留萌市議会 2023-12-12 令和 5年 12月 定例会(第4回)-12月12日-03号
この一つのきっかけというのは、2年前のKAZUⅠの災害が発生した際に、函館から掃海艇が出動したということで、私はてっきり太平洋回りで行ったと思いましたが、函館から日本海回り、日本海からオホーツク海に向かうというルートだったそうです。 それは、北方四島とかなり近いということもあって、海上自衛隊としての判断だと聞いております。
この一つのきっかけというのは、2年前のKAZUⅠの災害が発生した際に、函館から掃海艇が出動したということで、私はてっきり太平洋回りで行ったと思いましたが、函館から日本海回り、日本海からオホーツク海に向かうというルートだったそうです。 それは、北方四島とかなり近いということもあって、海上自衛隊としての判断だと聞いております。
新幹線開業の歴史というのはいろいろあったと思いますけれども、大きくは2つに分かれていると思っておりまして、先ほど議員がお話をした東回り、西回り、いわゆる太平洋回りルート獲得までの歴史、そして獲得をした後のいわゆる開業までのいろんな紆余曲折があったわけであります。太平洋回りを獲得するまでも、八戸を中心に周辺の町村と連携を図りながら、獲得に結びつけた。
昨年12月に東北新幹線が全線開業となりまして、これは、東北新幹線の太平洋回りが昭和48年に決定いたしまして以来38年間にわたっての青森県民の悲願だったということでございます。昭和48年に太平洋回りが決定した当時、あたかもあすにでも新幹線が八戸駅、青森まで開業するのだという雰囲気が市民全体、青森県全体にあったと私は記憶しています。
新幹線、高速道路、高専誘致、港湾、まちづくりさまざま、すべてが津軽と南部の戦いであったり、西回り、太平洋回りでもめた都市間競争であったと思います。昔の利益誘導型の古い政治体制の犠牲がそこにはあったと考えます。 八戸市民も我々も、来年こそはと期待をする県立の施設ではありますが、本当に実現するのでしょうか。
私どもは長万部から札幌まで山の中を走っていくのかなと、こういうふうに思いますと、余り直接的な考えはないわけでありますけれども、この市長が就任されて言われた長万部から札幌の間の太平洋回りのJR在来線、今あるものを活用してフリーゲージトレイン、この構想が打ち出されたわけであります。
とりわけ先々代の秋山皐二郎市長と市職員の皆さん、さらには市議会では歴代の議長、新幹線特別委員長、そして今なお御健勝で活躍し続けておられる斉藤健治先輩議員らの奮闘など、改めて地元紙連載計24回の太平洋回りに懸けて、荒谷新幹線日記から、ここに至るまで波乱の数々を伝えていただきました。
次に、整備計画区間の中での日沿道の位置づけでありますけれども、日沿道は北陸自動車道と連結し、太平洋回りにかわります新たな物流ルートとして、日本海側における物流の基軸をなす日本海国土軸を形成するものでありまして、日本海側の主要な港湾とか空港と一体となりまして、北東アジア経済圏の実現に大きな役割を果たすものでございます。
「バルチック艦隊のロジェスト・ウェンスキーがウラジオストックに入るのに、対馬海峡を通るのか、それとも太平洋回りの宗谷海峡を通るのか、このことが秋山真之や海軍参謀たちの神経と頭脳を極度に疲労させた。中でも秋山は敵を全減させるという目的を抱いており、さすがの天才的参謀もノイローゼ気味になっていた。そのときの東郷平八郎の決断が『それは対馬よ』であります。