綾瀬市議会 2021-03-22 03月22日-05号
1950年、スウェーデンのストックホルムで開かれた平和擁護世界大会第3回常任委員会は、1つ、核原子兵器の無条件使用禁止。2つ、原子兵器禁止のための厳格な国際管理の実現。3つ、最初に原子兵器を使用した政府を人類に対する犯罪者とみなす。とのアピールを採択、発表して、世界の人々に署名を呼びかけました。これに対し、全世界から5億もの署名が寄せられました。
1950年、スウェーデンのストックホルムで開かれた平和擁護世界大会第3回常任委員会は、1つ、核原子兵器の無条件使用禁止。2つ、原子兵器禁止のための厳格な国際管理の実現。3つ、最初に原子兵器を使用した政府を人類に対する犯罪者とみなす。とのアピールを採択、発表して、世界の人々に署名を呼びかけました。これに対し、全世界から5億もの署名が寄せられました。
条約は、日本の被爆者をはじめ、核兵器のない世界を求める世界各国と市民社会の多年にわたる取り組みが結実したもので、1946年の国連総会第1号決議で原子兵器の撤廃を提起して以来、人類が初めて手にした核兵器廃絶につながる条約であります。委員会を傍聴されていた請願者からは、条約の本質をきちんと理解されているのか疑問に思ったとのことで、少し私も条約について説明をさせていただきます。
全20条から成るこの条約は、前文で、国際関係における武力の威嚇と行使を排除した国連決議と、各国軍備からの原子兵器の一掃に合意した国連総会第1号決議を想起し、また、被爆者や核実験被害者の被害を受け入れ難いものと断じています。続く第1条で、核兵器の開発、実験、製造、保有、使用、威嚇から、さらに自国の管理下への核兵器の配置の許可に至るまで、全ての活動を違法としました。
その発効により人類は、1946年1月の国連総会の第1号決議が原子兵器の撤廃を提起して以来、初めて画期的な国際条約を手にすることになる。 この到達は核兵器保有国を初めとする核兵器固執勢力によるさまざまな敵対・妨害を乗り越えて築かれたものである。
全20条から成るこの条約は、前文で、国際関係における努力の威嚇と行使を排除した国連決議と各国軍備からの原子兵器の一掃に合意した国連総会第1号決議を想起し、また、被爆者や核実験被害者の被害を受け入れ難いものと断じています。続く第1条で、核兵器の開発、実験、製造、保有、使用、威嚇から、さらに自国の管理下への核兵器の配置の許可に至るまで全ての活動を違法としました。
1946年1月に国連総会において原子兵器の撤廃を提起した第1号決議以来の画期的な国際条約です。このことは、核兵器のない世界を求め、核兵器がいかに非人道的であるかを訴え続けてきた広島や長崎の被爆者の方々をはじめ、圧倒的多数の国際世論による歴史的な到達と言えます。
人類は、国連総会の第1号決議が原子兵器の撤廃を提起して以来初めて画期的な国際条約を提起することになります。これは広島、長崎の被爆者を初め、核兵器のない世界を求める世界の圧倒的多数の政府と市民社会が共同した壮大な取組の歴史的な到達です。 日本共産党は、核兵器廃絶を戦後一貫して訴え、その実現のために行動してきた党として、心から歓迎をいたします。
人類は、1946年1月に行われた国連総会の第1号決議が原子兵器の撤廃を提起して以来、初めて画期的な国際条約を手にすることになります。このことは、広島、長崎の被爆者をはじめ、核兵器のない世界を求める世界の圧倒的多数の政府と市民社会が共同した壮大な取組の結果であります。日本政府は従来の態度を改め、速やかに条約を署名し、批准すべきです。
人類は、国連総会の第1号決議で、1946年の1月に出されたものでありますが、原子兵器の廃絶の提起をして以来、初めて画期的な国際条約を手にすることになりますが、非核平和都市宣言を持つ大野市としても賛同を示されることは意義のあることではないかと質問するものであります。 以上です。 ○議長(梅林厚子君) 榮さんの質問に対する理事者の答弁を求めます。 政策局長、真田さん。
その発効により、人類は1946年1月の国連総会の第1号決議が原子兵器の撤廃を提起して以来、初めて画期的な国際条約を手にすることになる。この到達は、核兵器保有国をはじめとする核兵器固執勢力による様々な敵対・妨害を乗り越えて築かれたものである。
