水戸市議会 2012-12-10 12月10日-02号
そして,市民からの政治を志した佐川一信市長時代において,市民懇談会へと大きく変更され,開催回数も大幅にふやされ,きめ細やかな内容へとその充実が図られたのであります。 佐川氏は,市民との対話に力を入れ,生前,このように語られております。それは,市民懇談会を開催するに当たって,最初は1回に30人から40人しか集まらなかった。今は倍の人が集まる。
そして,市民からの政治を志した佐川一信市長時代において,市民懇談会へと大きく変更され,開催回数も大幅にふやされ,きめ細やかな内容へとその充実が図られたのであります。 佐川氏は,市民との対話に力を入れ,生前,このように語られております。それは,市民懇談会を開催するに当たって,最初は1回に30人から40人しか集まらなかった。今は倍の人が集まる。
我々市民の誇りでもあるこの芸術館をさらに発展させ,そして,佐川元市長が水戸市制100周年のときにつくった,このアートタワーとともに,私は,この芸術館のあり方というのはさらに充実発展をすべきではないかというように思っておる次第であります。
そしてまた,水戸市においても,かつて,今は亡き佐川元市長の水戸の新たな特産品を育てるとの強い思い入れにより,平成3年にヤギ乳チーズの製品化を実現した実績があるところでございます。これらを含めた新たな特産品づくりのための体制づくりが必要ではないかと考えますが,本市の考え方,取り組みについてお伺いをいたします。 次に,これが本題でありますが,緑提灯について質問いたします。
1989年,佐川市政の2期目のときには1,354万8,317トンという年間水量を導水しておりました。近年では2006年に659万3,668トンと,ここでももう2分の1しか導水をしていないんです。それがその後も下がっているというふうにうかがっているわけでありまして,さらなる渡里用水の活用を積極的に推進すべきと考えますが,直近3年間の実績にあわせて,見解をお伺いいたします。
ただ,ペデストリアンデッキをつくって,あの北口再開発をやったときは,佐川市長の時代で,250億円かけたわけであります。マイムのビル,水戸駅ビル,ペデストリアンデッキ,そして地下駐車場,そういうことをやりました。そういう中で,産業経済部の中に活性化対策本部,商店会の活性化対策本部というのもつくりました。
さきのこの場で,今は亡き佐川一信市長に名誉市民の称号を付与する議決を全会一致で議決をいたしました。佐川市長に与えられた称号ではありますけれども,その功績というのは,当時,一緒に議会をつかさどっていた議員一人一人の方々にも同じように功績はある,また反面,責任もあるんじゃないかと,こういうことであります。 加藤市長におかれましては,まちづくり運動をずっとやってまいりました青年会議所の先輩でもあります。
私は,故人となられました佐川一信氏に水戸市名誉市民の称号を贈りたいと存じます。 佐川一信氏は,昭和59年7月に第16代水戸市長に初当選して以来,市民の意思と力でみずからのまちをつくるという「市民からの出発」を原点として,3期9年間にわたり積極的に市政運営に当たられました。
第5次総合計画につきましては,既に平成12年の6月の定例会で,市民参加の観点で,和田市政による水戸市第2次総合計画と佐川市政による第3次総合計画,さらには岡田市長を中心とする現執行部による第4次総合計画のそれぞれにおける市民アンケートの調査などの策定手法の比較と,人口や市域などの想定と実態の乖離についての考察を含めた質問をさせていただいております。
それは,水戸市が(旧)東部浄化センターという形で約18ヘクタールを水戸市が買収し,そこを佐川市長時代以前の和田市長時代から,そこに処理場を建設するということでやってまいったわけでございます。そういう中で,それに対しては,地元の賛否両論がございまして,一部の地権者から反対もあり,それの半分を(仮称)東水戸文化公園にするということになりまして,その残地もあるわけでございます。
そのたびに市長が陣頭指揮で行って、最初はちょっと時間がかかったそうですが、その後からは1日、2日のうちに終了して、4回、5回やっているうちにとうとう壊さなくなったという実例を、元水戸市長の佐川一信氏が本に書いておるわけですね。そのように、まあ、先ほどの話で、9月30日に壊されたやつがいまだに手を打っていないとするならば、これは、何をやっているんだということを言わざるを得ないわけでございます。
