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  1. 広島県議会 2009-10-23
    2009-10-23 平成21年過疎地域生活対策特別委員会 本文


    取得元: 広島県議会公式サイト
    最終取得日: 2023-06-05
    トップページ 検索結果一覧 使い方の説明 (新しいウィンドウで開きます) 平成21年過疎地域生活対策特別委員会 本文 2009-10-23 文書発言の移動 文書 前へ 次へ 発言 前へ 次へ ヒット発言 前へ 次へ 文字サイズ・別画面表示ツール 文字サイズ 大きく 標準 小さく ツール 印刷用ページ(新しいウィンドウで開きます) 別窓表示(新しいウィンドウで開きます) ダウンロード 表ズレ修正 表示形式切り替え 発言単文選択全文表示を切り替え 単文表示 選択表示 全文表示 発言者表示切り替え 全 25 発言 / ヒット 0 発言 すべての発言ヒット発言表示切り替え すべての発言 ヒット発言 選択表示を実行・チェックの一括変更 選択表示 すべて選択 すべて解除 発言者一覧 選択 1 : ◯林参考人 選択 2 : ◯東委員 選択 3 : ◯林参考人 選択 4 : ◯東委員 選択 5 : ◯林参考人 選択 6 : ◯東委員 選択 7 : ◯林参考人 選択 8 : ◯田辺委員 選択 9 : ◯林参考人 選択 10 : ◯田辺委員 選択 11 : ◯林参考人 選択 12 : ◯田辺委員 選択 13 : ◯林参考人 選択 14 : ◯田辺委員 選択 15 : ◯林参考人 選択 16 : ◯質疑川上委員選択 17 : ◯答弁医療政策課長選択 18 : ◯質疑川上委員選択 19 : ◯要望小林委員選択 20 : ◯質疑山崎委員選択 21 : ◯答弁医療政策課長選択 22 : ◯質疑川上委員選択 23 : ◯答弁医療政策課長選択 24 : ◯質疑川上委員選択 25 : ◯答弁医療政策課長) ↑ 発言者の先頭へ 本文 ↓ 最初のヒットへ (全 0 ヒット) 1: 7 会議の概要   (開会に先立ち、健康福祉局長が自己紹介を行った。)  (1) 開会  午前10時31分  (2) 記録署名委員の指名        東   保 幸        小 林 秀 矩     休憩 午前10時33分     再開 午前10時34分  (3) 参考人意見聴取   (参考人の意見陳述の前に委員長があいさつを行った。) ◯林参考人 本日、このような県議会の先生方の前でお話しさせていただくのを大変光栄に感じております。本日はつたない話ですけれども、よろしくお願いいたします。  私の赴任しております阿多田島は、県議会の皆さんは広島県の方ですから、よく御存じの方も、あるいは余り御存じでない方もいらっしゃると思いますので、まず最初に阿多田島の概要についてお話しさせていただこうと思います。  阿多田島は広島県の西の端、岩国市のすぐ隣です。今、大竹市というところに属しております。大竹市の南東約8.5キロメートルの海上にあります周囲が12キロメートルぐらいの小さな島です。向かいにさらに小さな猪子島というのがありますが、これは無人島です。その無人島と阿多田島は橋で結ばれております。猪子島にはいろいろな水産業の加工工場があるだけで、阿多田島には310数名の人口なのですけれども、ほとんどが阿多田漁港のある広島市側の本浦地区というところに住んでおりまして、その裏側の山口県寄りには人はだれも住んでおりません、と申しますのは、台風とか、あるいは風の強い日にはそちらからの風が非常に強くて人が住めないということで、多分その本浦地区に住むようになったのだと思います。  人口構成ですが、過疎地のため高齢化しているというふうにお考えになることが多いと思うのですけれども、この島は例外でございます。75歳以上の高齢者は20数%、65歳以上でも33%でして、非常にほかの島に比べて若うございます。と申しますのは、島の産業自体は漁業が主なのですが、刺し網漁をする人、タコ漁をする人、アナゴ漁をする人もいるのですけれども、それ以外に養殖業が非常に盛んなのです。カキの養殖、ハマチの養殖、タイの養殖、ヒラメの養殖、そういう養殖業が非常に多いために若い働き手が必要なわけなのです。ですから、結構若い方たちがおられて、そういう若い人口構成になっているのだろうと思います。  ただ、島には小さな駄菓子屋のような八百屋のようなお店が1軒だけであって、八百屋もありません、コンビニもありません。