岐阜市議会 2021-03-06 令和3年第1回(3月)定例会(第6日目) 本文
しかし、昭和30年代からの恵光が誕生した歴史を顧みたときに、本当にこれでいいのかと不安がよぎります。 この間、民営化の話もあったやに聞き及んでいますが、まあ、指定管理なら民営化よりはいいかと思わないわけではありませんが、現地を伺うたびに、心が洗われる思いを致します。人だな、人と人との心の通い合い、痛感します。それが絶たれるようなことになってはならない。
しかし、昭和30年代からの恵光が誕生した歴史を顧みたときに、本当にこれでいいのかと不安がよぎります。 この間、民営化の話もあったやに聞き及んでいますが、まあ、指定管理なら民営化よりはいいかと思わないわけではありませんが、現地を伺うたびに、心が洗われる思いを致します。人だな、人と人との心の通い合い、痛感します。それが絶たれるようなことになってはならない。
1つ目に、旧いとう旅館は昭和21年に建てられ、今年で築74年を経過しているということですが、建物としての価値をどのように判断してみえるのか。 2つ目に、民間活力によって既存施設の整備を行うとしていますが、長良川河畔の温泉旅館を初め、地元からの意見を聞いているのか。
昭和51年の4月20日に都市計画決定された岐阜市桜木町2丁目の桜木町公園、面積が8,300平方メートルの整備について、私は、平成21年3月19日の本会議質問で、当時の河島都市建設部長に質問をいたしました。
この4団地の集中浄化槽の使用開始は、一番古い団地で昭和43年12月から、新しい団地でも昭和57年3月であり、減価償却資産の耐用年数の30年を大きく超えて、約40年が経過しています。 また、処理方式は、2団地がし尿のみを処理する単独処理浄化槽、2団地がお風呂や台所から出る生活雑排水とし尿を処理する合併処理浄化槽となっています。
しかし、中央卸売市場は昭和46年に開設され、今年で50年が経過し、施設の老朽化等の問題を抱えております。 そうした中、令和元年9月議会で、うちの渡辺議員の質問に対し、市長より、市が開設者として、現在地での再整備に向けた検討を開始するとの方針が示されました。
(2)補助の見直し 【事実関係】 市は、本補助金を団体育成補助金と位置付けているが、本補助金は、昭和60年度か ら続いており、長期にわたっている。 市社協は、昭和33年の発足であり、令和2年3月末期における地域福祉事業に関す る基金が621,925千円、積立金が92,861千円も計上されている。 市社協の運営費補助金については、以前の包括外部監査においても度々取り上げら れている。
昭和58年に制度化され、以来約40年にわたって継続されています。 集められた資源は回収業者に引き渡され、その売却金は地域での活動源になっているとともに、回収実績に応じて岐阜市からも奨励金が交付される仕組みになっています。
この治療用装具には様々なものがございますが、補聴器につきましては、疾病や負傷の治療を目的とした装具ではないことから、昭和25年11月の国の通知で補聴器は眼鏡に準じて療養費の給付外とするとされ、現在に至っております。
岐阜市内の現在の学校施設は、その多くが昭和40年代から50年代の前半にかけて建てられたものでありまして、既に50年前後の期間を迎えております。
産業会館は、市制80年を記念して昭和45年に建てられ、今日50年を迎えます。モーターショーやプロレスの興行など、産業の拠点として役割を果たしており、平成21年には耐震工事が行われています。代替施設の検討もないままの廃止はいかがなものかと考えます。地域の声、中・長期的なまちづくりなど、議論を進めるべきです。廃止は認められません。 第105号議案岐阜市いじめ防止対策推進条例制定についてです。
岐阜ファミリーパークは、本市の北東部に位置し、昭和57年に開園した面積約54ヘクタールを有する本市を代表する総合公園です。
現在のような形での新聞社主催の花火大会は、全国煙火大会の名称で戦前から始まり、日中戦争が勃発した昭和12年・1937年の第4回大会を境に中断、しかし、太平洋戦争終戦翌年の昭和21年・1946年に、全国に先駆け、本格的な花火大会として始まりました。終戦直後にもう始まっていることに驚かされます。戦後のとにかく物のなかった時代に、それだけ岐阜市民のみならず多くの人々が望んでいたことだろうと想像します。
こうした検討を踏まえる中、本市の学校プールは昭和40年代から50年代に建設されたものが多く、プール槽及びプールサイドの劣化など、老朽化が進みつつありますが、当面の間は利用が可能であり、児童生徒の安全面に配慮しながら水泳授業を実施してまいりたいと考えております。
きる力を培う教育 (P9~P31) (2)基本的方向性2 子どもたちの多様な個性や能力を活かす教育 (P32~P40) (3)基本的方向性3 生涯を通じて学びやスポーツを楽しむための教育 (P41~P42) (4)基本的方向性4 生涯を通じて挑戦し、多様な生き方ができるための教育(P43~P45) 1 はじめに 本書は、地方教育行政の組織及び運営に関する法律(昭和
この地域では昭和50年代にですね、当時の交通事情、すなわち若者による、当時カミナリ族と言っていたんですが、こういった暴走族が神田町通りを深夜まで爆音を響かせて暴走し、住民の安眠を妨害するため、生活防衛の手段として、この地においても現在の交通規制がされたようであります。このときに自動車の通行が北から南への通行規制、ここにちょっと見にくいかも分からんですが、こういう規制がされました。
4点目、食肉地方卸売市場は昭和42年に現在地へ移転開設されたと聞いておりますが、既に52年が過ぎており、建物の老朽化が目立っています。また、フロンガスを利用した冷凍機器等は、近い将来に使用できなくなる可能性があると聞いています。以前に、移転の話がありましたが、その後の進展状況をお尋ねをいたします。 続きまして、緊急事態宣言下のごみ収集と岐阜羽島衛生施設組合についてお尋ねをいたします。
令和2年3月26日 提 出 提出者 岐阜市議会 議会運営委員長 杉 山 利 夫 ─────────────────── 岐阜市議会委員会条例の一部を改正する条例 岐阜市議会委員会条例(昭和42年岐阜市条例第20号)の一部を次のように改正する。
昭和、平成の指導方針のように凝集度の高い学級集団をつくるということで教員の評価がなされるのではなく、令和においては一人一人を大切にするということで教員評価がなされるよう指導観の転換が必要になってくると思います。独りぼっちの子がいないのかという問い返しが、先生や仲間の中で不断にされなければなりません。いじめ対策監に期待しております。
これは昭和52年11月に建築されて、築43年たった古いビルであります。鉄筋コンクリート造りの5階建て、延べ床面積が2,602.57平方メートル。これを家賃年間2,600万円で、岐阜市はこのビルの1階から5階までの空き店舗部分と通路を借りて使用する事業について、令和2年度の当初予算として、部屋の改装費2分の1補助450万を含めて、3,050万円を計上しております。
我が国は、昭和60年代のバブル期には、地価の急激な上昇に伴い、宅地需要が逼迫する中、市街化区域内農地の転用による宅地供給が進んでおりました。 市街化区域は、道路や下水道等のインフラ整備を重点的に進め、優先的、計画的に市街化を図る区域であり、区域内の農地等は宅地化すべきものとされておりました。