だから、そういう視点というのをやはり持たないと、
人口は減っていく、経済は縮小する、世界での地位はどんどん低くなる、それを
前提にして計画を立てるのは、もう滅亡してしまうというふうに思うのですが、いかがでしょうか。
5:
◯答弁(
教育改革推進課長) 委員御指摘のように、基本的にはここの
プランの中に掲げた思いといいますのは、こういう状況の中で、それを是とする、それをよいこととするというか、当然のこととすることではなく、当然これを食いとめていかないといけない、そのための
アクションプランだという考え方でございます。
例えば、先ほどの少子化の問題につきましても、まず結婚する、そして出産する、そのいずれの過程においても、まず経済的に自立ができるかどうか、そしてその前にちゃんとした仕事につけるかどうかというところが大きなネックになっていると考えております。
そのためには、まずは
教育で必要な力をしっかり身につけていってもらうということが大
前提だと思っておりますし、その際には、その地域の特性、地域の状況ということをしっかり踏まえた上で、全ての学校で同じことをやっているということではなく、その地域の特色も踏まえた上で、ここに掲げました課題発見・解決学習等々の取り組みを進めていく必要があると考えております。
6:
◯質疑(
渡壁委員) まず誰も言っていないのです、例えば
人口が減少している中でピンチをチャンスにするというのは、私はこの辺はもう自己矛盾だと思うのです。
人口が減少している中では、ピンチがチャンスになるのではなくて、これからどんどん減っていけば、ピンチはますます広がるのです。だから、こういうことが
前提になっている計画というのはやはりいけないのです。希望のないビジョンはそれこそ失望の塊みたいなことになってしまうのです。
こう書かざるを得ないのかもわからないですけれども、要するに、
教育は
人間を中心にして物を考えるということなのです。いろいろなことを中心にして考えているのです、商工労働局は経済中心で物を考える、
教育委員会は
人間を中心に物を考える、
人間を中心にしてどうやってもう一回、
社会の繁栄のために組み立てていくかということを考えなければいけないのです。
これは、専ら人材をよそから集めるというような計画になっています。知事部局のほうも、
教育委員会を頼りにしていない。チャレンジビジョンの計画を見たら、ここへ持ってきているが、これを読んでみるとわかるのではないかと思いますが、県政による基本方針のこの間のビジョンを読むと、経済がよくなったら、雇用がよくなりますと、それはそうなるのだけれども、人のところがしっかりしないと、経済がよくなるのと、どっちが先かということになるわけで、やはりそれは
人間中心なのだと私は思うのです。少なくとも
教育委員会はそう考えないといけない。
それで、実際の
社会もそうだと思うのです、いい計画を立ててみても、これは人がいないとうまいこといかない。だから、
人間中心に世の中が組み立てられているわけで、現実
社会を生きていく人を育てることが大切で、そういう方向へ今変わっていると思うのです。この間もらった資料でもあるではないですか、近畿大学だったか、広島大学と交流するという大学間交流ですか。あれを見ても、マツダの技術者が行って教えたり、それから、リョービ株式会社の技術者が行って教えたりということをしているということが出ています。これは、現実
社会への対応なのです。そこに行っている生徒にしてみれば、生徒はそういう先生に教えてもらうとそこの会社に就職できる、これは現実的です。だから、実際の技術も物すごく身につきます、自分がこれから仕事をしないといけないから。迫力のある勉強になると思うのです。そういう技術をつけた者は、今度は
人口減を食いとめる役割を果たしてくれることになるでしょう。そんな人材を育てるということが、私は大切なのではないかと思う。
教育は世界を動かす力があるというぐらいの自負心を持って書いてください。
教育長、どう思われますか。
7:
◯答弁(
教育長) 本県のチャレンジビジョンでも、人づくりというのが第一に挙げられていると、中心であるというふうに我々は考えております。
教育委員会としてしっかり人づくりをすることによって、今、直面しているさまざまな課題があるという状況を
教育によってしっかり支えていくなり、変えていくなり、そういう人材を我々としてもしっかり育てていきたいと思っております。
8:
◯質疑(
門田委員) 今、
渡壁委員がいみじくも言われたという感じがするのだけれども、例えば、小中高の公
教育です。どうであれ行政側からの県民へのサービスなのです。そうすると、サービスの基本というのは、同じようにサービスを受けられるということなのです。少々条件が違っても、
日本国民一人一人がそれぞれの地域に住んでいる、そしてどういう環境であれ同じサービスを受けられるということが行政の役割です。
ところが、あなた方の方向性というのは、
選択と集中とかいろいろな言葉を使って、非常に合理性というか経済性というか、そっちのほうへ引っ張っていこうとする。そうではなくて、行政とは言ってみれば国民のサービスのためにあるわけです。その基本がどこかへ行ってしまっているのではないか。だから統廃合などでも、やってしまうわけです。簡単にとは言わないけれども、そういう方向性を持っています。それは、経済合理性が優先し過ぎている、人を大事にしていない。例えば、1人とは言わないけれども、何人かでも住んでいるとすれば、それぞれに同じようなサービスを提供するというのは、行政の基本です。そのことについて、私はもう少し謙虚であってほしいと思います。この発想は、非常に頭でっかちです。基本的な方向性というのは、私は間違っているような気がします。