それから、肉屋も魚屋も何もないです。そういうところです。日常生活でいろいろなものが必要な場合には必ず船に乗って本土へ買い出しに行かなければならないということで、週に1回はフェリーに乗って小方へ食料品並びに生活必需品のすべてを買い出しに行っております。アクセスなのですが、フェリーが1日5便出ております。朝の間に2便で、午前6時が最初、その次が午前7時半、午前12時半、それから午後3時40分、それから午後6時、それでおしまいなのです。島の方へ帰ってくる最終便がやはり小方港発午後6時40分で終わりなのです。ですから、いろいろな用事をしようと思うと、午前7時半のフェリーに乗らないと銀行も行けない、役所とも折衝できないというようなところがあるのです。そうでないと午前12時半に行って、銀行に入ろうと思ったら小方港へ着くのが午後1時過ぎですから、そこから車に乗って銀行へ行っていろいろな手続をしようと思うともうあたふたとした状況になってしまうわけです。ですから、もう少し便数をふやしてもらえないかと思ったりもするのですけれども、阿多田島汽船自身は今、赤字ですから、離島振興委員会の方から補助をもらっています。便数ふやすとその補助金が減るというわけです。何で減るのかというと、便数をふやすということはお客さんがたくさんいるからふやすのだろう、そうしたら、収入がたくさんあるだろうから、離島振興会からそんなに金を出さなくていいのではないかというような理屈で減らされるみたいです。ですから、そういう面で少し不便を感じているところでございます。  島の施設としては、銀行ももちろんありません。3人ぐらいでやっている郵便局と漁業組合があるだけです。もう一つは、教育委員会が管轄している「海の家あたた」というのがあります。これは教育施設ということで、毎年9月から11月末までの間、中国人の研修生を受け入れて、そこでカキの養殖業であるとか、水産業の研修をしているのです。それ以外は全く空っぽのままほったらかしで、たまたま阿多田島で海水浴をしたいとか魚釣りをしたいとかいうような方たちが来られたときに、泊まる施設として活用されているみたいです。ほかに旅館とか民宿とかホテルはもちろんございません。ですから、夜釣りに来られても一晩じゅう釣らないといけないのです。休憩も何もできるところはないのです。お店もないですから、喫茶店もない、食堂もない、何もないない尽くしですから、そういう面での不便さがあるのではないかと思います。  それでは次、これが阿多田島の全景です。  次は、小方港から見た阿多田島の遠景です。右の下の方が本浦地区、要するに人口が密集しているところの風景です。  次は、左上が診療所の全景とそれから反対側から見た診療所の状況です。  次に、診療時間がここに書いてございます。島の人口、あるいは患者数から考えて、週に3日ぐらいあったら十分間に合うのかなと思っていたのですが、会社に勤めている人が受診できないということで土曜日も開いております。火曜日は事務員だけ出ていただいていて、一応待機ということにしておりますが、実際はこの時間帯に検査をする人、採血をする人、あるいは心電図をとる人、エコーを撮る人に来てもらって検査をしたり、季節性あるいは新型インフルエンザのワクチン接種であるとか、そういったものをする時間帯としておりますし、島の中でもし往診しなければならない人、寝たきりの人たちの訪問診療、訪問看護といった事柄に火曜日は当てております。
     次に、診療所の室内はこういう感じになっておりますけれども、私が赴任しましたときには、診療所とそれから調剤薬局があったのですけれども、これでは私自身診療できないからと言って、調剤薬局を廃止してもらいまして、私自身が中身を全部レイアウトさせていただいて、こういう形で診療所をつくってくれと言ってつくってもらいました。  次に、お年寄りをこうやって私1人が診察しています。  次は、お年寄りが来られたら、自分で迎えに行ったり、あるいは扉をあけて、いらっしゃいと言っているところです。  次に、診療所は私と看護師とそれから事務員の3人でやっております。ですから、診療所にはレントゲンとか検査機器とかあるのですけれども、その技師を全部私が兼ねてやっています。看護師は、薬剤業務もやってもらっているわけです。お年寄りがよく来られますから、どうしても分包機を使わないといけないのです。