3239件の議事録が該当しました。
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該当会議一覧

前橋市議会 1996-04-22 平成8年第1回定例会(第5日目) 本文 開催日: 1996-04-22

32 【都市計画部長佐藤光雄)】 二中地区につきましては、ご承知のとおり、過小宅地や大変狭い既存道路など、あるいは公園もなく、都市防災の上で大変公共施設整備のおくれた地区でありまして、そのために昭和59年に事業が長期化するということで、建設省の協力をいただきまして、4工区に分けて実施することになりました。

前橋市議会 1996-04-19 平成8年第1回定例会(第4日目) 本文 開催日: 1996-04-19

この体育館昭和56年に建設されて以来既に15年を経過しており、またこの間には体育館を利用する市民の数も増加していることであります。そこで、地域インドアスポーツ振興の核となります第二体育館の建設も検討すべき時期に来ているのではないかと考えますが、どのようなお考えをお持ちなのか、お伺いをいたします。  

前橋市議会 1996-04-12 平成8年第1回定例会(第2日目) 本文 開催日: 1996-04-12

農林業センサスによりますと、前橋市の平成7年度の農家人口は2万 6,126人、農家世帯数は 5,898戸であり、昭和55年と比較して人口では1万 1,590人の減、世帯数で 1,891戸の減少となっております。耕地面積も年々減少の傾向が顕著であります。特に桑園は前回調査よりも51.4ポイントも減少し、養蚕の極度の衰退がうかがえます。

前橋市議会 1996-03-25 平成8年第1回前広振 定例会(第1日目) 本文 開催日: 1996-03-25

顧みますと、この前橋広域市町村圏組合議会も、昭和48年に交通災害組合が発足いたしました。さらには、49年から伝染病棟、あるいはまた49年に赤城少年の家、同じく臨海学校の設置、さらに50年には勢多中央消防の発足を見ました。さらには、平成元年農業共済ということで事業を展開してまいりました。

高崎市議会 1996-03-22 平成 8年  3月 定例会(第1回)−03月22日-07号

高井淳夫さんは、高崎市新田町4番地2、セントラルヒルズ高崎1208号にお住まいで、昭和6年7月6日生まれの64歳であります。昭和40年、学校法人高井学園理事に就任され、その後学校法人高井学園高崎ドレスメーカー女学院院長、同みどり幼稚園長、同日本社会体育専門学校校長を歴任され、現在学校法人高井学園理事長を務められており、幅広く教育の現場で長年御活躍されている方でございます。  

高崎市議会 1996-03-21 平成 8年  3月 定例会(第1回)−03月21日-06号

この脳血管疾患による死亡率についての全国平均群馬県を比べますと、昭和60年では全国18%に対し群馬県が21.3%、平成元年全国15.3%、群馬県17.5%、平成6年、全国13.7%、群馬県15.2%でありまして、いずれも全国平均を上回っており、群馬県は本市も含め脳血管疾患による死亡者数が多いと言えます。  

高崎市議会 1996-03-19 平成 8年  3月 定例会(第1回)−03月19日-05号

この新市庁舎の問題につきましては、たしか昭和50年ころからこの問題に着手をさせていただいて、昭和52年から基金の積み立てが始まった。そうしたことから考えますと、実に20年という長い時間をかけて、議員の皆様方を初め多くの皆様方の御意見をお聞きをした上で今日に至ったわけでございます。

高崎市議会 1996-03-06 平成 8年  3月 定例会(第1回)−03月06日-02号

このような考えに基づいて編成いたしました平成8年度一般会計予算は、前年度当初予算と比較いたしまして12.6%増の 996億 8,070万円となり、昭和63年度以来8年ぶり伸び率が10%を超える積極型予算となりました。  このほか特別会計企業会計を合わせた予算総額は 1,508億 2,720万 6,000円となり、前年度に比べ 9.9%の増でございます。  

高崎市議会 1996-03-05 平成 8年  3月 定例会(第1回)−03月05日-01号

昭和62年、本市は建設省から21世紀を目指した我がまち河川整備構想づくりモデル都市に選定され、これに基づき河川みらい21、高崎河川整備構想を策定いたしました。その中で、市民生活に深いかかわりを持ち、また将来のまちづくりに欠かすことのできない都市空間である一級河川烏川河川敷を中心とした、緑と文化の薫るまち高崎にふさわしい水辺空間河川環境として創造することが提言されました。

前橋市議会 1996-03-02 平成8年3月臨時会(第2日目) 本文

ところで、前橋助役定数条例昭和6年3月27日に一部改正はあったものの、大正12年5月29日以降本市の助役定数は1人とするという規定は、市長がこの議場にいたときもその前後も全く変わっておりません。助役の2人制導入の発言の真意はどこにあるのか、まず見解をお尋ねをいたします。  現在は、助役が不在の実情であります。

前橋市議会 1996-03-01 平成8年3月臨時会(第1日目) 本文

また、明治、大正昭和とご苦労された多くの方々にとっては、そのための施設充実は極めて大切なことでありますが、しかし一方では自宅における介護の充実も家族の全員にとって今日改めて見直していく必要も大きいと考えております。いずれにいたしましても、我々の地域社会におきましては、小さい子供から大人たちに至るまで、全員に互いの感謝の気持ちと敬う心を育てていくことが大切ではないかと考えております。