福島市議会 2004-09-16 平成16年 9月定例会-09月16日-05号
洞窟はそのままとなっておりましたが、1990年に県立福島東高等学校歴史部が調査し、初めて歴史的位置づけを与えられました。その後、転落死亡事故発生のため、入り口が封鎖され、現在に至っております。 幾つかの市民団体や個人の方々が調査を継続されており、幅広い市民の皆さんからも、貴重な史跡を整備して一般公開をと求める声が寄せられております。 そこでお伺いいたします。
洞窟はそのままとなっておりましたが、1990年に県立福島東高等学校歴史部が調査し、初めて歴史的位置づけを与えられました。その後、転落死亡事故発生のため、入り口が封鎖され、現在に至っております。 幾つかの市民団体や個人の方々が調査を継続されており、幅広い市民の皆さんからも、貴重な史跡を整備して一般公開をと求める声が寄せられております。 そこでお伺いいたします。
二年前の夏、福島東高等学校歴史部の生徒たちが、大内先生の指導のもと、この戦時遺跡の情夫山地下工場の研究報告を行い、大きく報道されました。中島飛工場武蔵製作所の疎開工場として建設された地下工場であります。今春発刊された福島の朝鮮人強制連行真相調査の記録を見ると、強制連行の朝鮮人の方々の苛酷な労働によるものであり、深い反省と悲惨さを決して忘れてはならないと思います。