白河市議会 2008-12-10 12月10日-02号
しかし、出身地である我々白河市の者が記念館まで整備し、遺品等を随時展示しているのに、まだまだその市民の中に知らない方がいる、偉人の業績に関心がない方がいるというのは、恥ずかしいのではないかと思うくらいであります。 今回の選考会に関してもほとんどが大信地域の近くの方々、また、中山義秀文学賞に何らかの形で参加されている方がほとんどであったように私は見受けました。
しかし、出身地である我々白河市の者が記念館まで整備し、遺品等を随時展示しているのに、まだまだその市民の中に知らない方がいる、偉人の業績に関心がない方がいるというのは、恥ずかしいのではないかと思うくらいであります。 今回の選考会に関してもほとんどが大信地域の近くの方々、また、中山義秀文学賞に何らかの形で参加されている方がほとんどであったように私は見受けました。
これは、遺品や記念品を保管、保全するための備品の整備が完了したことなどによるものであります。 次に、254ページをお開き願いたいと思います。 2目体育施設費2億3,240万1,000円でありますが、前年度と比較し2,432万円の減となっております。これは、体育施設に係る大規模な維持補修工事が完了したことなどによるものであります。 右側、説明欄のほうをごらんいただきたいと思います。
そういう点におきまして、現時点では、まず定信公の遺品等がほとんどございます桑名市さんと連携をとりまして、今後の定信公の展示企画展等ができるような体制と同時に、定信公のその考え方をきちっと知らしめるような講演会等のあり方等または市民が中心となって行っていく今後のイベント等について、我々としますと積極的に支援すると同時に、ともに力を合わせて、市民が中心となったイベントとして行政がバックアップし、一緒に力
当市には、国・県・市指定の文化財が多数ありますけれども、今回は時間がありませんので、今速やかに行わなくてはならないと思うこの東京都千代田区永田町の国会議員会館新築工事現場に、二本松藩丹羽家上屋敷跡の遺跡が突然あらわれまして、遺品がたくさん出土し、現在発掘調査が行われております。
その後、徳川時代の水戸光圀の遺品の中にニットの靴下があり、そのうち3足がシルク製、4足が綿製で、現在の技術ではつくられない精巧なもので、そのうち1足は傷みがひどく、何度も洗濯された形跡があることから、黄門様が愛用していた靴下であるといわれております。 この時代には、日本国内で手編みの靴下がつくられており、さまざまな俳句や文献の中にメリヤスという言葉が登場しております。
本案は、さきに寄附のありました故円谷幸吉選手の遺品を須賀川アリーナ小会議室に展示するに当たり、小会議室を貸し出し対象から除外するための改正であります。 審査の結果、本案は原案のとおり可決すべきものと決しました。 以上で、当委員会の審査の経過と結果についての報告を終わります。 ○議長(高橋秀勝) これより質疑に入ります。 質疑ありませんか。
故円谷幸吉選手の遺品展示については、去る6月22日、東京オリンピックにおいて、唯一日章旗を掲げた本市出身のマラソンランナー故円谷幸吉選手の遺品が、市に寄贈されたところであります。
円谷幸吉先生の御遺族から市に遺品の寄贈がございました。これらの遺品につきましては、市民の皆さんや体育関係者が本当に見やすい場所であろうということで、須賀川アリーナの小会議室があるわけでありますが、あの小会議室に展示することにいたしまして、したがって、この小会議室が現在は貸し出し対象の施設となっておりますが、貸し出し対象の施設から外すよう今回この条例改正をしたい、こういうものであります。
東和町の人々が、郷里が生んだ画人、荻生天泉を郷土の偉人として、そんなに尊敬いただいているのではと、平成6年の町文化センターの落成記念に、大額「小楠公」を初め、天泉画伯の大部分の遺品を旧東和町に寄附した方であります。私は、荻生眞通氏の遺志を大切にして、寄贈された作品を、天泉の故郷である東和支所で展示すべきでないかと考えます。