人類は、一九四六年一月に国連総会の第一号決議が原子兵器の撤廃を提起して以来、初めて画期的な国際条約を手にすることになります。 私は、発効する禁止条約は、核保有国に核廃絶を求める大きな力になるものと確信します。ところが菅首相は、「条約に参加する考えはない」と被爆者や国民の願いに冷たく背を向けました。唯一の被爆国として恥ずべき態度だと私は思いますが、知事はどうでしょうか。
1946年の国連総会第1号決議では、各国の軍備からの原子兵器、大量破壊兵器の一掃を提起し、国際政治の目標に掲げ、世界の人々の運動が世界の変化と進歩を作ってきました。1970年、核不拡散条約が発効し、これ以降5年ごとに再検討会議が開かれています。2000年第6回の会議では、核保有国5か国は自国の核軍備の完全廃絶を受入れました。
その国連の第一号決議が、原子兵器の廃絶であり、戦後、国際政治の原点ともなりました。被爆者の平均年齢は八十二歳を超えています。生きているうちに核兵器廃絶をという被爆者の切なる願いに応えるために、今を生きる私たちは、未来を生きる子供たちのためにも、核兵器禁止と核兵器廃絶を現実のものとしなければなりません。
1946年の原子兵器禁止を求めた国連総会第一号決議から70年にわたる被爆者と市民団体の取り組みが、核兵器禁止条約に結実したのです。 その市民団体の中心になった核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)はノーベル平和賞を受賞しています。 この核兵器廃絶の世界の流れの中に、宇治市議会の核兵器廃絶平和都市宣言も確固とした位置を占めています。
原子兵器、その他の大量殺りく兵器の廃絶、決議であったことに言及して、被爆者とともに市民社会、諸国政府が世界的な運動に立ち上がり、核兵器のない世界への歴史的転換にと、このように呼びかけております、世界大会では。ニューヨークで原水爆禁止世界大会、これはもう日本でずっと大会が開かれますが、来年は初めてニューヨークでも原水爆禁止世界大会が開かれるんです。これが提起をされております。
こうした立場から、国に対し、各国軍備からの原子兵器、大量破壊兵器の一掃を決めた国連第1号決議や、国際紛争の解決手段として武力行使や、武力による威嚇を禁じた日本国憲法に照らし、核兵器のない世界の実現に向け、真摯に努力するよう、以下の事項を強く要望する。 記。 一つ、唯一の戦争被爆国として、核兵器禁止条約を1日も早く署名・批准すること。
核兵器の廃絶は、人類の生存に関わる緊急死活の課題であり、それは各国の軍備からの原子兵器、大量破壊兵器の一掃を決めた国連第1号決議からも、国際紛争の解決に武力の行使や、武力による威嚇を禁じた日本国憲法に照らしても、さらには人類で唯一国民が被爆の体験を持つ国の政府としても、当然、日本政府が署名し積極的に批准をすべきものであります。
国連総会第1号決議は、原子兵器の廃棄を掲げています。核兵器廃絶が戦後国際政治の原点であり、国連の基本的任務であることを示しています。核兵器禁止条約は画期的であります。主に7点について述べます。1点目は、条約提案時から1か月半で採択されたという点。世界の英知と一人一人の献身がこの壮挙を生み出しました。2点目は歴史上初めて核兵器を条約によって違法化した点であります。
核兵器の廃絶は、将来の世代を戦争の惨害から救うことを目的として創立された国連にとっても、昭和21年1月に開かれた第1回総会第1号決議で、各国の軍備から原子兵器、その他の大量殺りく兵器を一掃することを誓った第一義的課題です。これにはアメリカも賛成をいたしております。 沈黙を強いられていた被爆者が、被爆から11年後の昭和31年8月に長崎に集まり、日本原水爆被害者団体協議会を結成しました。
1950年、スウェーデンのストックホルムで世界平和擁護大会が行われ、大会は人民にとっての恐怖と大量殺害の兵器である原子兵器の絶対禁止を要求するとアピールを発表して、国際的な署名運動が始まります。日本では640万筆、長野県で17万筆、世界で4億8,200万筆が集まっております。 この年、1950年、朝鮮戦争が始まります。アメリカは朝鮮戦争で核兵器の使用を計画しておりました。