串間市議会 2019-11-29 令和元年第5回定例会(第2号11月29日)
大正で言えば108年ということですが、日本人の最高年齢を調べてみると、長寿といえば江戸時代最後の生き残りと呼ばれ、長寿世界一となった鹿児島県徳之島大島郡伊仙町の出身の泉重千代さんを思い出すのですが、現在、福岡市在住の116歳、田中力子さんという方が発表されております。
大正で言えば108年ということですが、日本人の最高年齢を調べてみると、長寿といえば江戸時代最後の生き残りと呼ばれ、長寿世界一となった鹿児島県徳之島大島郡伊仙町の出身の泉重千代さんを思い出すのですが、現在、福岡市在住の116歳、田中力子さんという方が発表されております。
また、私たちが管外で視察した昨年、徳之島では徳之島認定エコツアーガイドということで、泉重千代さんの生家とか、それから島の絶景ポイントというものをめぐってきたわけでありますが、こういったことも参考にしながら飯田市でもガイドの認定を行ってこうしたコースをつくっていくことができるんじゃないですか、その辺をお聞きしたいと思うんですが、いかがでしょうか。 ○議長(湯澤啓次君) 遠山産業経済部長。
これは泉重千代さんというおじいさんが、120歳で亡くなりましたが、その町です。徳之島は6,000人の町で、出生率もさることながら100歳以上が20人もいるのです。御前崎市に例えますと、御前崎市には100歳以上が100人いる勘定になる町です。その町でいきましても、やはりそういった施策はやっていないのです。ただ、出産奨励金はやっていて、1人目が5万円で2人が10万円、3人目が15万円だそうです。
鹿児島県の徳之島の伊仙町は、長寿世界一で有名になった泉重千代氏がおられたところです。皆様もお聞きになったことがあると思います。その伊仙町では現在、子育て支援と合計特殊出生率が日本一のまちづくりとして、子育て支援に力を入れておられます。その支援の1つとして興味深く思ったのは、地域ぐるみで子育てに当たっている姿であります。
鹿児島県の徳之島の伊仙町は、長寿世界一で有名になった泉重千代氏がおられたところです。皆様もお聞きになったことがあると思います。その伊仙町では現在、子育て支援と合計特殊出生率が日本一のまちづくりとして、子育て支援に力を入れておられます。その支援の1つとして興味深く思ったのは、地域ぐるみで子育てに当たっている姿であります。
それから、高齢者の歩き過ぎですけれども、遠い記憶で定かではないので大変失礼なのですけれども、高齢者の泉重千代さんという方がいらっしゃいました。その方は毎日自宅から2キロほど離れている雑貨屋といいますか、雑貨屋か飲食店だったか忘れましたけれども、そこに行って泡盛を1杯飲んで帰るというのが日課だったそうです。
奄美地方は世界ギネスに取り上げられた百二十歳の泉重千代翁や百十六歳の本郷かまとさんの出身地でもあります。また、長寿であるだけでなく健康であることが大切であり、健康寿命が今後、大切なことであると思います。 そこで第一として、食料供給県鹿児島の最近の寿命状況、健康寿命の状況についてお伺いいたします。
皆さんご存じだと思いますけど、泉重千代さん、徳之島ですかね、この方は。昭和61年2月21日に亡くなって、その存在日数は120歳237日に及んだとされております。この人は非常に晩婚で、39歳の時に結婚して、その時に島に住む15歳下のミヤさんと結婚して、51歳で子供が生まれたということですけど、不幸で1年7カ月で長男が生まれたけど亡くなったということです。
171 ◯たけ委員 今、言われましたように、泉重千代さん、本郷かまとさんというギネス認定者、ましてや、特に伊仙町はほかの町と比べてまた多いですよね、百歳以上がですね。そういうすばらしい町ですよね。それが一つ。
世界で最長寿はフランスのジャンヌ・ルイーズ・カルマン氏で122歳、日本では泉重千代氏の120歳でありました。現在は、京都市の男性で116歳でありましたが、きのうか、おととい、亡くなられたみたいでございます。 富山県では、平成10年の統計によると、平均寿命が、男性が79.71歳、女性が86.32歳でございます。食養・食育論で、石場左玄、1851年幕末、食育基本法が平成17年に制定されております。
かつて泉重千代さんや本郷カマトさんを生んだ鹿児島県としては、大島地区に百歳以上の長寿者が多く存在する理由は、健康な体づくりのことを考えるときに大きな参考になるものと思われます。 本県の百歳以上長寿者の地区別状況と推移について、また二つ目に、この大島地区に長寿者が多く存在する理由についてお聞かせください。
世界一の長寿国日本、その中でも奄美群島は、故泉重千代翁や故本郷かまとさんなどギネス認定者を輩出し、百歳以上の長寿者も多く、鹿児島県でもあまみ長寿・子宝プロジェクトを立ち上げ、研究してまいりました。また、昨年末、中国の医療関係者がこのことに着目し、ことしも奄美訪問を計画しています。
これまで世界ギネスに登録された百二十歳の泉重千代さんや百十六歳の本郷かまとさんも奄美生まれで、サトウキビ農家であります。 これまで、県は、あまみ長寿・子宝プロジェクトの中で、要因として、一、奄美の温暖な海洋性気候などの自然環境、二、文化や伝統を重んじるライフスタイル、三、黒砂糖や島野菜等を摂取している食生活、四、子育てのための社会環境などとしています。
そういうことで、今、言ったことは、奄美長寿も百歳以上が世界で一番多いわけですし、泉重千代さんや本郷かまとさん、ギネスですよ、あの人たちは。世界一ですよ。このことで、今度中国からも研究に来ますよ。本当にすばらしいものをなぜしっかり見つめないのか。これをしっかり研究していかないのか。何もなくて結果が出ているわけじゃないんですから、そういういいものはしっかりと研究してほしいというのが二つ目です。
奄美、とりわけ徳之島は、泉重千代、本郷かまとのお二人が長寿世界一になったことに象徴される長寿の島であり、今や合計特殊出生率日本一の子宝の島として注目を浴びていますが、一方で、過去には奄美復帰運動の父と言われた泉芳朗に象徴される権力に対する抵抗と粘り強い闘いの歴史があります。
例えば、長生きした100歳を超えました泉重千代さんも、きんさん、ぎんさんも、「かまとバア」の愛称で親しまれた本郷かまとさんも、健康食品を飲んでいたなんて聞いたことありません。粗食で腹八分目の生活をしていたんだと思います。
少々長くなりましたが、最後に世界のギネスブックの中で人類初の大還暦、120歳を迎えた元世界最長寿記録保持者の泉重千代さんは、70歳からたばこを吸い始めた愛煙家だった。そして、泉さんの記録を更新し、122年の人生を全うしたフランス人女性ジャンヌ・カルマンさんもまた117歳までたばこを愛煙していたと、このように書かれているわけであります。
さらに、その中の伊仙町という町からは、前世界一長寿の記録を持つ泉重千代様、そして現世界一長寿記録を持っている本郷かまと様、この二人の世界一が生まれ育った町でございます。 しかし、その反面、早世率、特に四十代、五十代での死亡率は日本の平均の三・三倍にもなります。行政でもこのことを重く見て調査した結果、原因は食生活にあったそうです。