石狩市議会 2022-09-08 09月08日-一般質問-02号
◆8番(天野真樹) 今、部長から詳しく答弁いただきましたが、僕も大学時代、当時の大分県知事、平松守彦氏の講演会を聞く機会がありました。一村一品運動を全国で最初に実践した知事ですが、この運動には三つの原則があります。1番目は、ローカルにしてグローバルなものに仕上げなければならない。2番目は、自主・自立、創意工夫、お上が提唱した運動というものは長続きしない。補助金などに頼らないという趣旨でした。
◆8番(天野真樹) 今、部長から詳しく答弁いただきましたが、僕も大学時代、当時の大分県知事、平松守彦氏の講演会を聞く機会がありました。一村一品運動を全国で最初に実践した知事ですが、この運動には三つの原則があります。1番目は、ローカルにしてグローバルなものに仕上げなければならない。2番目は、自主・自立、創意工夫、お上が提唱した運動というものは長続きしない。補助金などに頼らないという趣旨でした。
先ほど井上議員がシンク・グローバリー、アクト・ローカリーという言葉、これは、私が平成の初め頃に勤めておりました大分県の当時知事をやっていらっしゃいました平松守彦さんという方が言い出した言葉なんですけれども、そして先を見据えてということでございました。そういう観点で見ますと、今、常滑市は人口も増えておりますし、それから税収も徐々に上がってきております。
昭和55年に、当時大分県の知事であった平松守彦氏が掲げ、当時貧しかった九州の寒村に光明をもたらした一村一品運動のように、各自治体の地力が試されている。それが平成から令和を迎えた今日の地方創生ではないでしょうか。
この後、立木勝氏が1期務めた後、昭和50年、平松守彦氏が就任し、全国的に有名となった一村一品運動の提唱で、地域おこしに名をはせました。また、国東テクノポリス構想を掲げ、ソニー、キヤノンなどを立地させるとともに、大分市東部の丘陵地帯を開発し、大型ドームを中心とする総合運動公園の建設を進めました。その任期は6期24年に及びました。
一昨日、3月12日は、市長、昨年8月21日に亡くなられた故平松守彦前知事の誕生日でございました。一村一品運動を県下はもとより世界に広げて、大分県を有名にしてきた偉大な知事だったと思います。 三十数年前、その知事が設立した豊の国づくり塾で私も学ばせていただきましたけれど、誕生日である一昨日に故平松守彦氏をしのぶ会ということで、大分市で50名ほどが集まって開催され、私も出席をさせていただきました。
6期24年間、大分県知事を務められ、一村一品運動を国内はもとより世界に広め、さまざまなアイデアと行動力で大分県をリードして来られました平松守彦前知事が亡くなられました。謹んで御冥福をお祈り申し上げます。 平松知事の提唱された一村一品運動の究極の目的は人づくりであるということで、知事自らが塾長として豊の国づくり塾を開設し、県下の多くの若者を育ててきました。
先月二十一日、大分県知事を六期二十四年間務め上げられた平松守彦氏が九十二歳で亡くなられました。同氏は地域おこしの先進的な取り組みとして一村一品運動を推進いたしました。まさに、地域ごとに特徴を見出し、地域の活性化につなげていくことは重要であります。
質問に入る前に先月二十一日になくなった前県知事 平松守彦氏に謹んで哀悼の意を表したいと思います。 振り返ってみますと、氏の功績には枚挙にいとまがありませんが、任期六期在職二十四年の期間中、総じて県下全ての地域、県民に対して多くの夢を与え、士気を鼓舞するようなビジョンの提言であったり、またハード並びにソフト両面に対して積極的な取り組みをされたことは、皆さん、共通の認識をするところだと思います。
先日、大分県知事だった平松守彦さんが亡くなられました。平松さんについてはいろいろな評価がありますが、一村一品運動などを通じて、人づくりと継続は力を実践した人でもあろうかと思っています。総合戦略のPDCA、いわゆる評価し翌年に反映する作業を計画期間通して着実に実行するには、継続は力を実践していかねばなりません。市長の決意をお聞きしたいと思います。 ○議長(河野正治君) 永松市長。
先月23日、平松守彦前大分県知事のご逝去が報じられました。
