市民大会の開催とか,ボランティア運営管理システム整備,人材バンクの設置,まちづくりボランティア海外派遣等々組まれており,本市の積極的な取り組みについては評価をいたします。
そこで質問をいたしますが,高齢化社会に対応した新たなる活動組織の設立についてはどのような対策を考えているのか,御答弁を賜りたい。
第2点は,高齢者の介護について,自分が元気なときに知人,友人を介護してあげ,その時間を預託しておき,自分が介護を受けるようになれば,その時間を使いながら安心して介護を受ける預託制度の導入についてどのようになっているのか。また,この制度を実現するには,本市だけでなく,他の都市とも連携をとりながら進めるべきと思うが,その対策は考えておられるのか,御答弁を賜りたい。
第3点は,組織づくりについては,今回公民館の充実を促進する目的で,財団法人「広島市ひと・まちネットワーク」の設立をいたしましたが,既にある社会福祉協議会等々との整合性についてはどのようにしようと考えておられるのか,御答弁を賜りたい。
第4点は,福祉教育の推進として,小・中学校及び高等学校におけるボランティア活動の普及を図るために,協力校を制定し,社会福祉協議会社会福祉施設体験学習を実施しているが,少年ボランティア講座を開催してみてはどうでしょうか,御答弁を賜りたい。
第5点は,本市のボランティアの総合支援の窓口は,新たに市民局にまちづくりボランティア推進室を設置して,ボランティア支援施策の企画・調整業務を推進する画期的な体制を組まれましたが,さらに推進するために,現在あるボランティア団体及び学識経験者を交えた広島市ボランティア推進協議会等を設置してボランティア活動の普及を図る必要があると思いますが,いかがでしょうか,御答弁を賜りたい。
第6点は,総合支援センターの建設についてはどのように計画をしているのか,お答えをいただきたい。
次に,女性及び児童対策についてお尋ねをいたします。
本市においては,昭和63年度に女性行動計画を策定し,それに基づいて女性問題についての啓発,審議会等委員への女性の登用,まちづくり女性トーキング事業等々,いろんな諸施策を推進していることに対し,高く評価をいたしております。
私は,かねてより本会議,
予算委員会等々において,豊かで平和な男女平等社会の実現に向けて市民と行政が協力して女性問題解決に取り組む具体的,実践的な活動の拠点として女性総合センターの建設が必要であると訴え続けてまいりましたが,今回8年度予算に調査費が計上されたことはまことに喜ばしいことであると,この場をお借りいたしまして厚く御礼を申し上げます。
先日,横浜市,渋谷区等々に調査に行ってまいりました。横浜市は,横浜女性フォーラムとフォーラムよこはまと2カ所の施設をお持ちになっており,女性問題に関する資料を総合的に収集されております。特にフォーラムよこはまは,女性問題,国際協力・交流などの内外の資料を収集されておりますが,横浜市は進んでいると思った次第であります。また,渋谷区にある東京都の東京都ウィメンズプラザに参りましたが,ここでは,新しい出会いが生まれます,欲しい情報が手に入ります,活動のきっかけづくりができます,ネットワークの輪が広がります,気楽に相談ができます,有益な調査・研究ができますとのスローガンを掲げて,男女が平等の立場であらゆる分野に参画できる活動の拠点として
スタートを切っております。
そこで質問をいたしますが,本市の女性総合センターの基本的な考え方はどのようにしようと考えているのか,お答えをいただきたい。
第2点は,既に実施している横浜市のように,既設館の情報ネットワークシステムやインターネットの接続等に意を用いる必要があると思いますが,当局の御所見を賜りたいと思います。
第3点は,情報システムの管理運営について,ビデオシステム,ゲームシステム,図書情報システム等々の活用を取り入れてみてはどうでしょうか,御答弁を賜りたいと思います。
第4点は,女性が社会に参画するためには,起こるさまざまな不安や迷いの相談に対し,個々の気持ちや状況の整理及び問題解決のための具体的な情報提供,連携機関の紹介などの支援対策について本格的に取り組む必要があると思います。どのように考えておられるのか,御答弁を賜りたいと思います。
次に,お母さん方から強い要望の出ている児童館の未設置小学校区の解消と,中学校給食についてお尋ねをいたします。
児童館は,地域における
子供たちの遊びの拠点として,近年ますます重要になってきていると考えます。そのような中において広島市では,小学校区に1館という目標で整備が行われていることは全国的に見てもトップクラスであり,その努力に対して高く評価をいたすところであります。
