前橋市議会 2016-03-16 平成28年度予算委員会_市民経済委員会 本文 開催日: 2016-03-16
それで、そのときに、明治36年ですか、当時の皇太子、大正天皇が行幸の際に臨江閣にお泊まりになられて、それでこのところの土地を視察されたということが残っております。
それで、そのときに、明治36年ですか、当時の皇太子、大正天皇が行幸の際に臨江閣にお泊まりになられて、それでこのところの土地を視察されたということが残っております。
ちょうどそんな時期に天皇陛下もインフルエンザにかかりまして、天皇陛下もインフルエンザにかかるんだなんて、同じだななんて思いまして、そんなことがありまして、ひとつご出席の皆さんもお体に十分注意してください。 事前に通告いたしました公営住宅、日野地域にある旧みかぼ保育園、旧日野診療所の跡地利用についてご質問をさせていただきます。 最初に、公営住宅の現状についてお聞きいたします。
今後は、7月の七夕まつりでは花燃ゆ関連のパネル展示、8月には県庁昭和庁舎において楫取素彦が明治天皇に献上した当時の群馬県の様子をおさめた献上写真展を開催するほか、9月には上毛新聞社との共催で文さんの命日にちなんだ記念講演、さらには10月の前橋まつりでは花燃ゆ関連のセレモニーの実施を予定しております。
この遺跡は、太平洋戦争の末期に本土決戦に備えて天皇、皇后と大本営を避難させるためにつくられた非常に巨大な地下ごうです。この地下ごうを掘削するために7,000人の朝鮮人が強制連行され、卑劣な環境下で労働させられたことなどもしっかりと表記がされております。長野県や長野市では、こうした戦争遺跡の保存や子どもたちの見学などの活用が進んでいるそうです。
議会としても冒頭で黙祷をささげさせていただきましたが、本日は天皇皇后両陛下のご臨席のもとに政府主催の東日本大震災四周年追悼式が開催されると伺っています。大震災によりお亡くなりになられた方々のご冥福をお祈り申し上げるとともに、被害に遭われた皆様の生活再建と東北の復興をこれからも応援してまいります。 それでは、議長より登壇のお許しをいただきましたので、通告に従って順次質問させていただきます。
今ちょうど大河ドラマで初代県令、楫取さんのお話が出ていると思うのですが、明治天皇がお休みした顕彰碑というのが実は三角公園には建っているのですけれども、その土地が公園として設定されたのが昭和6年のころで、当時の新高尾村の多分名士の方6名の連名になっておりまして、なかなか公の部分で携わることが難しい。
前も何度もお話ししているかと思いますけれども、2〜3年前に天皇、皇后両陛下が片倉さんによくぞここまで残していただきましたという、あのお言葉で多分、文化庁を含め、世界のユネスコさんも決めていただいたのかなと私は勝手に推察をしております。 そういった中で、渋沢栄一さんという人が、そこにも書いてありますけれども、1840年生まれであります。
遠く清和天皇、清和源氏から6代八幡太郎義家の孫義重公が新田荘を開き、その西南の地域を第4子義季に譲り渡したのに始まります。義季は徳川郷に居を構え、徳川義季と名乗り、鎌倉幕府に出仕いたしました。その後、16代目が家康公となっていますが、東海道、そして東山道、世良田と徳川と三河の国、仏教文化を通じて遠くて極めて近い国であったと言われておりますが、教育部長の指摘等がありますればお願いいたします。
◆29番(市川隆康) 学校教育における先人を取り上げた実践は、新田義貞公が後醍醐天皇の綸旨を受けて、元弘3年1333年5月8日、鎌倉幕府討伐の旗揚げをした故事にならい、毎年生品小学校6年生を主体に鏑矢祭が行われ、地域を挙げての一大行事であります。そして、義貞公終焉の地である福井県福井市明新地区との地域間交流が行われております。
