大垣市議会 1998-12-15 平成10年第4回定例会(第3日) 本文 1998-12-15
まず最初に、市の中心部を流れる水門川に沿って、城下町大垣のシンボルである大垣城や、俳聖松尾芭蕉ゆかりの奥の細道むすびの地付近などの大型観光バスの駐車場、並びに土産物店整備の必要性について、これは仰せのとおりで、現在不備でございます。そうしたことは十分認識いたしております。
まず最初に、市の中心部を流れる水門川に沿って、城下町大垣のシンボルである大垣城や、俳聖松尾芭蕉ゆかりの奥の細道むすびの地付近などの大型観光バスの駐車場、並びに土産物店整備の必要性について、これは仰せのとおりで、現在不備でございます。そうしたことは十分認識いたしております。
松江市は風光明媚な豊かな自然と歴史を持つ城下町です。うっそうと樹木の生い茂る城郭と堀を取り込んだ町の再開発事業のコントラスト、観光資源の創出もさることながら、一番印象深かったのはベテラン船頭さんのユーモアを織りまぜた巧みな観光ガイドでした。松江市の歴史に詳しく自信を持って素朴な言葉でおよそ1時間、お客さんを飽きさせない心にぬくもりのある遊覧船観光は大変感心いたしました。
すなわち「加納城の城下町として、また宿場町として繁栄していた同地区においては当時をしのばせる資源をいかしながら、かつての街道、広場、本陣などをまちづくりの核として整備することにより、同地区の歴史的価値を後世に伝える景観形成を図る。」とあり、続いて「当時のシンボルでもあり、現在、国の指定文化財となっている加納城跡を景観にも配慮した歴史性の高い公園として整備する。」とあります。
また金森六代は、城下町経営の健全化に努めるために、商工業の発展に力を尽くしましたし、同時に山林の育成と地下資源の開発を進めて、飛騨の国の経済復興を図るとともに、文化の交流にも努めたのでございます。
東西交通の結節点という立地、水門川を初めとする地域資源、それにかかわる各種イベント、公共公益施設の連携、大規模工場用地の利用転換、ソフト関係として、フリーマーケットやまるごとバザールなど新たな集客装置となりますし、城下町としてのテーマ性などにも恵まれております。それらを機能的に関連させることにより、十分活性化策が実現できるものと考えております。
本市のまちづくりプランにつきまして、とりわけ町の顔でもあります中心市街地活性化の施策の取り組みについてでございますが、本市は古来から城下町を母体として発展し、特に市の中心市街地は単なる商店街という町並みだけでなく、人々の交流の場、地域の歴史、文化の中心として重要な役割を果たしてまいりました。
そこは城下町であったり、宿場町であったり、それぞれ生い立ちは違えども買い物をし、食事をし、また、娯楽を楽しむために人々が集い、常ににぎわいのある場所でした。
昨年より町の中で立っております大垣サティ進出反対の立て看板、たしか私の記憶ですと、最初は城下町の崩壊、商業の崩壊になるからということで、反対の理由で立っていたと思います。それが最近私目にしましたら、そこの上に青少年の育成に悪影響という貼り紙を上にかぶせまして、だから反対という看板に変わっておりました。
この大垣は、かつて城下町として栄え、多くの名所旧跡があります。大垣城を初めとして住吉灯台、奥の細道むすびの地、美濃国分寺、中山道の宿場町として栄えた赤坂宿、そしてお茶屋屋敷など、数え上げたら切りがありません。そこで、中心市街地にあり、大垣の顔とでも言うべき大垣城の周辺を整備してはどうでしょうか。
御案内のとおり、大垣駅地区は、新しい大垣の顔に生まれ変わりましたし、大垣城も城下町大垣のシンボルとして整備されました。駅前通りの架空線の地中化、要するに電線、電柱をなくしたわけであります。
なお、バーチャルリアリティーシステムを導入し、信長居館の再現、城下町のにぎわい、楽市楽座等、すぐれた歴史映像を映し出すフロア等も想定した内容も検討してまいりたいと思っております。展示方法等につきましては、十分工夫をして内容充実に努めてまいりたいと考えております。 次に、改修後の行事についてでございます。
そして、まちづくりでございますが、そういう生涯学習が先行しているまちでございますので、城下町風まちづくりといいまして、本当にお城へ来たような感じで、市民の参加もすばらしいまちづくりがなされているわけでございます。 そういう中で、土岐市におかれましては、生涯学習運動を進めて何年ぐらいたってみえるのか。また、現在、どのような活動を進めてみえるのか。なぜ今、生涯学習が大切なのか。
歴史の糸をひもとくと、おもしろいもので、例えば加納城主として慶長6年、1601年、奥平信昌が10万石の広大な城下町を岐阜は加納の地に築かれました。徳川家康の長女、亀姫を正室として迎え、徳川家の信頼が厚かったことは容易に推察されます。時移り1717年、第7代目の奥平昌成の代になりますと、九州は現在の大分県中津市に領地がえとなりました。
琵琶湖の北東岸に位置する人口6万人弱の静かな城下町で、今このまちの事例が全国の注目を集めております。古い町並みを新しい発想で再開発し、1時間にわずか4人という寂れた通りが、再開発で6年後には年間90万人の観光客が訪れる名所になった例であります。
抽象的でわかりにくいかもしれませんが、5月の13日の朝日新聞の夕刊でしたか、これ「企業リストラ城下町泣いとら」という見出しで、家電不況で法人市民税が大幅に減収し、その結果、職員採用ストップなど人件抑制を進めているとか、それから、16日の日本経済新聞などでも「急げ行政リストラ」と、こう写真つきで東大阪市の職員削減とか残業禁止、公立保育所の民間委託、市有地の売却などが大きく紹介をされていたということなんですけれども
また、石川県金沢市では、城下町特有のくねくねした細い裏道を改造し、昔のように立ち話や遊びができるような空間をつくろうと、2年前に道筋整備課を設置しております。 変わったところでは、岩手県江刺市の大河ドラマ対策室があります。
そして大垣市レクリエーション協会が、地域に根づいた伝統芸能である城下町大垣の和太鼓の研究、普及のために大垣市成人学校で、「思いっきり和太鼓」、また「心の和太鼓」の2回の講座を通して、現在36名が毎週青年の家で練習に励んでおります。そしてことし、十万石まつり、川並作業所の10周年記念まつり、スインク93西濃、東地区センターまつりなどの行事に出席し、演奏をさせていただきました。
そして、あそこに城下町が金華にあった。普通はね、そこへ侍が出勤を、登城したわけですから、何か論功行賞で与える、そういうものがですね、短刀なり、いろいろな信長所有のものが、その部族に渡る、それが先祖伝来伝わって、家にあるというのが岐阜市のどこかにあって不思議ではないんだが、今なおそういう話を聞いたことないということであります。しかし、おったということなんだから、おったでしょう。
次に、歴史の町としては、本市は十万石の城下町として栄え、多くの遺跡や伝統文化があり、歴史の町であると自信を持って答えることができると思います。本市には、まだまだ歴史的に価値の高いものが多く埋もれており、これらの掘り起こしや整備に力を入れなければならないと思います。そして、全国に誇れる歴史の町大垣にしていきたいと思います。
が、どうしても浜松とか、その他いろいろ城下町というものがあって、廃藩置県までお城があって、そして藩主がおって、立派な都市計画、あるいは行政をやってきた、その中ではいろいろこうシンボル的なものが出てきたということもありましょうが、本市は商業の町でありましたから、そういうことがどうしても少ないという点は、自然環境のよさというところにまって今日まで来たというふうに思います。