勝山市議会 2012-06-13 平成24年 6月定例会(第2号 6月13日)
例えば、東京駅の赤れんがの駅舎は大正3年に建てられ、98年経過し、国の重要文化財にも指定されておりますが、現在実施している改修工事により、今後長期にわたる利用を予定されております。建築物のストックが増加する中、効率的・効果的な活用を行うことが必要であると認識しております。 次に、旭住宅の耐震補強工事の予定についてお答えいたします。
例えば、東京駅の赤れんがの駅舎は大正3年に建てられ、98年経過し、国の重要文化財にも指定されておりますが、現在実施している改修工事により、今後長期にわたる利用を予定されております。建築物のストックが増加する中、効率的・効果的な活用を行うことが必要であると認識しております。 次に、旭住宅の耐震補強工事の予定についてお答えいたします。
さらに関連して、どの年代を取り上げるかとの問いに対し、港や鉄道の歴史を踏まえ、一番栄えた時期である明治後期から大正を考えている。ただし、リースや楽団との契約を行う中でそろわない部分が出てくる可能性はある。その場合は、なるべく近いものを使いたいと考えているとの回答がありました。
しかし、明治29年の大洪水を受けまして、当時の内務省の直轄改修事業により、大正15年から昭和16年にかけて行った北川と南川、そのときは一体化していましたけれども、分離するという工事のために現在のように北川に江古川が合流されたものであります。以来、北川の水位上昇のたびに浸水する江古川の状態となっているわけです。
木下竹次先生は、大正、昭和前期の新教育運動の第一人者で、日本の初等教育に大変貢献した方でございます。特に、伸びる、伸ばす、きたえるの方針のもとに、自律的学習の研究と実践を推し進めました。勝山市出身ということで、現在、成器西小学校には先生の著書や日記が保存されております。また、各学校にも先生の額が掲示されているほか、これまでに勝山市史、広報で紹介をしております。
この管理体制は明治時代にも引き継がれ,大正13年に水道ができるまで続きました。 しかし,昭和25年ごろまでは,芝原用水は美しく川底まで澄み切った用水が流れ,子供たちは学校から帰ると網を持って魚をすくい,夏は蛍が飛び交い,水浴びに興じていました。私もその一人でございました。家庭の主婦は,食器や野菜や衣類などを洗い,日常生活に欠かせない水路でありました。
また、福武線の北府駅舎については、国の登録文化財の指定を視野に、3月中旬の完成を目指して改修工事中であり、市民や利用者に愛される大正時代の面影を残すレトロな駅舎を維持することにより、地域の活性化や福武線の利用促進につながることを期待しています。 次に、4つ目の柱である安全で安心なまちづくりについて申し上げます。
◎企画部長(向出宏二君) 旧旭座につきましては、これまでもご答弁いたしておりますけれども、県内に唯一残存する近代芝居小屋建築で、全国においても30程度しか残っていない貴重な文化遺産であり、明治、大正期の日本の風俗を知る文化遺産として全国に注目されているというふうに認識しております。
福井県庁は,大正12年に現在の西武福井店の建っている付近から福井城内に移転新築されました。その後,老朽化した県庁舎を建てかえるに当たり,当時の県議会でも議論された結果,昭和56年に現在の場所に建てかえられたものでございます。
私がちょっと問題にしたいのは、それ以前の我々の親の世代になるというんでしょうか、大正生まれから、それから昭和の本当に一けたの最初のぐらいの皆さん方なんですけども、この方々が本当に実際もう80歳以上になりまして、地域で生活する中において何に一番困っているか。私はそのことを皆さんと一緒に考えたいなと思うんですけども。
食育フェアについては、食と健康を専門的に学ぶ人間生活学部健康栄養学科が設置をされている仁愛大学を会場に、10月22日と23日の2日間開催する予定であり、本市出身で大正天皇と昭和天皇の料理番を務めた故秋山徳蔵氏の功績や食育に関する講演会の開催、財団法人日本サッカー協会との夢先生協働事業などを計画しています。
