白河市議会 2021-03-03 03月03日-02号
松平定信公が白河焼きという焼き物を奨励して産業の一つにして広めようという江戸時代末期の動きがありました。それから、途絶えてしまいましたが、今回震災で浪江より白河に被災して来られた大堀相馬焼の山田さん、彼がこちら白河に恩返しがしたいということで、今、焼き物の研究で西郷とか五箇の土を使って再現しようという記事を拝見しました。
松平定信公が白河焼きという焼き物を奨励して産業の一つにして広めようという江戸時代末期の動きがありました。それから、途絶えてしまいましたが、今回震災で浪江より白河に被災して来られた大堀相馬焼の山田さん、彼がこちら白河に恩返しがしたいということで、今、焼き物の研究で西郷とか五箇の土を使って再現しようという記事を拝見しました。
公園全体の活用方と環境整備についてでありますが、南湖公園は、白河市を代表する観光地として、市民の憩いの場として松平定信公の士民共楽の精神が長く引き継がれてきた最古の公園だと私は考えています。 東日本大震災後は観光客は減りましたが、鈴木市長の的を射た施策で、近頃は四季を通じてにぎわいが出てきています。
まず、ただいま御発言にもありましたように、松平定信公を敬愛し、南湖神社建立に尽力した渋沢栄一が主人公となる大河ドラマ「晴天を衝け」が放映されます。さらに、来年4月から9月にかけて、東北6県の自治体とJR6社などが一体になって取り組む大型観光キャンペーン東北DCが開催されます。
次に、南湖公園についてでありますが、松平定信公以来、市民共楽の地として多くの市民や観光客に親しまれてきた南湖公園でありますが、現在、社会環境が大きく変化をしてきております。
御承知のとおり、渋沢栄一は白河藩主松平定信公を東京都の恩人としても、そして敬慕する人として岩波書店からは「楽翁公伝」を発刊しております。さらに、南湖神社創設に当たっての尽力は御承知のとおりであり、また、多額の寄附を寄せてくださっております。
ここは松平定信公の庭園と居所があったとされる場所でもあります。市当局の考えをお伺いしたいと思いますので、御答弁をお願いいたします。 ○菅原修一議長 芳賀教育長。 ◎芳賀祐司教育長 中央公民館と武道館は築45年以上経過し、老朽化が進んでいる状況にあります。両施設とも公共施設等総合管理計画の基本方針に従い、来年度中に策定する個別の計画の中で今後の方向性を検討してまいりたいと考えております。
また、文武を奨励し、飢饉など非常時への備えや民の救済に力を注いだ松平定信公を深く敬慕し、名君を祭る南湖神社の創建にも大きく貢献されました。 私たちは今、世界的な経済優先の考え方や、相次ぐ自然災害の猛威、急速な人口減少など、先の見えない霧の海をさまよい、もがきながら進んでいる状況にあります。
本市においても、忠実に再現された三重櫓を要する小峰城や、松平定信公ゆかりの南湖公園、静寂な木立にたたずむ白河の関などの歴史的資源に加え、ゆったりとした時間が流れる田園風景や城下町の風情ある町並みなど、ロケ地になり得る素材を有しております。
◎芳賀祐司教育長 歴史文化再発見事業は、小・中学校全学年を対象に松平定信公の歴史はもちろん、地域の方の話を聞いたり、史跡めぐりをしたりして、郷土を理解し、愛着が持てるよう実施しております。 6年生では、小峰城や稲荷山、中山義秀記念文学館などを見学し、学習内容を壁新聞にまとめて市立図書館に掲示し、学習の成果を発信しております。
さらに、来年4月には集古苑にバーチャルリアリティーの技術を活用し、おおむね1800年ごろ、松平定信公の時代の小峰城の姿を臨場感あふれる映像で見ることができるシアターや、大震災による石垣崩落と修復の解説展示、観光情報ゾーンなどを備えたガイダンス施設が完成をいたします。
白河藩主松平定信公は、厳しい身分制度があったにもかかわらず、士農工商全ての人に年間を通して開放し、武士も庶民もともに楽しむという士民共楽の地として、日本最古となる南湖公園を築造していますが、この松平定信公の士民共楽の理念に基づき、誰でもが気軽に集い、良質な芸術文化に触れることができる施設を目指しています。
それから、翠楽苑、さらに、南湖神社をはじめとした歴史的な遺産、さらには、特に松平定信公が好んだお茶、いわゆるその茶室である共楽亭や松楽亭や、4つほどあるんですけれども、そういったお茶の文化などがあると思うんです。白河は昔から文化の薫り高い白河と言われています。それを代表できるのは、私は南湖だというふうに考えているわけであります。
南湖は1801年、白河藩主松平定信公によって士民共楽、武士と庶民がともに楽しむのを理念として築造されました。灌漑用水、失業対策、士民共楽、舟術、水術の鍛錬と5つの目的を持ってつくられたと言われておりまして、その中に舟術があります。また、士民共楽の考えも尊重し、南湖に屋形船の二、三艘も浮かべ、活性化の実現に向けた取り組みを望んでおりまして、今回提案させていただきました。
また、本施設の建設予定地は、松平定信公の時代、白河藩が子供や町人の学びやとして開設した敷教第二舎、通称郷学所があったところであります。問屋業を営んでいた等躬に始まる本市の俳句文化と、その後に開設された町人の学問所である郷学所の存在は、正に本市における町人文化の礎とも言うべきものであります。
今後も、松平定信公の理念や南湖築造の意図を引き継ぎ、人々が親しみ、温かみを感じ、市民の誇りとなる南湖公園の実現のため、引き続き保存、管理を進めてまいります。 ○高橋光雄議長 須藤博之議員。 ◆須藤博之議員 ②の翠楽苑の説明案内についてでありますが、翠楽苑に市内外の人を案内すると、皆さん、すばらしい庭園ですねとおっしゃいます。
御承知のように、南湖公園は松平定信公が周辺の自然な地形を利用して、それぞれ自然公園として、また、士民共楽の場として1801年に造成されました。今は市民の憩いの場として多くの市民の皆さんから親しまれています。
棚倉町においても、例えば隣の白河市で松平定信公を誘致する活動もあるというふうに聞いていまして、非常に厳しい状況なんですが、そういった、いざ始まったらやっぱり署名活動とかも行うようだと思うんですけれども、近隣自治体のほうにもお願いして、町としては、この辺に関してはどのようにお考えでしょうか。 ○議長(松本英一) 地域創生課長。 ◎地域創生課長(小林弘) お答えしたいと思います。
現在の社殿は、江戸時代の白河藩主松平定信公が修復したもので、鎌倉時代には、その前の鎌倉時代には源頼朝公が社殿造営を行ったことも伝えられているわけであります。 このように日本の歴史の中で、その時代を代表する方々が社殿の造営や修復に関わってきたのが烏峠稲荷神社であります。
その寄贈された本の中で、⑨の「松平定信公物語」を今後どのように活用していくのかということでありますが、お手元の資料に定信公の本がいっぱいある写真を配付しました。実際、これが白河市の教育委員会が発行した定信公物語であります。今、教育長が持っているやつです。これがどの学校に行っても、ものすごくあります。本棚にたくさん、ある学校によっては100冊近い本が一列に並んでおります。