岐阜市議会 2020-03-07 令和2年第1回(3月)定例会(第7日目) 本文
同 原 菜 穂 子 同 同 服 部 勝 弘 同 同 高 橋 和 江 ─────────────────── 関西電力株式会社幹部による3億2,000万円余の金品受領疑惑の解明を求める意見書 関西電力幹部20人が福井県高浜町(高浜原発立地)元助役
同 原 菜 穂 子 同 同 服 部 勝 弘 同 同 高 橋 和 江 ─────────────────── 関西電力株式会社幹部による3億2,000万円余の金品受領疑惑の解明を求める意見書 関西電力幹部20人が福井県高浜町(高浜原発立地)元助役
の幹部ら20人が福井 │ │県高浜町元助役から3億2,000万円相当の金品を受け取っていたとの報道があった。│ │関電はこの問題を一昨年9月にまとめた内部報告書で把握しながら、税務調査で発覚す │ │るまでの約1年間公表していなかったとの報道もある。 │ │ 関電幹部らの金品受領疑惑は岐阜市と無関係ではない。
菜 穂 子 同 同 服 部 勝 弘 同 同 高 橋 和 江 ─────────────────── 関西電力株式会社幹部による3億2,000万円余の金品受領疑惑の 解明を求める意見書 関西電力幹部20人が福井県高浜町(高浜原発立地)元助役
の幹部ら20人が福井県高 │ │浜町元助役から3億2,000万円相当の金品を受け取っていたとの報道があった。こ │ │の問題は金沢国税局の税務調査で判明したもので、関電は昨年社内調査を行い、金品を │ │受領したとする報告書をまとめたものの、約1年間公表していなかったとの報道もあり、│ │関電の八木会長は問題発覚から約2週間で辞任に追い込まれた。
しかし、これまでの土岐市の歴代市長が、助役さんや副市長さんなどを務めてこられた市職員の出身者の場合が繰り返されてきましたので、市民の目からすると、市長職がまるで市幹部職員の輪番のように映っているのではないかと思っているのです。
岐阜市の例ですと、総合交通政策をつくるとき、当時は助役を中心に都市建設部、基盤整備部、そして福祉部などが参加して市役所の体制をつくり変えました。
当時、建設省から助役さんが見えておりまして、その助役さん、もう名前を忘れましたけど、その当時、1年か2年ですぐ東京へ帰っていかれるので、いつまでたったら今泉の排水機場を直していただけますかという質問をした覚えがございます。
加納町が岐阜市と合併した昭和15年、そのときの最後の加納町の助役が私の曽祖父だったということもあり、個人的にも感慨深い思いにもなったところです。 さて、基本構想が策定されてから3年が経過しています。当初は、平成27年4月以降に実施設計、そして、工事着工というスケジュールの予定でしたが、跡地にはいまだに動きが見られない状況にあります。
過去の例をひもときますと、助役の時代からを含めて、副市長が3期という長期にわたって在任されたという経過はないように記憶しているわけでございますが、今回、水野市長も大変熱い思いで、多分、3期目の任期の同意を我々に求められたと思いますが、いま一度、3期目も勝康弘氏にぜひお願いしたいと思われるところを述べていただきたいと思います。 ○議長(熊澤清和君) 市長 水野光二君。
過去の例をひもときますと、助役の時代からを含めて、副市長が3期という長期にわたって在任されたという経過はないように記憶しているわけでございますが、今回、水野市長も大変熱い思いで、多分、3期目の任期の同意を我々に求められたと思いますが、いま一度、3期目も勝康弘氏にぜひお願いしたいと思われるところを述べていただきたいと思います。 ○議長(熊澤清和君) 市長 水野光二君。
そのころ、中津町も三菱電機の工場誘致の話が進み、昭和17年7月、当時の中津町の花田助役を中心に、県や関係先への陳情を始めました。一方、間 孔太郎町長は名古屋製作所の本間亀吉所長や、姻戚関係にあった間 四郎常務にも熱心に働きかけがなされたそうであります。
私は、昨年7月29日に大邱市寿城区長、寿城区議会議長が岐阜を訪問された折に、議長として同席させていただき、この水崎林太郎さんという人物が旧加納町の助役、町長を歴任の後、大邱市寿城に移住し、現地で水不足に悩む農民たちの姿を見て、現地農民たちとともに20ヘクタールもの巨大な貯水池を完成させた大邱農民の恩人と言われていることを知りました。
平成9年4月からは羽島市助役を2年間務められた後、岐阜県事務吏員に復帰をされ、地域県民部企画管理課長、基盤整備部参事兼企画管理課長、知事公室参事、知事公室総括広報監兼参事、健康福祉環境部環境局長及び飛騨振興局長・知事代理を歴任された後、平成18年、19年には岐阜市助役及び副市長を務められました。
これは歴代の市長様、助役様、副市長様、教育長様等々の執行部の皆様、議長様、副議長様、監査委員様をはじめ議員の皆様、そして先輩、後輩、同輩の皆様のおかげと感謝しております。
平成18年6月の地方自治法の改正によりまして、明治21年以来100年以上続いた助役制度が廃止されました。平成19年4月1日から新たに副市長が誕生いたしました。副市長制度の創設の背景は、地方自治体を取り巻く環境は年々高度化、複雑化、地方分権改革によりまして地方自治体の責任がますます強くなってきております。
8年前に刊行された、元岐阜市助役であった高村義晴氏の著書「物語りまちづくり」という本も読ませていただきましたら、この中にも、岐阜川端康成まち物語というような紙面を割きまして、まちづくりや観光に川端康成を生かしていくことが提案されております。 また、川端康成ゆかりの地記念碑の横には、有名な「おもしろうてやがて悲しき鵜舟かな」との松尾芭蕉の句碑や、北原白秋の歌碑があります。
その当時、岐阜市は助役さんを中心として、都市建設部、それから基盤整備部、それから福祉部などの3部で、広範な人々の地域課題の対応ができるような、そういった体制をつくって、それから専門家を招聘してというふうなことで、その前提には市民参加ということで、それを前提にしてあちこちで市民会議をつくってやってきたわけです。
佐藤副市長にお願いしたいということですが、以前ですね、副市長が助役さんと言われておりましたときに、建設省から多く見えまして、なかなか4年みえないと、まあ2年ぐらいで大概かわられるということが続きました。私が住んでおりました本郷の近くに今泉排水機場というのがございまして、水門にですね、物が挟んで本流の水が逆流するということで、保健所の前に大水が出てきて、床下浸水も出たおうちがございました。
だから、メンテナンスというのは、私が実は昭和技研の当時の‥‥‥さんという女社長さんに頼まれて、私は助役に頼んだ経緯があって、私がつないだあの話がこういうふうな、中身は全然僕は知りませんので、紹介してもらえぬかということなら、紹介した縁がありまして、そうしたら、先般お聞きしておると、このぐらいの、金額一切、僕は関与もしていないのでわかりませんでしたが、このぐらいの話やと。
この方は、町の助役から市の助役を務められて、最後には県議会議員から市長に御就任をされた方でございますが、この時期は、まさにバブルの真っただ中とでも申しましょうか、本当に市にとっても勢いのよい時代でございまして、学校は足りない、諸施設、公民館も全然なかったわけでございますが、小・中15校と公民館14館を一気につくられたという時代でございます。