大田原市議会 2024-06-21 06月21日-04号
本市における国の重要文化財は、那須神社や大雄寺の建造物や国宝であります那須国造碑のほか、雲巌寺所蔵の絵画や彫刻など計7件であります。これらの重要文化財の修繕につきましては、原則として所有者が行うことが前提でありますが、所有者等の負担に耐えない場合は国庫補助があり、補助率は補助対象経費の50%であります。
本市における国の重要文化財は、那須神社や大雄寺の建造物や国宝であります那須国造碑のほか、雲巌寺所蔵の絵画や彫刻など計7件であります。これらの重要文化財の修繕につきましては、原則として所有者が行うことが前提でありますが、所有者等の負担に耐えない場合は国庫補助があり、補助率は補助対象経費の50%であります。
大田原市には、国宝那須国造碑をはじめとする文化財や社寺、史跡、また那須家、大田原家、大関家にまつわる資料など、歴史的価値の高い文化資源が数多く存在しております。さらに、各地区の太々神楽や獅子舞、屋台行事等、地域の方々により代々受け継がれてきた祭りも多数残っております。
(2)、国宝・那須国造碑や国史跡・侍塚古墳、資料館など観光拠点としての最終形をどうイメージをしているか伺います。相馬市長は、大田原市の歴史のすばらしさを内外に発信し、市の活性化につなげたい、観光資源として有効活用していきたいとお話をされています。市長の肝煎りと理解をしております。実現に向けた今後の市長の思いをお聞かせください。 (3)、中心市街地活性化について伺います。
市内には、那須国造碑、那須家、大田原家、大関家にまつわる資料など、歴史的資源が数多く残っています。下侍塚古墳は、日本一美しい古墳とも言われていますので、日本考古学の発祥の地と言われる大田原市のPRを行い、観光につなげる取組も行いたいと考えております。 令和5年度は、3年間休止していた「与一まつり」と「大田原マラソン」が復活となります。
市長は県議会のときから侍塚の草刈りや那須国造碑の例大祭などに時間を割いて出席いただき、市長の観光地づくりにかける意気込みを感じることがうかがえます。地元議員または地域の一人として感謝申し上げるとともに、古代ロマンプロジェクトの会議や少子化への関与、先ほど、この二、三日前に表彰された石田青壮年クラブ会員など、皆さんも市長の観光地づくりの意気込みを感じ、期待していると思っております。
国宝那須国造碑など多くの史跡は、古代から人々が住み続けてきたあかしでもあります。3市町村合併以降は、新市の将来像を実現するため、積極的に施策を展開してまいりました。地域間の格差解消に努め、インフラ整備が行われ、大田原市民としての一体感が醸成されてきたと感じております。しかしながら、人口減少、少子化、高齢化の進行という難題に加えて、近年は激甚災害が日本各地で頻発化しております。
今、第2次と申し上げましたが、第2次においては、令和2年から6年までの5年間で毎年度の所要の見直しを行ってございますが、例えばその中で展開されるものでいきますと、那須国造碑ですとか、例えば下侍塚の古墳、また黒羽の舟運によって栄えた黒羽河岸跡。また、那珂川町にいきますと、例えば馬頭院です。
和銅4年、711年に片岡郡、緑野郡、甘楽郡から300戸を分割して、新たに多胡郡を設置したことを記念して建てられた石碑であり、栃木県大田原市にある那須国造碑と宮城県多賀城市にある多賀城碑とともに日本三古碑と呼ばれ、石碑としては国内では最も貴重で高い価値のある文化財であります。
今年国体が開催されるわけでして、国体で整備されました競技施設、こういったのも有効活用含めてスポーツの振興を図りまして、スポーツでかいた汗を温泉で流した後に、大田原市の日本遺産あるいは文化財、天然記念物、そして古代ロマンの満喫できる国宝、那須国造碑とか侍塚古墳、こういったものもございますので、そういった史跡巡りができるようなスポーツツーリズム事業を展開していただきたいなということで、大田原市をなお県内外
私の住む大田原市には、飛鳥時代に建立された国宝の那須国造碑があり、江戸時代に入り、その存在を知った徳川光圀公がその碑主を解明しようと、1692年に上・下侍塚古墳を発掘しました。来年は発掘から330年目を迎えることになります。光圀公は絵師に記録をさせた後、出土品を埋め戻し、墳丘を復旧し、松の木を植えてその保護に当たりました。
