千曲市議会 2023-03-09 03月09日-05号
また、山田町では、佐藤町長と昆議長が、千曲市からの支援に対し感謝と、県議時代に訪れた小川市長によろしくとのことでございました。 私も何度か両町を訪れましたが、それは被災地を支援するというよりも、多くのことを学ばせていただくためでありました。千曲市も令和元年東日本台風を経験しました。歴史をひもとけば、善光寺地震、戌の満水という多くの災害がございました。
また、山田町では、佐藤町長と昆議長が、千曲市からの支援に対し感謝と、県議時代に訪れた小川市長によろしくとのことでございました。 私も何度か両町を訪れましたが、それは被災地を支援するというよりも、多くのことを学ばせていただくためでありました。千曲市も令和元年東日本台風を経験しました。歴史をひもとけば、善光寺地震、戌の満水という多くの災害がございました。
有識者会議には、渡辺復興大臣の挨拶の後、岩手県宮古市山本市長、宮城県南三陸町佐藤町長、そして福島県から私が招かれ、それぞれ意見陳述を行いました。 私からは、被災者支援、住まいとまちの復興、農業・なりわいの再生、原子力災害固有の対応、協働と継承、承継、復興を支える仕組みなどのテーマに沿って振り返り、意見を述べました。
さらに、十数メートルの津波に襲われた宮城県の南三陸町、大津波により一瞬でふるさとが消えたこの南三陸町での佐藤町長との挨拶におきまして、町長は名刺さえもなく、メモ帳を活用して、「心から感謝、佐藤仁」という手書きの名刺を作って応対をされていました。これまでに書いた枚数は優に2,000枚を超えていると言っておられました。そして、全国からの応援の声に接するたびに、「ありがとうとの念がこみ上げてくる。
平成11年でしたか、高山小学校が完成して、当時の佐藤町長が3年後、4年後、これが閉校したときには宿泊施設も考えられるのではないかというようなこともおっしゃっておりました。そういったことを私も思い出すところであります。こういった施設は、一つ重要な大きなポイントになっていくんだろうというふうに思います。
何年前でしたかね、佐藤町長のときは退職者不補充っていうふうなことも打ち出されてですね、そういうふうなことでどんどんどんどん定数以下でこうやってきたんですけれども、その当時は職員それで頑張ってこれましたけれども、実際行政ニーズがですね、かなり増えてきた。それに応じて職員数も増やしてきてはいるんですけれども、これから20年後、その時点でどのような行政需要があるのか、はっきりしたことは私は分かりません。
それはうちの安広も佐藤町長がおった折、駐車場がないということでため池を埋めてもらった。才申も消防機庫のところを埋めた。最近では、八ツ的も埋めた。平井も埋めた。今、加藤町長の一番の成果は、ため池を埋めることじゃ。一番多い、ほんま、わしはそう思うんじゃけどな。これ、どんどんやってもらいたい。
現町長の佐藤町長が幅広い子育て政策に本気で取り組んで、高齢化によって、ここ7年で人口は1万400人から9,400人にまで急激な低下を迎えるも、子供の数が微増なんです。超高齢化と急激な人口減少下であっても、トップが最前線に立って子育て政策に取組、若い人が移り住み、子供が増え、そこに労働力が生まれ、企業の工場が相次いで建てられ、在任2期8年で町の税収が1.3倍。先日の選挙では、無投票で再当選。
これはもう事前に、この協議書が出る以上は、多古町の所町長並びに横芝光町の佐藤町長とも事前に協議がある程度進んで、こういう形だったらもうしようがないだろうというような形で、協定書の案を出したという御理解でよろしいでしょうか。 ○議長(石田勝一君) 太田市長。
当時、いわゆる医療に対する危機感というのを当時の佐藤町長もお持ちだった、そういうふうに伺っているところでございまして、そういう意味からも診療所、またひだまり苑という形で施設を整備された、それに対して本当にすばらしい決断をされてこられたというふうに理解をしてるところでございます。
