会津若松市議会 2024-02-27 02月27日-一般質問-03号
包蔵地のいわゆる発掘調査等につきましては、まずいろんなものがありまして、小さいものから大きいもの、様々なものがあるのですけれども、まず代表的なものとしていわゆる学術調査が必要なものと言われるものであれば、最大のものは第一義的には一箕古墳群と言われる会津大塚山古墳、堂ケ作山古墳、飯盛山古墳、神指城その他様々あるのですけれども、その具体的な調査順位というのはまだ決めておりません。
包蔵地のいわゆる発掘調査等につきましては、まずいろんなものがありまして、小さいものから大きいもの、様々なものがあるのですけれども、まず代表的なものとしていわゆる学術調査が必要なものと言われるものであれば、最大のものは第一義的には一箕古墳群と言われる会津大塚山古墳、堂ケ作山古墳、飯盛山古墳、神指城その他様々あるのですけれども、その具体的な調査順位というのはまだ決めておりません。
◎教育部長(佐藤哲也) 今回471点公開したわけでございますけれども、この公開した基準につきましては、これまで学術調査、様々な調査があった中で、問合せ等多い順から公開しようということでございまして、特にこれまでの調査要望や調査、来館されて調べるものが多い順から公開していこうという判断で公開したものであります。 以上でございます。 ○議長(清川雅史) 吉田恵三議員。
三ノ丸御殿の平場については、平成16年度に上段を、平成17年度に下段を、また、今年10月より上段の再調査を含めた学術調査としての発掘調査を行っております。大手門については、平成30年度に開発に伴う試掘調査と資料収集のための学術調査としての発掘調査を実施してまいりました。
また、二本松城跡発掘調査で、三ノ丸広場の上段の学術調査において、松田家指図との整合を確認するということだが、松田家指図が歴史的価値のあるものだということが確認できれば、三ノ丸御殿の復元等に向けて大きな前進になるのかとの質疑に対し、三ノ丸御殿については二本松城跡整備基本計画において、建造物の復元についても言及し、復元の方法について具体的にはこれからの問題であるが、少なくてもこのような建物があったということが
計画書の第1章、目的では、学術的に価値の高い天然記念物赤井谷地が原野の開墾など人為的な影響により湿原本来の環境条件を喪失させられ、乾燥化傾向を示してきたことに対し、市教育委員会が平成4年から4年間、また県教育委員会が平成6年から3年間にわたり行った総合的な学術調査の報告書による提言を基礎にして計画書が作成されたことが記されています。
この学力調査が行われた最後の年、1964年にはこの二つの県に教育学者で編成された文部省学力テスト学術調査団が派遣をされて実地調査が行われて報告が出されております。そこではテストのための準備教育が行われて、入学試験の準備と絡んで、テスト教育体制になっていて、人間として大切な資質の形成がないがしろにされている。
聞き及ぶところによれば、これまで行われてきた歴史文化的学術調査にとどまらず、建築工学上の視点を踏まえた精度の高い調査とのことでありましたので、報告書の完成を非常に楽しみにいたしておりましたが、調査から1カ月半が経過しようとする現時点においてもまとまった報告書が仕上がらないようでありまして、残念にほかなりません。御三階詳細調査業務委託はどのような経過にあるのでしょうか。4点お聞きします。
再び大きな地震が起きれば、他の団地も地盤被害に見舞われる可能性はないか、大がかりな学術調査と抜本的な救済策が待たれます。市としてのご見解を伺いたいと思います。かつてのニュータウンを人が立ち入れない荒れ地にはしたくありません。 以上、質問を終わります。 ◎市長(瀬戸孝則) 議長、市長。 ○議長(粕谷悦功) 市長。
貴重な遺跡なら学術調査ということもあるんでしょうが、通常試掘が何本必要で、面積的に、その結果どうなるのか、概算経費等を積算するなどして開発にかかわる検討資料等を作成して、地元にそういうものを提供できないものかどうかを伺っておきたいと思います。 ○議長(矢島義謙君) 教育部長。