その分包機を動かして薬をつくること、あるいは薬の発注であるとか、在庫の管理であるとか、そういうすべてのことを看護師がやってくれていますから、非常に彼女は多忙でございまして、本来の彼女の業務である診療補助というのはほとんどしてくれません。そういう雑務に追われております。診療所の掃除は事務員と、それから看護師でやってくれているのですけれども、ごみ出しは私の役目でございまして、軽トラックに乗って毎日のようにごみ出しに漁業組合の方へ持っていきます。事務員も1人きりで受付からいろいろな対外的な電話の受け答え、あるいは労務士や会計士との折衝、私のスケジュールのことなどすべての事柄を彼女が1人でやってくれております。ですから、この3人のうちだれかが休んだら、診療所はストップしてしまう。ただ、事務員は休んでも、何とかお金の面だけですから後回しにすればいいのです。看護師と私のどちらかが欠けますと、診療所はたちまちストップしてしまうという状況で、非常に手薄な状態なのです。  看護師をもう1人入れたいというふうに考えるわけなのですけれども、外来に来られる患者数から考えると、看護師2人を抱えるのは非常に損なのです。損というよりも経済的に多分合わないのではないかと思うのです。それと、もう一つは島内に看護師がいらっしゃいませんから、本土から来てもらわないといけないのです。たとえパートで雇うとしても、朝6時40分の船に乗ってもらって、夕方6時の船で帰ってもらうということなのです。ところが、診療所は9時からしか始まりませんから、その間の残業代というか早出手当というものが非常にかかってくることになって、コストパフォーマンスということを考えると、これは全く不可能であるというふうに考えられます。ですから、非常に苦しい立場にいるのですけれども、私たち3人でやっていこうというふうに私は決心しております。  まず、私が赴任するまでの経緯ですけれども、多分何で阿多田なんかに来られたのかということがお聞きになりたい点かと思いますので、ちょっとお話しさせていただきたいと思います。  私自身は、昭和44年に大学を卒業したのですが、そのころ青年医師連合というものがありまして、青医連運動というのがはやっておりまして、従来の医局制度を破棄して、学位なんか無意味ではないかとか、あるいは講座なんて無意味ではないかとかいうようなさまざまな議論を闘わせる中で、もっともっと過疎地あるいは島嶼部での医療にも目を向けなければならないという議論が続いていたのです。その後、私自身も何回か僻地での医療、あるいは沖縄の離島での医療、そういった巡回医療に関してもおつき合いさせていただいて携わったことがあるのですが、若いころの未熟な私に対して、島の人たち、あるいは田舎の人たちが大勢来てくださいました。そしていろいろと診察を求められるわけですが、私自身のスキルの不足というものを感じざるを得なくなって、離島での医療とか過疎地での医療というのは僕自身のまだまだ手に負えるところではないと思いまして、一たん私は大学の医局に戻りました。そして、勉強したり、あるいは市民病院に勤めたり、自分で開業したりしまして、64歳の誕生日を2年前に迎えたそのときに、ふと思ったのは、あれ、ひょっとしたら、あと10年ぐらいしか医者としての寿命はないのかなというふうに思いまして、心寂しくなると同時にそれなら私自身に残された医者としての人生10年を若いころに志した島嶼部での診療、あるいは過疎地での診療にささげてみようではないかというふうに思ったのです。  それで、あちこちの県や市にお電話を差し上げたり、インターネットで調べたりしたのですが、たまたま広島県に電話しましたときに、交換手がタイミングよく健康福祉局長の迫井さんにつないでくれて、迫井局長は私の話を聞くなりすぐに医療政策課長につないでくださって、それから1週間ほどしたら大竹市の市民生活部長の大原さんと、医療政策課の宇都宮さんが私のいる京都に来られまして、先生、ぜひこの広島県でやってほしいというお話になりました。それでは一遍見学に参りましょうと言って行きましたときに、この島の方に渡りまして、いろいろと歓迎を受けたり、あるいは説明を受け、その歓迎会の中で、自治会長さんが私より1つ上の67歳ですけれども、ごあいさつの中で、私たちは25年間以上も医者のいない生活をやっており、ぜひ林先生に来てほしいと、島での診療をやってもいいと思っている先生がおられるということを私たちは非常にうれしく思うと言って、涙ながらに話されたのです。