羽島市議会 2021-06-17 06月17日-04号
そのようなこともあり、羽島市においても平成29年2月3日に第1回庁舎検討委員会が招集され、その後、何度も委員会が開催され、検討を重ね、昭和34年竣工でその当時で築58年が経過し、公共施設における耐震基準を大きく下回り、極めて危険と判定されたり、庁舎の分散化による業務の不効率、市民の皆様の不便、さらには防災拠点としての不適合などと、また、市町村役場機能緊急保全事業債の有利な起債も適用できるということもあり
そのようなこともあり、羽島市においても平成29年2月3日に第1回庁舎検討委員会が招集され、その後、何度も委員会が開催され、検討を重ね、昭和34年竣工でその当時で築58年が経過し、公共施設における耐震基準を大きく下回り、極めて危険と判定されたり、庁舎の分散化による業務の不効率、市民の皆様の不便、さらには防災拠点としての不適合などと、また、市町村役場機能緊急保全事業債の有利な起債も適用できるということもあり
現在使われている市役所本庁舎は、羽島市出身の建築家坂倉準三氏によって設計され、1959年、昭和34年3月1日に竣工しました。 坂倉氏は、あまたの建物を設計されていますが、出生地である羽島市のために設計したという点で、この本庁舎は貴重であります。世界遺産に記載された東京上野の国立西洋美術館を設計したフランスのル・コルビジェに師事し、坂倉氏はその国立西洋美術館の建築にも深く関わりました。
羽島市においても、昭和50年代を中心に多くの公共施設が整備されてきました。原油施設の半数以上は築40年以上経過していると言われます。今後、耐用年数を迎える施設が月々と出てくる状況であります。 しかし、羽島市においても、今後人口減少や少子高齢化に伴う税収の減少による厳しい財政状況となってきます。今ある施設を耐用年数が到来したからといって、全ての施設を同程度に建て替えることは困難であります。
思い起こせば、1945年、昭和20年の8月6日、8時15分、広島、そして昭和20年の8月9日、長崎、11時2分、この2つの原爆によって爆心地の周辺は3,000度から4,000度の高熱にさらされ、熱線、そして放射線、激しい爆風によって広島では14万人、長崎では7万4,000人もの尊い命が失われました。 こうした唯一の戦争被爆国である日本は、率先してこの条約の比準に取り組むべきです。
石黒さんは、昭和35年4月23日生まれの60歳、住所は羽島市竹鼻町丸の内4丁目20番地でございます。昭和58年3月に同志社大学をご卒業後、同年4月に羽島市に入庁をされました。入庁後は、総務課、企画財政課、秘書広報課などでの勤務を経て、総合政策課長、生活環境課長、市民部次長、会計管理者を歴任をされました。
有料公園施設であります市民の森羽島公園の野外音楽堂につきましては、昭和53年に設置され、その後、42年が経過しております。 平成26年度に策定しました公園施設長寿命化計画の調査結果におきましては、全体的に劣化が進行しており、利用し続けるには更新が必要とされますC判定の評価となりましたので、施設の利用頻度、コスト面から総合的に判断し、令和2年度に施設を撤去することとしたものでございます。
この小学校は公立小学校ですが、昭和31年から65年間以上の間、通知表がない学校でした。廃止前までの通知表は、劣る、やや劣る、普通、良い、大変良いの5段階で評価されておりましたが、それには問題があると考えられていました。 それは1学級の中で、上・中・下の大体の見当はつくが、その中で自分の子供の長所、欠点、学習でのつまずきと、その原因まで知ることはできない。
現在、病院が管理する施設は、第1診療棟、第2診療棟、第3診療棟、そして第1病棟、第2病棟のほか、病院託児所、立体駐車場とありまして、このうち、第1診療棟につきましては昭和51年の設置、第1病棟につきましては昭和53年の設置と、設置後四十数年が経過している建物となります。
消防車両の更新や維持のみならず、羽島市消防本部庁舎にしましても昭和49年の竣工であり、近い将来更新も必要となってきます。 また、消防の広域化の協議が進めば、広域化実現までの消防相互応援協定も一段と深い応援体制が可能となってきます。お互い現在足りない部分の強化にもつながるのではないかと思います。 今回、松井市政3期目の躍進戦略、安全安心施策の中でも、消防の広域化の推進があります。
