353件の議事録が該当しました。
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該当会議一覧

大垣市議会 1998-12-15 平成10年第4回定例会(第3日) 本文 1998-12-15

まず最初に、市の中心部を流れる水門川に沿って、城下町大垣シンボルである大垣城や、俳聖松尾芭蕉ゆかりの奥の細道むすびの地付近などの大型観光バス駐車場、並びに土産物店整備必要性について、これは仰せのとおりで、現在不備でございます。そうしたことは十分認識いたしております。

岐阜市議会 1998-12-03 平成10年第5回定例会(第2日目) 本文 開催日:1998-12-03

松江市は風光明媚な豊かな自然と歴史を持つ城下町です。うっそうと樹木の生い茂る城郭と堀を取り込んだ町の再開発事業のコントラスト、観光資源の創出もさることながら、一番印象深かったのはベテラン船頭さんのユーモアを織りまぜた巧みな観光ガイドでした。松江市の歴史に詳しく自信を持って素朴な言葉でおよそ1時間、お客さんを飽きさせない心にぬくもりのある遊覧船観光は大変感心いたしました。

岐阜市議会 1998-09-18 平成10年第4回定例会(第3日目) 本文 開催日:1998-09-18

すなわち「加納城城下町として、また宿場町として繁栄していた同地区においては当時をしのばせる資源をいかしながら、かつての街道、広場、本陣などをまちづくりの核として整備することにより、同地区歴史的価値を後世に伝える景観形成を図る。」とあり、続いて「当時のシンボルでもあり、現在、国の指定文化財となっている加納城跡景観にも配慮した歴史性の高い公園として整備する。」とあります。

大垣市議会 1998-09-08 平成10年第3回定例会(第2日) 本文 1998-09-08

東西交通結節点という立地、水門川を初めとする地域資源、それにかかわる各種イベント公共公益施設の連携、大規模工場用地利用転換ソフト関係として、フリーマーケットやまるごとバザールなど新たな集客装置となりますし、城下町としてのテーマ性などにも恵まれております。それらを機能的に関連させることにより、十分活性化策が実現できるものと考えております。

大垣市議会 1998-06-15 平成10年第2回定例会(第2日) 本文 1998-06-15

本市のまちづくりプランにつきまして、とりわけ町の顔でもあります中心市街地活性化の施策の取り組みについてでございますが、本市は古来から城下町を母体として発展し、特に市の中心市街地は単なる商店街という町並みだけでなく、人々交流の場、地域歴史文化中心として重要な役割を果たしてまいりました。

大垣市議会 1998-03-11 平成10年第1回定例会(第2日) 本文 1998-03-11

昨年より町の中で立っております大垣サティ進出反対立て看板、たしか私の記憶ですと、最初城下町崩壊商業崩壊になるからということで、反対の理由で立っていたと思います。それが最近私目にしましたら、そこの上に青少年の育成に悪影響という貼り紙を上にかぶせまして、だから反対という看板に変わっておりました。

大垣市議会 1997-12-09 平成9年第4回定例会(第3日) 本文 1997-12-09

この大垣は、かつて城下町として栄え、多くの名所旧跡があります。大垣城を初めとして住吉灯台、奥の細道むすびの地、美濃国分寺、中山道の宿場町として栄えた赤坂宿、そしてお茶屋屋敷など、数え上げたら切りがありません。そこで、中心市街地にあり、大垣の顔とでも言うべき大垣城の周辺を整備してはどうでしょうか。

岐阜市議会 1996-12-06 平成8年第5回定例会(第3日目) 本文 開催日:1996-12-06

なお、バーチャルリアリティーシステムを導入し、信長居館の再現、城下町にぎわい楽市楽座等、すぐれた歴史映像を映し出すフロア等も想定した内容も検討してまいりたいと思っております。展示方法等につきましては、十分工夫をして内容充実に努めてまいりたいと考えております。  次に、改修後の行事についてでございます。  

土岐市議会 1996-06-13 06月13日-02号

そして、まちづくりでございますが、そういう生涯学習が先行しているまちでございますので、城下町風まちづくりといいまして、本当にお城へ来たような感じで、市民の参加もすばらしいまちづくりがなされているわけでございます。 そういう中で、土岐市におかれましては、生涯学習運動を進めて何年ぐらいたってみえるのか。また、現在、どのような活動を進めてみえるのか。なぜ今、生涯学習が大切なのか。

岐阜市議会 1996-03-15 平成8年第1回定例会(第4日目) 本文 開催日:1996-03-15

歴史の糸をひもとくと、おもしろいもので、例えば加納城主として慶長6年、1601年、奥平信昌が10万石の広大な城下町岐阜加納の地に築かれました。徳川家康の長女、亀姫を正室として迎え、徳川家の信頼が厚かったことは容易に推察されます。時移り1717年、第7代目の奥平昌成の代になりますと、九州は現在の大分県中津市に領地がえとなりました。

土岐市議会 1994-09-13 09月13日-02号

抽象的でわかりにくいかもしれませんが、5月の13日の朝日新聞の夕刊でしたか、これ「企業リストラ城下町泣いとら」という見出しで、家電不況法人市民税が大幅に減収し、その結果、職員採用ストップなど人件抑制を進めているとか、それから、16日の日本経済新聞などでも「急げ行政リストラ」と、こう写真つきで東大阪市の職員削減とか残業禁止公立保育所民間委託市有地の売却などが大きく紹介をされていたということなんですけれども

大垣市議会 1993-12-15 平成5年第4回定例会(第3日) 本文 1993-12-15

そして大垣レクリエーション協会が、地域に根づいた伝統芸能である城下大垣和太鼓の研究、普及のために大垣成人学校で、「思いっきり和太鼓」、また「心の和太鼓」の2回の講座を通して、現在36名が毎週青年の家で練習に励んでおります。そしてことし、十万石まつり、川並作業所の10周年記念まつり、スインク93西濃、東地区センターまつりなどの行事に出席し、演奏をさせていただきました。

岐阜市議会 1993-09-21 平成5年第4回定例会(第5日目) 本文 開催日:1993-09-21

そして、あそこに城下町が金華にあった。普通はね、そこへ侍が出勤を、登城したわけですから、何か論功行賞で与える、そういうものがですね、短刀なり、いろいろな信長所有のものが、その部族に渡る、それが先祖伝来伝わって、家にあるというのが岐阜市のどこかにあって不思議ではないんだが、今なおそういう話を聞いたことないということであります。しかし、おったということなんだから、おったでしょう。

大垣市議会 1992-03-09 平成4年第1回定例会(第2日) 本文 1992-03-09

次に、歴史の町としては、本市は十万石の城下町として栄え、多くの遺跡や伝統文化があり、歴史の町であると自信を持って答えることができると思います。本市には、まだまだ歴史的に価値の高いものが多く埋もれており、これらの掘り起こしや整備に力を入れなければならないと思います。そして、全国に誇れる歴史町大垣にしていきたいと思います。  

岐阜市議会 1991-12-11 平成3年第5回定例会(第3日目) 本文 開催日:1991-12-11

が、どうしても浜松とか、その他いろいろ城下町というものがあって、廃藩置県までお城があって、そして藩主がおって、立派な都市計画、あるいは行政をやってきた、その中ではいろいろこうシンボル的なものが出てきたということもありましょうが、本市は商業の町でありましたから、そういうことがどうしても少ないという点は、自然環境のよさというところにまって今日まで来たというふうに思います。