その涙を見たときに、私はああ、ここに来てあげないといけないかなというふうに感じて、それから先、大竹市といろいろと条件面の話し合いをさせていただいて、平成20年4月に調印式をし、昨年7月から開業しているというようなところなのです。  そうやって、新生活をスタートしたのですけれども、その生活の中で言葉の行き違いやら、あるいは考え方の違いでいろいろなことがございました。時にはトラブルになりかけたこともございましたけれども、私は島へ来たのは診療をするために来たのだから、島の人たちとけんかするために来たのではないというふうに思い直したり、あるいはいろいろと考え直したりしながらやってきております。  私生活の中で、一番困ったことといったら、先ほど言ったように何も買うところがないですから、必ず本土に行かないといけないことともう一つ、お魚をたくさんくださるのです。ありがたいのですけれども、僕は、お魚をさばいたことがなかったのです。ハマチもタイもアジも何でもかんでも、先生、はいどうぞと言ってぽこんと1匹大きなのをくださる。これを、どうやって食べたらいいのかと思ってしまいましたが、仕方がないですから、何とか見よう見まねで、あるいはお話を聞きながら、幸い私は、内臓外科、消化器外科をやっておりましたから大体構造はわかるわけです。そういうようなことで、練習を始めまして、今ではもちろん、三枚におろしたり、あるいは開きにして一夜干しにしたりとか、何でもできるようになりましたけれども、本当にそういう面では困りました。  言葉の面でも、阿多田弁というのがありまして、広島市内の言葉とまた違う言葉を使われるわけなのです。ただ、全体として感じますのは、私は関西ですけれども、広島の方は、結構関西の方へ行かれて大阪府と京都府でお仕事をなさっている方が多いせいか、結構関西弁も通じるわけです。また広島の方の言葉も私たちは聞いたことがあると思うのです。私が茨木市というところで開業していたときに、「先生。えっとぶりですな」と言われたことを思い出しまして、あれ、今から思うとあの人、阿多田の人か広島の人だったのかな。「えっとぶり」というと久しぶりとか大変長い間とかたくさんとかいう意味だと思うのですけれども、そういうふうに考えると、広島あるいは山口、島根というような方は結構関西に行っておられて、そこから先の名古屋とか東京へ出られる方は結構少ないのではないかと思うのです。そういう面で言葉の上でそう理解はできないというようなことはありませんが、ただ、島の人たちはある意味、非常に短絡的で直情的なのです。1つのことを言うと、もうそれ以外のこと全く考えられないというようなところがあって、非常に人はいいのですけれども、言葉は荒っぽいし、いつでもけんかをしているような、どなられているような、そういう面でちょっと不自由したときもございます。  次に、診療実績がそこに出ていると思うのですが、多分開業してからことしの6月までの診療実績なのですけれども、平均して15~16人ぐらいですが、今はもうちょっとふえております。だんだんふえて来つつあるところです。特に、インフルエンザがはやり出しますと、大変忙しくなります。特に、ことしは新型インフルエンザもありますから、季節性インフルエンザの予防接種のワクチンも昨年実績の8割しか配布されておりませんので、島の中で取り合いになっております。2日間ワクチンの接種をしたのですけれども、残りはあと6人分になってしまいました。あと島の人たちにどうやって説明してワクチンの接種を堪忍してもらおうかと思って苦慮しているところです。それはともかくとして、1日15~16人というところです。もちろんこれは平均ですから、時には20人、25人といらっしゃるときもありますし、昼から1人もいらっしゃらないというときもあります。でも、たった3人の診療所ですので、15人でも結構忙しいのです。呼び出して、診察して、もちろん診察の間看護師さんもそばについてくれません。看護師さんはお薬を出して、必ず分包しないといけないのです。例えば、いろいろな種類の薬がありますが、普通はこの薬は1日2回とかいって、別々の袋に出すのですけれども、邪魔くさいからみんな1つにしてくれとか、朝は朝の分、昼は昼の分といって何種類かを一緒にする分包化をしてくれというふうにおっしゃるのです。お年寄りの方がそういうことをおっしゃるのなら、まあ、それは仕方ないだろうと思うのですけれども、それにつられて若い人も、邪魔くさいから一緒にしてということで手間暇が非常にかかるわけなのです。ですから、結構忙しゅうございます。  3人の給料を賄って、診療所の薬代を払い、維持費を払うと年間2,000万円ぐらいの赤字になっております。