各務原市議会 2021-06-16 令和 3年第 3回定例会−06月16日-02号
昭和58年に竣工した現在の総合体育館は、観覧席が288席、駐車場が140台分と、収容量が不足しているだけでなく、一部の競技において、コート寸法が規格に適合していない、メインアリーナや観覧席のエアコンが整備されておらず、利用者の身体的負担が大きいなどといった課題があります。そのため、各務原市スポーツ協会や各務原市議会スポーツ振興議員連盟からは、新たな体育館建設の御要望をいただいております。
昭和58年に竣工した現在の総合体育館は、観覧席が288席、駐車場が140台分と、収容量が不足しているだけでなく、一部の競技において、コート寸法が規格に適合していない、メインアリーナや観覧席のエアコンが整備されておらず、利用者の身体的負担が大きいなどといった課題があります。そのため、各務原市スポーツ協会や各務原市議会スポーツ振興議員連盟からは、新たな体育館建設の御要望をいただいております。
竣工は昭和58年10月10日でございます。 次、8ページにお進みください。 8ページには、表の2−3体育館の諸室の面積割合・比較というタイトルではございますが、各務原市に近い場所にあって、なおかつ近年にオープンをしたというような体育館につきまして一覧にさせていただきました。
◆委員(杉山元則君) 関連ですが、旭ケ丘住宅というのは昭和44年建設ということですが、この耐震補強をして何年ぐらいまで、約50年経過しているという計算になりますけれども、耐震補強をして何年ぐらいまでこの使用し続ける予定なのか教えてください。
各務原市史は、昭和62年刊行の通史編(近世・近代・現代)以降、刊行がございません。そこで、市制60周年を機会に、市史として空白となっている昭和の終わりから現在に至る歴史を分かりやすく後世に伝える資料を編さんするため、その基本方針について調査・審議する第三者機関として当委員会を設置することとし、委員会の組織や運営に関し、必要な事項を定めるものでございます。
「かつて本市で生ごみ堆肥機に対して補助を行っていたが、補助を取りやめた経緯は」との執行部への質疑に、「昭和58年度から平成26年度まで、長年にわたり補助を実施したことにより、市民の環境意識が醸成され、食品ロスの削減や生ごみの堆肥化などの取組が自発的に行われるようになったほか、比較的安価で購入できること、補助件数が少なくなったこと等により必要性がなくなったと判断した」との答弁。
各務原市の下水道事業は、昭和50年代の建設事業開始以降、順次汚水管路及び雨水管路の整備を進めており、令和元年度末で処理人口普及率が81.7%となっております。しかし、今後も引き続き未普及地域の解消、老朽化管路の改築、都市型水害対策などの施策を行っていく必要があります。
今日12月9日は、今から75年前の昭和20年、GHQの占領政策によりマッカーサーによって農地解放を指示された日であります。12月8日の次の日にあえてこの日を持ってきました。 私ごとで申し訳ないんですが、私は兼業農家の家に生まれて、戸籍上9人目の末っ子として育ちました。6人は成人しましたが、いろんないきさつで30歳頃から64歳の今年まで跡取りの農業として関わってきました。
2022年は、昭和22年生まれの方が後期高齢者になられ、いよいよ団塊の世代の最初の方が75歳になられます。2025年には全ての団塊の世代の方が後期高齢者になります。私も今日でその仲間入りをいたしました。後期高齢者が増えれば、当然のこと医療費や介護費の増大や介護施設の不足などの問題が生じると予測されます。ほかにも空き家が増え、耕作されない田畑も増えると予想されます。
まず、昭和54年に市道に認定された当時は、山仕事をする方が作業用の車両で対岸へ渡るために洞橋1号橋が必要であったと考えられます。その後、市道各3号線と並行するバイパス道路の各務原パークウェイが昭和57年に完成し、そちらを利用すれば容易に対岸へ迂回できることもあり、市では「各務野自然遺産の森、歩行者のみ通行可」の看板も設置してあります。
