熊本県議会 2023-09-22 09月22日-04号
そうしたら、当時の知事が、福島知事だったんですけれども、夏の冷房は、あんまり冷やしたら女性には悪いんだと、女性の人は、半袖で気楽に動けるようにしておかなければならないということで、私の質問には全く手をつけなかったんですね。 ただ、当時は、全部机の上にはうちわが置いてあって、県庁の職員の人には喜んでいただきました。仕事がやっぱりやりやすくなったということでですね。
そうしたら、当時の知事が、福島知事だったんですけれども、夏の冷房は、あんまり冷やしたら女性には悪いんだと、女性の人は、半袖で気楽に動けるようにしておかなければならないということで、私の質問には全く手をつけなかったんですね。 ただ、当時は、全部机の上にはうちわが置いてあって、県庁の職員の人には喜んでいただきました。仕事がやっぱりやりやすくなったということでですね。
以来、引き継ぐ細川知事、そして福島知事にも質問したんですけれども、まだ実現しておりません。画竜点睛を欠くという感じですね。 県立劇場は、西日本有数の芸術の殿堂です。しかし、まだ完成したとは言えないんですね、パイプオルガンがないから。 昭和57年開館の県立劇場は、著名な建築家である故前川國男氏の設計によるものであり、コンサートホールと演劇ホールを併設する全国でも有数の文化施設となっています。
福島知事時代には、1960年以来24年ぶりに初めて水俣湾埋立地にて水俣病犠牲者慰霊式が開催されました。また、水俣病資料館、熊本県環境センター、親水護岸、竹林園の整備がされ、公式の会議で初めて水俣病患者団体代表が登壇した、産業による環境破壊と地域社会の対応に関する1992水俣国際会議が開かれ、水俣再生への大きな歩みとなりました。潮谷知事時代には、国に水俣病対策独自案を正式に提示し、迫りました。
平成8年には、福島知事が御所浦架橋建設を表明されております。そして、昨年、令和2年10月には、中村天草市長より、一般県道龍ヶ岳御所浦線整備事業再開に関する要望書が蒲島知事に提出されております。蒲島知事には、御所浦の未来が見える地域づくりをお願いしまして、次の質問に移ります。 国道389号下田南工区。
故福島知事は、太陽光発電を進めて、本県を太陽光発電のふるさとにしたいと唱えられていたそうですので、環境への配慮という点では、以前から先進する流れがあったことを知り、大変うれしく思いました。 さて、世界の温暖化防止の動きは早くて、既に産業界の一部では、投資やビジネスにおいて脱炭素が条件になるという動きが始まっています。
私が市議会議員になったときは福島知事でしたけれども、いろいろな議事録に目を通すと、当時もやっぱり反対はあるんですね、当然。今も反対はありますけれども、反対される方がいるのは当然です。そのときに、福島知事が、時計の針は元には戻せないと言って、やっぱりきちっとぶれずに事業を推進されてきた。その後、平成12年からは御承知のとおりです。
振興計画の策定に当たっては、地元からの要望や陳情ではなく、福島知事時代に、首長や議長から成る地元の代表と、副知事、各部長から成る県庁の代表との意見交換の場を設置いただき、この場を通じて、県と地元が連携し、計画が策定されています。
ここで歴代知事を申し上げますと、沢田知事、細川知事、福島知事、そして潮谷知事、そして今現在の蒲島知事でございまして、ちなみに、私は、潮谷知事のときに初当選ということでございます。 今知事の答弁お聞きしまして本当に安心した次第でございますが、これまで本当に、初当選以来、この計画を守り、継続してこられました山本先生にも心から感謝申し上げたいというふうに思います。
1回目は、1998年9月定例会で、地球温暖化防止の問題もありますが、快適な環境をつくるための冷房化を求めて、当時の福島知事に質問しました。
私は、宮本武蔵の大河ドラマを当時の福島知事に頼みに行ったんです。知事室に行って、印鑑を押してくださいと言った。秘書課のほうで、その手の陳情に知事の印鑑は打てませんと言ったんですけれども、それを福島知事は、それは押しなさいと、そして自分で海老沢会長に電話をされて、大河ドラマをお願いしたいと要求をされたんです。
