小郡市議会 2021-06-23 06月23日-05号
養護老人ホームの入所者数が少しずつ減少しているのは、昭和38年に老人福祉法が施行されまして養護老人ホームができた頃とは、社会情勢が変化しているのが大きな要因だというふうに考えております。
養護老人ホームの入所者数が少しずつ減少しているのは、昭和38年に老人福祉法が施行されまして養護老人ホームができた頃とは、社会情勢が変化しているのが大きな要因だというふうに考えております。
◆5番(高木良郎議員) これどうするかっていう話だったんですけど、実は昭和47年に市制施行したときに、筑紫野、春日、大野城、小郡と、ここが市制施行すると同時に都市計画税を入れて収入を増やすべきだという話が当時あって、県のほうから指導もありました。
◎児玉敦史子ども・健康部長 最初にご説明いたしました接種順位をまた重複ではございますが、最初に医療従事者、次に65歳以上の高齢者、その後基礎疾患を有する者、高齢者施設などの従事者、その後にその他の者というふうになっておりまして、65歳以上の定義についてでございますが、令和3年度中に65歳に達する、昭和32年4月1日以前のお生まれの方となります。 ○入江和隆議長 百瀬光子議員。
議案第52号久留米広域市町村圏事務組合において共同処理する事務の変更及び久留米広域市町村圏事務組合規約の変更に関する協議については、久留米広域市町村圏事務組合は昭和45年10月に4市2町、久留米市、大川市、うきは市、小郡市、大木町、大刀洗町の一部事務組合として設立し、圏域の一体的な発展に資する広域的かつ総合的な取組を推進しています。
◎熊丸直樹環境経済部長 種子法は、主要農産物種子法の略称で、昭和27年に施行されました。法の趣旨は、主要農産物である米、麦、大豆の優良な品種と優良な種子の生産と普及を促進し、生産性の向上や品質の改善を図ることです。法を推進させるのは国の役割と定め、国が責任を持って予算化し、都道府県が優良な種子を生産することや、安価な種子を安定的に供給することを義務づけました。
ここにおられる皆さんは、1945年、昭和20年8月6日に広島で、8月9日に長崎で起きたことを既によくご存じのことと存じます。私は、これまで何度も8月9日に行われる長崎の原爆記念式に参加してまいりました。その折、平和公園と爆心地のすぐ近くにある山里小学校の記念式に2回、城山小学校に1回参加したことがあります。山里小は、原子爆弾で児童約1,300人と職員28人が犠牲になりました。
◎宮田浩之都市建設部長 側溝の整備状況でございますが、おおむね小郡の場合は昭和40年代から開発されたみくに野団地等につきまして、無蓋の側溝から蓋ありの側溝へ整備を行っております。整備状況でございますが、みくに野団地では総延長1万6,490メートルのうち9,054メートルが改修済みで、改修率としましては55%でございます。
本市の下水道事業は、北部地域で昭和63年度から宝満川浄化センターの供用を開始しております。また、中央部、南部、東部地域では、平成20年度から福童浄化センターの本格稼働を開始しております。平成29年度からは地方公営企業法の財務規定適用を行い、企業会計方式での経理を行っております。
小郡市の下水道事業は、宝満川流域下水道の関連公共下水道事業を昭和60年度に着手し、昭和63年6月に供用開始、次に筑後川中流右岸流域下水道の関連公共下水道事業を平成6年度に着手し、平成15年度末に供用開始され、当初計画では平成27年度完了の予定でしたが、しかしその後の財政上の理由により完了予定を10年延期し、平成37年度完了とされました。
小郡市の図書館は、もともと昭和45年4月に小郡町中央公民館、現在の市役所北別館内に初めて公民館図書室が設けられました。現在の体育館が新設された昭和49年4月に図書室を体育館内に移設、その後昭和62年、現在地に文化会館と同時に図書館として開館いたしました。
昭和38年度から昭和41年度までの4年間、小郡町は赤字再建団体だったのです。私が小郡市役所に入所した昭和49年にはほぼ回復しておりましたが、先輩職員から赤字再建団体時の厳しい行政運営を聞いたことがあります。その時代を経験した先輩職員から、現在の財政状況をとても憂慮している。赤字再建団体にならないようしっかり頼むぞと、手紙や電話で激励いただいております。
基山町の火葬場は、昭和53年7月に操業開始し、今年で40年を超え、施設の老朽化が進んでいることから施設の建て替えを検討する一方、近隣自治体との火葬事務の共同処理を模索してきていました。このような中で、今年7月8日付で基山町長から私宛てに火葬事務の委託による共同処理について協議を進めてほしい旨の申し入れがありました。
もちろん過去には昭和28年、昭和38年の大水害があり、宝満川の堤防が決壊をし、とうとい人命が失われたと、そういうこともございました。先人たちは、長年にわたって堤防のかさ上げや河川や水路のしゅんせつ、かんがい用のため池の整備、被害を最小限に抑えるために、地域によっては遊水地帯を設けてまいりました。
津山市は、昭和50年中国自動車道が開通し利便性が上がり、工業団地を造成し企業誘致が進んだところでございます。平成7年に津山地域産業育成ビジョンを策定し、工業誘致主導の工業振興施策から内発型産業振興へかじを切りかえ、平成8年4月につやま新産業創出機構を設立してあります。
その中でもう1点、これも指摘をされたんですが、この都市計画区域に指定されたのが昭和47年ですかね、昭和46年ですかね、そのときに用途地域まで指定されてるということなんですけども、その当時から例えばそこに自動車整備工場とかあれば、いわゆるその指定される前からある、どちらかというとその地域では今後建てることができないよという不適格な建物があった場合でも、それは前からありますからそのままなんですけども、それを
市民まつりは、市民相互の融和と郷土愛育成を目的に、市、商工会、農協の3者を中心に市内各団体による実行委員会により昭和53年に始まりました。その後、市と商工会が事務局を担ってきましたが、20年ほど前に市と商工会との協議で事務局が商工会に一本化され、以降、商工会を中心に祭りが継続されてきました。
小郡市には、都市計画道路として計画を決定をした28路線の道路があり、まちづくりに必要な道路として都市の骨格を形成する重要な都市施設、また目指す将来都市像を実現するため、広域的かつ長期的な視野で、昭和44年5月20日に当初12路線の都市計画決定がされました。
本市の小郡市の下水道事業は、北部地域では昭和63年度から宝満川浄化センターの供用を開始しております。また、中央部、南部、東部地域では、平成20年度から福童浄化センターの本格稼働を開始しております。平成29年度からは地方公営企業法の財務規定適用を行い、企業会計方式での経理を行っております。
まず、現在のあすてらす南側の場所が昭和建設からの借地ということになっておりますので、本年6月ごろには移転が必要であるという状況になっております。その中で、宝満の市といたしましては、移転先の検討を行うということとともに、先ほど市長答弁にありました4月28日に15年感謝祭をもって、現在、一時休業をされているという状況でございます。
去年の7月豪雨におきまして、小郡市では昭和28年の大水害の総雨量を上回る降雨量となり、宝満川の端間水位観測所では観測史上最高水位となる5.47メートルを記録しました。このような状況の中、小郡市においては幸いにして人的被害はなかったものの、家屋の浸水害など大雨による被害が発生いたしました。