前橋市議会 1992-03-17 平成4年度予算委員会_経済委員会 本文 開催日: 1992-03-17
それが県都前橋糸のまち、生糸に対するノスタルジーだけとなってしまうのでは余りに寂しいわけでありまして、仄聞いたしますところ、蚕糸砂糖類価格安定事業団の全国着物購入調査、こういうのがあるそうでありますが、これによると平成3年上期に着物を購入した世帯の割合は、前年同期わずかではありますが、 0.3ポイント増加しているというふうな状況もあるようでございます。
それが県都前橋糸のまち、生糸に対するノスタルジーだけとなってしまうのでは余りに寂しいわけでありまして、仄聞いたしますところ、蚕糸砂糖類価格安定事業団の全国着物購入調査、こういうのがあるそうでありますが、これによると平成3年上期に着物を購入した世帯の割合は、前年同期わずかではありますが、 0.3ポイント増加しているというふうな状況もあるようでございます。
群馬女子短期大学整備費補助金の交付について………344 日程第7 委員会の閉会中の継続審査について…………………………………346 日程第8 委員会の閉会中の継続調査について…………………………………347 日程第9 意見書案第1号 義務教育費国庫負担制度の維持に関する意見書 …………………………………………………………………………349 意見書案第2号 繭・生糸
機械製糸を汗水流して動かし、一生懸命になって生糸をつくる。あるいは繭を煮て、なべの中から煮た繭を出して糸を取り出す、こういったような姿が、私たちの前橋の礎をつくったものと思うわけでございますが、次代を担う子供たちに、これらのことが大変大きな影響を与えるということは当然であろうかと思います。
前橋が世界に胸を張って誇れるような特質といえば、これはこの世界トップクラスの繭、生糸、絹ですね、総称してシルクと言ってもいいですが、これを抜きにしてはちょっと考えられないんではないのかというふうに思います。
しかし、それをもカバーし得るようなパワーを持っていたと思われる、いわゆる前橋近代の生糸産業を中心として、そこから派生していったさまざまな前橋の近代文化、そうした近代の歴史もわずかに蚕糸記念館として、その名残をとどめておりますけれども、継承の糸が切れてしまっている。こんなふうに実は感じます。
1859年、横浜開港に伴う生糸貿易により活発を呈し、糸のまち前橋と呼ばれた時期もありましたが、今日その面影さえないのが実態であります。過去の議会においても、地場産業の育成あるいは特産品の振興という観点からの議論は数多く論じられていることは、承知をいたしておりますが、インパクトを与えるような施策が今求められております。
次に、将来展望でございますが、ただいまのような課題が幾つかあるわけでございますけれども、最近の生糸の需給状況という点では、やや本物志向ということが衣服の中にも出てまいりまして、若干好転の兆しが見えそうでありますけれども、依然として現状では横ばいの状況ということでございます。
67 【管理部長(遠藤次也君)】 ご質問にもございましたが、県都前橋は生糸のまちでございました。ましたと言ってはいけないんでしょうが、前橋の近世は商工業だけでなく、農業を含めて全産業が生糸を中心に栄えてきたわけでございます。こういうことから、これを後世に伝えていくということは、私たちにとりましても大変大切なことであるというふうに考えております。
本市においても、減反の押しつけを初め農業予算の削減、そして繭と生糸は日本一と言われたことも、既に見る影もないのがその実態であります。国際化を口にするならば、まず真に独立国にふさわしく、食物の自給率を高めるための農業再建こそが行われなければならないと思うのであります。
具体的に申しますと、前橋は糸のまちとして明治から昭和の約30年ごろまで大きく発展、成長してきたわけであり、ご承知のとおり名誉市民である下村善太郎氏は、前橋の生糸を世界に広め、糸のまち前橋の発展の礎をなした方でございます。