南相馬市議会 2001-09-14 09月14日-01号
上古の昔から海女が歌に詠まれ、表に熊野灘がひらけ背後に英虞湾をかかえたこの地は、縄文、弥生時代に既に集落を作っていたことが各地域から発掘される貝塚、石器、土器等で立証されています。三重県の東南部、志摩半島の最南端にあり、通称前島半島と呼ばれ、東西約11キロメートル、南北約2キロメートルと細長い地形の町であります。
上古の昔から海女が歌に詠まれ、表に熊野灘がひらけ背後に英虞湾をかかえたこの地は、縄文、弥生時代に既に集落を作っていたことが各地域から発掘される貝塚、石器、土器等で立証されています。三重県の東南部、志摩半島の最南端にあり、通称前島半島と呼ばれ、東西約11キロメートル、南北約2キロメートルと細長い地形の町であります。
古墳時代は弥生時代と違い、集落間の争いが激しくなったため、区画を目的としていたのではないか」と推測しております。 このようにいろいろな見解がありますので、今後一般公開の説明会等において学問的に説明されるものと思いますが、学問的な検討、整理には相当の日数がかかるのではないかと考えております。したがって、現時点においては保存ではなく、学問的に整理されるべきものではないかと思っております。
古墳時代は弥生時代と違い、集落間の争いが激しくなったため、区画を目的にしていたのでは」と推測しております。以上が報道内容であります。 今回注目を集めているのは、集落を囲む大堀、大堀は昭代橋と安達橋の間の高木遺跡で見つかりました。現地の南北両方から各1本が発見、それぞれ平行して東西に延びているものであります。
本施設におきましては、国指定史跡となっております古墳時代の中田横穴やこれまでに発掘調査を行いました旧石器時代、縄文時代、弥生時代等の主な遺跡からの出土遺物を初めとする歴史資料や文化財の保存、展示を行うなど、古代のいわきを今に伝えようとするものであります。
日本の稲作は今から約2000年前の弥生時代に九州北部で始まったと考えられておりますし、弥生時代末期には現在の青森県にまで達していたとさえされております。その後、幾多の変遷を経て、新田の開拓や稲作技術の進歩により1800年当初で反収150キログラムぐらいだったといわれておるのが、現在は全国平均で反収450キロまでに至っております。
本年7月から11月まで平薄磯の薄磯貝塚で縄文時代の岩版、鹿、犬、人骨など、このほか小規模の発掘調査を合わせますと38件を数え、さらに、現在調査中のものは平下荒川の竜門寺遺跡調査でありまして、縄文、弥生時代の土器類が出土しておるわけでございます。
しかしながら、当該予定地は、縄文、弥生時代の遺物が埋蔵されていると見られる諸荷遺跡であるところから、これを予備調査した結果、本調査が完了までに半年以上の期間と、推定額9,000万円以上の調査費が必要であるとのことであります。これに用地買収費、造成費の約1億2,000 万円等を加えますと2億円を超える事業費となり、その対応はまず不可能でございます。
その第1点は都市建設で失われがちな石器、縄文、弥生時代の埋蔵文化財の保全対策はどのようにしているのか。 次の2点はいわき市には風光明美な自然の美が随所にある。これらの点と線を結ぶ観光ルートをどう進めるつもりであるのか。 次の第3点はスポーツの生活化、スポーツの体力づくりのため、公的運動場は都市農村の差別なく身近なところにつくるべきであると思うが、市長の考え方をお尋ねいたしたい。