一五番 西川忠彦君 一六番 野本三雄君 一七番 平田賢次郎君 一八番 林田 悧君 一九番 川村 力君 二〇番 川越孝洋君 二一番 森 信也君 二二番 前田富雄君 二三番 田中廣太郎君 二四番 朝長則男君 二五番 三好徳明君 二六番 佐藤 了君 二七番 西津 覚君 二八番 奥村愼太郎君 二九番 八江利春君 三〇番 末永美喜君 三一番 田口一信君
昭和56年に計画した東部浄化センター建設について,当初計画の和田市長,選挙で建設反対を表明し,当選後,建設反対を白紙撤回した佐川市長の2代の市長にわたり,地元渋井町の皆さんは処理場建設反対の意思を表明され,引き続き岡田市長になっても渋井の皆さんは処理場建設に反対をしているわけであります。
〔1番 田山知賀子君登壇〕(拍手) ◆1番(田山知賀子君) 昨日の袴塚委員に引き続きまして,3期9年間,水戸市発展のために尽力されました故佐川前市長に感謝と哀悼の意を表しつつ,平成7年第4回定例市議会に当たり,通告に従い一般質問をいたします。 第1番目は,児童福祉行政の子育て支援策として,多子世帯の保育料の軽減についてお伺いいたします。
長谷川佳寿子君 二十九番 森川礼子君 三十番 森田イツ子君 三十一番 長谷川義樹君 三十二番 増田信之君 三十三番 小口義晴君 三十四番 石井徳成君 三十五番 新田勝己君 三十六番 中村大吉君 三十七番 平山八郎君 三十八番 大高定左右君 三十九番 山口昭君 四十番 東まさ君 四十一番 丸山孝夫君 四十二番 中塚護君 四十三番 和田勉君 四十四番 吉本保寿君 四十五番 小谷勝君 四十六番 石塚一信君
長谷川佳寿子君 二十九番 森川礼子君 三十番 森田イツ子君 三十一番 長谷川義樹君 三十二番 増田信之君 三十三番 小口義晴君 三十四番 石井徳成君 三十五番 新田勝己君 三十六番 中村大吉君 三十七番 平山八郎君 三十八番 大高定左右君 三十九番 山口昭君 四十番 東まさ君 四十一番 丸山孝夫君 四十二番 中塚護君 四十三番 和田勉君 四十四番 吉本保寿君 四十五番 小谷勝君 四十六番 石塚一信君
長谷川佳寿子君 二十九番 森川礼子君 三十番 森田イツ子君 三十一番 長谷川義樹君 三十二番 増田信之君 三十三番 小口義晴君 三十四番 石井徳成君 三十五番 新田勝己君 三十六番 中村大吉君 三十七番 平山八郎君 三十八番 大高定左右君 三十九番 山口昭君 四十番 東まさ君 四十一番 丸山孝夫君 四十二番 中塚護君 四十三番 和田勉君 四十四番 吉本保寿君 四十五番 小谷勝君 四十六番 石塚一信君
平成 5年 3月 定例会−03月26日-04号平成 5年 3月 定例会 平成五年第一回定例会 世田谷区議会会議録 第四号 三月二十六日(金曜日) 出席議員(五十五名) 一番 南里吉彦君 二番 新田勝己君 三番 石井徳成君 四番 石塚一信君 五番 近岡秀輔君 六番 唐沢敏美君 七番 高橋忍君 八番 西村孝君 九番 諸星養一君 十番 薗部みどり君 十一番
平成 5年 3月 予算特別委員会−03月12日-02号平成 5年 3月 予算特別委員会 平成五年予算特別委員会 予算特別委員会会議録 第二号 日 時 平成五年三月十二日(金曜日) 場 所 大会議室 出席委員(五十三名) 委員長 宮田玲人君 副委員長 長谷川義樹君 副委員長 笹尾淑君 荒木義一君 石井徳成君 石塚一信君 宇田川国一君 内山武次君
平成 5年 3月 定例会−03月04日-01号平成 5年 3月 定例会 平成五年第一回定例会 世田谷区議会会議録 第一号 三月四日(木曜日) 出席議員(五十五名) 一番 南里吉彦君 二番 新田勝己君 三番 石井徳成君 四番 石塚一信君 五番 近岡秀輔君 六番 唐沢敏美君 七番 高橋忍君 八番 西村孝君 九番 諸星養一君 十番 薗部みどり君 十一番 飯塚和道君
平成 4年 11月 定例会−11月27日-04号平成 4年 11月 定例会 平成四年第四回定例会 世田谷区議会会議録 第十六号 十一月二十七日(金曜日) 出席議員(五十五名) 一番 南里吉彦君 二番 新田勝己君 三番 石井徳成君 四番 石塚一信君 五番 近岡秀輔君 六番 唐沢敏美君 七番 高橋忍君 八番 西村孝君 九番 諸星養一君 十番 薗部みどり君 十一番