岡山県議会 2023-12-15 12月15日-07号
それは、「雨ニモマケズ」「一日ニ玄米四合ト味噌ト少シノ野菜ヲタベ」からの連想から来ることもあるでしょうが、賢治の心が、常に東北地方の厳しい冬を過ごす農民と共にあったからではないでしょうか。
それは、「雨ニモマケズ」「一日ニ玄米四合ト味噌ト少シノ野菜ヲタベ」からの連想から来ることもあるでしょうが、賢治の心が、常に東北地方の厳しい冬を過ごす農民と共にあったからではないでしょうか。
何回か申し上げたことはあるのですが、宮沢賢治の「雨ニモマケズ」という中に……宮沢賢治の「雨ニモマケズ」というのは、昭和6年に黒い手帳に鉛筆で書かれていたと、こういうことなのですが、その中に「一日ニ玄米四合ト味噌ト少シノ野菜ヲタベ」というふうな記載があります。これをうまく換算しますと、1年間で大体3俵ぐらいになります。昭和6年は3俵ぐらい食べておったと、こういうことであります。
雨ニモマケズ 風ニモマケズ 雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ 丈夫ナカラダヲモチ 慾ハナク 決シテ瞋ラズ イツモシヅカニワラッテヰル 一日ニ玄米四合ト 味噌ト少シノ野菜ヲタベ アラユルコトヲ ジブンヲカンジョウニ入レズニ ヨクミキキシワカリ ソシテワスレズ 野原ノ松ノ林ノ蔭ノ小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ 東ニ病気ノコドモアレバ 行ッテ看病シテヤリ 西ニツカレタ母アレバ 行ッテソノ
「雨ニモマケズ 風ニモマケズ 雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ 丈夫ナカラダヲモチ 慾ハナク 決シテ瞋ラズ イツモシヅカニワラツテヰル 一日ニ玄米四合ト 味噌ト少シノ野菜ヲタベ アラユルコトヲ ジブンヲカンジヨウニ入レズニ ヨクミキキシワカリ ソシテワスレズ 野原ノ松ノ林ノ陰ノ 小サナ萱ブキノ小屋ニヰテ 東ニ病気ノコドモアレバ 行ツテ看病シテヤリ 西ニツカレタ母アレバ 行ツテソノ稲ノ束ヲ負ヒ 南ニ死ニソウナ
日本人の食生活は、あの宮沢賢治の言葉をかりますと、「一日ニ玄米四合ト味噌ト少シノ野菜ヲ食べ」でした。つまり日本人の食生活の基本は「穀物プラス大豆プラス野菜」、またそこに魚介類も入りますけれども、というものであり、明治維新によって西洋文化が導入されても、基本的には変わらなかったのですが、戦後の短期間で日本人の食生活は一変してきたことは確かなことだと思っております。
そのくだりに「一日ニ玄米四合ト味噌ト少シノ野菜ヲタベ」というくだりがございます。これは、私は少年時代、何と粗末な食事かと、こんなものは食べたくないと思っておりましたが、これはよくよく考えますと、日本人の体質に合ったとても健康食であり、それなりに私は今の年になってみれば大変おいしいものであると思います。このような日本的な伝統の食というものを、いま一度見直す必要があると考えております。
「雨ニモマケズ 風ニモマケズ 雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ丈夫ナカラダヲモチ 慾ハナク 決シテ瞋ラズ イツモシヅカニワラツテイル 一日ニ玄米四合ト味噌ト少シノ野菜ヲタベ アラユルコトヲ ジブンヲカンジョウニ入レズニヨクミキキシワカリ ソシテワスレズ 野原ノ松ノ林ノ蔭ノ小サナ萱ブキノ小屋ニイテ 東ニ病気ノコドモアレバ行ッテ看病シテヤリ 西ニツカレタ母アレバ行ッテソノ稲ノ束ヲ負ヒ 南ニ死ニサウナ人アレバ行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
ところで,宮沢賢治の「雨ニモマケズ」の中に,「一日ニ玄米四合ト味噌ト少シノ野菜ヲタベ」のくだりがありますが,米を主食として,魚,野菜などをバランスよく摂取する日本型食生活こそが,世界の人々の高カロリーの消費を防ぎ,かつ健康を伸ばすものと確信します。事実,世界的には,日本食の消費拡大と相まって魚の消費が随分伸びてきているそうで,鯨に続きマグロの資源調整問題も現実味を帯びてまいりました。