しかしながら,学校の校庭が狭く,校庭内に建設する場所がないという未設置校があるのも現状であります。これら未設置校への取り組みについて,今後どのように考えているのか,御答弁を賜りたいと思います。
次に,中学校給食についてお尋ねをいたしますが,現在,安佐南区の長束中学校と安芸区の瀬野川東中学校の2校で試行実施されているところですが,生徒の給食申し込み状況は高いと伺っております。どのぐらい高いのでしょうか。給食申し入みが高いのであれば,早期に拡大を実施されてはと思いますが,いかがでしょう。御答弁を賜りたい。
次に,精神障害者に対する社会復帰福祉対策の推進についてお尋ねをいたします。
政府は,平成7年12月18日に障害者対策推進本部の会議において,平成8年度を初年度として平成14年度までの7カ年計画とする障害者プランを策定され,障害者のあらゆる人々が地域社会の中でともに暮らせる社会づくりを基本的な理念として,具体的には,地域でともに生活するために社会的自立を促進するために,バリアフリー化を促進するために等々,7つの視点から施策の推進を図ることとしております。精神障害者関係では,入院している障害者が一日でも早く社会復帰できるように,生活訓練施設や福祉ホーム,授産施設及び福祉工場の4つの社会復帰施設及びグループホーム地域へ生活支援事業,社会適用訓練事業並びに精神科デイケア施設について整備目標を制定し,平成8年度からその整備の一層の促進を図ることとしております。
本市においても,平成5年の大都市特例により本年1月4日に政令が公布され,都道府県立精神病院の設置を除いて,すべての指定都市の事務として本年4月より施行されるのであります。その対策については,どのように取り組み,どこをポイントに計画をつくろうとしておられるのか,御答弁を賜りたい。
第2点は,昨年10月に創設した精神障害者保健福祉手帳制度は,関係各方面の協力により各種の支援策を促進し,精神障害者の社会復帰並びに自立と社会参加の促進を図ることを目的とするものであるとなっているが,現段階では何の対策にもなっていない。したがって,厚生省としても,他の手帳制度と同様な支援策を講じられるよう,引き続き関係各方面に協力を依頼していくので,指定都市においてもその趣旨を踏まえて,関係各方面の協力を得て,手帳に基づく各種の助成施策の拡充に努めるよう特段の御尽力をお願いすると訴えているが,本市にはどのような対策を講じようとしているのか,御答弁を賜りたい。
第3点は,精神障害者が病院や社会復帰施設に通ったり,社会生活体験のための旅行等,社会の一員として積極的に活動できるよう,大分県等では独自のバス等の運賃割引制度の創設を前向きに検討していると聞いているが,本市においても,アストラムライン等,独自の交通機関をお持ちになっており,その対策としては,フィーダーバス路線208億円の助成をするのであれば,電車,バス等についても,他の当該者と同様の対策をすべきと提案をいたしますので,誠意ある御答弁を賜りたいと思います。
第4点は,本市にはグループホームとか授産施設,福祉工場等の設置は1カ所もないが,いつごろをめどに建設しようと計画しているのか,御答弁を賜りたいと思います。
第5点は,精神科救急医療システム整備対策は極めて重要であるが,どのような取り組みになっているのか,お答えをいただきたい。
第6点は,本市の組織についてはどのようになっているのか。本格的に対処するのであるためには,専門のドクターを配置して精神保健課を設置すべきと考えるが,なぜやらないのか,明確にお答えをいただきたい。
先日も厚生省の精神科保健課長に陳情に参りましたが,運賃割引制度等についても本市の説明と反対の説明を受け,なぜ正しい情報が正確に市民に伝わらないのか,どこに問題があるのか,その点を明確にし,組織体制の充実を図るよう強く求めておきます。
次に,保健医療カードシステムについてお尋ねをいたします。
厚生省では,既に昭和62年度から
平成元年にかけて,保健医療情報の記録方法,蓄積された情報の処理や利用方法などについて研究・開発を行っており,モデル都市として姫路市を選定し,平成3年度から平成5年度にかけて事業の実施をいたしております。
先日,姫路市に調査に行ってまいりましたが,当市では,満60歳以上の市民で,希望者を対象として,いきいきカード,健康医療福祉カードを配付し,保健所等で実施している健康診断などの結果や医療機関の診療内容,救急情報などを記録して効率的な健康管理や緊急時の救急医療に備えるとともに,高齢者が身体の状況,福祉サービスの利用等の情報を記録して,適切な福祉サービスを総合的に提供しております。平成5年度にはアンケート調査を実施していますが,その結果は市民は,カードシステムの導入について,健康に役立つと答えた人が80%,今後もカードを持つと答えた人が75%であります。医師は患者にとってカードが役立つと答えた人は70%であり,要するに市民も住民も医師もカードシステムのメリット性を認め,継続運用を希望しております。