さて、県政においては、木下郁知事が「新産都」をつくり、立木勝知事が「福祉の根幹」を築き、このほどご逝去された平松守彦知事が「グローバルに考え、ローカルに行動せよ」という理念のもと、一村一品運動を提唱し、本県の名を日本に、そして世界にとどろかせました。中でも、本県に国内外の脚光を集めた平松知事の功績ははかり知れません。 光があれば、影もあります。
質問に入る前に、先月二十一日、昭和五十四年から六期二十四年にわたり県知事を務められ、一村一品運動で国外にまで本県の名声をとどろかせた平松守彦前知事がご逝去されました。 私が平成三年に初当選して、お会いしたころの平松氏は、既に四期目に入り、エネルギッシュかつ発想がユニークで、まさに脂の乗り切った時期にありまして、緊張感を持って行った数々の一般質問が懐かしく思い出されます。
〔広瀬知事登壇〕 ◎広瀬勝貞知事 冒頭、去る八月二十一日、平松守彦前知事が逝去されました。六期二十四年にわたり、県民生活の向上と県勢の発展にご尽力をいただきました。生前のご功績に深く敬意を表し、謹んでご冥福をお祈りいたします。 平成二十八年第三回定例県議会の開会に当たり、県政諸般の報告を申し上げ、あわせて今回提出しました諸議案の概要について説明申し上げます。
また、地域活性化策として一村一品運動を提唱し、国内外の地域コミュニティーに大きな変革をもたらし、特に著書「地方からの発想」では、地域が主人公、行政は黒子、知事の役割はトップセールス、国は法や規制で制約すべきでないという主張でその後の日本の地方分権論争、そして地方自治に大きな影響を与えた元大分県知事平松守彦氏が8月21日、逝去されました。御遺徳に敬意を表し、御冥福をお祈りしたいと思います。
大分県の平松守彦知事が地方試練の時代と言い、熊本県の細川護煕知事は地方反乱の時代などと述べたりしましたが、1990年代以降は、そのような理念は薄らいでいったのではないでしょうか。当時、国家公務員あるいは地方自治の前線で責任あるお立場にあり、刻苦勉励されていた石井知事は、この地方の時代をどのように分析しておられるのか。結果として東京圏への一極集中をもたらしたのではないか。
昭和50年代、当時のまちおこし・村おこしの先駆的な県として、元自治省の事務次官を退官されて大分県知事になられた平松守彦氏が提唱して、一村一品運動でまちおこしに成功した大分の九重町、そういうところもあって、また昔から食べている食材を1つ商品と化し、成功した長野のおやきとか、また里山、野原に咲いている花を摘んできて、それを出荷して、その売った果実でもってハワイ旅行をする地域のお年寄りの皆さんとか、地元にあるものをあえて
昭和50年代、当時のまちおこし・村おこしの先駆的な県として、元自治省の事務次官を退官されて大分県知事になられた平松守彦氏が提唱して、一村一品運動でまちおこしに成功した大分の九重町、そういうところもあって、また昔から食べている食材を1つ商品と化し、成功した長野のおやきとか、また里山、野原に咲いている花を摘んできて、それを出荷して、その売った果実でもってハワイ旅行をする地域のお年寄りの皆さんとか、地元にあるものをあえて
これは一村一品運動の元大分県知事の平松守彦氏の言葉です。私も全く同感であります。本当の恐怖は人の過疎ではない、心の過疎だ。この心の過疎の恐怖というのはどこでもありますよ。私が先般の11月議会でも取り上げさせていただいた町なか過疎にもその恐怖があるのです。今問題のいじめも、心の過疎が影響しているのかもしれません。
次に、昭和54年大分県の平松守彦知事が提唱した一村一品運動は、同県の運動による売り上げが、昭和55年の143品目359億円から、平成13年は336品目1,410億円にふえたと言われています。国内では、同県以外の24府県で同様な運動が導入されました。緑の分権改革は、一村一品運動にあらわされるような内発的発展論に通じるものがあると言われております。 再々質問をいたします。
地域ブランドを確立された行政マンで先駆者の一人に挙げられますのは、昭和54年に大分県知事に当選された平松守彦さんがおられます。その当時、大分県の知名度は非常に低く、別府県の大分ですかと言われたこともあり、大分県を日本と世界に売り込みイメージを高めようと決意し、庁内では提案制度と表彰制度をつくり、一村一品運動を提唱し、何でもよいから誇れるものをつくろうと運動を始められたそうであります。