岐阜市議会 1995-03-16 平成7年第1回定例会(第4日目) 本文 開催日:1995-03-16
問題は、設計が震度を関東大震災6を想定して計算されておるのでありますが、今回の阪神の場合は、神戸、三宮、淡路島北部はこれを上回る震度7であります。したがって、同一規模の震災が発生をすれば、当然、岐阜駅は危険だと推定がされるわけであります。果たして安全性は大丈夫なのか、この点、新都市開発推進部長に率直にお尋ねをいたします。
問題は、設計が震度を関東大震災6を想定して計算されておるのでありますが、今回の阪神の場合は、神戸、三宮、淡路島北部はこれを上回る震度7であります。したがって、同一規模の震災が発生をすれば、当然、岐阜駅は危険だと推定がされるわけであります。果たして安全性は大丈夫なのか、この点、新都市開発推進部長に率直にお尋ねをいたします。
既存の橋梁の耐震性についてでございますが、国の基準に基づいて設計施工してきておりますが、これは関東大震災級の地震に耐えられる構造になっております。
政府は、道路や鉄道は関東大震災クラスでも大丈夫と言ってきました。こうした安全神話が崩れると、今度は関東大震災の2倍の揺れだったから仕方がないと事実を歪める責任逃れの報告を出し、それを鵜呑みにしたマスコミも国民に謝罪せざるを得ませんでした。 阪神地方は25年も前から地震の危険地帯に指定されていたのに、それに備える対策が空白に等しかったことも、我が党の国会追求で明らかになりました。
大正十二年(一九二三年)九月一日、正午直前に発生した関東大震災は、マグニチュード七・九で、今回の数倍のエネルギー規模があり、死者行方不明十四万人、家屋焼失四十五万戸、全壊十五万戸というすさましいものでした。また、百年前(一八九一年・明治二十四年十月二十八日)に起こった濃尾地震では七千三百人の死者が出ております。今回の大震災も五千数百人の死者を出す痛ましい内容です。
そこで、地域の自主防災隊に頼るという方針もいいことだと思いますけれども、何といいましても戦後50年、大東亜戦争で一応全部の市が燃えておるわけですから、それで経験をし、濃尾震災は私たちは知りませんけれども、いろいろ昔の本とかそういうもので見るわけですけども、関東大震災は経験がある方がまだ生きておられるわけですから、その問題も頭に入れられて、この際行政のあり方について、あくまでも地震はいつ来るかわからないということを
遠くは濃尾大震災、そして、関東大震災、また、最近では奥尻島の地震等、いずれも火災による被害が最も大きかったことを覚えています。今回も例に漏れず、火災によって甚大な被害をこうむり、火を消すにも消火栓の水も出ず、貯水槽の水もなく、消火活動が全くなされないまま何昼夜も燃え続けているのをテレビで目の当たりに見て、ただ唖然とするばかりでした。
大正12年の関東大震災以来という甚大な被害を及ぼしました阪神・淡路大震災は、地震の恐ろしさをまざまざと見せつけ、いつ起きるかもしれない災害に対する市民の備えと行政の危機管理体制のあり方を見直させる機会となりました。もとより、市民が安心して暮らし、災害から生命及び財産を守るためには、防災対策の一層の充実が急務でございます。
この治安維持法というのは1923年(大正12年)9月1日の関東大震災のとき、政府のデマ宣伝によるでっち上げ事件で在日朝鮮人の方々が虐殺され、6,000人余りの犠牲者を出しました。また、亀戸事件のように労働運動の指導者も虐殺されています。そして、政府は9月7日に治安維持のための緊急勅令を公布し、これがきっかけとなって1925年に治安維持法案が衆議院に提出されました。
ましてや皇居で焼け、しかも関東大震災で焼け、大空襲があって、まずないんではないか。つまり幻の史料ではないかというふうに文化財の方々はおっしゃっていたそうです。ところが戸田直温公は、「私も生前、ちょっと目を通しておきたい。焼けてないかもわからぬけど、これは大垣藩の歴代の歴史を書いた歴史書だ。これ見れば大垣の歴史がほとんどわかるんではないか」というふうに期待されていたんであります。
防災の日であります9月1日は、死者行方不明14万3,000人もの被害を出した関東大震災から今年は70年目の節目を迎えました。日本は環太平洋地震帯に位置する世界でも有数の火山国、地震国であり、いつ大きな災害に襲われても不思議ではありません。 去る7月12日夜に発生しました南西沖地震の被害は今も鮮明に脳裏に焼きついております。
9月1日の防災の日は関東大震災から70年目に当たりました。既に3年目を迎えた雲仙普賢岳災害、ことし1月の釧路沖地震、7月の北海道南西沖地震災害、鹿児島などを襲ったさきの豪雨災害と大きな災害が続き、死者、行方不明者は既に360名を超えております。犠牲者、被災者の方々に心からお悔やみとお見舞いを申し上げます。
ちょうど本年は関東大震災と並びまして日本の国の大地震の両横綱という表現は失礼かもしれませんけれども、双璧をなしておりますところの濃尾大地震が起こった年でございます。また、伝えられております駿河湾沖を震源地としますところの大震災、これが起こるかもしれないという地震の権威者の御意見がよく新聞などにも出ておるところでございます。
また、実際に一九二三年、大正十二年に起きた関東大震災を初め、大地震の前にはナマズが暴れたり大群があらわれたりしたという記録がたくさん残っています。 ナマズが地震を起こすというのは迷信でありますが、ナマズの行動と地震には、何か関係があるのではと考えて、本格的に研究した人がお見えになります。
その周辺市町村についても監視体制が強化され、観測技術なら一日か二日前で予知可能なところまで来ている今日ではありますが、御案内のとおり関東大震災の悲劇が起こった九月一日に行われる防災の日は、いずれ必ずやってくるという、こういった大地震への備えを忘れずに被害を最小限度に食いとめるためのもので、これを契機に皆改めて防災意識を強め、不時の用意を一層誤りなくしたいという訓練はまあ御承知のとおりであります。