3、建築物内に報徳関係の遺品を陳列し、一般公開すること。4、所有者には永続的に管理者としての住宅を提供すること。 当時の教育委員会といたしましては、寄贈を受けるべきかどうか慎重に審議した結果、以上の4条件を受け入れるためには膨大な財政負担が必要になるため、寄贈を受けることを見合わせた経過がございます。
その戦争展を主催された方のお話の中に、戦後60年たってしまって、年々戦争体験者がご逝去されていると、個人所有の遺品や資料というのが行方不明になる、散逸するということで、年々開催はしているのだけれども、そういったものをきちんと一体的に保存する場所がないということで、不安を語られていらっしゃいました。
◎教育部長(上遠野洋一君) 草野心平が主宰します「歴程」の同人であった長光太氏が所有し遺品となった資料群を、平成14年夏に、遺族が一括して北海道立文学館に寄贈し、同文学館が全資料の目録を作成している過程で発見されたものであります。 ◆4番(木田孝司君) それでは、この企画展が意図するところというのはどの辺にありましたでしょうか。
次に、民間天体観測所の復元についてでありますが、ハネダ・カンポス彗星は昭和53年、今は亡き原町市馬場の羽根田利夫氏によって発見された彗星であり、羽根田氏の功績並びに遺品などについては、野馬追の里原町市立博物館に常設展示物として展示公開しております。
一例を挙げれば、板倉藩ゆかりの遺品、文化財についての市の対応であります。板倉家ゆかりの品々は、今、板倉神社関係の方々によって保存されておりますが、その中には歴史的にも美術的にも価値の高いものが多く残されていると言われております。 かつて、視察のときに名古屋市にある徳川美術館を視察してまいりました。
当市への移築につきましては、鎌倉の一部の市民から難色を示す意見もあったようですが、久米和子さんから、ゆかりの地に移築し遺品を展示してもらうことは、親孝行になると思うとの意思に基づき決定されたと聞いております。 文学資料館には、郡山ゆかりの作家として、宮本百合子、真船豊などの作品を展示し、郡山の文学を市民へ紹介するビデオを上映する予定だそうです。
2年前に亡くなられた内郷高野町の御老人の遺品から、最近1本の染め抜き手ぬぐいが出てきました。たんすの中に保存されていたものですが、それでも数十年の時間を感じさせるものでした。白地のさらし布に紺色の文字で「政治とは、税金を使う順番を定めることである。土の力」と記されておりました。大変わかりやすい言葉で、政治の性質がよく示されていると思います。
本市は、久米正雄氏の文芸活動の拠点となった鎌倉市にある邸宅の寄贈をご遺族からお受けするため、建物、遺品、文学資料等の調査を進めてまいりました。 その中から、遺品等 1,446点と鎌倉文学館に寄託している文学資料を寄贈していただくこととなりました。また、久米正雄氏が収集した貴重な資料である絵画、文学資料等、17点につきましては購入をしてまいりたいと考えております。
次に委員より、振興事業費について故久米正雄氏の遺品を鑑定するための委託料を計上しているが、遺品については遺族からの寄附であり、鑑定の必要はないのではないかとただしたのに対し、当局から現在鎌倉市にある故久米正雄邸と久米正雄にかかわる同氏の遺品については、遺族より寄附をしてもらうものであるが、今回計上の委託料は遺品及び必要な資料について鑑定をするためのものであるとの答弁がありました。
現在、安積開拓にかかわる指導者などにつきましては、開成館において紹介をしておりますが、今後文学者については、久米正雄邸移築とあわせて整備構想のあります(仮称)文学館に、さらには彫刻館につきましては、風土記の丘公園に整備計画をいたしております(仮称)郷土作家顕彰館において、著書、遺品、作品等を収集し、展示する計画であります。
郡山を舞台とした戯曲「阿武隈心中」など多くの名作を発表し、大正文壇で活躍をされた久米正雄氏は、7歳から旧制安積中学校を卒業するまでの多感な少年時代を郡山で過ごされた本市ゆかりの作家でありますが、去る1月20日に、氏のご遺族から、文芸活動の拠点となった神奈川県鎌倉市の邸宅と遺品を本市に寄贈したい旨のお話がありました。