伊豆の国市議会 2024-03-11 03月11日-06号
それから、日本大使館ですとか日本人墓地、こういったところを見学するなどして交流を深めていたというところでございます。 ○議長(柴田三敏君) 2番、長谷川議員。 ◆2番(長谷川浩君) 大変有意義だったという形は受け取ります。そこで、参加した学生の感想等、もしあればお願いいたします。 ○議長(柴田三敏君) 企画財政部長。
それから、日本大使館ですとか日本人墓地、こういったところを見学するなどして交流を深めていたというところでございます。 ○議長(柴田三敏君) 2番、長谷川議員。 ◆2番(長谷川浩君) 大変有意義だったという形は受け取ります。そこで、参加した学生の感想等、もしあればお願いいたします。 ○議長(柴田三敏君) 企画財政部長。
さらに、在モンゴル日本大使館や日本人墓地を訪問し、外務省の仕事や両国の外交関係について、子供たちも学ぶことができました。 次に、(2)ソンギノハイルハン区とどのような話合いが行われたのか、これについてのお尋ねでございます。
また、カウラ市には、すばらしい日本庭園や、九州電力の元社長である永倉三郎氏がオーストラリアとの友好のあかしとして寄贈されたサブロー・ナガクラパークがあり、日本人捕虜収容所跡や、日本人墓地を含め、カウラ市は日本のプレゼンスが非常に高い町であることがよく分かりました。カウラ市と我々が築いてきた友好関係が、ニューサウスウェールズ州との今後の交流の礎になるものと私は考えております。
埋葬地はマルタ駅日本人墓地であるというふうにいって、地図もありました。 戦争が昭和20年で終わらなかった人々が多くいたというのを、改めて、実は2016年のことですが、感じました。終戦、そのときは71年目に届いたお知らせでございます。戦争は今も終わっていないなあと、その15ページの資料を見ながら思ったところです。
現地では、山梨や日本の伝統文化を伝えることをテーマに、神職による雅楽の演奏、裏千家淡交会青年部による茶道、市川の和紙によるちぎり絵など、盛りだくさんのプログラムで住民との交流を行ったほか、日本人墓地では神社神道式にのっとり慰霊祭を実施し、高い評価をいただいたところであります。
また,麻薬の撲滅ということで行ってまいりましたけれども,そこで日本人墓地に参拝に行きました。多くの墓が並ぶ大きな敷地の墓地でありました。その一番奥のところに,2つの慰霊碑がありました。そこで,橋本先生から聞いたお話なんですが,数十年前,佐藤栄作総理に橋本先生が随行されて,その新しいほうの慰霊碑を建てに行かれたそうです。
スルタノフ館長が運営されている日本人抑留者資料館の目の前にあります、タシケントの日本人抑留者墓地と、タシケントから電車で約4時間離れたコーカンド市内にある日本人墓地の2カ所に、今回の訪問団一同は訪問をさせていただき、無念にも日本の地へと帰国がかなわずお亡くなりになり、その地に埋葬されておられる抑留者の方々に対し、心を込めて参拝をさせていただきました。
私は、ことしの夏季休暇で、旧日本軍が満州事変や南京事変へと戦争に突き進んでいった中国東北部の瀋陽、ハルビン、また、満蒙開拓団、方正日本人墓地などを訪ねてきました。日本で伊藤博文は千円札にも使われた、いわゆる偉人ですが、韓国や中国にとっては、侵略者であり、伊藤博文を殺害した朝鮮人の安重根は、祖国を解放に導いた英雄で、韓国にも中国にも各地に記念館があります。
また、無念にも帰国を果たせなかった日本人240名のみたまが眠るコーカンドと、79名が眠るタシケントの日本人墓地をお参りしてまいりました。特に、タシケントの日本人墓地では、親子三代にわたって日本人墓地を管理いただいている地元の方にもお会いすることができ、これまでの御奉仕に感謝の意をお伝えさせていただきました。
