宗像市議会 2009-03-27 宗像市:平成21年第1回定例会(第7日) 本文 開催日:2009年03月27日
この遺跡の重要性は、弥生時代中期前半の日本最多の青銅武器や、27棟もの古墳時代の倉庫跡ばかりではない。宗像大社の神を祭り、沖ノ島の祭祀を支えた宗像一族が、弥生時代からこの地で連綿と栄えてきたことがわかってきた。このような古代の人々の暮らしや宗像の原風景をほうふつさせる田熊石畑遺跡の保存と、市民や来訪者にその意義がわかるように整備することを求めるものであります。 審査内容。
この遺跡の重要性は、弥生時代中期前半の日本最多の青銅武器や、27棟もの古墳時代の倉庫跡ばかりではない。宗像大社の神を祭り、沖ノ島の祭祀を支えた宗像一族が、弥生時代からこの地で連綿と栄えてきたことがわかってきた。このような古代の人々の暮らしや宗像の原風景をほうふつさせる田熊石畑遺跡の保存と、市民や来訪者にその意義がわかるように整備することを求めるものであります。 審査内容。
この遺跡の重要性は、弥生時代中期前半の日本最多の青銅武器や、27棟もの古墳時代の倉庫跡ばかりではありません。宗像大社の神を祭り、沖ノ島の祭祀を支えた宗像一族が、弥生時代からこの地で連綿と栄えてきたことがわかったのです。古代には釣川流域に海が深く入り込んでいて、この遺跡も入り海に面していました。倉庫群は、沖ノ島を経由して朝鮮半島・大陸に至る海の道・交易ルートの出発地であったと考えられます。
古墳時代の後期から平安時代前期の窯跡が、これまでに300基ほど発掘されています。この規模は九州最大で、全国でも大阪陶邑窯跡群、愛知県猿投山西南麓窯跡群に続く規模と考えられているそうでございます。 私は、この記事を読みまして、改めて1350年の歴史を持った大野城市を再確認しているところでございます。 私ごとですが、ここ大野城市に移り住んでから33年になります。
例えば古墳時代、須恵のあたりには約100基もの須恵窯があったそうですが、今は全く見ることができません。田熊石畑遺跡から出たような青銅武器は過去にも発掘されていましたが、このような遺物はみんな池田にある収蔵庫に死蔵されています。
歴史をひもとくとかなり古くはなりますが、古墳時代までさかのぼって検証すれば、東は芦屋から福津、古賀、新宮を含め、西は香椎付近まで、そこに存在する古墳、遺跡はその多くが海岸付近に存在していました。特に、福津市の勝浦地区から須多田、生家地区、宗像市の田島地区にその多くが遍在しています。
約2万2,000年前の旧石器時代から縄文、弥生、古墳時代、奈良、平安時代とそれぞれの時代からその当時の様子を伝える遺跡や文化財が見つかっています。 旧石器時代の遺跡としては、平等寺長浦遺跡、池浦トボシ遺跡から石器が発見されており、宗像の地で人々の暮らしが始まったのは、少なくとも2万年前以上だったということがわかります。
調査区域内からは古墳3基、住居跡が120件、墳墓は8が出土し、弥生時代前期から古墳時代後期までの約1,000年の生活の跡が確認された。
福津市といたしましても、津屋崎古墳群の歴史的背景には、古墳時代の航海安全を祈る国家祭祀が行われた沖ノ島の存在は、切っても切り離せない存在でございます。この沖ノ島を中心とした玄界灘沿岸の歴史遺産を世界遺産へ登録しようとする活動は、津屋崎古墳群の整備を進める上でもその重要性を多くの市民が知り、守り、後世に残していこうという気運が高まるものというふうに考えております。
福津市といたしましても、津屋崎古墳群の歴史的背景には、古墳時代の航海安全を祈る国家祭祀が行われた沖ノ島の存在は、切っても切り離せない存在でございます。この沖ノ島を中心とした玄界灘沿岸の歴史遺産を世界遺産へ登録しようとする活動は、津屋崎古墳群の整備を進める上でもその重要性を多くの市民が知り、守り、後世に残していこうという気運が高まるものというふうに考えております。
また、本市の歴史や文化につきましては、日本最古の山城であります大野城があり、牛頸窯跡群に見られますように古墳時代から奈良時代の陶器文化が栄えた地でもあり、旧太宰府政庁と深い関連を持つ歴史と文化の地であることはご承知のとおりであり、この歴史、文化を明らかにし、大切に保存していくことが必要であろう思います。
最近では、上大利の区画整理地内より発掘されました三兼池周辺の梅頭遺跡等の窯跡より多量の須恵器のほかに古墳時代後期の鉄刀、鉄属や耳環等が出土し、窯跡の墓への転用等の可能性が予想されたり、須恵器干人の作業場跡らしきものが発掘されたりと、新聞紙上でもにぎやかに取りざたされたところであります。報告会には、地域の人や考古学ファンが集まり、熱心に聞き入ったということも聞いております。
そして、昨年9月、地方豪族の墳墓である稲童古墳から発掘された、古墳時代の銅製の兜や鎧ほか約1000点が、山中館長の熱意とご尽力により、37年ぶりに栃木県から帰ってきて行橋市に寄贈されました。 これらの出土品は、古代の文化を伝えるものばかりで、殆どが重要文化財クラスと聞いております。今回、里帰りをした貴重な文化財は、鉄製のものが多く、腐食する危険性があります。
例えば、小西田地区で発掘された弥生期の集落跡や古墳時代の前半期の臼山古墳、長野城跡などは、学術上も貴重な文化財と思われます。この広域公園の整備計画に際しては、これらの地域特性を生かした方向づけが必要と思われます。 そこで、お尋ねしますが、この公園の整備計画の基本方針及び公園の規模、建設スケジュール、完成時のイメージについて、まずお聞かせください。
さらに古墳時代、1500年前のお墓、その間約500年間にわたりまして、住居及び墳墓として使用したものでございまして、今回この調査によりまして、四十数基のものを公園として整備したいという形に考えております。