◆委員(横山富士雄君) その64件の中で、昭和56年以前という部分になるわけですけれども、主にいわゆる昭和30年代とか40年代という部分で、どの年代の建物が多いんでしょうか。 ◎建築指導課長(阿部匡君) おおむね昭和40年代から50年代ですね、そういうものが診断を受けられるのが多いですね。以上でございます。
また、風疹予防接種の追加対策として、昭和37年4月2日から昭和54年4月1日生まれまでの男性を対象に抗体検査と予防接種を実施いたしました。 感染症予防費3万6000円は、感染症の発生に備え、医薬材料の購入に要した経費でございます。 生活習慣病予防費1億3480万6000円は、疾病の予防・早期発見を目的とするがん検診やヤング健診などに要した経費でございます。
特別支援学校高等部については保護者の皆さんが中心となり声を上げ、昭和61年3月に那加第二小学校敷地内につくられたこと。当時関わっていた人たちから、まさに市民がつくった市の学校というような実感があふれてくるような取組であったことを伺い、私は大変誇らしくすてきな歴史でうれしく感じました。そして、平成17年に学びの森に隣接をする現在の高等部の新校舎ができました。
だけど、今思うと昭和58年の美濃加茂水害のときが一番すごかった。玉石の壁があと1メートルぐらいまで水が来たと話されました。あと1メートルと今回の2メートルは、今思えばの話であって、当時はそれほど変わらなかった気がするぐらいやばかったのではないでしょうか。当時は幸い雨もやんでおり、木曽川上部の降水量だけが今後の鍵を握っていると、祈るような思いで木曽川の水位を眺めていた記憶があります。
各務原市の赤痢やチフス等の感染者は、昭和40年代から減少する一方、インフルエンザのように現在まで流行が見られる感染症もございます。 次に2点目でございます。 現在延期されている小島三郎博士の企画展は、コロナ禍の今こそ開催し、市民に知ってもらうべきではないかについてでございます。
この基金は、昭和45年の設置以来、公共用地の先行取得等に活用してきましたが、近年は先行取得の案件もほとんどなく、今後必要性はさらに低下していくと考えられることから、今回この基金を廃止する条例を定めようとするものです。 施行日は、令和2年3月31日としております。 説明は以上です。 ○委員長(黒田昌弘君) 以上で説明は終わりました。 これより委員の質疑を許します。 質疑はありませんか。
まず雨水貯留施設につきましては、小・中学校の校庭を利用して浸水被害を軽減するもので、本市では昭和62年度から県内でもいち早く取り組んでおり、今後も浸水被害がある地区について推し進めてまいります。 雨水貯留施設では、地形条件などにより学校敷地だけではなく、周辺地域の雨水も取り込むことで、より効果的な方式も取っております。
作者の願望なのか、はたまたこんな世の中が来ると予測してなのかは分かりませんが、昭和40年代から描き続けられておみえでした。 先日、あるロボットを作製された方のお話をお聞きしました。柔らかい物を原形を壊さずそのままの形でつかみ、移動させる機械を開発されたのですが、この開発に当たっては、ドラえもんに描かれた道具の登場場面を何度も何度も読み返されたそうです。
向こう三軒両隣が当たり前であった昭和、「地域で子どもを育てる」がごく普通に機能していた時代から、現代は多様な主体との協働で取り組む時代となりました。子どもたちの幸せ実感を掲げる各務原市において、「地域で子どもを育てる」の実践における教育の目指す姿についても伺います。 そこで、以下4点につき質問いたします。
警察庁の発表によりますと、全国で交通事故死者数は、昭和45年に過去最多の1万6765名でしたが、平成29年には3694人と過去最少になりました。交通事故死者数の減少を道路別で見てみますと、幹線道路に比べて生活道路では減少割合が小さく、歩行者、自転車乗車中の死者数が全体の半数を占めています。また、小学生や75歳以上の死亡事故が特に多いという傾向があります。