博物館につきましては、現在おただしありましたように、資料収集、あるいは学術調査研究ということで指定管理者に変わるということで継続性が失われては、ちょっと目的にそぐわないのかなと考えておりますので、そういう点からしますと指定管理者制度にはなじまない制度であると考えているところでございます。 ○議長(小林チイさん) 18番、寺内安規君。
御三階の復元につきましては、天守閣再建50周年記念事業として位置づけをしながら、今年度は発掘調査を行うなど、現在復元に向けた調査を行っているところであり、今後とも必要な資料の収集や学術調査を進めるとともに、国をはじめとする関係機関との連携を図りながら、目標年度までの実現に向けて取り組みを強化してまいりたいと考えております。
御三階は、これまで所有者である阿弥陀寺の考えもあり、本格的な建築面での学術調査はされてきませんでした。それだけに、今回の報告書は価値あるものと言えます。調査の結果、開口部が多く、眺望を意識した建物で、現在壁になっている場所も窓であったこと、また玄関も現在の唐波風の門のところではなく、現本堂とつながっている90度向かって右側の場所が入り口と推定されます。
◎市民生活部長(荒川喜一君) 今回の条例改正の基本となります住民基本台帳法の一部を改正する法律が施行されていないことや、運用基準が定まっていないことから、同法に定める公益性の基準につきましては、まだ確定したものではありませんが、現段階で国から示されたものによりますと、テレビ局、新聞社等が実施する世論調査、大学や研究機関が行う学術調査などが例として挙げられております。
行政機関による閲覧は、世論調査、学術調査への利用等を目的として行われており、大部分は行政機関が社団法人等に委託して閲覧を実施しているのが現状でございます。 閲覧方法については、予約、閲覧目的を明らかにする書類の提出など、商業目的の大量閲覧と同様の方法により取り扱っております。 ◆6番(丹治智幸) 議長、6番。 ○副議長(高橋英夫) 6番。
この報告書につきましては、学術調査報告ということで、国県、それから関係市町村の文化財担当のほうにお送りをして、その遺跡の重要性を知ってもらうことと、これからの研究に役立てていただくために作成をしているところであります。 今回、浦尻貝塚の報告書につきましては、平成16年度、本年度まず国指定の史跡申請に向けた概略的な報告書作成を平成16年度いたします。
また、戦後間もなく、福島県学生考古学会の調査がなされているほか、1970年、昭和45年今から33年前の福島大学考古学会研究会の学術調査では縦穴住居跡が検出されました。 このように浦尻貝塚は古くから注目をされていた遺跡であり、これらの成果を受け1971年、昭和46年に台ノ前、西向両貝塚が町指定史跡に指定されました。
次、遺跡発掘の学術調査が閲覧できるようになるのか。例えば、流廃寺跡から発見された金銀象嵌鉄剣などを閲覧できるようになるのか。次、その他閲覧可能な資料、ホームページでできるようになるのはいつごろになるのか、答弁を求めたいと思います。 次に、アクセス状況と今後の考え方についてでありますが、アクセス状況はどのようになっているのか。次、利便性の提供、住民のサービスの高度化ができるようになるのか。
竹ノ森遺跡につきましては平成2年に発見され、平成4年及び5年に2回にわたり郡山女子大学短期大学部の学術調査として発掘調査が実施されておりますが、これらを受け、文化財保護法に基づき本市教育委員会から県教育委員会へ遺跡発見通知をしたことにより、文化財保護法に定める埋蔵文化財包蔵地として県教育委員会が決定をし、これを受けて本市教育委員会が台帳への登載及び周知したものであります。
民間から埋蔵文化財保護地域の開発計画があった場合は、学術調査後に成果物の提出と結果報告を受けておるそうで、1年を通して発掘調査があり、民間建設に伴う発掘も多く、しっかりした鉄骨づくりの建設のときはどうしても文化財の発掘をせざるを得ないので、公共事業優先でやっているとのことでありました。 また、野洲町では5億円をかけて銅鐸博物館を建設、昭和63年にオープンしております。
平成14年度から平成15年度にかけましては、未調査の部分の学術調査を行うとともに、国史跡指定部分周辺の土地の公有化と実施設計を行い、順調にいけば平成16年度に整備を終了したいと考えておりますので、地元の皆様のご理解とご協力をお願いいたします。