宇和島市議会 2021-03-11 03月11日-04号
丸山公園の梅園地につきましては、昭和55年に整備してから、40年以上が経過しており、現在、植栽管理業務として除草や樹木の剪定、消毒等を毎年行っているところです。 梅園地を管理する上で広大な公園区域であることに加え、草木がよく育つ夏場において除草、剪定の回数など、管理方法に検討の余地があるのではないかと考えております。
丸山公園の梅園地につきましては、昭和55年に整備してから、40年以上が経過しており、現在、植栽管理業務として除草や樹木の剪定、消毒等を毎年行っているところです。 梅園地を管理する上で広大な公園区域であることに加え、草木がよく育つ夏場において除草、剪定の回数など、管理方法に検討の余地があるのではないかと考えております。
まず初めに、昭和57年宇和島市は厚生省より障害福祉都市に指定されております。そのことにより建てられた障害者福祉都市の立て看板について、まずお伺いいたします。 この立て看板は、現在改修中の庁舎前駐車場に建てられており、宇和島市にとっては大きな意義を持つ立て看板でございました。
昭和43年です。68年に禁止されましたが、壬申戸籍が一覧できなくなると、部落地名総鑑という、多分当時私の記憶では3万円じゃなかったかと思いますけれども、当時、東予と中予で県内有名企業各1社が購入していることが判明し、当時部落解放同盟愛媛県連合会では、究明調査に乗り出し、私も一員として参加をいたしました。
国会における憲法論議についての意見書 日本国憲法は、昭和22年5月3日の施行以来、国民主権、平和主義、基本的人権の尊重の三原則の下、我が国の発展に大きな役割を果たしてきた。この三原則は、憲法の根幹をなすものであり、今後も堅持されなければならない。
木原氏は、旧御荘町平城地区の出身で、昭和33年生まれの62歳、地元の町立小・中学校、そして県立南宇和高等学校を卒業後、昭和52年に旧御荘町役場の職員として採用され、以後、平成31年に定年退職されるまでの42年間、地方公務員として職務に精励されました。
将来の医療需要を見据えた病床機能の分化・連携を目指すものですとありますが、一方で、今の新興・再興感染症の感染拡大時に短期的な医療需要が発生した際に、これに適切に対応する観点も必要だという議論がされていますので、今こそ吉田病院が新しく変わっていく中でそういった対応ができるような病院になっていくことが必要じゃなかろうかと思うので、そういった観点、しっかりとまた今計画の中で入れていただけるならば、例えば昭和
これは昭和63年1月14日付木曜日の夕刊宇和島の記事です。 三間柔道クラブの前身である多年の歴史を持つ三間柔道会が一時の廃止の時期を経ましたものの、多くの有志によって復活し、以来、多くの全国レベルの選手を輩出してきました。そのお一人である元世界チャンピオンで全日本強化選手の宇高実業団監督がコーチとして指導に当たっていただいております。トップアスリートのお一人が指導に当たっていただいております。
ちょっと古い話になりますが、昭和年代の終わりのときから、重信地区、川内地区共に人口が急増してきたんですけれども、これは1つは伊予鉄横河原線や、また川内のほうも各谷までバスが走っていたことから、これで人口が増えて、今現在の東温市の人口になったわけでございます。
昭和の大合併、さらに平成の大合併により新伊予市が誕生いたしました。平成17年に合併後、今年で16年目となります。伊予市内おのおのの地域の活性化により、バランスの取れた伊予市の発展が図られると考えております。 第1といたしまして、まず各地域の構想につきまして市長のお考えを聞かさせていただきたいと思います。
今治市の人口も、現在の市域で見ますと、昭和55年の国勢調査による人口19万7,818人をピークに一貫して下がり続け、9月末現在15万6,760人と、4万1,058人の減少となっております。日本の人口は、戦前、そして高度経済成長期までは人口の過剰が問題でして、ブラジルなどへの移民政策を取ったのですが、現在は逆に人口の減少が問題となっておりまして、外国人労働者の受入れなどに至っているところです。