その赤字は大竹市の方で補てんをしてもらっております。  救急に関しましては、私が赴任する前に広島西医療センターの田中院長とお会いしまして、阿多田から私が入院させてくれと電話を入れたら必ず受けてほしい、満床だからだめですでは困りますと、いろいろと話しまして、田中先生は必ず私のところの患者さんに関しては100%広島西医療センターで引き受けますというお話をしていただいたので、救急医療に関しましては、特に大過なく今日までやってこられたところです。救急患者は月に2件ぐらいです。このごろちょっとふえて3~4件あるのですけれども、救急で患者さんを送るときに、島ですから必ず船で送らないといけないわけです。そうすると救急船というものを使わなければならない。救急船といっても、いろいろな設備があるわけではありません。要するにちょっとスピードの出る大きな漁船を使って送らせていただく。それは私の赴任する前から救急船のシステムがありまして、5軒ほど頼んでいるわけなのです。その5軒のうちで港にいる船を使って小方港まで患者さんを搬送して、小方港で救急車に待ってもらって、そして広島西医療センターへ搬送されるという形をとっておりました。  ただ、島の人たちがその救急船を利用するのに2万円必要だったのです。初めてそのお話を聞きましたときに、本土の人たちはただで救急車に乗れて、そしてそのまますぐに医療機関で受診できるのに、島の人は何で救急船を利用するのに2万円必要なのかと、不公平だというふうに私自身は感じました。それで、大竹市長にこの救急船の費用は市の方で予算化してくれと頼みまして、この4月から予算を出していただいております。ただ、救急船と定義づけるために大事なことは、みんなが勝手に自分の漁船に乗って行って、これは救急船だから、2万円くれと言われたのでは困ると思ったのです。島ですから、皆さんほとんど船を持っておられます。ですから、勝手にそう言われたのでは、本土で自分の自家用車で行っておきながら補助金をくれと言っているのと同じことだと思いましたので、それではだめだということでいろいろと規約をつくりました。まず最初に診療所用の携帯電話を新しくつくりました。全島民に何事かあれば必ずこれに電話してくれとお知らせしました。この電話があって、私に連絡がついて、私が救急と認めた場合にのみ救急船として発航する。救急で搬送しなければならないと私が判断したときには、まず、昼間は漁業組合の建物に電話します。そうすると、漁業組合の参事が港の中を見回して、漁に出ていなくてまだ停泊しているので、これを回しますと言ってくれて、フェリーの桟橋のところでその船に乗る。そして広島西医療センターへこんな患者さんだから受け入れてくれ、消防署へ何時何分ごろに小方港へ迎えに来てくれと、これだけの仕事を私がやって初めて救急船として2万円の補助が出ますというシステムにしました。もし、この携帯電話がならなかった場合には、つまり私と連絡がとれない場合や夜間で漁業組合がお休みであるとか、そういうときには島に第8分団という消防団がありますが、その分団長のところへ連絡して、その人から救急船として手配してもらうという形にしました。そうやって救急船としての2万円の補助を受けるようなシステムをつくり上げたところでございます。  どんな患者さんが救急になるかというと、今月は吐血の人と下血の人と、それから腸閉塞の人というような感じで、必ず入院治療しなければならない人を今月は3件搬送しております。それから、この携帯電話を僕は24時間、365日離すことできません。用事があってこっちへ来ているとき、あるいは京都へ帰ったときとか大阪へ帰ったときにも、この携帯電話に島の人たちから必ず電話が入ります。そこから遠隔操作で、島の人たちの健康を守っていこうというふうに考えてやっております。  日常の診療自体はどうかといいますと、結局は高血圧であるとか、一般の診療所と変わらないのですが、普通は診療所は内科系と外科系を多分別にしてあると思うのですけれども、我が阿多田診療所に限っては内科系の患者さんも外科系の患者さんもいらっしゃいますし、皮膚科の患者さんも眼科の患者さんもおられます。私はできるだけ自分でできる範囲で対応させていただいておりますけれども、産婦人科とか小児科はちょっと堪忍してほしいということで、島の人たちにも赴任のときにお話ししまして、産婦人科は病院、小児科は広島西医療センターの田中院長に診てもらってくださいという形でやっていただいております。  