16件の議事録が該当しました。
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該当会議一覧

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滝沢市議会 2020-12-14 12月14日-一般質問-02号

何回か申し上げたことはあるのですが、宮沢賢治の「雨ニモマケズ」という中に……宮沢賢治の「雨ニモマケズ」というのは、昭和6年に黒い手帳に鉛筆で書かれていたと、こういうことなのですが、その中に「一日ニ玄米四合ト味噌トシノ野菜ヲタベ」というふうな記載があります。これをうまく換算しますと、1年間で大体3俵ぐらいになります。昭和6年は3俵ぐらい食べておったと、こういうことであります。

上尾市議会 2018-03-08 03月08日-一般質問-03号

雨ニモマケズ  風ニモマケズ  雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ  丈夫ナカラダヲモチ  慾ハナク  決シテ瞋ラズ  イツモシヅカニワラッテヰル  一日ニ玄米四合ト  味噌トシノ野菜ヲタベ  アラユルコトヲ  ジブンヲカンジョウニレズニ  ヨクミキキシワカリ  ソシテワスレズ  野原ノ松ノ林ノ蔭ノ小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ  東ニ病気ノコドモアレバ  行ッテ看病シテヤリ  西ニツカレタ母アレバ  行ッテソノ

伊佐市議会 2014-02-20 平成26年第1回定例会(第1日目) 本文 2014年02月20日開催

雨ニモマケズ 風ニモマケズ 雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ 丈夫ナカラダヲモチ 慾ハナク 決シテ瞋ラズ イツモシヅカニワラツテヰル 一日ニ玄米四合ト 味噌トシノ野菜ヲタベ アラユルコトヲ ジブンヲカンジヨウニレズニ ヨクミキキシワカリ ソシテワスレズ 野原ノ松ノ林ノ陰ノ 小サナ萱ブキノ小屋ニヰテ 東ニ病気ノコドモアレバ 行ツテ看病シテヤリ 西ニツカレタ母アレバ 行ツテソノ稲ノ束ヲ負ヒ 南ニ死ニソウナ

和光市議会 2010-12-10 12月10日-04号

日本人食生活は、あの宮沢賢治の言葉をかりますと、「一日ニ玄米四合ト味噌トシノ野菜ヲ食べ」でした。つまり日本人食生活の基本は「穀物プラス大豆プラス野菜」、またそこに魚介類も入りますけれども、というものであり、明治維新によって西洋文化が導入されても、基本的には変わらなかったのですが、戦後の短期間で日本人食生活は一変してきたことは確かなことだと思っております。 

古賀市議会 2010-06-15 2010-06-15 平成22年第2回定例会(第4日) 本文

そのくだりに「一日ニ玄米四合ト味噌トシノ野菜ヲタベ」というくだりがございます。これは、私は少年時代、何と粗末な食事かと、こんなものは食べたくないと思っておりましたが、これはよくよく考えますと、日本人の体質に合ったとても健康食であり、それなりに私は今の年になってみれば大変おいしいものであると思います。このような日本的な伝統の食というものを、いま一度見直す必要があると考えております。  

伊佐市議会 2010-03-25 平成22年第1回定例会(第6日目) 本文 2010年03月25日開催

雨ニモマケズ 風ニモマケズ 雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ丈夫ナカラダヲモチ 慾ハナク 決シテ瞋ラズ イツモシヅカニワラツテイル 一日ニ玄米四合ト味噌トシノ野菜ヲタベ アラユルコトヲ ジブンヲカンジョウニレズニヨクミキキシワカリ ソシテワスレズ 野原ノ松ノ林ノ蔭ノ小サナ萱ブキノ小屋ニイテ 東ニ病気ノコドモアレバ行ッテ看病シテヤリ 西ニツカレタ母アレバ行ッテソノ稲ノ束ヲ負ヒ 南ニ死ニサウナ人アレバ行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ

岡山県議会 2009-02-26 02月26日-02号

ところで,宮沢賢治の「雨ニモマケズ」の中に,「一日ニ玄米四合ト味噌トシノ野菜ヲタベ」のくだりがありますが,米を主食として,魚,野菜などをバランスよく摂取する日本型食生活こそが,世界の人々の高カロリーの消費を防ぎ,かつ健康を伸ばすものと確信します。事実,世界的には,日本食消費拡大と相まって魚の消費が随分伸びてきているそうで,鯨に続きマグロの資源調整問題も現実味を帯びてまいりました。