そこで質問をいたしますが,本市にもICカードや光カードの導入を計画しているやに聞き及んでおりますが,どの程度の調査・研究をなされているのか。そしていつごろを目標に実施しようとしているのか,お答えをいただきたい。
第2点は,労働省が企業の産業医からサラリーマンの健康状態を継続的にチェックできるようにするために,コンピューターと個人用のICカードなどを組み合わせた健康情報管理システムの導入に向けて本格的に検討を始めたと聞き及んでおりますが,まことに時を得た取り組みであると評価をいたします。
私は,この対策は,厚生省,労働省,そして地方自治体が連携を図りながら検討すべきと考えますが,当局の御所見を賜りたい。
第3点は,健康医療カードシステムの研究・開発体制については,医師会等の協力を得て財団等を設置して専門委員会等を設けて積極的に取り組みを開始すべきと考えるが,どうでしょうか。
第4点は,ICカードを実施することにより,各人が健康に対するチェック機能を明確にすることにより医療に対する検査等についても重複もなくなり,医療費も減少すると考えるが,いかがなものか,御答弁を賜りたい。
第5点は,医師会に対する協力と市民の理解が必要と思いますが,どのような対策を考えておられるか,御答弁を賜りたい。
次に,中小企業対策についてお尋ねをいたします。
本市は,中小企業にお勤めの皆さんに大企業並みの福利厚生を合言葉に,平成6年10月1日に中小企業勤労者共済制度を発足し,会員数も増加し,現在では1,108事業所,約7,000人の共済会員を擁する福祉共済団体に発展していることを高く評価いたしております。レクリエーション事業等においては参加者が多く,抽せんするツアーも出るほどであると聞き及んでおりますが,このことはひいては勤労意欲を高揚し,職場を活性化させる原動力になっていると確信をいたします。
先日,姫路市に調査に行ってまいりましたが,当市は歴史も長く,昭和49年に任意団体として発足し,平成2年4月に財団法人になっておりますが,現在では2,295事業所,約4万人の会員を擁する全国に誇れる福祉共済団体となっております。また,共済センターの事業に特定退職金共済制度を設けております。この制度は国の承認を得て創設しており,運営は姫路市が職員と資金の両面で支援しておりますので,安全・確実であるとともに大変有利な給付システムになっております。制度の特徴としては,掛金は全額非課税となっており,退職後の生活保障ができますので,従業員が安心して働けます。また,パートタイマー等の短時間の従業員にも加算され,有利であります。その他,広島市も設立に当たり,かなり検討をいたしましたが,実施までに行かなかったことがございますが,姫路市では既に貸付金制度を会員の不時の支出に備え,姫路信用金庫とタイアップして低利であっせんをしております。なお,貸付保証料は共済センターが負担となっております。この件について未払い等はないのかと聞きましたけども,現在まで1件もないと担当課長は申しておりました。本市においても特定退職金共済制度と貸付金制度を前向きに検討してみてはいかがでしょうか,御答弁を賜りたい。
第2点は,本市の運営は財団法人広島市産業振興センターの一つの事業という取り組みになっており,財団の運営は理事会の決議を得なければならない仕組みになっております。理事は,総則第16条によると8人から16人となっているが,現在11名であります。本格的に取り組みをするためには,市民の代表なり,市民局関係より人材を登用してみるべきと思いますが,御所見を賜りたい。
第3点は,企業及び会員の拡大対策についてでありますが,各企業の啓発はどのように進められているのか。私が各企業の代表者等々と話してみても,余り御存じない人が多いが,「市民と市政」に紹介するのにガイドブック等においても,広島市長のメッセージを写真入りで紹介するなり,具体的でわかりやすい方法を検討してみてはどうでしょうか,御答弁を賜りたい。
第4点は,国際化に対応して,既に姫路市等では毎月実施していますが,海外ツアー等の企画を計画してみてはどうでしょうか。
第5点は,本市の場合は,1人,会費は1カ月1,000円をいただいているが,他の都市では高くて600円で,姫路市等では500円で,会費は全額会員に還元いたすよう計画をしておりますが,本市においてはどのようになっているのか。まさか人件費は利用されていないと思うが,実態はどのようになっているのか,明確に御答弁を賜りたいと思います。姫路市等では,既に財団事務局11名中5名の職員については兼務の対応となっているので,財団の運営費には含まれていない実態もあるので,本市も参考に検討するよう求めておきます。
