白岡市議会 2022-03-16 03月16日-委員長報告・討論・採決-07号
そして、幕末期において、英語のポリティカルエコノミーに経済の訳語を当てたのは、津田真道であると言われています。 私は、今議会の一般質問において、そもそも市長はいかなる経済理論に基づき、何を目指して経済を運営しておられるのかという点をお尋ねいたしました。これは、まさに経世済民の意味で聞いております。市長は、どうやってこのコロナ禍の中にある白岡市を治めますか。
そして、幕末期において、英語のポリティカルエコノミーに経済の訳語を当てたのは、津田真道であると言われています。 私は、今議会の一般質問において、そもそも市長はいかなる経済理論に基づき、何を目指して経済を運営しておられるのかという点をお尋ねいたしました。これは、まさに経世済民の意味で聞いております。市長は、どうやってこのコロナ禍の中にある白岡市を治めますか。
また、若人応援基金につきましても、東京大学の創立に関係した洋学者箕作阮甫、そして日本国憲法の草案をつくった津田真道、明治屋、キリンビールの創設者磯野計、郡是製糸の石田一郎さん、その他一流企業の役員が津山市から数多く出られております。将来を見据えた人材の育成をぜひお願いを申し上げ、私の質問を終わります。 ○議長(河本英敏君) 以上で23番、木下健二議員の質問を終わります。
オンリーワンやナンバーワンということは、この町にどんなものがあるかと考えることは楽しいことだと思いまして、津田真道がいるぞとか、あるいは洋学資料館があるぞ、森本博物館があるぞと、こういうふうな話は随所で大いに誇りながら話すべきことだと思っております。
飛行機のない時代の津田真道のライデン大学留学や帰国後の法曹界などでの大活躍は、美作地方の子供たちや法曹界を目指す青年にも夢と希望と勇気を与えると思います。ライデン市との歴史友好交流都市縁組にもっと意欲を示すべきではないでしょうか。 以上3点、御答弁願います。 次に、2番目、環境問題について。
選択 68 : ◯3番(津田秀吉君
現在生家、生家跡で標柱表示しているものに箕作阮甫旧宅、津田真道旧宅、宇田川興斉旧宅、尾上柴舟生家、西東三鬼生家跡等があります。尾上、箕作、津田、宇田川らは市で設置したものでございます。西東三鬼の句碑は文化協会が設置したものであります。著名人の生家跡に案内標柱を設置することにつきましては、郷土愛の醸成や観光資源としても役立つものと考えられます。
さきに質問した津山の当時の殿様が、若者を江戸に連れていき、その若者が宇田川より医学を、箕作より適塾の緒方洪庵から福沢諭吉を通し、東大、慶應大学への教育に、また津山真道より外国の言葉から交流の窓を、これら津山を通し、日本の国の文化・芸術の窓を開いたこの人材を輩出した作州文化、これを、生涯学習を通し、欧州文化の窓を再び開き、ユーロの経済をも含めた交流こそ今後の若者の育成であり、時代が求めるものではないでしょうか
そこに東京の上智大学の女子が通訳として勉強に来、実践し、ともどもに交流と年間約30億円を事業として上げておりますが、私は津山にも宇田川、箕作、津田真道の道があり、オランダとの国際交流と美作女子大学の人材もおります。教育実践も兼ねてよいのでは、チューリップの花を友とした物流もよしだ。
この津山の持つ宇田川、箕作、津田真道を生む津山、インターネットとNPOの人材活用、生涯学習を通して、これらネットワークサービスは、テレトピア指定の津山にはもっともっとスピードを上げてやるべきだと思います。 IT教室も、1位神奈川県2万7,000人、2位東京、3位大分、三重と続いております。その内容も、平均で女性が64%、40歳が80%、60歳以上が30%だそうです。
津山市の持つ精神風土、または創造的才能の発揮の醸成は、宇田川氏の通訳により世界を教え、箕作家の緒方洪庵を通しての人づくりと教育、津田氏の近代日本の発展へと示された行動や、この自然の美しさ、その実績は永遠に喜びというにふさわしい美しい価値を尊び、これら歴史と芸術を愛しはぐくむ民衆の拡大こそ心豊かな社会を築く本源の力となっていると思います。