宮代町議会 2007-09-04 09月04日-03号

宮沢賢治の「雨ニモマケズ、一日ニ玄米四合ト味噌汁トシノ野菜食ベ」とあります。現代人御飯事情はどうでしょうか。食べるのが精いっぱいだった昔の人に比べ、現代人健康志向ですから食べ物には気を使った結果として、御飯を食べる量が減って、それなのに糖尿病がふえてきております。 なぜ、長い間続いてきた日本伝統食事文化は急激に変わってしまったのでしょうか。

愛知県議会 2006-02-01 平成18年2月定例会(第5号) 本文

その後に、「一日ニ玄米四合ト味噌トシノ野菜ヲタベ」と続きます。この詩は教科書にも載っておりましたので、よく知っておりましたが、完全米飯給食を進める幕内秀夫さんの指摘で初めて気がついたことがあります。賢治のこの詩は粗食のお手本のように引用されておりますが、一日に四合の玄米を食べて生きていこうと言っているわけです。翻って、現代人御飯事情はどうなのか。何杯の御飯を食べているのでしょうか。

岡山県議会 2004-03-09 03月09日-05号

雨ニモマケズ 風ニモマケズ 雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ 丈夫ナカラダヲモチ 慾ハナク 決シテ瞋ラズ イツモシヅカニワラツテヰル 一日ニ玄米四合ト 味噌トシノ野菜ヲタベ アラユルコトヲ ジブンヲカンジヨウニレズニ ヨクミキヽシワカリ ソシテワスレズ 野原ノ松ノ林ノ蔭ノ 小サナ萱ブキノ小屋ニヰテ 東ニ病氣ノコドモアレバ 行ツテ看病シテヤリ 西ニツカレタ母アレバ 行ツテソノ稻ノ束ヲ負ヒ 南ニ死ニサウナ

岡崎市議会 1996-07-04 09月03日-16号

雨ニモマケズ風ニモマケズ雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ丈夫ナカラダヲモチ欲ハナク決シテ瞋ラズ、イツモシズカニワラッテイル、一日ニ玄米四合ト、味噌トシノ野菜ヲタベアラユルコトヲジブンヲカンジョウニレズニヨクミキキシワカリソシテワスレズ野原ノ松ノ林ノ蔭ノ小サナ萱ブキノ小屋ニイテ東ニ病気ノコドモアレバ行ッテ看病シテヤリ西ニツカレタ母アレバ行ッテソノ稲ノ束ヲ負イ、南ニ死ニソウナ人アレバ

長崎市議会 1993-12-08 1993-12-08 長崎市:平成5年第5回定例会(4日目) 本文

苦学されただけに、人の哀しみがわかり、宮沢賢治の「雨ニモマケズ 風ニモマケズ 雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ 丈夫ナカラダヲモチ 慾ハナク 決シテ瞋(イカ)ラズ イツモシヅカニワラツテヰル 一日ニ玄米四合ト 味噌トシノ野菜ヲタベ アラユルコトヲ ジブンヲカンヂヤウニ入レズニ ヨクミキキシワカリ ソシテワスレズ 野原ノ松ノ林ノ蔭ノ 小サナ萱ブキノ小屋ニヰテ 東ニ病氣ノコドモアレバ 行ツテ看病シテヤリ 西ニツカレタ

宮城県議会 1993-09-29 09月29日-02号

雨ニモマケズ 風ニモマケズ 雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ 丈夫ナカラダヲモチ 慾ハナク 決シテ瞋ラズ イツモシヅカニワラッテヰル 一日ニ玄米四合ト 味噌トシノ野菜ヲタベ アラユルコトヲ ジブンヲカンジョウニレズニ ヨクミキキシワカリ ソシテワスレズ 野原ノ松ノ林ノ蔭ノ 小サナ萱ブキノ小屋ニヰテ 東ニ病気ノコドモアレバ 行ッテ看病シテヤリ 西ニツカレタ母アレバ 行ッテソノ稲ノ束ヲ負ヒ 南ニ死ニサウナ人

宮城県議会 1990-07-03 07月03日-02号

宮沢賢治は、「雨ニモマケズ 風ニモマケズ 一日ニ玄米四合ト 味噌トシノ野菜」があれば、いつもにこにこ笑っていたと言われています。この最高に美しい詩を文部省が教科書から削ってから、日本人は一斉にリクルートの道へ走ったと言われております。東京への時間を短縮することも大事でありますが、隣町や広域圏域への時間を短縮することも重要であります。このことを要望して、私の質問を終わります。

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