広島県が、例えば本当に住んでみたいとか住みたいとか、そのようなことを言うのであれば、やはり、先ほど私が言ったような
部分を大事にしている県なのかどうか、そこらはこれから評価されます。だから安易に言ったら失礼なのかわからないけれども、そういう合理性というか、そういうものを優先させ過ぎると、本当に行政サービスとしての役割を放棄してしまう、そしてそのことを放棄された地域は人が逃げます。そのときに先ほど出たように
教育がきちんと地域に位置づいて、一定のサービスをしてもらえるのだという認識を住民、県民に与えていかないと、それは、言ってみればどんどん過疎化もします。我々にとって子供が、孫が一番の宝なのでしょう、その子供が
教育を受けられないとなれば、その地域から逃げてしまいます。そこは踏ん張って、
教育委員会もやらないといけないのです。
その辺の基本的な発想が私には欠けているような気がして、なかなかすんなりとは入ってこないという感想です。誰に聞いていいのかわからないけれども、課長ではなくて部長以上に答えてほしい。課長は反対に頭脳明晰過ぎて、合理的に物を考え過ぎる。もっとソフトタッチというか、そういう
人間味のある発想をしないと、無味乾燥な
教育になってしまう。そんなことで、何かありますか。
9:
◯答弁(
教育部長) 中山間にある小規模な学校が、その地域からなくなっているということにつきましては、その地域の
教育という
部分をしっかりと確保した上で、そういったことがなされないといけないということは、確かにそうでございますし、やはり学校というものは、地域の中心となるべきものでございますので、そういった
部分をしっかりと考え、その地域の理解を得て、統廃合であれば統廃合をさせていただくというようなことは、大切なことであると考えています。
10:
◯質疑(
門田委員) 大切だという認識があるというふうな
前提で言えば、やはりそれに見合った施策が講じられないと、それはまさに絵に描いた餅で終わってしまいます。でも
日本全体の世の中の流れがそうではない。まさに
選択と集中というような言い方の中で選別されるという、例えば都市と農村というか、中山間、いろいろな尺度で見たときに、そういうものが蔓延しています。そういう意味では、なかなか
教育が大切だと思いながらもできない現実があるのだと思いますけれども、
教育の世界は本当に踏ん張らないと、他のいろいろな部局がありますけれども、それとは違ってしかるべきだと私は思うのです。その
教育の大事さというのは、私はできたら
教育長に答えてほしいです、いかがですか。
11:
◯答弁(
教育長) 先ほど委員が言われましたように、どこに住んでいても同じように
教育のサービスをしっかり受けられる、これは基本だと思っております。その中で我々がどういう形態でそういう
教育というのを提供できるかということを、しっかり考えていかなければならない。それについては地域の方々の思いを、
教育委員の皆さまとしっかり受けとめて、実際にどうしていくかというのをしっかり考えていく、そういうふうに考えているところでございます。
12:
◯意見(
門田委員) まさにそれはそれでいいのだと思うのですが、ただ地域の人をというのを、私は変に楯にするべきではないと思うのです。行政は行政として行政サービスをしなくてはいけないのです。いろいろな意見があります、それを地域のせいにするべきではないと思うのです。それは行政の役割ですから、
教育の世界はもっと使命感を持って取り組んでほしいという気が私はするのです。これは私の意見です。
これ以上言いませんけれども、
教育県広島のもとといいますか、いろいろな歴史があります。例えば長野県にしても
教育県長野というか信州があります。でもずっとさかのぼって、明治5年の学制発布以前に、言ってみれば江戸時代からのいろいろな歴史を持っている
部分が、各地域で
教育のもとをつくっていたわけです。その辺が
日本の民度を高めていたわけです。そして、それらがベースになって、小学校も各地に急激に、明治の初めに広がっていった、そういう背景があったからです。それは、
教育というのは基本的に、私から言うとまさに地産地消だと思います。
教育は地方分権の最たるものだと思います。その地方分権の最たる
教育というのを、行政の都合といいますか、財政的にこうであるとか、住民の意見がどうとか、いろいろなせいにしてサービスを怠ることがあれば、行政というのではなくて、特に
教育の場合にはもっとそこに強い思いを持って取り組んでいかないと、
教育県として、言ってみれば空疎なものになってしまうのです、そんな感じがします。
13:
◯意見(
石橋委員) 私はずっと
文教委員会が多かったのですけれども、ここまで皆様の御努力で、非常によく回復しているということで評価しております。
県の
教育委員会ができること、そして文部科学省がやらなければならないこと、いろいろあると思うのです。この「学びの
変革」
アクションプランも、やはりそういう要望が絡まって、国の方針とどういう方向でいくかということは、随分議論されていることだろうと思いますけれども、私は、
日本の
教育は耐震偽装