今現在、日本の人口、きのうも見せていただきましたが、大正9年、第1回国勢調査のときに小浜市の人口が、そのときは小浜市じゃないわけです。小浜町とかいろんな周辺、今の地域だと思うんですが、3万4,131人なんです。これに書いてあるわけです、25ページに。そのときの日本の人口が5,596万3,000人なんです。小浜市が発足したのが昭和26年ですが、国勢調査第8回が昭和30年なんです。
現在日野川合流点から河濯川合流点までの2,400メートル区間が河川整備計画に位置づけられておりまして、放水路区間の日野川合流点から大正橋までの1,340メーター区間で工事が施工されております。 以上でございます。 ○副議長(伊藤康司君) 佐々木富基君。 ◆(佐々木富基君) 事業の進捗状況につきましては理解させていただきました。
民生委員制度は、古くは大正6年の岡山県での済世顧問制度が起源とされておりまして、その後、幾度か改正され、現在は昭和23年に制定された民生委員法を根拠法として運用されています。 民生委員は、民生委員法の規定に基づき、都道府県知事の推薦によって厚生労働大臣がこれを委嘱することになっており、任期は3年で、非常勤の特別職の地方公務員として位置づけられ、民間の奉仕者とされております。
また、町中においては、元禄一番街繁栄会が中心となり、明治・大正・昭和の花嫁衣装展が開催され、高齢者の方を中心に大変興味を持たれる催しとなりました。今後とも市民と一体となったさまざまな企画を展開し、町中の活力を高めていきたいと考えております。
大野市においては、大正8年に市街地に3カ園の私立幼稚園が設立されました。現在のところ1カ園は廃園、休園状態となっております。 今、私立幼稚園におきましては園児減少による経営不振に陥っております。そこで、その存続に向けて、市はどのようにお考えであるのか、お尋ねいたします。 ○議長(本田章君) 教育委員会事務局長、宮下君。
和泉地区にあります面谷鉱山は、古い時代から大正期まで採掘を行っていた銅山で、江戸時代後期には大野藩の重要な財源を担ったといわれており、本市にとっては歴史的価値の高い資産であると認識をいたしております。 現地では集落跡地などが現存しておりますが、その周辺は草木などが生い茂り、一部の石積みも崩壊しつつあることから、本年度において、集落跡地部分の雑木などを取り除き、保全を行ってまいりました。
また,福井は明治から大正にかけて羽二重王国として君臨し,大正8年には全国輸出額の約60%を占めるまでに至っておりますが,そのきっかけは,明治4年に,当時東京府知事であった由利公正が欧米視察で持ち帰った絹織物を福井の有志に見せ,機業の振興を督励したことに始まります。
大和田さんにつきましては明治、大正、昭和と敦賀の基礎を築いた方でございまして、まさに港の基礎を築いた方でもございます。ただ結果として旧敦賀の市役所、それから大和田別荘、そして今回の検疫所というところを取り壊してきたという。結果としてですよ。
12月1日の新聞記事で、2007年に民事再生法の適用を受け再建中であった大正6年創業の老舗眼鏡枠メーカーの福井光器が、業績を好転することなく、民事再生手続の廃止を申請し、破産手続に入る見通しとありました。 鯖江市内の企業が、こういったことになったということを、市が承知しますと、どのように対応されるのか。市役所として、どの部署でどのような対応、準備、対策がなされるのか。
その後,明治,大正,昭和,そして平成までその採掘が行われてきましたけれども,コンクリート製品の出現や採掘コスト等の影響で需要が急激に落ち込み,平成11年を最後に採掘は行われていないようであります。 その採掘後の坑道が,平成17年8月足羽山の西墓地において陥没があり,大きな被害が発生したことは記憶に新しいことと思います。最近ではことし4月にも加茂河原1丁目でも陥没がありました。