滋賀県議会 2022-12-12 令和 4年11月定例会議(第17号〜第23号)−12月12日-06号
これは、平成の大合併で高島郡が1つになり、目玉の欲しかった高島市が滋賀県観光振興特区に認定されるために考え出した、堺屋太一審査委員長に求められた伊藤みどりさんの4回転ジャンプに匹敵する企画だったのであります。
これは、平成の大合併で高島郡が1つになり、目玉の欲しかった高島市が滋賀県観光振興特区に認定されるために考え出した、堺屋太一審査委員長に求められた伊藤みどりさんの4回転ジャンプに匹敵する企画だったのであります。
経済企画庁長官も務められた作家の堺屋太一さんは、この事態を予測され、近未来小説「油断!」として書かれ、当時の流行語にもなりました。 油断──油を断たれるの言葉のとおり、第四次中東戦争に起因して、ペルシャ湾沿岸の石油産出国が石油価格の大幅な値上げと産出量の削減を決めたことで、特に中東からの石油の輸入に多くを頼ってきた我が国は、エネルギー不足、狂乱的な物価高騰に直面しました。
国内の原発のほとんどが稼働できない状況の中、エネルギー資源が輸入困難になり、電力供給に支障を生ずれば、堺屋太一のいわゆる「油断!」が現実となり、即国民生活に壊滅的な被害をもたらします。何としてもかかる事態を防ぎ、国民の生命、財産を守ることが政治に課せられた使命であります。
また、阪神・淡路100名所づくりのこの主要な事業で、堺屋太一さん、当時の貝原知事との高級博覧会場の構想があったというふうにも聞いています。 景観法で言えば、本市は平成24年に景観行政団体になって景観計画を策定してこられた。この場所に、それは市全域とお聞きしていますけれども、この特別な場所に新たに、新たにというか、再び整備される橋についてはやはりグレード感を落とさないでいただきたい。
その中で紹介された、団塊の世代という言葉を定着された堺屋太一さんの絶筆となった「三度目の日本」という本があり、早速買って読みました。3度目の日本、1度目は明治の人たちが目指した強い日本、2度目は戦後の復興に努力し、日本人が求めた豊かな日本、そしてこれから日本人の目指すべき第3番目の日本とは、という内容でした。答えは、意外でしたが、楽しい日本だそうです。
作家の堺屋太一さんは、お亡くなりになる前にこんなことを言っておられました。明治維新の後、日本の国は諸外国に対抗するために強い日本を目指してきた。その結果、日本は日露戦争にも勝利しました。第2次世界大戦敗戦後、日本の国は豊かな日本を目指してきました。その結果、日本は目覚ましい経済発展を遂げ、経済大国に数えられるようになりました。
最初の申し上げた高齢化社会、私も団塊世代のトップランナーと言ってもいい、市長もそれに続いて団塊の世代って、これ誰が団塊と言ったか、市長は、堺屋太一さんですか、この名前使ったの、ということであったと思うんですけど、ずっとこういう言葉になって我々は特別な分類になっていますが、そういったことで保健福祉にしても何にしても頑張っていかなきゃならないと思っておりますし、ありがとうございました。
また、堺屋太一は、今日の日本は低欲社会、特に若者に意欲や欲望がないと嘆いておられました。現在の学校教育というシステムは、思春期の好奇心は無限の可能性を秘めているのに、挑戦することよりも現実という障壁だけを見せているのではないか。
また、社会経済状況の変化を的確に捉える中で、既成概念にとらわれることなく、柔軟な発想による施策展開に努めることにより、堺屋太一氏より私に託された多様性と意外性のある楽しいまち昭島の実現を目指してまいります。 堺屋先生から特に、人間にはいろいろな考え方がある。批判、批評、意見に対して、そういう考えもあるんだと一旦は受け止めていくことが大事だよと言われました。
国際法務総合センター内の国連極東アジア犯罪防止研修所の国際会議室での堺屋太一先生をお招きしての、恐らく先生最後の基調講演がありました。市長も様々な場面、局面の中で御紹介されています。堺屋先生のお話では、楽しい日本、そして楽しい昭島をつくってほしいとの先生の思いは、市長のみならず、私の心にも深く残っております。
