いわき市議会 1985-03-12 03月12日-03号
去る1月21日、茨城県の中学2年の女子生徒が、自宅わきの電柱で首つり自殺をいたしました。うそをついてごめんなさい、もういじめないでという遺書が残されておりました。この子は、ちょっとしたみえからうそを言い、それがわかってクラスの女の子たちからいじめられ、それを苦にして自殺をしたものであります。この事件があった後、各新聞の投書欄に多くのいじめについての投書が掲載をされました。
去る1月21日、茨城県の中学2年の女子生徒が、自宅わきの電柱で首つり自殺をいたしました。うそをついてごめんなさい、もういじめないでという遺書が残されておりました。この子は、ちょっとしたみえからうそを言い、それがわかってクラスの女の子たちからいじめられ、それを苦にして自殺をしたものであります。この事件があった後、各新聞の投書欄に多くのいじめについての投書が掲載をされました。
先般水戸市では、「もういじめないで」の遺書を残して中学2年の女生徒が自殺する事件が起きております。全国の地方法務局と人権擁護委員らがいじめの実態調査、相談などを行っているようでありますが、私はこのような問題は教育や家庭の問題として取り組んで行くべきであると思うのであります。いじめはほとんどの小・中学校にあると言われております。
11月26日の各新聞にぼけ老人になり、深夜に電話をかけたり、外に飛び出すようになった妻を「2人で静かなところへ行こうね」とネクタイで首を絞めて殺し、自分も自殺をはかったが、死にきれずに警察に自首した86歳の老コラムニストに温情の執行猶予の判決があったという報道がなされております。
毎日の新聞にサラ金が原因による家出、自殺、あるいは厳しい取り立て等を中心として報道されない日はないと言っても過言ではないというのが今日の姿であります。
Cランクの道路所有者の中には、道路改良の意思も経済力も全くない人、倒産してしまった人、自殺した人さえいると言われ、Cランクの住民は、入居当時の状況はどうあれ、現在では不平不満の持って行き場さえないという例が少なくないのであります。 これら同情すべき環境についても、さまざまな理由から公費を投入できないことも理解できないわけではありません。
さらに覚せい剤乱用、そして自殺、家出、売春や強制わいせつの被害等目に余るものがあるのであります。そしてこれらは言うまでもなく次代を担う青少年の問題だけに、何とか対策はないものか苦慮するのは当然であります。 当市においても、いわき市青少年問題協議会等で種々検討がなされておるようであります。
本年6月のある日、高校1年の少年が自殺するという事件が平で起こりました。仮にA少年としておきましょう。A少年は平のある中学校を卒業し、好間高校に進学しましたが、同年10月中退、翌年すなわち本年の4月磐城二高に再進学をしたわけでありますが、その6月みずからその短い一生を閉じたわけであります。両親の訴えによりますと、本人は四倉高校か工業系の高校に進みたかった。
さらに、倒産した企業の中には、負債額の多少にかかわらず事業主が自殺した悲惨なケースや、清算、夜逃げなどして姿をくらます経営者もあったようであります。したがって、昨今は以前のような再建型倒産ではなく、消減型倒産とも言われているわけであります。失業者もかなりの数に上ったようであります。
そして、自殺や家庭破壊、また、それに至らなくてもその苦しみを続けております。私どもは、こうした人たちには、契約書や領収書と照らし合わせて、法定利息で計算し、当然払わなければならない金額以上は取られないように相談に応じておりますが、これらの業者の多くは、弱みにつけ込んで、領収書はおろか契約書も発行していないのが現状です。
3.現在、落ちこぼし、非行問題で学校教育の真価が問われているとき、教育の質を弱める事務職員の引き上げは、教育の自殺行為につながりかねません。 以上の理由から、この問題については一時延期され、校長会、教職員組合、PTA連合会などと十分話し合いをなされ、また、県に対しては職員の増員を要求する等の処置をとられ、見通しの立った時点で実施に移されるよう強く要望したいところでございます。
いわゆるサラ金地獄に陥り、蒸発とか一家離散とか、あるいは自殺者を出すなど、これまで大きな社会問題となり、新聞にも悲惨な事件が報道されておりますが、無担保で利用しやすいということから、主婦、サラリーマン、中小零細業者といった経済的に弱い立場の利用者が多くふえ続けております。
世間的にはまだまだ関心が薄いようでありますが、ことしは初めての国際児童年ということでありますし、特に最近は、児童の自殺や登校拒否、あるいは家庭内暴力や非行、特に昨今来インベーダー等による弊害が数多く出ておるようであります。ともあれ、子供たちに関する悲しいニュースが目立っておるわけであります。 ことしが国際児童年となったことは、児童問題を考える上で貴重な一石だと思うのであります。
今日の非行、自殺者の増加は、人間の尊厳を忘れた社会への子供たちの抗議でもありましょう。だからこそいま、育児について、健康について、教育について、そして文化について子供たちのために憂慮し、心を砕き、努力を続ける多くの国民が「国際児童年」を単にスローガンに終わらせることなく、実のあるものにしようと努力しております。
また一方、国際児童年とはうらはらに、最近の青少年の非行化、特に小・中学生の自殺が多いということについてでありますが、最近の資料によりますと、少年の自殺者は52年度 784名、53年度866名と増加しており、特に昭和54年1月では1カ月だけで104人と、一昨年同月の66人、昨年同期の78人より大幅に増加しているのが現実であります。
最近の新聞紙上をにぎわしているのは、銀行強盗、青少年犯罪、青少年の自殺行為などであり、悪口ではありませんが、この3つが新聞報道のビッグスリーだとまで言われております。まったく大変なことであります。
「親子の対立から中学生が自殺」「失業を苦に一家心中」といった、何とも言いようのない悲劇的ニュースが新聞の社会面をにぎわしている昨今、これら事件は世代間の断絶、厳しい社会情勢が主たる原因に違いないわけでありますが、なかには適切な相談相手、福祉機関との接触がなかったのか等と考えさせられるところがあるわけであります。
その他、性犯罪、子供の自殺も目に余る実情であります。 落ちこぼれがもたらした悲劇とも言えるが、さきの日教組の研修会では、教師からの反省の声も出ております。しかし、落ちこぼれの抜本的対策は、いまだに見当たらないようであります。これ以上悲劇が拡大されないうちに、特に小・中学校の教育のあり方など問い直す必要があるのではないか。教育長の、この点に対する御所見と対策等について質問をいたします。
また、小・中学校の生徒についても、数はまれであっても自殺や殺人等、深刻な問題まで起こしているこの年代の子供たちに徹底した善悪の意識の高揚策が必要ではないでしょうか。 先日、いわき南警察署の防犯係員の話を聞きました。
全市民的な運動も私は大切なことであると思いますが、何といたしましても7歳の子供が書き置きをして自殺をするような、生命軽視の風潮というものがどっから生まれてくるのか、私はこれらの問題こそ、追求することが一番大事なことであるまいか。
人格を抹殺、否定するような自殺、非行の増大、言葉の喪失、自閉症児の増加をこのまま黙視できない重大事であります。「手の虫歯」と言われる不器用さ、労働・遊びの喪失が心だけでなく、体まで退化を促進しているようで背筋力の低下、足が弱くて偏平足の子を生み出しています。