教育だということをいつも言うのです。なぜかというと、いわゆる土台ができていない、人としての土台をつくる前に、知識とかそういうものを入れてきた。コンピテンシーという最近の言葉が出てきましたが、そういう点を気がついてきたのだろうと思うのです。生きる力ということだろうと思うのです。
ただ、今、世界を見ると、この戦後70年という大きな節目の中で、アメリカも中国も
韓国も、やっぱり戦後レジームという、いわゆる歴史戦争をしているのです。戦後の価値観を戦勝国が
日本に押しつけてきている、特にアジアにおいては、これは間違いなくこれから出てきます。ロシアも入ってきて、大変なことになる。
その中でも、その前哨戦が、例えて言うならば従軍慰安婦であり、あるいは南京大虐殺の、いわゆる
日本を世界の中で辱める、そういう戦略を世界中がやってきているのです。その中へ、
日本の
グローバル、
グローバルといって、そこも何にもわからない
子供たちが出ていって大恥をかき、また、アメリカでもそうですけれども、従軍慰安婦の像ができて、そこに住んでいる
日本人たちはどういう思いをしているのか。本当に情けない思い、この捏造の話を、やはりその戦略の中で、うそも1,000回言えば本当になる、まさにそういう状態になっていって、やっと今、朝日新聞がそういうことを言い出したけれども、もう世界の認識は、これはもう性奴隷ということで認識されてきている。そういうことが、私はこれから
子供たちが世界へ出ていく中で、
日本人としてそういうことを言われたときにどういうふうに対応できるのか、やはり
日本人として、この前、きのうだったか、吉田松陰の番組を見ていましたけれども、生をうけて何をするのかということに悩む、それはやはり志というものを自分で探していくということだろう、そして彼らは見つけていくわけです。
もろもろ含めて、そういう非常に、片一方ではそういう方向で世界へ攻めていく、
日本を攻めていく。教科書一つ見ても、そういう記述が堂々とまかり通る教科書が
日本の中で使われていること自体が、僕は文部科学省、あるいは政治の世界にでもあるのだけれども、とんでもないことを今までしてきているわけです。これはいわゆる自虐史観というものですけれども、これが当たり前のようになっている。そういう
教育環境の中で困っている
子供たちが、幾ら
グローバルの
教育を受けるといっても、やはり世界では通用しないわけです。でもそこのところは、国も地方も関係ない、
日本人としてどうなのかという、そういう
教育をやっていかないと、本当に私は
日本人としての土台が、根底が決まっていない中で物をつくっていくと、だから私は耐震偽装だと言うのです、土台がないから。その土台をつくるということに全力を挙げてやってほしいわけです。
この「学びの
変革」
アクションプランの中にはこういった
部分は出てきていないのです。いわゆる上辺の
部分は随分書いてあるけれども、では
日本のアイデンティティーはどうなのか、どこで教えるのだ。そうしたら、今の教科書でどう教えるのかということです。そういうことを考えたときに、やはり国のあり方、地方のあり方を含めて、どういう子供をつくりたいのだと。世界に通用する子供をつくる前に、
日本人としてきちんとしたこれを持った子供をつくっていくことが大
前提であり、その上に知識があるわけで、その上で初めてコンピテンシーというのが出てくるわけです。それもない上っ面だけのものをやっているのですが、私は、
社会、世界では通用しないというのが今の思いです。
世界の
教育は既にみんなそうやっているわけです。そこのところが欠落しているのでは意味がない、血が通っていない。国内だけの問題ではなくて、本当にそういう世界へ出ていくのだったら、そういうことが一番大事になってくると思う。今、世界で活躍している
日本人は、そういうことを乗り越えてやってきているわけです。それは独自でやったのです、学校
教育でやったのではないのです。初めて
社会へ出て、世界へ出て、もまれてやってきたわけです。みんなそうです、留学した
子供たちは皆初めて気がつくのです。このままではいけないと、
日本の
教育はおかしい、世界へ出て初めて気がつくのです。それぐらい世界の流れと
日本の
教育、現状と格差があるということをやはり認識した上で、この
教育の指針をおつくりにならないといけないと思います。
ですから、いろいろな人の意見も出ていますけれども、やはり非常に世界では厳しい状況に
日本が置かれているということを
前提にやっていかないといけない。特にこの戦後70年はそういう方向で、戦勝国対敗戦国という一つの価値観が表に出てきて、今、安倍さんがたたかれているのは、歴史修正主義だと言われて世界でバッシングを受けているわけです。それは安倍さんではない、
日本人そのもの、
日本そのものがそういう形でやられている。大変なことですけれども、そういうことも含めながら、そういう世界があるということを大
前提に、その基本的なものをより構築していく。
それはやはり広島が過去の
教育内容の問題も含めて、新しい
教育県としてやっていくならば、
日本をリードしていくような、世界に通用する、リードするようなものをやっていかないと意味がないのです、物まねではだめです。そういうことを意見として言っておきたいと思います。
(5) 閉会 午前11時12分
発言が指定されていません。 広島県議会 ↑
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