そして、堺屋太一先生より私に託された、住んで楽しい、働いて楽しい、通って楽しい、そんなまちづくりを目指して、「楽しい」というのが今後のキーワードかなと先生はおっしゃっていました。楽しくなければ駄目だよと。楽しいまち、楽しい国、そうしたのを目指していくのが令和の新時代なのかなというふうにおっしゃっていましたね、そのときはまだ令和ではなかったですけれども。
平成30年12月には、堺屋太一先生をお招きして、恐らく先生の最後の御講演であったと思いますが、先生のお話では、楽しい日本、そして楽しい昭島をつくってほしいとの先生の思いは、市長のみならず私の心にも深く残っております。 また、平成31年には新しいアキシマクジラの作製、そして子ども発達プラザホエールのオープン、これは民設民営でありますけれども、土地自体の貸出しを行っております。
堺屋太一さんに聞けば分かるだろうけれども、それもあくまで予言で終わってしまうと思うんです。 古くから建設会社を営んでいる事業者がいました。ところが、今、建設業といっても後継者もいない。会社は、名目上、営業行為をし、登記も残っている。その会社に、ある産業廃棄物の収集をやっている会社が運転資金を融資された。
今回も、堺屋太一氏の言われた楽しい昭島というものをいかにつくっていけるのか、そのことを念頭に置きながら質問させていただきます。 今回は、大綱3問であります。それぞれ第1回定例会の代表質問の際にもお伺いしている項目ではありますが、代表質問の場合は、限られた時間内で質問項目も多く、再質問もありません。
堺屋太一の小説「団塊の世代」から、1947年から1949年生まれの第1次ベビーブームの約806万人を団塊の世代と呼んでいます。この団塊の世代が全て75歳以上になった場合の人口が約2,179万人、人口構成比率が18.1%と予想されています。この高齢人口増加により生産年齢減少による税収不足、医師、看護師の不足、社会保障費の増大、空き家の増大などは2025年問題と呼ばれています。
我々、自由民主党昭島市議団としても、堺屋太一氏が生前、本市の未来像としておっしゃった「住んで楽しい、働いて楽しい、通って楽しいまちづくり」、これは必要なまちづくりの視点だと考えておりますし、市長が常々おっしゃっております「住んでみたい、住み続けたい、ここでなりわいをしたい、なりわいを続けたい、訪れてみたい、そして誰もが昭島大好き」と思える昭島のまちづくり、共に描いていきたいと、我々、会派の全員が思っております
私は維新政治塾1期生ですが,故堺屋太一先生のお話の中で,官僚が主導してきた中央集権の金太郎飴的なまちづくりを終え,それぞれの地方の特徴を生かした楽しいまちづくりをしようというような提唱をされていました。維新は地方のことは地方で決める,地方が自立すると言います。それはグローバル社会の中で地方が生き生きと栄え伸びるためであります。
初の試みでありました昭島市まちづくり企業サミットにおいて、今は亡き堺屋太一氏にとって最後の御講演をいただきました。その基調講演において、「新たな時代においては、楽しい日本をつくらなければならない。楽しいまちづくりをコンセプトに楽しい昭島をつくっていきましょう」との御提言を頂きました。「楽しいまちとは、多様性と意外性に富んだまちである。
そんな中で、堺屋太一さんという、元通産官僚の方がいらっしゃいますけれども、先だって他界なさいましたが、「3度目の日本」という本を書かれているのです。この「3度目の日本」といいますのは、まず、明治維新のときに、天下泰平の江戸時代に黒船が来ることによって、日本国中がひっくり返るようなことになった。 そこで生まれた言葉が、富国強兵というのが生まれましたと。
元経済企画庁長官、堺屋太一氏は、このことをもって三度目の敗戦と言っています。一度目は神奈川県浦賀沖に来た黒船に開国を迫られたとき、二度目が太平洋戦争、そして三度目の敗戦は黒船による海上封鎖やB29による空襲ではなく、人口減少によって地方が壊滅状態になっていくことだというのです。日本社会と経済は人口増加を前提としています。