高崎市議会 2024-02-29 令和 6年 3月 定例会(第1回)−02月29日-05号
先日、運転免許証を返納した知人に、高崎市役所と高崎税務署に行くにはどのバスに乗ればいいのかという質問をいただき、バスとおとしよりぐるりんタクシーの路線図を調べました。路線図は、土地カンがある私でも分かりにくかったため、グーグルのルート検索を使ってみました。グーグルのルート検索には路線バスとぐるりんバスが対象となっていますが、うまく連携していないため、検索結果は不完全なものでした。
先日、運転免許証を返納した知人に、高崎市役所と高崎税務署に行くにはどのバスに乗ればいいのかという質問をいただき、バスとおとしよりぐるりんタクシーの路線図を調べました。路線図は、土地カンがある私でも分かりにくかったため、グーグルのルート検索を使ってみました。グーグルのルート検索には路線バスとぐるりんバスが対象となっていますが、うまく連携していないため、検索結果は不完全なものでした。
税務署への土地の物納につきまして、高崎税務署に聞いたところによりますと、国税の納付及び徴収につきましては国税通則法第34条に定められておりまして、その税額に相当する金銭または一定の有価証券に納付書等を添え、収納機関に提供することが原則とされております。
中でも高崎税務署勤務の際、ちょうど私が採用されてから七、八年ごろのことだったと思いますが、高崎市役所市民税課の課長補佐から「柳さん、人間には4つのきがあるんだよ。まず、動機、次にやる気、根気、年季が必要なんだよ」と教えていただきました。今の私は、その気持ちを持って、今回お引き受けした公平委員を務めたいと思っております。
昭和32年3月に埼玉県立秩父高等学校を卒業後、同年4月から国税庁に入庁され、その後は高崎税務署を初め県内の税務署に勤務後、国税不服審判所新潟支所長、桐生税務署長、館林税務署長などを歴任されました。平成9年に税務署を退職後は、税理士として開業され、関東信越税理士会高崎支部副支部長や同支部会計監事などの要職を務められ、現在に至っています。
これは参考ですが、平成3年の路線価に係る資料については、高崎税務署においても保管されていませんでしたので、群馬県の平成3年度地価調査基準地価格で近傍地の状況を調べ比較してみました。
この間、群馬県病院協会副会長、日本医療評価機構運営企画委員会委員などを務められてるいるほか、家庭裁判所の家事調停委員や厚生省の公衆衛生審議会専門員、高崎税務署の国税モニターなどの公職も務められております。現在、平成13年5月から2年間にわたり高崎市教育委員会委員をお願いしているところでございます。
群馬県あるいは高崎税務署とも確認をさせていただき、対応を図ってまいりたいと考えておりますので、よろしくお願い申し上げます。 ◆11番(竹本誠君) それぞれお答えをいただきました。生活保護の関係の問題では、認定はその世帯の収入だけではなくて、あらゆるものを活用して、最低生活を維持できない、そういう人が受給できるのだというような説明をいただいたわけであります。
この間、群馬県病院協会副会長、日本医療評価機構運営企画委員会委員などを務められているほか、家庭裁判所の家事調停委員や厚生省の公衆衛生審議会専門委員、高崎税務署の国税モニターなどの公職も務められております。
それから、高崎税務署管内の組織であります高崎地区税務協議会、ここでもやはり初任者、中堅の者を対象に年数回やっております。それから、県の地方課と税務課が主管しております群馬県地方税対策会議という組織がありまして、ここでもやっておりますし、その配下の高崎行政事務所の管内でもやっています。このような状況でありますので、職員の研修にはかなり傾注しているつもりでおります。
昭和26年、群馬県立高崎高等学校卒業後、関東信越国税局高崎税務署に勤務され、昭和48年7月、高崎税務署法人税調査官を最後に退職されております。退職後、同年8月、税理士を開業され、市川克美会計事務所を開設されて現在に至っております。その間、関東信越税理士会高崎支部長、関東信越税理士会群馬県支部連合会専務理事、関東信越税理士会理事などを歴任されております。
いずれにいたしましても、国・県の経済見通しとか高崎税務署における譲渡所得の状況や見通し、市内企業の賃金動向、景気見通し、民間経済研究機関の経済成長率見通し等、できるだけの情報を行いましていろいろ検討して予算計上をしたわけでございます。過大とか過小というようなのは一切意図しておりません。課税客体の把握につきましても、可能な限り努力いたしまして努めているものでございます。よろしくお願いいたします。
昭和18年群馬県立蚕糸学校卒業後、昭和19年高崎税務署に勤務されております。その後、富岡、前橋、沼田、伊勢崎の各税務署を経て、昭和40年関東信越局国税直税部所得税課に勤務された後、昭和44年高崎税務署所得税課課長補佐を務められ、昭和47年関東信越国税局総務部考査課実施係長を務められ、翌年の昭和48年7月国税局を退職されております。