宮沢賢治の「雨ニモマケズ、一日ニ玄米四合ト味噌汁ト少シノ野菜ヲ食ベ」とあります。現代人の御飯事情はどうでしょうか。食べるのが精いっぱいだった昔の人に比べ、現代人は健康志向ですから食べ物には気を使った結果として、御飯を食べる量が減って、それなのに糖尿病がふえてきております。 なぜ、長い間続いてきた日本の伝統の食事文化は急激に変わってしまったのでしょうか。
その後に、「一日ニ玄米四合ト味噌ト少シノ野菜ヲタベ」と続きます。この詩は教科書にも載っておりましたので、よく知っておりましたが、完全米飯給食を進める幕内秀夫さんの指摘で初めて気がついたことがあります。賢治のこの詩は粗食のお手本のように引用されておりますが、一日に四合の玄米を食べて生きていこうと言っているわけです。翻って、現代人の御飯事情はどうなのか。何杯の御飯を食べているのでしょうか。
「雨ニモマケズ 風ニモマケズ 雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ 丈夫ナカラダヲモチ 慾ハナク 決シテ瞋ラズ イツモシヅカニワラツテヰル 一日ニ玄米四合ト 味噌ト少シノ野菜ヲタベ アラユルコトヲ ジブンヲカンジヨウニ入レズニ ヨクミキヽシワカリ ソシテワスレズ 野原ノ松ノ林ノ蔭ノ 小サナ萱ブキノ小屋ニヰテ 東ニ病氣ノコドモアレバ 行ツテ看病シテヤリ 西ニツカレタ母アレバ 行ツテソノ稻ノ束ヲ負ヒ 南ニ死ニサウナ
雨ニモマケズ、風ニモマケズ、雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ、丈夫ナカラダヲモチ、欲ハナク、決シテ瞋ラズ、イツモシズカニワラッテイル、一日ニ玄米四合ト、味噌ト少シノ野菜ヲタベ、アラユルコトヲ、ジブンヲカンジョウニ入レズニ、ヨクミキキシワカリ、ソシテワスレズ、野原ノ松ノ林ノ蔭ノ小サナ萱ブキノ小屋ニイテ、東ニ病気ノコドモアレバ、行ッテ看病シテヤリ、西ニツカレタ母アレバ、行ッテソノ稲ノ束ヲ負イ、南ニ死ニソウナ人アレバ
苦学されただけに、人の哀しみがわかり、宮沢賢治の「雨ニモマケズ 風ニモマケズ 雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ 丈夫ナカラダヲモチ 慾ハナク 決シテ瞋(イカ)ラズ イツモシヅカニワラツテヰル 一日ニ玄米四合ト 味噌ト少シノ野菜ヲタベ アラユルコトヲ ジブンヲカンヂヤウニ入レズニ ヨクミキキシワカリ ソシテワスレズ 野原ノ松ノ林ノ蔭ノ 小サナ萱ブキノ小屋ニヰテ 東ニ病氣ノコドモアレバ 行ツテ看病シテヤリ 西ニツカレタ
雨ニモマケズ 風ニモマケズ 雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ 丈夫ナカラダヲモチ 慾ハナク 決シテ瞋ラズ イツモシヅカニワラッテヰル 一日ニ玄米四合ト 味噌ト少シノ野菜ヲタベ アラユルコトヲ ジブンヲカンジョウニ入レズニ ヨクミキキシワカリ ソシテワスレズ 野原ノ松ノ林ノ蔭ノ 小サナ萱ブキノ小屋ニヰテ 東ニ病気ノコドモアレバ 行ッテ看病シテヤリ 西ニツカレタ母アレバ 行ッテソノ稲ノ束ヲ負ヒ 南ニ死ニサウナ人
宮沢賢治は、「雨ニモマケズ 風ニモマケズ 一日ニ玄米四合ト 味噌ト少シノ野菜」があれば、いつもにこにこ笑っていたと言われています。この最高に美しい詩を文部省が教科書から削ってから、日本人は一斉にリクルートの道へ走ったと言われております。東京への時間を短縮することも大事でありますが、隣町や広域圏域への時間を短縮することも重要であります。このことを要望して、私の質問を終わります。
また、宮沢賢治の「雨ニモマケズ」という詩の中に、「1日ニ玄米4合ト、味噌ト少々ノ野菜ヲ食べ」という文句がありますが、昔の日本人にとっては、3合から4合の米を食うのは当たり前でありました。