北秋田市議会 2021-10-01 10月01日-04号
一方、防衛省が基地埋立てに糸満市の沖縄戦跡地の土砂も使うと表明してから、ほぼ1年たちました。この間、国会や新聞紙上では、次のような言葉が躍りました。戦争で亡くなった人の血や肉がしみ込んだ土を軍事基地建設に使用するのは人間のやることではない、人間の心を失っている、戦没者への冒涜など、まだまだたくさんありますが、いずれも、我々生きている者の心の在り方を問うています。
一方、防衛省が基地埋立てに糸満市の沖縄戦跡地の土砂も使うと表明してから、ほぼ1年たちました。この間、国会や新聞紙上では、次のような言葉が躍りました。戦争で亡くなった人の血や肉がしみ込んだ土を軍事基地建設に使用するのは人間のやることではない、人間の心を失っている、戦没者への冒涜など、まだまだたくさんありますが、いずれも、我々生きている者の心の在り方を問うています。
この保存・公開運動のきっかけになったのは、篠ノ井旭高校の生徒が、修学旅行で訪れた沖縄戦跡地の調査を行い、その後、自分たちの郷土にある大本営跡に着眼し、先生や専門家と共に調査・研究活動を行い、教師だけでなく、父母まで巻き込み、PTA挙げて、沖縄の壕と同じように永久保存をと、平和祈念館の建設を訴えたのです。
松代大本営や象山地下壕が今日のように脚光を浴びる経過を追ってみますと、十数年前から歴史学者や信州大学の学生たちが研究調査をしておりましたが、一九八五年に篠ノ井旭高校の生徒が修学旅行で訪れた沖縄戦跡地の調査を行い、その後松代の大本営跡に着目し、沖縄のように永久保存と平和記念館の建設を訴え、当時の柳原市長が昭和史跡として保存することを約束をいたしました。