糸島市議会 2011-09-16 平成23年 決算審査特別委員会(第2日) 本文 2011-09-16
620 ◯14番(吉丸克彦君) 糸島半島部の中世、近世の歴史資料、糸島半島より出土した考古資料、中国や朝鮮半島など海を通した交易、日本各地との交流などの歴史等を紹介したわかりやすい常設展示に加え、地元の歴史、民俗、世界の博物などの特別企画展などを、その他、県の移動美術館、音楽会と、新しい取り組みが入場者をふやしたことにつながると思います。
620 ◯14番(吉丸克彦君) 糸島半島部の中世、近世の歴史資料、糸島半島より出土した考古資料、中国や朝鮮半島など海を通した交易、日本各地との交流などの歴史等を紹介したわかりやすい常設展示に加え、地元の歴史、民俗、世界の博物などの特別企画展などを、その他、県の移動美術館、音楽会と、新しい取り組みが入場者をふやしたことにつながると思います。
つまり、過去2回の古賀市、殊に古文書が残る中世以降の歴史の真実をつまびらかに整理、活用する事業は、まだまだ道半ば以前といえます。ぜひとも資料収集について御努力をお願いしたいと思うわけでございますが、そこで今、教育委員会にお尋ねしたいわけでございます。
この田熊石畑遺跡は、弥生・古墳時代から中世・近世に至る遺跡の跡があると聞いています。その特徴を十分に生かし、一時代を切り取ったようなものではなく、歴史の流れが実感できるような整備の仕方を検討していただきたいと思います。 また、課題として議員年金に対する公費負担の問題があります。
また、中世末期、別所氏が三木城を築城したころから三木の金物産業は次第に発展してきた。今では市の基幹産業として建築工法、材料の変化や建築工具の機械化で伝統的なものでなく、電動工具機械刃物を始め、新たな製品が開発・生産され、時代のニーズに合った商品づくりを続け、産業の顔としての地位を保っている。
また、中世末期、別所氏が三木城を築城したころから三木の金物産業は次第に発展してきた。今では市の基幹産業として建築工法、材料の変化や建築工具の機械化で伝統的なものでなく、電動工具機械刃物を始め、新たな製品が開発・生産され、時代のニーズに合った商品づくりを続け、産業の顔としての地位を保っている。
鴻臚館についても、旅人のロマンをかき立てるには十分な中世からの歴史があるわけですから、そこはもう一工夫していくというような、そういった点が大事だろうと思いますので、ストーリー性を持って語っていくということも都市の観光戦略の中に加えて頑張っていきたいと思います。
文字による記録以前、有史以前の人類についての研究が注目されるが、文字による記録のある時期、有史以後についても文献、史学を補完するものとして、また、物を通して過去の人々の生活の営み、文化、価値観、さらには歴史的事実を解明するために文献以外の手段として非常に重要であり、中世の城棺跡、廃寺など、近世の武家屋敷などの遺跡も考古学の研究分野であるという説明がございました。
最後部の古城山には、中世のこの地の豪族、門司氏居城の門司城址があります。春の桜は絶景で多くの花見客でにぎわいます。花見広場のもとには大変珍しい塩水プールがあり、夏は多くの子供たちでにぎわいます。新年度において、いよいよ門司港レトロ観光列車の開業に向けた整備が本格化しますが、この塩水プール付近に門司港駅を出発した列車の終着駅ができる予定であることが先日の本会議で示されました。
歴史的にも、中世のころには戦国武将里見氏がこの地を治めており、「南総里見八犬伝」の舞台になったことでも有名である。 反面、人口は年々減少傾向にあり、高齢化率も29%を超えており、まちおこしの振興策が模索されていた経緯がある。
歴史的にも、中世のころには戦国武将里見氏がこの地を治めており、「南総里見八犬伝」の舞台になったことでも有名である。 反面、人口は年々減少傾向にあり、高齢化率も29%を超えており、まちおこしの振興策が模索されていた経緯がある。
通史編の上巻は、第1編の自然、第2編の原始、古代、第3編の中世、第4編の近世。それから通史編の下巻ですが、第5編の近代、明治から昭和前期に当たります。それから第6編の現代、戦後から現在までの行財政、農商工、教育文化等が記載されております。
10: ◯秘書広報課長(藤野吉隆) ページ数については、上巻といいますのが原始、古代、中世、近世の部分でございますが、これのページ数が大体1,050ページ程度、それから下巻、こちらについては近・現代ということで、こちらについてが1,500ページ程度、それから資料編につきましては1,300ページ程度、合計で大体3,800ページ程度のものができ上がる予定でございます。
2番目に、田川市郡は中世、後世から、先ほど市長が言うように穀倉地帯としての農業振興、これはもう深く入りませんが、次回で質問いたしますが、基幹産業としての発展させることも忘れてはならないと思うんですね。やっぱり合併を推し進めながら、やっぱり農業振興も図っていくと。 それとさっき言うように夢のあるまちづくりは、北九州圏内にやっぱり軸足を置き、香春岳、材料は何ぼでもある。
展示しておりますのは、感田上原遺跡や帯田遺跡で出土した弥生土器や石器、水町遺跡などで出土した須恵器や装身具などの古代遺跡の出土品、上頓野宮ノ前遺跡で出土した中世集落の出土品、鷹取城跡から出土いたしました鬼瓦などですが、目玉と言えるものは、古高取、宅間、内ケ磯両窯跡で出土した陶器類であり、展示スペースの約半分以上を占めております。
特に、今井祇園祭につきまして、教育委員会といたしましては、これは中世に起源をもつ、極めて大切な文化財というふうにとらえているところでございます。 そこで、教育委員会では、平成10年度から行事についての調査を始めました。
これまで宗像郡やその周辺を含めた地域は、古来から中世まで宗像氏を中心に一つの国として形成されてきた歴史があります。過去に宗像の歴史があったように、今回の合併は21世紀の新たな歴史の始まりと考えております。地域がつながり、そして人がつながっていくことにより、一つの都市としての一体感が生まれるのではないかと考えております。
二つ目は、中世や近世における中国との関係でございます。中世において、我が国は元寇、日民貿易など中国との密接なかかわりを持っています。また、近世における江戸幕府の鎖国政策におきましても、我が国は中国との交易を続けてきました。この時代におきましても、中国が我が国の文化に果たした役割は極めて大きいととらえております。 三つ目、現代における日本と中国との関係でございます。
また、同和地区は、中世末期ないしは近世初期において、封建社会の政治的、経済的、社会的諸条件に規制せられ、一定地域に定着して居住することにより形成された集落であるとしています。部落の起源につきましては、当初は近世政治起源とされておりましたが、豊臣政権期説あるいは寛文延宝期説なども出されております。さらに、1980年代半ばごろからは、中世政治起源説と中世社会起源説が出されております。
最初に、去る12月2日をもって終了しました中世博多展についてですが、中世博多展は、アジアとの交流拠点都市を目指す本市の原点である中世博多をテーマに、郷土福岡の歴史の再認識と観光客誘致を目的として、100万人の入場者を目標に開催されたところであります。
11 [質疑・意見] 中世博多展の現在の状況はどうか。 [答弁] 入場者数は第1会場、第2会場を合わせ65万人弱と聞いている。