岐阜市議会 1994-09-20 平成6年第4回定例会(第6日目) 本文 開催日:1994-09-20
二番目の、自浄能力についての見解でありますけれども、自民党についての事件についてのお話だと思いますけれども、このこと自体につきましては、当時の幹事長が記者会見で党としての見解を述べておりますし、その処置につきましても適正な処置をいたしたということであります。
二番目の、自浄能力についての見解でありますけれども、自民党についての事件についてのお話だと思いますけれども、このこと自体につきましては、当時の幹事長が記者会見で党としての見解を述べておりますし、その処置につきましても適正な処置をいたしたということであります。
わざわざ高山の市長さんはことしの一月に記者会見まで行ってこのことを明らかにしておられます。さらに、このヒメコウホネが実は県内二カ所と思われていたけれども、三カ所目、山県郡の美山町にも群生している、自生していることが明らかになって、美山町の町長さんは、そんな大事なもんがあるんなら保護せなあかん、このように新聞紙上で語っておられることが伝えられております。
ソフトピアジャパンについては、今日のこういう名称が正式に決まる以前から問いただしてきたわけですが、89年、平成元年の3月議会で、その年の年頭記者会見で大垣商工会議所の会頭が、事業計画の一環として産業会館の建設があることを明らかにしました。
平野市長さんは、六選を果たされて間もない昨年の四月二十三日に、新聞社との記者会見で、本市の将来像と東海圏とのかかわりについて、「特色ある公園都市づくりを進め、広域的な人の交流を図るため、中濃新線や木曽川への新橋建設など、交通網の整備に力を注ぎたい」と抱負を語っておられ、二十一世紀を見据えられた大きな視点に立っての御抱負に、大変感銘したことを覚えております。
今年8月10日、細川総理は、就任後の記者会見において戦争史観を問われ、あの戦争は侵略戦争で、間違った戦争と発言し、国内外に大きな反響を与えるとともに、論争の火種を巻き起こしました。
また、アメリカのヤイター通商代表は、1988年10月の記者会見で、「主権国家として日本は、ガット裁定の実施を拒否することができる」とも発言しています。これらの意味からして、農産物は、年に1回しか収穫できないし、天候にも大きく左右される。だから特別扱いされなければならないということです。ところで日本は、もう20年以上も前から減反政策がとられ、30%も田んぼが荒らされています。
また、細川首相も初の記者会見で、さきの大戦は日本の侵略戦争であったと明言され、その後多少のトーンダウンはされましたけれども、しばしば発言を繰り返しておられるのであります。 さて、半世紀がたって過去の戦争は歴史の中に位置づけられ、その評価もようやく客観的な視野で世論、世間は論ずるようになってまいりました。
昭和六十二年の年頭におきまして、平野市長は、記者会見におきまして、各務原市の航空宇宙博物館建設構想なるものを発表され、以来、議会では全員協議会や、あるいはまた平成三年三月にはこの関係の特別委員会も設置をされ、いろんな先進国、先進都市への研修も重ねてみえました。また、野村総研を初めといたしまして、電通あるいは梓等の一流コンサルタント会社へもこの調査への委託も重ねて、今日に至っているわけでございます。
さて、市長さんは、当選翌日の4月5日の記者会見におかれまして、今後の市政担当の抱負について、第三次総合計画を基本構想とした各種の事業の邁進ということを申しておられます。若干読み上げさせていただきますと、「市第三次総合計画を基本構想とした幹線道路と生活道路のアクセスをよくする。
記者会見を設定しておいて、記者会見をするから説明に行っているんですね。例えば、平成二年の十一月、長良川メッセ構想記者発表、これ十一月二十六日なんです。ところが、このメッセ構想の概要を説明に行ったというのは、日付が入ってません。平成二年十一月ですから、おんなじ十一月に説明に行って、十一月二十六日記者発表なんですよ。次は、平成四年七月三十日、近鉄、名鉄で覚書を締結した、七月三十日ですね。
浅野市長は、就任後初めての記者会見で、市政運営の基本的なあり方として「町づくりは人づくり」のスローガンを掲げられ、「活性化を担うのは人であり、行政任せでなく市民にも積極的に市政への参加を求めていく」「二十一世紀に向かって躍動感あふれる都市をつるためには、時には反対を押し切る勇断が必要だ。
さて、あなたは市長就任後、初めての記者会見に臨んだ折、不偏不党の立場を貫き、蒔田前市長の「財政は健全に、行政は積極的」の政治姿勢を継承しながら、市民の期待にこたえられるよう懸命に努力したいと述べられ、選挙の公約であったJR岐阜駅周辺整備やコンベンションセンター建設など、大型プロジェクトの推進をしていく考えを強調されました。
次に、議会に対する議案あるいは予算書の提出でございますが、本年度につきましては、2月23日に議運、それから委員長連絡会議、それから全協等を行いまして、その間、先ほどお話がございましたように、3月1日に皆様方に主要事務の発表をお願いし、3月2日に記者会見をしたところでございますが、この間、市長、今年度は2月の中から終わりにかけて海外視察に参ってございました関係もございますので、そういうことで若干日程的
それともう一点は、この考え方だけを示して拘束力がないというようなことなら、こういうのはあれだけにぎにぎしく、市長が記者会見までして発表するような筋合いのものではなし、内部的に検討している程度のものじゃないんですか。その点も技術助役、どのようにお考えか、お答えいただきたいと思います。
市長さんが去る昭和六十二年年頭の記者会見で、この航空宇宙博物館建設構想を本市の航空宇宙文化都市のシンボルとして打ち出されまして、その後種々の論議の高まりの中で、前期において調査研究がなされ、今期に入るや、まず科学技術庁が本市において川崎重工と共同開発を進めてきた短距離離着陸機飛鳥が使命を終わりまして、本市への存続の運動が続けられ、ようやくこの各務原市への存続が内定したようであります。
農林業の活性化の部分ですが、第一点目の部分ですが、部長さんの説明聞いとると、何となくわかりにくいんですが、ええ、市長さんが年頭記者会見で新聞に載ったところの記事によりますと、ああ、これこれと、事業の内容は読んでみますと、蒔田 浩岐阜市長は四日の年頭記者会見で『岐阜市と岐阜市農協が共同で同市方県に大規模なハウス園芸の花団地を建設することを明らかにした。
この点については、かつて昭和63年年頭の記者会見で、商工会議所会頭の河合達雄氏がその計画を発表、市長はこの新聞報道を御記憶のことと思います。さらに今回、県は、ただいま申し上げましたように、以上の発表をしています。
五十二年七月六日の記者会見、五日の記者会見で当時の知事は、河口ぜきについての質問に対して、「長良川河口堰問題は、技術的に自信が持てない。昨年の集中豪雨災害を見ても長良川の本堤の溢水はなかった。しかし、本堤の腰が弱いため安八の決壊が起きた。支川のはんらんがあったので、拡幅など、強化は無論、長良川本堤の強化を急ぐべきと思う。