次に,交通対策についてお尋ねをいたします。
まず初めにお聞きいたしますが,広島駅北口地区整備の推進がおくれている点について,中山より広島駅北口に通ずる東部線の決定が,JRとの話し合いもあるので,なかなか決まらないからと聞き及んでおります。早急に結論を出す時期に来ていると思いますが,本市の基本的な計画を明確にしていただきたい。
また,広島駅北口の再開発については,バスターミナルの位置等についてはどのようにしようと考えているのか。ペデストリアンデッキ等の対策はどのようにしようとしているのか,あわせて御答弁を賜りたいと思います。
第2点は,広島市は昭和55年に政令指定都市に昇格して15年を経過し,区の体制も強化してまいりましたが,果たして市民の足となる交通のバス路線等は悪くこそなれ,何ら改善されてない実態があるのであります。一例を挙げれば,東区の戸坂,広島大学病院行きについてでありますが,ある日突然地元の説明もなしに,約1時間に1本あったものが2時間に1本となったのであります。この路線は,戸坂より区役所等に乗りかえなしに行けるため,地元より強く要望をいたし,実現したものでありました。私は市民よりおしかりを受け,東区役所と本庁の担当課にバス会社と交渉するよう要望いたしました。しかしながら,バス会社は本市に対して,あの路線は赤字であるので変更したとのことであり,全くもって誠意のない回答をいただきましたが,このことは市民の要望を無視した利益優先のやり方であり,怒りを覚えるのであります。
本市は交通局もないので,バス等の対策は民間のバス会社にお願いに行くしかなく,いかに市民の強い要望があっても,バス会社の利益の出ない要望は実現しないのが実態ではないかと思いますが,市長は御存じでしょうか。知っていたとしたら,どのような対策を考えておられるのか,御答弁を賜りたいと存じます。
第3点は,今回広島市はフィーダーバス路線の維持に約8億円の補正をするよう予算に上げているが,私はバス会社に助成をするのであれば,バス対策全体を考えるべきと思います。一例を挙げれば,戸坂の百田団地は広島市の造成した団地であり,市営住宅も建設してありますが,この団地はバスも入っていないのであります。市民も高齢者が多くなり,団地の道路の勾配もあることから,ぜひバスを乗り入れていただきたいと強い要望が出ております。特にこの市営住宅は,若い人たちも減少し,毎日公募してもあきがある実態であります。このような団地にこそ助成を出してでも対策を講ずるべきと考えるが,市長の前向きの御答弁を賜りたいと思います。
第4点は,戸坂の抜本的な交通対策についてでありますが,この2月6日に,地域の強い要望もあり,区役所と建設局と水道局合同で戸坂桜ケ丘より牛田浄水場に抜ける水道局のトンネルについて利用できないものかと調査に参りました。しかし,調査の結果,利用は困難であると判断いたしました。しかしながら,戸坂桜ケ丘より牛田新町1丁目の東区スポーツセンターの東側に道路をトンネルによりつくれば,県道37号線の抜本的対策にもなり,戸坂地区の交通問題の長年の要望に答えになる案になると思いますので,御提案をさせていただきます。当局の御答弁を賜りたいと存じます。
最後に,戸坂ハイキングコースの対策についてお尋ねをいたします。
1月24日に市職員と地元の代表により,西山コースについて調査に参りました。ハイキングコースは一部手すり等の改良を加えればよいと思いますが,何といっても約260メートルある頂上の眺めは目を見張るものがありました。私はここに展望台をつくり,観光の名所にしてみてはどうかと思います。
なお,この西山コースは,尾長町,中山町,そして牛田早稲田,牛田神田山荘からも登ることができ,県外からも団体で来る人もあり,休日などは混雑するようであります。特に戸坂地区合併40周年の記念事業として取り組んでいただきたいと思いますので,平岡市長の誠意ある御答弁を賜りたいと存じます。
以上で
総括質問を終わりますが,御答弁によりましては再質問を留保させていただきます。長らくの御清聴ありがとうございました。(拍手)
○副議長(兼桝栄二君) 市長。
〔市長平岡 敬君登壇〕
◎市長(平岡敬君) まず,国際協力の推進をどのように具体化するのかというお尋ねに対してお答えを申し上げます。
世界平和を確かなものにするためには,広島市としては,被爆体験の継承,国際貢献,人材の育成,国際的な世論づくり,平和の心を育てると,こういった基本的視点に立ちまして,今日国際社会が直面している環境問題であるとか人権問題,飢餓・貧困の問題,難民問題の解決に向けて自治体としてできる限りの努力をしていくことが必要だと思っております。