長崎県議会 2024-02-20 02月20日-01号
本県はこれまで、長崎大水害や雲仙・普賢岳噴火災害など度重なる大規模な自然災害を経験しましたが、その都度、全国の皆様から温かい励ましやご支援を受け、復興を成し遂げてまいりました。 そのようなご支援に対する感謝の気持ちを持って、県民の皆様のご理解とご協力をいただきながら、被災地の復旧・復興が一日も早く進むよう、できる限りの支援を実施してまいりたいと考えております。
本県はこれまで、長崎大水害や雲仙・普賢岳噴火災害など度重なる大規模な自然災害を経験しましたが、その都度、全国の皆様から温かい励ましやご支援を受け、復興を成し遂げてまいりました。 そのようなご支援に対する感謝の気持ちを持って、県民の皆様のご理解とご協力をいただきながら、被災地の復旧・復興が一日も早く進むよう、できる限りの支援を実施してまいりたいと考えております。
県においては、昭和32年の「諫早大水害」、昭和57年の「長崎大水害」による甚大な水害が発生しており、近年では令和元年の江迎川、令和2年には大村の大上戸川、佐奈河内川で河川氾濫が発生するなど、年々、予測不能な大雨が迫っていることを感ずるところであります。 県において、このような予測不能な事態に備えて、どのような想定をもって内水に備えているのか、ご所見を伺います。
私も長崎にいる頃、長崎大水害に遭いまして、本当に水は怖いなと思っております。
過去に振り返ってみますと、全国では阪神淡路大震災、東日本大震災、熊本震災など大規模な震災が発生し、一方、私たちが住む長崎県でも、諫早大水害、長崎大水害、雲仙普賢岳噴火災害で尊い命が奪われる大惨事となりました。特に2016年に起きた熊本震災は、約30年の地震発生確率がほぼゼロ%から0.9%という1%にも満たない確率の中で発生したものでありました。
本年は、諫早大水害から65年、長崎大水害から40年の節目の年でもありますので、当時の経験を生かし、今後も防災講座などを通じ、市民の皆様の防災意識の向上に努め、大規模な自然災害などに備えた対策を図ってまいりたいと考えております。
今年は、昭和32年の諫早大水害から65年、昭和57年の長崎大水害から40年の節目の年となりました。 残念ながら、恒例であります7月25日の諫早万灯川まつりにつきましては、新型コロナ感染症対策として、規模が縮小された形での開催となりましたが、諫早大水害でお亡くなりになられた方々の御霊に対し、哀悼の誠をささげた次第でございます。
昭和57年7月23日は、長崎大水害が発生し、299名の尊い命をはじめ、未曽有の大災害を被りました。 また、私自身、故郷の復興、振興を目指して、政治の道を歩く決意をした年でもありました。あれから40年、復興は成し遂げられましたが、今は、人口減少という人災的な静かなる脅威が進行中であると考えています。 知事は、39歳にして、夢、医師、のまた夢、知事を勝ち取った体現者であります。
今年は、昭和32年の諫早大水害から65年、また昭和57年の長崎大水害から40年を迎えます。例年7月25日に開催しております諫早万灯川まつりにつきましては、昨年に引き続き打ち上げ花火は中止となりますが、のんのこ河原では慰霊の思いを込め約1,000本の万灯が設置され、諫早公園芝生広場では水難者慰霊式典が執り行われる予定となっております。
また、長崎大水害から40年が経過しております。私も長崎大水害のときには、ちょうど高校野球があっておりまして、私監督をしておったのですけども、大橋球場のところですごい雨が降って、もう今まで見たことがない、そういった大粒の雨でございました。
土砂災害といいますと、昭和57年の長崎大水害が思い起こされます。 御存じのように、諫早市も被害を受け、特に旧飯盛町補伽地区では13名の貴い命が失われております。 その飯盛町で、住民の方からお話を聞く機会がありました。
今年は諫早大水害から65年、長崎大水害からは40年という大きな節目の年でもございます。 中国など世界各地では、早くも水害情報が多発しているところもございます。いつものことでございますけれども、自分の命は自分で守るという防災の基本理念を家族皆様方とともに再度認識、確認をされ、爽やかな秋を無事に迎えられることをお祈りしたいと思います。 それでは、通告に従いまして質問に入らせていただきます。
私も長崎で20代の頃に長崎大水害に遭って、後片づけがすごい大変だったという記憶がありますけれども、災害に強いまちをぜひつくっていただけたらと思います。よろしくお願いいたします。 以上で終わります。 ◆三宅紀昭 委員 一問一答方式で、全部で7点あります。
私こと昭和57年4月に消防吏員を拝命しまして40年、入って3か月後に7.23長崎大水害がございました。非常に厳しい職場を選んだと感じたところです。 もとより本当に何の取り柄もない私が今まで勤務できましたのも、田中議長をはじめ、市議会議員の皆様、また朝長市長、両副市長、さらには私に関わってくださった多くの皆さんの支えがあって、今日まで勤めることができたと思っています。
平成6年のことばかり申しましたけれども、そのほかにも、市役所に入った翌年に起こった長崎大水害、299人もの犠牲者を出してしまったこの水害の見舞金や義援金の送付などを行ったこと、あるいは、ハウステンボスの開業に当たり、ホテルヨーロッパなどに新入社員として入られる方々に長崎、佐賀、福岡、その他の観光地などについて、スライドを使って観光案内などのレクチャーをさせていただいたことなど、さらには、ポートルネッサンス
本市は、過去、諫早大水害あるいは7.23長崎大水害において甚大な被害を被った経験がございます。災害発生直後、直ちに本市消防団員はもとより、近隣の市町等から多くの消防団員の方に応援をいただき、人命救助あるいは人命検索、災害復旧などの活動に当たったことは、こうした災害の教訓とは別に彼らの郷土愛護の精神や、献身的な活動も語り継いでいかなければならないのかなと思っているところでございます。
かつ今から39年前には長崎大水害が発生をしました。これも物すごいものでした。57災長崎大水害、こういう言い方をするんですが、これからいくと雨の降り方は、今回は匹敵はするけれども、そこまではなかったかなと思います。
昭和57年7月の長崎大水害の際は、最大時間雨量99ミリメートル、総雨量が492ミリメートル、低平地の多くの家屋で床上、床下浸水が発生いたしました。また冠水が四、五日続いたということでございまして、甚大な被害があったということです。 今回の大雨につきましては、最大時間雨量が79ミリメートル、総雨量1,039ミリメートルでございます。
昭和32年の諫早大水害や昭和57年の長崎大水害、近年では、令和2年7月の豪雨や今年8月11日から19日までの大雨も、このような地域特性によるものだと思われます。
本市は過去に多くの人命が犠牲となった長崎大水害を経験し、また、全国各地においてもここ数年間で豪雨などによる大規模災害が頻発しており、ドローンの活用が期待されているところです。 そこで、改めて災害現場で消防が活用するドローンの導入について考え方をお示しください。 次に、(2)災害時の指定避難所への電力供給についてお尋ねします。
現物備蓄の品目については、長期保存可能な食料品や飲料水、毛布、おむつなどの生活必需品を備えており、長崎大水害の際の避難者数3,000人に災害対応職員数600人を加えた計3,600人の2日分を基本としています。なお、おむつやミルク、生理用品などは、想定避難者数にその物資を必要とする年代などの割合を乗じて算出しています。