19件の議事録が該当しました。
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該当会議一覧

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越前市議会 2022-05-30 06月03日-05号

また、市長からは、先般、切り込み隊長としての役割を期待してる旨のお言葉をいただいておりますので、これはまず情報をつかむアンテナを高くしまして、戦局といいますか、状況をよく見極めながら、当地でいいますと、本多富正公のように一番やりの役割を立派に果たせるようなことができるよう、職員の方々と一丸となって頑張ってまいりたいと思っております。 以上でございます。 ○副議長吉田啓三君) 三田村輝士君。

越前市議会 2017-09-06 09月07日-03号

まず、本年3月に越前史資料編4、本多富正関係文書という本が市長の名のもとにおいて越前市から発刊されました。最初の言葉市長からの文書があるわけですけれども、本多富正は現在の越前市役所の場所に居を構え、治水工事や道路の整備を手がけ府中館中心武家屋敷、町家、寺院を配置するなど現在の市中心市街地の礎をつくりました。

越前市議会 2016-02-29 03月01日-05号

これはたけふのあゆみ、合併前のときに奈良市長巻頭言でお言葉をいただいておりますけれども、加賀百万石、基礎が築かれた府中という形の中で、本多富正の前の時代戦国時代絵図府中城、これは実証されてなかった。でも、今回この奈良市長巻頭言いただいた、このたけふのあゆみの中に、この府中城の跡地の一角が今回こうした形で発掘されたという事実であります。

越前市議会 2011-11-30 12月05日-02号

現代の私たち市民が、冒頭に申し上げたとおり、目先の利益や短期的な成果を追い求め過ぎた結果を反省し、覆っている閉塞感を打破するため、人づくり物づくりまちづくりを力強く推進させるために、400年前に本多富正整備した町用水と木の並木復活を期待いたします。来年をまちづくり復興元年と位置づけて、計画的に町用水と木の並木回廊整備、そして通り名の復活ができないのか。 

越前市議会 2001-12-06 12月07日-04号

平成12年11月5日、美術が語る本多富正人間哲学巻頭講演を初めに、20にもわたる事業本多富正入府400年記念事業ということで、1年を通じ、まちづくり文化事業が開催されてきました。多くの市民が参加し、歴史認識を新たにされた方が多くおられたかというふうに思いますが、市長はこの事業についてどう認識されていますか。感想もあわせて、まずお尋ねしたいと思います。 ○議長山本清内君) 三木市長

越前市議会 2001-12-03 12月05日-02号

え方は  ・ 保育士の仕事に対しての市長の理解は  ・ 給食業務民間委託必要性は  ・ 学校給食民間委託のデメリットは市長3 国民健康保険制度について   ・ 国保税の滞納は何が原因と思うか  ・ 国保税の引き下げの考えは  ・ 資格証明書の発行について対処法は  ・ 国保税減免制度についての活用法市長10中 西 眞 三1 まちづくり文化事業について   ・ 2001年展開されてきた“本多富正

福井市議会 2001-06-13 06月13日-01号

またその一方で,慶長年間福井藩家老であった本多富正は,九頭竜川治水に努めるとともに,秀康入国によって当時4万人を超えたと言われる福井城下人々飲料水を確保するため堰堤を設け,芝原上水とし引水し,ライフラインの確保も行われているのであります。 こうした戦国末期から江戸時代街づくりは,封建社会が崩壊し,本格的に産業革命の影響を受ける明治維新後に大きな転換が求められたのであります。 

越前市議会 2000-06-12 06月14日-02号

江戸時代府中領主であった本多富正本多家保護奨励策商人販路拡大にも努力したと、こういうふうに書かれていました。 現在、存続の岐路に立たされている越前刃物業界も、平成時代に工芸の里構想基本計画どおりに実現させて、名実ともに全国的に揺るぎないものにしたと、後世の人々から賛嘆されるようにしてほしいと、このように要望しておきます。 

越前市議会 1998-03-09 03月10日-05号

また、戦国時代には織田信長豊臣秀吉柴田勝家前田利家等々がやっぱり武生に駐留していたというようなことで、少なくともどこかのお寺に関係があると思いますが、そういうなところ、さらに近世では本多富正が270年間統治をいたしておりますけれども、その菩提寺である龍泉寺には、この間もそれぞれの寺宝文化財として展示されましたが、そういうようなものの見学、あるいは松尾芭蕉もこっから奥の細道で、この武生の地を通

越前市議会 1994-06-06 06月08日-02号

また、今まで紫式部云々等で言うてまいりましたが、さらに時代がさかのぼりまして、この近代的な府中の祖と言われる本多富正侯が武生おいでになって、そして400年たつというようなことで、当然この市民としては本多富正に対する親しみというものもありますし、現在本格的に本を書いておいでになるような人もおいでになりますが、現在武生市の図書館の中の資料といたしまして、専門的にこの本多富正侯を研究しようと思うことにつきましては

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