まだ戦後の混乱が続く昭和24年、肉親や知人の消息を尋ねるラジオ番組が放送されていた頃、お互いの無事を確かめ励まし合うには、年賀状が一番いい。それにお年玉をつけたら、もらった相手の心はもっと和むのではないだろうかと考えたそうで、最初の特等賞品はミシンだったそうです。令和で初めての今年の年賀状の発行枚数は、23億5,000万枚。
本市の成人式は、昭和57年から平成14年までは本市が主催となり、松山市民会館や松山市総合コミュニティセンターで一堂に会する形で行ってきましたが、平成15年からは、自分たちのふるさとである地域で祝い、新成人も参画する地域主催の現在の形になりました。
本市の松山競輪も昭和25年に堀之内の公園の中に500メートルバンクが、県営陸上競技場と併設した施設として開設されて以来、多くの雇用の場をつくるとともに、市の中心部にたくさんの人が集まり、にぎわいを生み出してまいりました。
次に、8款7項1目住宅管理費、11節市営住宅の空き家の修繕料が高額であるが、その内容はとの質疑に対し、鳥ノ木団地は昭和50年前後に建設されており、当時の繊維壁や軽い吹きつけ材の天井が多く残り剥離してきている。これらを塗装仕上げや板張りにすることで、次回から修繕費が安価に済むと考えているとの答弁がありました。
名智咲子氏は、昭和26年12月11日のお生まれの現在68歳で、東温市南方11番地2にお住まいでございます。昭和52年3月に広島修道大学人文学部をご卒業され、同年4月から昭和58年3月までの6年間にわたり、女子少年院丸亀少女の家にて法務教官を務められました。
略歴を申し上げますと、昭和56年4月に愛媛県教育委員会に奉職され、松山市立東中学校教頭、浅海小学校校長、松山市教育委員会学校教育課長等を歴任された後、現在は学校法人済美幼稚園園長を務めております。したがいまして、人格、識見ともに優れ、教育委員会委員として適任と存じますので、よろしく御同意のほどお願い申し上げます。 ○若江進議長 以上で、説明は終わりました。 本件に対する質疑は発言通告がありません。
久保氏は、昭和49年4月に旧中山町役場へ奉職され、平成26年3月に定年退職をされております。退職された後は、社会福祉法人伊予市社会福祉協議会事務局長として、地域福祉の推進のため貢献されました。その後、平成27年1月から2期6年間人権擁護委員を務めていただいております。 次に、諮問第4号人権擁護委員候補者の推薦につき意見を求めることについて。
鹿の角切は、旧北条市の有名な観光行事として昭和35年から始まり、雄鹿同士のけんかによる事故を防止するため、現在も続けられています。まず、昨年12月議会でも取り上げられました昨年10月の鹿の大量死の経過を御説明ください。また、以後原因の究明が進むにつれ、明らかになったことがあればお聞かせください。 ○若江進議長 家串産業経済部長。
約20年前の平成12年、札幌市で開催された松山の物産と観光展へのPRのため、中村市長や産業経済の委員さんたちが赴いたとき、狸小路商店街、本陣狸大明神社に参拝、そこに祭られている夫婦の狸は、何と夫のほうは松山久谷隠神刑部の山口霊神、妻のほうは狸囃子の千葉の證誠寺でそれぞれ入魂され、昭和48年、札幌市長夫妻の仲人で結婚しているとのこと、それを産経委員の一員として参加した大西先輩が議会で紹介しています。
本市の水道事業は、昭和28年4月に公営企業体の発足とともに給水が始まり、70年近い歴史の中で、給水エリアを順次拡大しながら、松山市民の生活や産業活動に欠かせない水の安定給水に努めてこられました。地方公営企業法第3条には、経営の基本原則がうたわれており、地方公営企業は、常に企業の経済性を発揮するとともに、その本来の目的である公共の福祉を増進するように運営されなければならないと規定されています。