診療所をやっていて困りますのは、島ですから薬のことがあるのです。というのは、お薬がたくさん出て在庫がなくなったとか、あるいは患者さんがこんなお薬が欲しい言ったときに船の関係で緊急には配達してもらえないのです。だから、前もっていろいろなものを貯蔵しておかないといけないのです。使うか使わないかわからないけれども、こういうときのためにこういうお薬を置いておかないと緊急の場合に間に合わない。それから、血液の検査もそうです。自分のところで全部の検査をするような3,000万円も4,000万円もするような検査機器は置けませんから、血液検査を検査屋にお願いしています。そうすると、なかなか血液検査を持っていってくれないのです。普通、町で開業しておりますと、朝、採血したらお昼前に検査屋さんが飛んできて持っていってくれる。でも、診療所では違います。船が午前12時半にしかありませんから、朝9時に採血しても小方港へ来るのは午後1時過ぎ、ということは4時間も5時間も時間がたつのです。そうすると血液がその中で変質して正しいデータが出てこないことが結構あるわけです。そういうのは大変つらいところであります。それと、もちろん緊急検査もできません。先ほどのお薬と同じように、フェリーの時間の関係でそういうことができないというところはやはりしんどいところではないかと思っております。  次に、診療所の運営についてお話しさせていただきたいと思います。島にはもともと診療所運営委員会というのが自治会の中に設けられております。大竹市の方から運営委員会に補助金が出て、その補助金を私の診療所の赤字補てんに充てている。ですから、直接大竹市から私どものところへ入ってくるわけではないのです。大竹市と私との間には、診療所の建物とか土地の使用貸借契約をしているということです。こういうお金の流れの部分、これはこれで僕は別に不足はないのです。ただ、阿多田診療所は法人組織ですから理事会があるわけです。理事会の決定と診療所運営委員会の決定とどっちが優先するのだろうということが私自身非常に気になっているところなのです。そのことを大竹市にもそれから診療所運営委員会にも言っているのですけれども、なかなか私の思いが通じなくて、いまだに返事を何ももらっていないのです。実際、診療所を運営している私たち3人がいろいろな物事を決めていかないといけないと思うのです。昔は阿多田島へ、週に1回、広島西医療センターが巡回診療していたのです。そういうときにいろいろな診療所の事柄を決めようというのが診療所運営委員会の本意だったと思うのです。そういう意味から考えると、今では診療所運営委員会というのは、むしろ不必要な組織なのではないかというふうな気がしております。それよりもむしろ、診療所支援委員会とかいうような形にして、診療所のいろいろな利益を図るために、こういうことをしたらどうかということを考えてくださるような組織にしていただければ非常にありがたいのではないかというふうにも考えております。そうやって運営はしておりますが、先ほど申しましたように、年間2,000万円ほどの赤字が出ております。この点について別に僕自身が仕事をサボっているわけでもないのですけれども、患者さんの人数が1日14~15人ではやっていけないということです。今の医療保険制度の中では、月にして150万円程度必ず赤字が出ます。  それから、今回この委員会は過疎地域生活対策特別委員会ということですので、このような過疎地域とか、あるいは島嶼部での医療を通じての私自身の考えているところを最後に述べさせていただきたいと思います。  過疎地域での医療を考える上で、3つ大事な視点があると思います。1つはお医者さん自身の問題、それから市町の財政の問題と、受け入れる住民の意識の問題があると思います。  まず、医師の問題に関してですけれども、個々のお医者さんが過疎地での治療、あるいは島嶼部での医療というものをどれだけ大事に考え、そして必要なことであるという情操教育的なものをしていくということが一番大事ではないかと思うのです。そのために学生の教育の中にそういうものを組み込んでいけたらというふうに思っておりますし、そういう一般医を育てるための講座を新設していただければありがたいと思うのです。今まで、医療というのは自分の領域を非常に狭めて、専門性を追求してきたわけです。ですから、例えば消化器外科といっても胃なら胃だけを深くきわめていく。