同時に地元では、光圀公、那須国造碑と侍塚の発掘調査が、330年を見据えて、一昨年、古代ロマンプロジェクト実行委員会が組織され、環境整備をはじめ様々な事業や広報活動を通じ、この地域のすばらしさを県内外に発信しています。中でも、今月28日には水戸徳川家の子孫を招いて、日本考古学発祥の地の記念碑の除幕式が挙行される予定でありますので、一気に全国的に注目されることと思います。
国指定の文化財11件の中には、古文書として湯津上にある笠石神社の国宝、那須国造碑があります。宮城県の多賀城碑、群馬県の多胡碑とともに日本三古碑の一つに数えられております。那須国造碑は、昭和27年に国宝に認定されております。建造物としては、南金丸にある那須神社の本殿と楼門が平成26年1月に重要文化財に指定されました。また、同年3月には那須神社の境内が奥のほそ道の風景地名勝にも指定されました。
去る7月31日、文化庁、国土交通省、観光庁の課長級職員4名が湯津上地区を中心に活動を展開している民間団体、那須国古代ロマンプロジェクトの活動の舞台にある国宝、那須国造碑や国史跡、下侍塚古墳などを視察するとともに、同団体のメンバーと意見交換を行うため、来市されました。
那須国造碑と侍塚の保存と観光活用について伺います。この質問については、12番の滝田議員の代表質問と重複する点がございますが、よろしくお願いします。 本市の東部、那珂川右岸段丘には今も数多くの古墳群が残っており、その中でも特に歴史ある侍塚は日本一美しい古墳と称賛されております。
さらに、施策の具体的な取組要素といたしまして、那須与一、西行、また松尾芭蕉、徳川光圀など、本市と深い関わりのある全国的に有名な人物や、本市出身の書の大家、豊道春海、フランス学の始祖、村上英俊のように、日本の歴史の一こまを飾った人物、さらには侍塚古墳における日本最初の学術的発掘調査、日本最古級の石碑、那須国造碑などといった日本初、日本一と言えるような事物などを折に触れ取り上げるとともに、本年2月には本市
後者の調査は、侍塚古墳や那須国造碑の周辺を通過して、湯津上地区の古代の歴史を築く基盤となった古代官道東山道やその往来に必要な人馬が置かれていた磐上駅家跡、さらには侍塚古墳を築造した人々の集落跡を見つけ出すための試し掘りや確認調査を予定しております。現在具体的な発掘場所を選定している最中であり、農地における収穫が終了する秋以降に調査を開始するものとして準備を進めているところであります。
「那須国造碑」の碑文によりますと、現在の高速道路に相当する直線的な古代の道路「東山道」が本市内を通過したことにより、都から遠く離れた地域でありながら、日本の歴史上に残る記録を残すとともに、当時の日本の最先端の技術がもたらされ、発展を遂げていったと考えられることから、「那須直韋提」という人物はすばらしいリーダーであったと推察されます。
本市には那須与一や俳聖松尾芭蕉翁のゆかりの地として、また国宝であります那須国造碑など歴史や伝統文化、地域のお祭りなど、各地域に観光資源となる素材が数多くあります。また恵まれた自然の中、桜やアジサイ、もみじ、ザゼンソウなど1年を通してさまざまな草花が彩り、来訪者の目を楽しませてくれております。
国宝に指定されている那須国造碑の建立と発見をテーマに展示を行うなす風土記の丘湯津上資料館や、民具を中心に昭和30年代までの生活文化を展示している歴史民俗資料館、松尾芭蕉にかかわる資料と黒羽藩主大関家の資料を展示している芭蕉の館、那須与一氏にかかわりのある貴重な資料を展示している那須与一伝承館、本市の資料館には学術的価値の高い資料がたくさん保存されております。
那須国造碑が発見されまして、徳川光圀によって今に伝えられております。徳川光圀によって、ここもやっぱり私すごいなと思うのですけれども、徳川光圀ですよね。水戸黄門、知らない人ないですよね。皆さん知っていますよね。その水戸光圀によって笠石神社となりまして、今にここに、大田原に伝えられていると。まさに国宝という形で日本三大古碑の一つであると。