さらに、櫻井よしこ氏が講演されているようですが、日本とは、日本人とはと題して記念講演をして、ご皇室の存在、神話からのつながり、十七条憲法の精神、五箇条の御誓文、昭和天皇のご詔勅、陸軍大将である柴五郎に見る武士道などという戦前の皇国史観を思わせるような立場での講演を行っています。
そして、99条では天皇または摂生及び国務大臣、国会議員、裁判官、その他の公務員はこの憲法を尊重し、擁護する義務を負うと、このように書いてあります。この点について討議されたのかどうかお聞かせください。 ○議長(都丸政行議員) 総務企画常任委員長、南雲鋭一議員。
3年前に天皇皇后両陛下がお見えになった時点で、日本国としては第1推奨ということで、かなり確信はしておりましたけれども、世界遺産になっていただきたいと思います。本市で売り込める観光資源について、再確認の意味で部長、よろしくお願いいたします。 ◎商工観光部長(深澤忠雄君) 再度の御質問にお答えいたします。
私が初めて当選したのは平成元年ということでございますが、ご案内のように昭和天皇が昭和64年1月7日に崩御されました。翌8日、当時は竹下内閣だったわけでございますけれども、時の官房長官、小渕恵三さんが平成という元号を明らかにいたしまして、以来昭和64年で終わりまして、平成元年ということになったわけでございます。
◆29番(木村純章君) 先々週の国会をちょっと見させてもらっていたら、答弁の中で戦後GHQが日本政府に求めたのは、天皇制の廃止というのと、財閥解体というのは私も何か教科書で習ったことあるのですけれども、町内会の廃止というのを求めてきたという、昔ながらのつながりの情報なのですか、アメリカから見てどういうのかあれですけれども、そんな話をされていたのがちょっと気になりまして。
この方の足尾鉱毒事件は、田中正造さんが命をかけて天皇陛下まで行こうとしたとき、そういったものを擁護した記事をこの方も書いているという非常に正義というものをどういうふうに捉えているかという、その辺も題材になるのかちょっと難しいですけれども、そういった方であります。
我が国の社会福祉制度は、古くは古代中世時代までさかのぼり、天皇制国家が成立、やがて衰退するという歴史のもとで、朝廷を中心に公的救済制度として開始されたと言われております。また、民間においては、村落共同体の相互扶助を中心に、農民同士が結束して互いに救済を行い、結やもやいあるいは講や無尽と称する農村の共同労働組織として、生産と生活の全般にわたって相互に援助し合うような生活援助機能を発展させました。
富士見地区にある昭和の森は、昭和26年、天皇、皇后両陛下が松の木を植樹されたお手植えの松があり、年2回多くのボランティアの参加を得て除草や植樹を実施し、管理されてきましたが、今回のサマーレビューで昭和の森整備事業が廃止との結果が出ております。
明治34年(1901年)には議員をやめ、明治天皇に直訴を行うとともに、遊水池計画などにも抗議し、廃村になった谷中村に入り、廃村復活などを唱えるなど足尾鉱毒被害民の救済に一生涯をささげ、大正2年(1913年)に現在の館林市でお亡くなりになっております。
警察は、天皇陛下が来たり、知事がどこか行ったり、何か祭典がある場合はすべて群馬県警は前もって何時何分に朝動いたら何分かかる、10時に動いたら何分かかる、お昼に動いたら何分かかる、ラッシュのときは何分かかるって、全部これは調査しているはずです。そうでないと、人の命を助けることできません。人命を重要だと思っていますか。
また、東日本大震災から1年が経過するに当たり、この3月11日の日曜日、国では国立劇場において、天皇皇后両陛下ご臨席のもと、東日本大震災1周年追悼式が開催されます。藤岡市においても、当日は半旗の掲揚を行い、午後2時46分、災害によって亡くなられた方々のご冥福を祈り、追悼サイレンを吹鳴したいと思います。市内各地の消防サイレンが鳴りますので、ご理解とご協力をお願いいたします。