羽島市議会 2006-03-14 03月14日-03号
日本人は古来、温泉に身を沈めて裸のつき合いをして、人間関係と健康回復を図ってきましたが、温泉とは本質的にそういう働きがあるというものであります。そこで、ぜひともこの温泉の再利用を考えていただきたいものであります。 そこで、この温泉の活用が市民病院の入院患者や外来患者のみならず、多くの市民に有利に活用されることを私は希望するものであります。
日本人は古来、温泉に身を沈めて裸のつき合いをして、人間関係と健康回復を図ってきましたが、温泉とは本質的にそういう働きがあるというものであります。そこで、ぜひともこの温泉の再利用を考えていただきたいものであります。 そこで、この温泉の活用が市民病院の入院患者や外来患者のみならず、多くの市民に有利に活用されることを私は希望するものであります。
新渡戸氏は、要するに日本のジェントルマンという名前じゃございませんが、日本人はほかの民族とこういう点が違いますよと、ほかの国々よりもこういう点が私はまさっていると思いますということを国際人として、当時アメリカで英文で出された名著があります。これを当時合衆国大統領のルーズベルト大統領が何十冊も買われて、御自分の友人たちに配ったというエピソードがあるわけであります。
中津川市の代表として中津川市を出て活動する子供たちが「日本人の常識、世界の非常識」なんていう言葉を浴びせられることがないようにしておいてやらなければならないと思います。そんなことを思いながら、中津川市の子供たちにとってそうした交流の機会はどうなんだろう、他の自治体に比してどうだろうかという視点で見たとき、少し寂しくなりました。
しかし、その反動として、異常な拝金主義を洗脳される余り、日本人が本来持っているはずの歴史・文化の伝統的な価値観や美意識、あるいは弱き者をいとおしむ人間愛、正義感や道理といった心の財産を捨て去ってしまったかのようであります。こうした風潮の中、義務教育のありようにつき議論が百出しております。
「教育に抜本的な改善が必要、国際的にも下落著しい日本の子どもの学力の現状、努力、勤勉、日本人が元来有した美徳が見る影もない、教育は国家百年の計という」といった、これは42歳の岐阜市のある教諭の新聞に記載された記事であります。
右と言われたら右端いっぱいを走り、左へ修正しろと言われたら左端いっぱいにかけ寄るような、当の米国でもやらないような極端から極端への迷走というのは、集団ヒステリーに陥りやすい日本人特有のものだということですが、もう少し穏やかに、左右に揺れながらもほぼ道の中央付近を進むというような、中庸というような考え方ができないものだろうかと最近つくづくと思います。
バブルがはじけて、日本人の土地に対する価値観が変化してまいりました。つまり、土地はもう公益の対象にはならないわけであります。需要と供給の上で売買されるものになったわけであります。保留地を造成しても、需要がなければ売れません。駅東の保留地が来年の3月末で事業が終わりますが、まだ2割の保留地が残っております。このような状況の中で、インター北の保留地を造成しても完売できる保証はありません。
世界的に環境問題は極めて重要であり、これは日本人の、そして、人類の尊厳にかかわる問題であるだけに、環境を破壊から守るだけではなく、自らよい環境を創造していく力を、体験を通し実践的な教育のもとで培っていきたいと思っておる次第でございます。 以上でございます。 ○副議長(伴野久子君) 糟谷玲子さん。
そこで、高山市は、これまでは歴史や伝統文化的な面などで、多くの日本人初め世界各地から観光客においでいただいているところであります。これからの高山市は、それらにあわせ、もう一つの大きなテーマとして、日本一の広大な恵まれた自然を有することを活かし、自然環境を題材にし、健康や心のいやしなどにも積極的に先進地となるように、全庁的に取り組みを図られるべきではないかと思います。
国際理解教育の内容的な側面として、視野を広げ異文化を理解し尊重する態度の育成、相手と積極的にコミュニケーションを図ろうとする態度の育成等が挙げられますが、さまざまな異文化に触れる中で自国の文化を振り返り、理解を深め、自国の文化を尊重する態度を育成することは、21世紀の国際社会を生きる日本人としての人間形成の上で大切な土台づくりであります。
