滋賀県議会 2023-07-10 令和 5年 7月10日教育・文化スポーツ常任委員会−07月10日-01号
ですが、東京オリンピックの頃からずっと開催県が天皇杯を取るようになり、近年まで続いていましたが、確か私の記憶では高知県の橋本知事のときに天皇杯を取る必要はないということを言われて、実際に天皇杯を取りませんでした。少し調べてみたら、近年では2016年の岩手県、2017年の愛媛県、昨年の栃木県においては、いずれも開催県ながら天皇杯を取っていません。
ですが、東京オリンピックの頃からずっと開催県が天皇杯を取るようになり、近年まで続いていましたが、確か私の記憶では高知県の橋本知事のときに天皇杯を取る必要はないということを言われて、実際に天皇杯を取りませんでした。少し調べてみたら、近年では2016年の岩手県、2017年の愛媛県、昨年の栃木県においては、いずれも開催県ながら天皇杯を取っていません。
があるんだったらば、常磐道と北関東がクロスする場所だから全国で16か所造る流通業務団地の声を上げてみてはどうかというようなことで、流通業務団地で声を上げて、当時、竹内知事に強く後押しをしていただいて、その計画決定がされて、役場のほうで要するに用地買収は手伝うということで、役場の職員の方が何名かでチームをつくって用地買収をして、流通業務団地としての形成を図ろうとしたわけなんですが、その後バブルが崩壊して、橋本知事
これは1998年に始めたということ、当時の橋本知事が始められたということで、もう四半世紀になろうかとするわけですけれども、これは一つの通商という意味では重要な政策であったというふうに考えます。 今度しばらくできていないということもありますけれども、このINAPについて、これまでの成果も含めた総括について知事にお伺いをしたいと思います。
橋本知事になって高速道路ができ、けれども観光客は増えなかったんです。愛媛県や香川県はすごく増えたんですが、逆に高知県は差がつけられてしまって、閉塞感いっぱいになったときがございました。やけくそぎみに、パンダを誘致する、大型客船を誘致して港を整備する、実際に港を整備しました。成果は出なかったんです。
さらに、橋本知事から慰霊祭の日時はいつがいいかと尋ねられた中川会長は、沖縄気象台に統計上で摩文仁の丘に雨が降っていない日はいつかと尋ねられたところ、十一月六日だとのことで、この日に決められたとのことでありました。 私も十回近く参列しておりますが、傘を差して参列したことは一度もありません。コロナ禍により中止となった昨年に続き、今年も私は日帰りでお参りをさせていただきました。
そういう中でこの県1漁協構想というのは、もともと始まったきっかけは平成16年の2月議会、当時の橋本知事が、まず県1漁協構想を進めないといけないという、ある種の政治判断で思い切って所信表明演説を行ったところがやはりスタートだというふうに私は認識をしています。
済生会波崎診療所を地域医療センターにすべきだと、石田県議は当時の橋本知事に進言されておりました。石田市長にそのことについてお尋ねいたしましたが、再編統合とは切り離されて議論していると言われ、何も議論すらされておりませんでした。立場が変われば人も変わるんでしょうか。公約を守らずとも政治家は法律上罰則などは存在しません。ですが何とも思わないんでしょうか。
特に、私は橋本知事の時代、まず印象に大変残っているのは、県の直貸し融資でモード・アバンセに対する疑惑の追及の大きな課題が噴出をいたしました。そして、平成12年に、特定の協業組合に対する融資問題等調査特別委員会が議会で設置をされまして、いわゆる百条委員会でありますが、その委員として疑惑追及の議論を展開させていただきました。
しかし、橋本知事時代にはたくさん造った工業団地が売れ残って、一般会計から補填をせざるを得ない、こういう事態も発生をしています。そういう点では、開発優先で暮らしや福祉、教育にしわ寄せがいく可能性もあり、賛成することはできません。 他の議案については、字句上の整理や補正及び継続委託料などであり、賛成をいたします。 もう一点、令和2年陳情第2号について不採択の報告がありました。
2010年、当時の橋本知事がシンガポールのIRを視察し、大阪の経済活性化 のためにはIRが必要と考えたことがきっかけ。 2013年に大阪府市IR立地準備会議を設置。その後、IR推進法の成立を受 け、大阪府市IR推進会議及び大阪府市IR推進局を2017年に設置し、2019年 2月に大阪IR基本構想(案)を取りまとめ、現在、大阪万博開催前の2024年 開業を目指して準備を進めている。
数日前の新聞には、当時の橋本知事のコメントも載っていて、読ませていただいた。 こうした一連の報道に関し、9月10日の高浜町議会一般質問の答弁で、野瀬町長は北海道寿都町について、「どこかが担わなければならない役割、国家的命題に一肌脱いでやろうとした自治体が非難を受けるのはやりきれない。勇気ある行動を国がもっとサポートするべきだ」と答弁で述べている。
森林環境税というのは、そもそも平成十五年、二〇〇三年に、高知県の橋本知事が全国に先駆けて森林環境税というものを設置されたと聞いております。
当初、知名度が低く、心配されておりましたが、目標の30万人を大きく上回り、延べ77万人を超えて橋本知事も大成功と宣言をして幕となりました。 このたび、群馬県中之条町を訪れ、まず、驚きましたのは、この中之条ビエンナーレの来場者が31日間の中、約50万人ということでありました。
それで、橋本知事のころを振り返ってみますと、官民による政策総合研究所というのをつくって政策を練り上げていったということも記憶に新しいところですし、知事がおられた総務省、つまり霞が関にも、省庁を横断した若手の官僚のネットワークによる政策研究会が発足していて、情報を発信しているというお話も聞くんです。
昭和53年、中内力知事1期目に入庁された岩城副知事は、中内知事、橋本知事、尾崎知事、そして濱田知事と、4代の知事と向き合い仕事をされてきたところですが、それぞれのリーダーにはそれぞれの特徴があり、県政に果たされた役割があったと思います。
そのとき、私は現職を立場上、応援をして橋本知事を支援しました。その時に、この有料道路ができて間もなくですが、一たん200円の料金が100円に決定したんです、決まりました100円に。新聞にも掲載されております。ところが、この期間中にたまたま県会議員の選挙があったんですね。自民党の候補者が落選しました。無所属の候補者が当選をしたというようなことであります。
また、尾崎前知事は2007年当選後に、橋本知事は県民から積極的に話を聞いた、これは今後も継続していくと答え、実際、対話と実行座談会に取り組んできました。こうした真っすぐ県民に向き合う決意でスタートしたことが、あらゆる施策の前提にありました。
それはなぜかというと、その当時の会長だったか理事長だったか、ちょっと忘れちゃいましたが、元知事だった橋本知事と大学が同じで、それで交流があるから、そのつてを伝って本部のほうに行って、会長だったその方とお話したかったんですが、なかなかそういうところまではお話ができなくて、事務局長のその担当課長か何かだったと思いますが、そこでお話をしてきました。
これは、橋本知事に対して、一たん常総市として200円が100円ということで、50%カットで一たん決まって、新聞にも掲載された時期があったんですね。ところが、このときに県会の選挙がありまして、自民党推薦の県会が落選して、そして前市長の長谷川典子さんが当選したというようなことがありまして、それが撤回されたんですね。
これがその後橋本知事にかわり、その後長く県会議員を続けながら県会議長というところまでのぼり詰めたわけでございますが、石下町出身でありました土木部長のサカイリケンさん、この方が土木部長のときに事業認可を議会の中でやってとったといういわゆる事業でございます。 考えてみていただければわかるんですが、鬼怒川の西側というのは本当に幹線らしい幹線がないんです。