長崎県議会 2022-11-25 11月25日-01号
また、去る10月6日から10月13日の8日間、ウズベキスタンで開催された「2022世界柔道選手権タシケント大会」男子81kg級において、本県出身の永瀬貴規選手が見事3位入賞を果たし、県民に大きな夢と感動を与えてくれました。 県民を代表して、心からお祝いを申し上げ、今後のさらなる飛躍を期待いたします。 次に、議案関係について、ご説明いたします。
また、去る10月6日から10月13日の8日間、ウズベキスタンで開催された「2022世界柔道選手権タシケント大会」男子81kg級において、本県出身の永瀬貴規選手が見事3位入賞を果たし、県民に大きな夢と感動を与えてくれました。 県民を代表して、心からお祝いを申し上げ、今後のさらなる飛躍を期待いたします。 次に、議案関係について、ご説明いたします。
◎産業振興部長(小谷裕司) ウズベキスタン共和国とは、戦後の日本人抑留と引揚げを縁として、タシケントの日本人抑留者資料館のスルタノフ館長が来日された5年前から交流が始まり、2020東京五輪ホストタウン決定を契機に、その交流はレスリング、柔道、引揚げの関係者はもとより、文化団体や次代を担う青少年に至るまで幅広く拡大をしております。
また、民間レベルでも日本人の偉業の記憶を残そうとする人もおられ、首都タシケント市内で、私費を投じて日本人抑留者資料館を運営されているジャリル・スルタノフさんは、御家族と一緒に舞鶴へも何度もお越しいただいており、交流事業に関わっていただいた市民の皆様も多く、御記憶に新しいのではないだろうかと思います。
中でも、国立ナボイ劇場は、1966年に発生した首都タシケント大地震にも耐え、家を失ったウズベキスタンの人々の避難所として、多くの命を救いました。その懸命な日本人の仕事ぶりは、ウズベキスタンの人々に深い感銘を与え、今の日本人に対する友好的な気持ちにつながっております。
中でも、国立ナボイ劇場は、1966年に首都タシケントを襲った大地震にも耐え、家を失った人たちの避難所として多くの命を救いました。その懸命な日本人の仕事ぶりは、ウズベキスタンの人々に深い感銘を残し、日本人のイメージとなって、今の日本に対する友好的な気持ちにつながっております。
中でも第四ラーゲルの457人の抑留者による1945年から46年にかけて建設された国立ナボイ劇場は、1966年に首都タシケントで発生し、周囲の約7割もの建物が倒壊した大地震にも耐え、家を失った人たちの避難所として活用されるなど、多くの命を救いました。その懸命な日本人の仕事ぶりが、ウズベキスタンの人々に深い感銘を残し、日本人のイメージとなって、今の日本に対する友好的な気持ちにつながっています。
このような中、あす14日には、日本とウズベキスタンの国交樹立25周年、また首都タシケントの日本人抑留者によって建造されたナボイ劇場の完成70周年を記念し、両国共同で制作された映画「旅のおわり世界のはじまり」が公開をされます。
引き揚げの史実から御縁をいただいたこの取り組みの中で、首都タシケントのオペラハウス、ナヴォイ劇場は、当時の抑留者が建設に従事し、大地震が起きても崩壊せずに現在に至り、ウズベク人に親日家が多い由来となっています。このことから、同劇場のアーティストを本市に招いて、近畿初の公演を開催するなど、誘致する考えはないか伺います。 次に、2020東京五輪聖火リレーの誘致についてお尋ねします。
2016年1月には、ウズベキスタンの首都タシケント市で日本人抑留者資料館を私費で開設・運営し、外務大臣表彰を受けられたジャリル・スルタノフ氏が安倍総理の招待で来日、同氏たっての希望で来鶴し、引揚記念館では市民・学生に対し日本人抑留者の勤勉さを講義するとともに交流を行いました。
その後、首都タシケントを襲った大地震にもナヴォイ劇場が壊れなかったことから、日本人の技術力の高さが改めて認識され、日本人への尊敬の念につながったとお聞きしました。そして、多くの抑留者は戦後、舞鶴へ引き揚げてこられたと伺いました。 本市は、このような引き揚げ、抑留の縁により、2020年東京五輪におけるウズベキスタン共和国のホストタウンに登録され、昨年からさまざまな交流がスタートしているところです。
また、交流のきっかけとなった日本人抑留者資料館や、首都タシケントにある日本人抑留者が建設にかかわったナボイ劇場、抑留中に亡くなられた日本人が眠るヤッカサライ日本人墓地など、引き揚げ・抑留を縁とする施設を視察させていただき、引き揚げのまちである本市との歴史的なつながりを認識したところであります。
大きなきっかけとなりましたのは、平成28年1月、引揚記念館に訪問されたウズベキスタン・タシケントの抑留者墓地のそばにある、私費で設立された日本人抑留者資料館スルタノフ館長との出会いであります。
次に、ウズベキスタンとの交流についてですが、本年1月24日にウズベキスタンの首都タシケントにおいて自費で日本人抑留者の記念館を運営されているジャリル・スルタノフ館長が引揚記念館を訪問されたのに引き続き、10月14日、駐日ウズベキスタン共和国大使が舞鶴を初訪問されました。
来日の経緯でありますが、平成27年10月に、安倍総理大臣がウズベキスタンを訪問した際、首都タシケント市の日本人抑留者墓地とナヴォイ劇場を視察され、1998年から日本人抑留者墓地の近くに、私財を投じて抑留者資料館を開設しているジャリル・スルタノフ抑留者資料館館長などの挨拶を受け、安倍総理からスルタノフ館長に日本への招待が伝えられ、訪日が実現されたものと伺っております。
2つ目は、ウズベキスタン絹繊維関連省庁長官、首都タシケント商工会議所会頭のほか、ウズベキスタン地方政府等の要人や在ウズベキスタン全権大使、JICA、日本人材開発センター等、在ウズベキスタン日本政府関係機関のトップの方々にお会いし、市長としてのトップセールスを行ったものでございます。 以上、壇上からの答弁とさせていただきます。 ○議長(堀越英雄君) 市長公室長。
また先日、ウズベキスタン・タシケントで行われた世界選手権のレスリング女子48キロ級では、高岡市出身の登坂絵莉選手が、世界選手権2連覇を達成するなど、その活躍は富山県民に誇りと喜びをもたらしてくれました。そして、富山県勢のがんばりで忘れてならないのが、まだ記憶に新しい、今年1月の富山第一高校サッカー部の全国高校選手権大会での全国制覇であります。
なぜかというと、シルクロードにタシケントというのがありますので、タシケントにちなんで助人(タスケント)にする。それで角館があり、そして田沢湖町があり、乳頭温泉、田沢湖、それから道の駅、そういうのでドライブに来る人たちが、今のところは新幹線で来てすぐ帰っちゃうと。
そんなことはどうでもいいんですが、ウズベキスタンの首都のタシケントに二泊ぐらい泊まりまして、そのホテルの前に公園がございます。朝ちょっと時間があったもんですから、その公園を散歩をしていたら、公園の中にカチガラスが数羽いたわけです。定かではございませんが、日本のカチガラスより若干大きかったかなといったような気がいたしました。
去る6月6日、タシケントで行われたワールドカップ南アフリカ大会のアジア最終予選で、ウズベキスタンを日本が破り、4大会連続の出場を決めたという記事が7日付朝刊に躍りました。今や日本におけるサッカーという競技の位置は、完全に野球等を逆転してしまった感があります。
終戦後、菊地氏は、ウズベキスタンのタシケント、中央アジアの方にありますけれども、の方で3年間の抑留生活を経験したということです。