外国人には日本の社会生活ルールやシステムを理解してもらうこと、日本人においては国際的な視野や感覚を身につけていただくことが重要であり、そのためには拠点づくりの整備も必要であると考えております。 現在の状況は、2000年に民間の人々により可児市国際交流協会が組織され、国際交流の一翼を担って幅広く活動されているところでございます。
今、日本人の子どもの学力、あるいは体力は、世界的な調査の中でも、残念ではありますが、年々低下をしており、将来が懸念されています。文部科学省でも、学力対策に総合的な学習の時間を位置づけてはおりますが、その空洞化を阻止しようという対策をとっているようです。いわゆる総合的な学習の時間の見直し論であります。
中学校には日本人の英語、あるいは英会話担当の教師もみえるわけですけれども、その教師とALT、外国語指導助手とのチームティーチング、共同事業ですけれども、このことは英会話において大きな成果を上げていると思います。 そこで、質問としまして、小学校には日本人の英語・英会話担当の先生はみえないと思いますけれども、中津川市の小学校の英会話の学習はどのような状況にあるのか、お伺いしたいと思います。
飽食の時代と言われて久しい日本人の食事がおかしくなっている、さらにこのまま放置すれば、体はもちろん子供たちの脳の発達や、心の発達にも影響を与え、健康に害を及ぼすことが明らかになってきました。そのため、国において、我々の食卓に健全な食事を取り戻すことですべての国民が心身の健康を確保し、生涯にわたって生き生きと生活できることを目的に、本年度、食育基本法が制定されました。
日本人は意外に性善説の人が多いという関係から、こういうのはあり得ないという前提の検査項目になっておると。残念ながら、すべての人間をやはり信用するというわけにいきません。ですから、ここはやはり性善説から性悪説に変えて、すべて中身をチェックするという検査項目にしていただかないと、こうして今回マンションを購入された、被害に遭われた方々、本当に気の毒です。ただ、その一言に尽きると思います。
我々日本人にとりましては、パリのルーブルであるとか、ベルサイユであるとか、エッフェルタワーとか、そういうところを見るのがフランス観光のような感じを与えておりますが、南仏プロバンス地方のように、ヨーロッパ各地から、太陽を求め、そしてグリーンツーリズムを求めて人が押し寄せ、そこで農作業を体験し、伝統的な郷土料理、しゃれた農村レストランで食事をいただく、それが非常に大きな魅力になっておるようであります。
アメリカ等では、いわゆる司法取引があって、刑の免除というようなことがあるわけでございますけれども、これは日本人の感覚といってよろしいんでしょうか。一応は誤った処分にかかわった者をまるきり刑を免除してしまうということについては、やはり抵抗があるというふうに思っております。何らかの償いと申しますか、処罰は受けるべきであると。
21世紀初頭より日本人の人口は減少を始め、21世紀終わりにはついに半減し、およそ6000万人から7000万人になると推測されています。今のまま大都市、中都市を問わず土地利用計画案に従い進めた場合、今世紀中に1人当たりの市街地維持費、すなわち公共投資維持費は現在の倍になると思われます。
日本人だろうと、ブラジル人だろうと差別するべきではないと思います。この子供たちが大人になったときに、幼いころにされた仕打ちを忘れないでしょう。ブラジル人学校にPTAがあるかどうかは知りませんが、親たちは憤慨されていることと思います。ここで学んだ子供たちは、ブラジルに帰る子もいるかもしれませんが、多くは可児市やこの周辺のまちでずっと住み続けていく子たちです。 では、質問です。
日本人の悪い風潮で差別傾向がいまだに続いているのではないでしょうか。そこに、以前問題になったハンセン病患者を隔離したのと同様の考え方が根っこにあるのではないかと思われます。もっと障害を持つ方の社会進出をサポートできる体制をしなければならないと思われます。そのためにも障害者の方と健常者の方が互いに理解し合えるような状況を子供のころからつくるべきだと考えるのです。人それぞれ違いはあります。