敦賀市議会 2024-03-06 令和6年第1回定例会(第2号) 本文 2024-03-06
昨年、日本一の移住者を誇っている沖縄県の石垣市なんですけれども、そこの移住の受入れ業務を委託されている、ゆんたくガーデンさんというところを市政会のメンバーと視察してきました。細かい説明はしないんですけれども、石垣市は民間に移住の対策を委託して、移住希望者への広報活動から説明、移住の体験、あと移住の手続、移住後のフォローアップ、そこまで一括してやっているとのことでした。
昨年、日本一の移住者を誇っている沖縄県の石垣市なんですけれども、そこの移住の受入れ業務を委託されている、ゆんたくガーデンさんというところを市政会のメンバーと視察してきました。細かい説明はしないんですけれども、石垣市は民間に移住の対策を委託して、移住希望者への広報活動から説明、移住の体験、あと移住の手続、移住後のフォローアップ、そこまで一括してやっているとのことでした。
戦国時代では織田信長の家来が、三人衆と呼ばれる方々が協議制で領内を治め、佐々成政の居城である小丸城跡には今も一部のある野面積みの石垣が残っております。 このように、越前市の歴史は古く、これからも観光文化の資源となるべきです。越前市の教育委員会の生涯学習芸術文化課のホームページを見ますと、しっかりと歴史、貴重な文化財が明確に掲示をされていました。
◆(題佛臣一君) そういった形で進めていただくということでありがたいんですが、今置かれている石垣のこともひっくるめて、今後考えていただきたいなと強くお願いをいたしておきます。 次、行きます。 次は、除雪対策についてを質問をいたします。地域における狭隘道路の現状と課題についてお聞きします。
これは、2017年9月2日、府中城址石垣を守ってほしい、まだ壊すなよって集まった市民団体、結構いましたですね。これは、私も参加させていただきました。金網の外からよばっていたんですよね。しかしながら、新庁舎ができるということで余儀なくされてしまったというふうに、残念な、市民の方々が涙をのんだ、これは誰が責任を取るんかというところまで、話が出てきたんですね。
石垣やVRアプリを使ったサービスをどんなに工夫して進めたとしても,お堀の中に県庁と県警本部がでんと控えていては,とても県民の城としての愛着など持てるはずもないのではないですか。最終的には,県庁と県警本部の移転がなければ,福井市民は城址には寄りつきません。この移転問題をどう考えているのか,お答えください。
話が変わるんですけれども、先日、石垣市のほうに移住定住を積極的にやっていらっしゃるということで視察をしてきました。石垣市では、保育士さんが不足していると。保育士さんだけを移住させるという限定したプランをやっておりました。
日本遺産に認定されました白山平泉寺旧境内の石畳や旧勝山城下町に残ります七里壁の石垣などの石の文化。西日本最大級の規模を誇りますスキージャム勝山など、本当に他の自治体からうらやましがられるほどの魅力的な観光資源、これらを磨き上げることによりまして、勝山にしかない価値を生み出し、それらを積極的に活用してまいりました。
福井城は福井中学校の電車道に沿う外郭まで,北の庄はもっと広く,柴田神社から裁判所の辺り一帯までで,また,福井城の石垣と北の庄の石垣とは石質を異にしており,福井城の石垣は全て青石を使っているそうでございます。その後,城の名は3代忠昌公のときに,福井城へと変わったそうでございます。 元松平藩藩士の相澤氏は過日,名古屋城を拝見したのですが,現在残っている堀は福井城より狭く,石垣も劣るように思いました。
(写真を示す)新庁舎建設においては、府中城址の石垣を取り壊してしまい、市の歴史的文化財産をなくしてしまったことは、多くの市民の方はあまりにも残念であったと思います。 初めて大名になった前田利家の出発点は、府中のまちづくりからであるとも言われております。利家が経験した多くのことは、今となっては府中城址の石垣としてしか残っていない貴重な文化財産でありました。