墓地や周辺の環境がきれいにされている状況を見まして、島の方々が、日本人墓地を大切にしてくれていると感じることができたところであります。 今回の北方四島交流訪問事業は、平成4年にスタートして以降、28年目の事業実施でありました。
訪問団は、市長主催の歓迎式典のほか、戦争捕虜収容所やオーストラリア人墓地あるいは日本人墓地における献花式などに参加をしております。 次に、(五)に記載しておりますとおり、訪問団はシドニー市内に戻りまして、福岡観光セミナーを開催しまして、オーストラリアの旅行会社に対して福岡観光の魅力を発信しております。 それでは、次のページをお願いいたします。
また、滞在中の悪天候により、国後島古釜布(ふるかまっぷ)の日本人墓地での墓参が叶わなかったことや、色丹島での滞在が大幅に縮小となったことは、誠に残念でありました。 しかし、ロシア人住民との文化・スポーツ交流の実施や、島の実状をつぶさに知ることができたことなど、すべての団員にとって、大変有意義な訪問となりました。
江戸時代初期には1,000人近くの日本人が住み、貿易を行っていたそうで、日本人墓地もあるそうでございます。お互いが持つ観光地としてのすばらしさを市民の交流、相互訪問を通して、また将来の姉妹都市を前提に、観光についての都市間協定を結んだらいかがでしょうか。
交流イベントは、山梨や日本の伝統文化を伝えることをテーマに、神職による雅楽の演奏と、日本人墓地での神道による慰霊祭の実施、茶道裏千家淡交会青年部による呈茶、和紙によるちぎり絵教室の実施など、盛りだくさんのプログラムで住民交流を行い、高い評価をいただきました。
片一方で企業誘致は、直接自分のところの政策企画課のほうに入れたほうがいいと、物産は同行で一緒に行くよというふうになって、その間、例えば、先般はフェイスブックで私も日本人墓地のほうを見たけど、物産とどう関係があるのってなるんですよ。やっぱりそういうのは今後はもう、今までの過程としては非常に成功したと思うんです。武長本部長がいたおかげでですね。
その中で、日本人墓地は行き届いた整備がなされ、日本人抑留者が建設した建造物のことを今日に至るまで好意的に語り継がれている状況に、ウズベキスタンの人々が日本人抑留者に温かく接していただいたことを実感する状況も確認できたところであります。
それ以外にも、ナヴォイ劇場や日本人墓地、日本人抑留者資料館など、引き揚げ、抑留関連のところを精力的に訪問されたとお聞きしております。 訪問団は、柔道やレスリングの競技関係者や子供たちとの交流を行ったほか、市内の日星高校と交流を進めようとしている国立東洋学大学附属のアルマザール高校で、日本語科の生徒たちとも交流したとお聞きしています。
また、交流のきっかけとなった日本人抑留者資料館や、首都タシケントにある日本人抑留者が建設にかかわったナボイ劇場、抑留中に亡くなられた日本人が眠るヤッカサライ日本人墓地など、引き揚げ・抑留を縁とする施設を視察させていただき、引き揚げのまちである本市との歴史的なつながりを認識したところであります。
将来的に、近い将来ではありませんが、次のそういった交流の場所として、ジオパークも当然必要なことですが、こういった歴史に学ぶということも必要かと思いますので、できましたら候補地に入れていただけないかと思うのですが、それは、マレーシアのクアラルンプールに日本人墓地があります。そこにはからゆきさんのお墓もあり、からゆきさんの生き残りの方々が長く供養をされていたというふうに聞いております。
また、ソ連軍に抑留された日本人がシベリア鉄道の建設に尽力し、多くの日本人が寒さと過労で亡くなったのは悲しい過去ですが、首都ウランバートルを見おろす小高い丘には日本人墓地があります。日本の方向を刻んだモニュメントや太陽の角度で日の丸の像を結ぶオブジェなどが設置された日本人墓地は、今でもモンゴル人の墓守によってきれいに守られております。