そこで、私は津山市は宇田川、箕作、津田といった時代と、緒方洪庵を大阪に送り、適塾を通した人づくりで、今の東大の前身を築き上げた黎明の時代の先駆けの津山だと思いました。このチャンスを与えた松平のお殿様、それが洋学を通して今の日本の文化をつくり上げております。津山の基本とすべきではなかろうかと思いつきました。
次に、お尋ねの国際交流につきましてのライデン市長の4月に来津につきまして、何か提案を持っておるのか、どのような方針で交流を進めようとしておるのかと、こういうことでございますが、御承知のようにオランダのどの都市であれ、津山市に市長がお見えになるということは初めてのことでございますし、しかしながら津田真道がかって幕末から明治にかけましてお世話になったそういう御縁というものを大切にしながら、過半といいますか
そしてもう一つ、オランダのライデン、御承知のように、これは幕末から明治にかけましての日本の3大法学者であり初の衆議院副議長でありました津山出身の津田真道がこの津和野の西周とともにオランダのライデンに行って学んだというこの歴史、えにしによりましての交流というものが始まっておるわけでございますが、しかしながら、そういうまた先人の御縁ではありますけども、一時期、今のグリーンヒルズになっております酪農試験場跡
一昨年、いろんな批判もあり、大変な状況の中を市長はオランダのライデン市を訪れ、津田真道と西周の顕彰事業を行いました。その模様は、市長の任期中でもあれほどの大きく新聞の紙面に取り上げられたことはなかったかと思います。また、この4年間であれほどの情報発信はなかったのではないでしょうか。
次に文化財保護費の中の津田真道、西周顕彰事業関連決算についてお尋ねいたします。これらの内訳は旅費338万2,000円、土産代としての消耗品費4万9,000円、顕彰事業補助金50万円とお聞きしていますが、まずオランダ、ライデン市へのプレート除幕式参加のための旅費についてお尋ねいたします。
杉山議員の大変なお骨折りをなさいましたことには心から敬意を表しますけれども、いろいろな交渉といいますかそれを通じて事を運んでくださいというふうに申し上げておったわけでは無いわけでございまして、私はこの問題はもう既にこのアメリカではサンタフェ市と津山が交流を進めておりますし、昨年はこの先人津田真道の御縁でオランダのライデン市にも行ってまいりました。
またライデン市につきましては、昨年幕末から明治にかけます日本の三大法学者であります津田真道、私どもの郷土出身でございますが、この御縁で彼が若き日学ばれたオランダのライデン市に、私、議長ともども10月の13日から足掛け6日間行ったところでございまして、まだまだ交流を始めたばかりと、こういうことでございますが、ただこれも申し上げておりますように、紀元2000年ですから、再来年に、日本にデ・リーフデ号が、
ってやってるわけでございますから、米国と地方都市地方都市が仲良くなっていくということは非常に大事なことでありまして、そういう意味において米国の中の都市と交流をするということも一つ大事でありますし、またアメリカということになりますと、やはりヨーロッパということになりますし、日本の今日の非常に発展、文化度が上がりましたことにつきましての窓口というのは西洋文化、西洋文化の窓口はオランダライデンでありますから、しかも津田真道
、そしてそういうところについてある程度、決めていくにはある程度国の、あるいは市の内情というんですか、状況も知っていかにゃいけんということで、そうしていくうちにだんだん絞ってこれるんじゃないかなということで、今言われたように市民の交流がまず第一で、できれば歴史的な意味合いがあればさらにいいんじゃないかと、そう思いますので、今言われた400周年という一つのきっかけもおもしろいと思いますし、1903年に津田真道
そうした中で、やはりオランダのそういう洋学を学んだ先人たちが津山からは本当にたくさん全国的に輩出をしておるということでございまして、中でも幕末から明治の三大法学者でありました、我が郷土が生みました津田真道、そして島根県の津和野町出身の西周、この2人がまことに親友でございまして、オランダのフィッセリング教授宅に通って勉強を1年余り、2年ぐらいかけて勉強をされたと、こういうこともありまして、顕彰プレート