関市議会 2022-09-12 09月12日-16号
昭和の時代であれば、このことから円高になり、強い円が輸出のブレーキとなりました。 また、刃物輸入は国別では中華人民共和国が1位です。輸入製品の価格が従来は安くて、地元刃物製品の価格が高くても円安の影響により、関市の刃物産地の価格で対処できるようになります。しかし、輸入原材料の値上げは企業利益に影響を与えます。
昭和の時代であれば、このことから円高になり、強い円が輸出のブレーキとなりました。 また、刃物輸入は国別では中華人民共和国が1位です。輸入製品の価格が従来は安くて、地元刃物製品の価格が高くても円安の影響により、関市の刃物産地の価格で対処できるようになります。しかし、輸入原材料の値上げは企業利益に影響を与えます。
旧関市学校給食センターは、昭和57年に建設されました。市内小中学校への給食の提供を令和2年7月までの約38年間行い、その後、給食の調理等提供業務は、新給食センターへと移行いたしました。 旧関市学校給食センターの建物といたしましては、現在、建築後40年が経過しているところでございます。
旧関市街地では、昭和のベビーブームや経済成長に合わせて整備していただいた公園が数多く点在をしております。少子高齢化が進む昨今では、利用者の変化や子どもの利用の減少に伴って、私が見ているだけでも、使われていない遊具や砂場などが目立つようになっています。今後は、今の時代にマッチした公園に再整備する必要があると思います。
住民の架橋要望は大変強く、昭和初期になり、失業対策事業として架橋が事業化されました。橋は村道ではありましたが、工事は県が代行して行ったようでございます。 この保戸島橋は、当時多く採用された構造で、鉄筋コンクリートゲルバー桁橋として有名であり、また、その親柱も今はありませんが、昭和初期にはやったモダニズムを感じさせるデザインでした。
また、昭和の時代から支給されてきた補助金であるが、従前の事業体とは変化をしてきているため、いま一度整理した上で予算計上を考えるべきであるとの意見がありました。
東山西田原線は、昭和53年7月に都市計画道路関金山線と交差する東山交差点から、当時の国道248号が交差する肥田瀬島交差点までの約1.6キロメートルが都市計画決定され、当時の路線名称は東山肥田瀬線と名づけられました。また、平成7年4月には、現在の国道248号まで延伸し、延長約3.5キロメートルとする都市計画の変更手続が行われ、その際に路線名称が現在の東山西田原線に変更された経緯がございます。
それから、もう一点、今の民生委員さんのお願いをすることにつきましてでございますけれども、この民生委員法、先ほど少し説明がございましたが、民生委員法に基づいて活動されていて、今に至っておるわけでございますが、昭和23年制定でしたでしょうか、これは。
県の調査では、大規模盛土造成地の抽出のため、造成前の昭和30年代から40年代にかけての古い地形図と、平成25年度作成の新しい地形図を重ね合わせ、等高線から造成前後の標高差を計算し、両者を比較することで造成地の位置や盛土の規模などを特定する作業を行っております。
さて、旧の学校給食センターは、昭和57年に建築され、既に39年が経過しておりますが、このセンターの後利用につきましては、耐震補強工事や施設改修工事で借り入れた起債の償還が令和8年度まで残っていることや国庫補助金の関係などから、即座に建物を取り壊すことや目的外に譲渡することは難しい状況となっており、現時点での具体的な計画は決まっておりません。
特に合特法は、昭和50年5月に制定された下水道の整備等に伴う一般廃棄物処理業等の合理化に関する特別措置法の略称であります。 し尿くみ取りの仕事が水洗トイレの普及によってなくなっていた時代に、し尿くみ取り業者の仕事を確保するため、特別措置法として国が法律をつくりました。それが実施されてから既に46年たっております。期限がある法律でありますが、延長に次ぐ延長を重ね現在に至っています。
こうしたことや、美濃市では昭和中で原爆展がなされたそうであります。校長も大変喜んでおられたそうであります。 そういうことから、授業、修学旅行、そういった以外にもこういう取組がなされておりますが、この点はどう評価されておりますでしょうか。 ○議長(波多野源司君) 吉田教育長、どうぞ。 ◎教育長(吉田康雄君) それでは、御質問にお答えをいたします。
その際の答弁では、昭和33年に整備された現在の収蔵庫では、温度や湿度の管理が不十分で、老朽化しているため、国指定の重要文化財である能面・能装束の保全と活用を図るためにふさわしい規模と設備を備えた新しい収蔵庫を敷地内に建て替える方向で、春日神社さんにも検討していただいている、市としても文化庁などの指導を仰ぎながら検討していく。
昭和40年の70%から、近年は40%前後を推移している状態であります。耕作放棄地の増加は、輸入への依存という大きな問題にもつながります。荒廃農地をよみがえらせて新たな展開はできないものかと日々思う次第であります。 そこで、1番目の質問です。 耕作放棄地についての現状と対策についてお伺いいたします。 ○副議長(足立将裕君) 当局の答弁をお願いいたします。 武藤産業経済部長、どうぞ。
富岡保育園の園舎につきましては、昭和49年度に建築、昭和53年度に増築し、議員からも御説明がありました平成23年度に関市立の保育園では最初に耐震工事を実施をして現在に至っております。 この際の耐震工事に当たりましては、耐震化のみを実施をしておりまして、他の改修は行っていなかったために、老朽化が進んでいるという状況でございます。
関市浄化センターは、昭和38年公共下水道の事業認可を受け、昭和42年供用開始の公共下水道事業に合わせ建設されました。約50年経過しましたが、最近では、平成22年、管理棟の耐震工事と外壁の塗装も含め改修工事が行われました。先日、関・美濃・郡上八幡の写真アルバムを見る機会がありました。昭和40年頃の庄中地区の写真がありましたが、それによりますと、一面の田んぼで、建物は何もありませんでした。
合特法とは昭和50年5月23日に制定された下水道の整備等に伴う一般廃棄物処理業等の合理化に関する特別措置法の略称で、下水道の整備により仕事を失うくみ取りなどの業者に、代わりの公共事業の受注や金銭補償、職種転換のための職業訓練支援などの便宜を図ることを自治体に許可した法律です。 関市では、この法律を根拠に特定の事業者に公共事業の受注で長年にわたり便宜を図っています。
いわゆる寝たきり老人が障害者控除を受けられるようになったのは、昭和40年からでございます。この後、昭和45年改正税法により、今でいう認知症高齢者の方も対象になりました。
国勢調査によりますと、昭和55年に14万6,000人の林業従業者がいましたが、その後、年々減少し、平成27年には4万5,000人にまで減少しております。 さらに、林業従事者の高齢化率も、全産業と比較して高くなってきております。そのため、間伐や枝打ちなどの山林の管理が行き届かず、私有林の人工林では、未整備林となった放置林が増加しております。
市民球場は、昭和52年に開設してから現在まで40年以上長年使用してきました。平成15年度にはスコアボードの改修工事を行いましたが、今回老朽化による大規模な改修を行うことになりました。 市民球場の整備に当たっては、中池公園内にまとまった広い土地を確保するのが困難であるため、現在の場所を利用することを第一に考えました。
武芸川地域の同報無線の設置の経緯は、当局としては御承知をいただいていると思いますけれども、昭和60年に屋外スピーカーだけでスタートをいたしましたが、やはり当地域においても、山に反響して何を放送しているのか分からないという、そういった住民の声が非常に多かったことから、この意見に対応するために平成11年に1億6,800万円をかけて全世帯に戸別受信機を配布をしたという歴史的な経緯があるわけでございます。