この質問は、各知事に、福島知事に、そして潮谷知事に、蒲島知事に、再三機会あるたびに申し上げてまいりました。 19年に、NHKの放送局長に陳情に行きまして、山形県鶴岡市長、県知事、市長、岐阜県高山市長の連名で署名を添えてお渡しをし、21年にも、熊本放送局に、蒲島知事の署名を添えて、加藤清正大河ドラマについてお願いしました。12万8,678名の署名をいただきました。
当時の福島知事は、地裁判決は、国、県も責任を感じるべきだと言ってきた私の主張の延長線上にあると述べ、国が受け入れを拒否する中、県は勧告を受け入れ、解決に向け、協議を始めました。 関西訴訟最高裁判決を受けて、当時の潮谷知事は、国に対し、水俣病の判断条件の見直し、沿岸住民の健康調査を提案しています。
私は、17年前、1998年9月議会で、県庁舎の冷房について、当時の福島知事に質問をいたしました。福島知事は、今回の措置は、夏の間は冷房設定温度を2度上げる、冬の暖房時期は逆に2度下げる、2ないし3カ月の問題ではなく、年間を通して、県庁みずから、地球温暖化防止のために、やれることはやっていこうという趣旨から出たものですとの答弁でございました。 現在も、当時のままのようです。
だから、人事が先で予算が後でということじゃなくて、やっぱりこれは当初でやらないと、私も、福島知事、潮谷知事、そして蒲島知事、この中に仕えて議会でいるわけですけれども、こういった多くの根本的な予算は新年度で取り組んでやっていただきたい。こういうのを議会で私たちもチェックをしながら頑張っていきたいと、かように思っています。 以上です。終わります。
次に、伊藤会計管理者とか、田中人事委員会事務局長、そして古里企業局長さん、岡村部長さん、そして今答えられました松葉健康福祉部長さん、谷﨑部長さん、福島知事の秘書課長だった真崎さん、農政の親玉の梅本さん、これは梅本さんはよくやってるね。梅本部長さん。ここにおられる方たちが退職をされるということですね。
ちょうど30回目ですが、1回目の質問、福島知事に質問したときが一番落ち着いて質問をしたなというふうな思いでいます。福島知事の政治姿勢なんて、とんでもない横着な質問をしたような記憶がありますけれども、回を重ねるごとに非常に緊張するようになりましたし、準備もうまくいかなくなって、時間配分が非常に厳しくなっています。
平成10年1月6日、当時の三角市長より福島知事に対して熊本都市計画事業西部第一土地区画整理事業の設計の概要の変更について、土地利用計画はJR新駅設置計画に伴う駅前広場、周辺地域は商業地域の立地を予想した計画とし、都市計画道路3・2・4近見沖新線については沿道型の商業施設を想定した土地利用計画とする。その背後地は良好な住宅環境を有する住宅地として土地の利用を図る。
平成10年1月6日、当時の三角市長より福島知事に対して熊本都市計画事業西部第一土地区画整理事業の設計の概要の変更について、土地利用計画はJR新駅設置計画に伴う駅前広場、周辺地域は商業地域の立地を予想した計画とし、都市計画道路3・2・4近見沖新線については沿道型の商業施設を想定した土地利用計画とする。その背後地は良好な住宅環境を有する住宅地として土地の利用を図る。
内容でございますが、政治ジャーナリストの泉宏氏によります「政局展望=日中、原発再稼働、福島知事選‥揺れる安倍政権=」と題しての研修でございます。 なお、テーマにつきましては、先日に行われました内閣の改造があった関係で、変更となることがあるかもしれませんが、その際には、またお知らせをいたします。 多くの議員の方の参加をお願いいたします。
そして、平成4年に、福島知事が、能楽堂建設についての基礎調査の予算をつけられました。 しかしながら、それ以来、財政的な制約や利用見込み等の課題もあり、こうした伝統芸能を披露する施設は整備されておりません。 一方で、福岡県には県立能楽堂が、また、大分県には市立能楽堂が既に建設され、活用されております。