最後に、議第89号について、委員の質疑に対し、理事者から、栄町9号線に係る敷地については、昭和63年5月6日に土地使用貸借契約を行っており、当該認定に係る敷地を名古屋鉄道株式会社から羽島市が使用目的を道路敷として無償で借地する内容となっている。
一方、宿泊棟につきましては、昭和56年築で、旧耐震基準に基づく建物であり、経年による老朽化も進んでおりますことから、今後、施設を保全し、有効に全体を利用することはかなり難しい状況にあると思料しております。 以上でございます。 ○議長(山田紘治君) 環境部長 番 勝彦君。 ◎環境部長(番勝彦君) 次期ごみ処理施設に係る地域貢献策についてお答えをいたします。
加えて、耐震指標であるIs値、これは0.6をクリアしていますが、昭和34年の建設ということをお聞きしておりまして、老朽化が進んでいるということは否めない事実かなというふうに思っております。
そもそも岐阜市境川地区にあったごみ処理施設は、昭和40年に竣工、稼働し、その後施設を更新し、平成14年4月より岐阜羽島衛生組合に名称が変更されるとともに、羽島市が加入し羽島市のごみ処理も開始されるようになりました。その後、施設は地域住民との覚書により平成28年4月から停止し、以降、岐阜市は所有する処理施設において処理を行い、ほかの構成市町は県外の処理施設に処理を委託しています。
次に、議案書6ページから21ページの議第49号から第64号までの羽島市農業委員の任命についてですが、16人中8人が認定農業者、5人が認定農業者の親族であり、農業委員会等に関する法律(昭和26年法律第88号)の第8条第1項の規定により任命、また1人は認定農業者であり、農業委員会等に関する法律施行規則第2条第1項に掲げる農業委員会等に関する法律施行規則、農業の振興に関する国または地方公共団体の計画において
我が羽島市では、昭和51年の9.12災害以来、大きな災害は起きていません。災害は忘れた頃にやってくるということわざがあるように、今の財政状況では非常に厳しいかもしれませんが、県当局ともしっかり連携を取って、今からそのような状況でも対応できるような基盤整備をしていただくようお願いを申し上げ、私の質問を終わります。 ありがとうございました。 ○議長(山田紘治君) これをもって、一般質問を終わります。
羽島市民病院は、昭和30年に開設された一般病床、地域包括ケア病床も含む271床、結核病床10床、26診療科のある羽島市内唯一の病院であります。岐阜県地域医療構想において、地理的に必須な二次救急医療、急性期医療を担う病院として位置づけられ、救急機能、急性期機能に加え、地域に不足している回復期機能を担うべく地域包括病床76床をも稼働させています。
竹鼻中心市街地は、昭和40年代頃までは近隣地域の買物等の中心的な役割を担っており、にぎわいのあった商店街でありましたが、社会情勢の変化により、また急激な車の普及と併せて郊外型大型店舗の進出により、旧来の商店街の空洞化が進み、昔の商店街の面影はなくなり、今ではシャッター街道と様変わりしてしまいました。
このかんぽの宿岐阜羽島は昭和56年にオープンし、59年に体育館も併設し、テニスコートやグランドゴルフ場などの施設も設備した、土地1万2,528坪、建物2,715坪の広大な施設ですが、お聞きしますと、幸か不幸か、かんぽの宿岐阜羽島の敷地・駐車場は市街化調整区域で、一般企業が取得しても後々使用方法がいろいろ規制があり、利用することがとても困難とお聞きいたしました。
昭和30年10月8日に開院した羽島市国民健康保険直営羽島病院は、病床数29床、医師4名を含む職員総数は24名をもって診療が開始されました。昭和34年4月には、法律の改正に伴い、名称が「羽島市国民健康保険羽島病院」に、昭和61年7月には「羽島市民病院」に改められました。
昭和36年6月、当時の市民病院は豪雨によって浸水で被害を受けていたとき、母は1階の病室にいました。そして水が迫ってきたので、2階の眼科の診察室に移され、そうした中で私は生まれたそうです。水害で産湯に浸かることもできない、真っ黒けの赤ちゃんだったよというようなことをよく言われましたが、当時の病院の皆さんに適切な処置を施していただきました。