次に、歳出第2款総務費中、1項13目庁舎等建設費に計上された本庁舎建設事業に関連して、委員からは、庁舎前ひろばを含めた新庁舎の完成が見えてきた中、再現された石垣について、当初のイメージから大きく乖離しているように見受けられるが、どのような事業が進められたのかただされました。
相次ぐ再開発で大きく変遷しようとする中心市街地において,近年,福井城の百間堀の石垣が出土されています。百間堀とは,初代福井藩主の結城秀康が1601年から約6年間かけて築城した福井城の最も大規模なお堀で,最大約90メートルの堀幅があり,その広さを形容して百間堀の名がついたそうです。
その結果、数百の僧坊跡や縦横に走る石畳道、石垣などが良好な状態で確認されたのであります。平泉寺遺跡の範囲は、現在の集落を中心に約200ヘクタールにも及ぶことも分かりました。これほど広大で貴重な遺跡を末永く保護していくためには、史跡の範囲拡大を図ることが急務となり、平成6年に史跡範囲の拡大を申請し、平成9年3月に認可されました。
星空保護区は世界の150カ所で認定されており、日本国内では沖縄県の西表石垣国立公園と東京都神津島の2カ所のみです。 近年、ナイトタイムエコノミーという宿泊につながる夜の観光が非常に注目を集めており、石垣市では認定に伴い星空を目的に訪れる方や星空ツアーを行う事業者が大幅に増加するなど、旅行会社、飲食施設、宿泊施設などに多くの経済効果をもたらしています。
しかしながら、近年、石垣の崩落が相次ぎ、その保存方法について各方面から調査を行ってきましたが、良い方法がなく頭を悩ませていたところ、七里壁が日本遺産に認定され、その文化財的価値が急に高まってきました。そこで、七里壁の保存方法の一つとして、市が文化財に指定して補助を行う案が浮上してきたわけであります。
また、来年1月6日に本庁舎が開庁いたしますが、引き続き旧庁舎を解体し約600平米の大屋根広場のほか、イベントや災害時の一時避難場所として利用可能な約4,200平米の広場と駐車場、出土した石垣等を活用した歴史をしのぶ空間など、庁舎前ひろばを整備してまいります。
その後、発掘調査により出土した石垣等についても市庁舎完成後に庁舎広場に生かして整備する考えを示し、市民の方の理解を得られたようであります。私どもも、これには賛意を表しました。 問題は新庁舎市民プラザたけふ、センチュリープラザといった市が関与する施設が集中し市街地の一角を占める中心市街地活性化計画が果たして本来目指しているにぎわい創出の波及効果があらわれているのかどうかという点であります。
中央公園の再整備に当たりましては,夜間景観を演出するため,中央公園西側の水辺を照らすライン照明や,園路の足元を照らす足元灯,園路沿いの公園灯,堀割広場東側の石垣,樹木,遊具,噴水などのライトアップを行う照明など合計100基の照明を設置しております。今年度は一旦イルミネーションを休止することとし,これらの夜間照明を活用して,来園者の皆様に落ちついた夜間景観を提供してまいりたいと考えております。
歴史をしのぶ空間に発掘された形状を再構築した石垣が計画をされておりますが、石垣の高さが一番低いところで1,120ぐらい、高いところで1,900ということで、長さが約34メーターということですけど、これはちょうど人も通るところなんですよね。あんなでかいやつが、十分に設計上安全が保たれる設計になるのか、お聞きしたいと思います。
緊急発掘調査で出土した石垣や礎石等の利活用については、昨年9月から5回にわたり庁舎前ひろば整備利用検討会議において庁舎前ひろばの整備方針や利活用に向けた議論を積み重ね、7月22日に検討会から報告をいただきました。
内容を拝見しますと,一乗谷の城下町の入り口には戦に備えて5メートルもの高さに巨石が積み上げられ,船着き場となった川の入り江の遺構は丁寧な石積みが施され,遺跡では屋敷の石垣や石製の井戸枠,無数の礎石も見られ,大量の石がまちづくりを支えていたことがわかります。