それを私が教えていただいたのは南三陸の佐藤町長です。やはり現場で部下を失った、あのせつない思いを、そしてまたその後の職員をどう守ってきたか、この話には私、非常に感銘を受けました。
私は、さる9月26日の市議会9月定例会の冒頭で、台風15号に伴う姉妹都市横芝光町への災害見舞報告の中で、佐藤町長から、想定を超える事態に直面し、大変混乱した状況をお聞きする中で、「これからの防災は想定外の事態にいかに備えるかが大変重要になると感じた」と申し上げました。それから1カ月もたたないうちに、我が千曲市がこのような災害に見舞われてしまったことは、まさに痛恨の極みであります。
また、前線で指揮をとられた佐藤町長からは、千曲市からの緊急物資支援に対するお礼の言葉とともに、「3日以上の停電は全く想定外のことであり、防災無線の基地局や携帯電話が全く機能しなかった、農業集落排水も中継ポンプの停止で汚水の処理に最後まで苦慮した。
先ほど、飯島議員も述べましたけれども、私たち科野の会は、昨年10月3日に会派の視察で同町を訪問し、佐藤町長、川島、齋藤正副議長様はじめ、大勢の皆様に応対していただき、観光のまちづくり等について勉強させていただきました。議会といたしましても、議員の持ち寄りによりお見舞金を送ることになりました。まだまだ困難な状態が続くと思いますが、一時も早い復旧、復興をお祈り申し上げます。
佐藤町長も心強く思われたことと、拝察申し上げます。 このように迅速な対応をされたことに、心から敬意を表するところでございます。また、被害に遭われた方々が1日も早く日常生活が送れるよう、心から願っております。 それでは、一般質問に入ります。 1点目、外国人住民への対応について、(1)外国人住民の現状と対応について、お尋ねをいたします。 現在、来日する外国の方々がふえています。
佐藤町長も心強く思われたことと、拝察申し上げます。 このように迅速な対応をされたことに、心から敬意を表するところでございます。また、被害に遭われた方々が1日も早く日常生活が送れるよう、心から願っております。 それでは、一般質問に入ります。 1点目、外国人住民への対応について、(1)外国人住民の現状と対応について、お尋ねをいたします。 現在、来日する外国の方々がふえています。
千曲市では、災害直後から事務レベルで相互連絡を行うとともに、私も横芝光町の佐藤町長に電話で応対申し上げたところであります。その際、何かあったら連絡してほしいという要請をいたしました。町長からは、断水は解消されつつあり、停電も近日中には復旧する見込みだと。道路等の被害がないために、物資も早い時期に流通すると判断しており、当面の支援はよろしいということでありました。
ご承知のように、里庄町も古山町長がやめられて、そして佐藤町長、後ろへ今おる大内町長、加藤町長と行政のかじ取りをしてきましたが、古山さんがためとった金を、基金を積み立てるのはもうほとんどしてない、毎年崩してきた。1億崩したり、1億5,000万崩したり、そうしてどうにか生活をというか町もやってきたと。
それから、歴代、古山町長から佐藤町長、佐藤町長から大内町長さんになられたときに、その都度、額を定額的に引き下げてきたというふうな経緯もございます。 私としては、厳しい財政状況を鑑みて、いろいろな事業を削減する中で、特別職の給与も引き下げざるを得ないと、こういうふうな考え方から、時限立法方式ではなくて定額方式で削減をさせたというふうな考え方でございます。 ○議長(平野敏弘君) 仁科英麿君。
そういった中、今年の1月に南三陸町の佐藤町長が本町を訪れ、支援に対する感謝の意を表されるとともに、南三陸町の復興の状況、復旧の状況についても話されていたようであります。佐藤町長の話によりますと、公共施設の復旧はほぼ終了したというふうなことでありましたので、そこで私、南三陸町の復興状況、復旧状況を見てみました。