あるいは肝臓内科の人であったら肝臓の領域ばかりを勉強していくというようなところなのですけれども、こういう島嶼部であるとか過疎地での医療を行う場合には非常に幅広い知識を必要とするわけです。ですから、そういう人たちを育てるような講座も必要ではないかと思うのです。あるいは入学させるときにそういう特別枠をつくって、将来10年以上地域医療に貢献することという条件をつけて全然別個のカリキュラム、あるいは全然別個の入学システムいうものをつくっていって、大学がそういうものを受け入れていってもいいのではないかと思います。それから、例えばそういうことをするのであれば、授業料は半分にしてあげますというような特典をつけたりすることもあるいは必要なのかなと思ったりします。そういうお医者さんを教育することも大事です。そしてまた、何よりも医師自身のスキルが必要ですし、そして医者自身の志も必要なのですけれども、そういったものだけでいいかというと、そうもいかないのです。  365日、24時間体制で私たちは対応しないといけないわけです。非常に心の負担になります。そういう心の負担に対して医者自身もどういう形でメンタルヘルスしていくのか。あるいは若い医師が来られた場合に、子供さんがいます。そういう子弟の教育というものをどういうふうにバックアップしていってあげたらいいのか。子弟の教育問題も非常に大事だと思います。もう一つ大事なことは、人材確保をどうするかということです。その地域に、専門職の人がいないのです。その専門職の人を診療所へ呼び込まないといけないです。だから、医者だけではなく、そういう専門職の人たちにも僻地での医療、あるいは島嶼部での医療に対して熱意を持った人たちを募らなければならない。そうでないと診療所はできない。事務員だってそうです。その島に医療事務のできる人がいなければ、島の外から引っ張ってこないといけないということで、人材の確保も難しい面があるわけです。  お医者さんに関しては確かに広島には「ふるさとドクターネット広島」というのがありますけれども、全国組織がないのです。苫小牧の先生が僻地医療をやりたいとおっしゃっているのですけれども、どこへ行っていいか、だれに相談していいかわからないのです。だから、僕のところへ聞きに来るというわけなのです。ですから、そういう意味で広島には確かに「ふるさとドクターネット広島」があるけれども、それを全国的な組織に広げていく必要もあるのではないかと思います。そういう意味で、全国的に広げる先駆けとして広島県に動いてほしいという気もします。そして、その世話人として全国のそういう志を持ったお医者さんといろいろと話し合いをして、コーディネートしてあげるというようなシステムをとってあげたらというふうに思っております。  それから、防衛医大では内科の先生と外科の先生は全科勉強することになっているみたいで、普通は外科系の先生は外科のトレーニングだけ、内科系の先生は内科のトレーニングだけなのですけれども、防衛医大の場合は戦地へ出ていかなければいけませんから、それを想定して外科のことも内科のことも勉強させているのです。ですから、それと同じような組織を場合によっては全国の大学が取り入れていかなければならないのではないかと思います。  それから、2点目は市の財政の問題ですが、多分今のほとんどの自治体は赤字自治体でございます。年間に2,000万円、3,000万円という毎年決まった赤字に対する補助を出せる自治体はほとんどございません。ですから、県は各市町村に対して、あるいは過疎地に、あるいはその市にお医者さんを迎えたいという段階になったときには、特別会計のような形で補助をしてあげるということも考えてあげなければならないと思います。県はそうやってやらないといけないし、国では各県に対して、そういうような場合には補助金を出すというようなシステムをつくり上げていかなければだめなのではないかと思います。  ただ単に診療所をつくって、そしてお医者さんを呼んでというだけではなく、そういう財政的な点とか、お医者さん自身の生活のバックアップの問題であるとか、いろいろなコ・メディカルの人材の確保の問題であるとか、本当に考えなければならないことが山ほどあるのです。その一つ一つを皆さんの手で検討していただいて、こういうことをやっていけばいいのではないかということをお考えいただきたいと思っております。  最後に、住民の意識の問題ですが、そういう島嶼部での医療とか、それから山間部の医療の場合には、必ず3つの段階を経なければならないのです。最初は、患者が発生したときに診療所へ行く、あるいは診療所から往診に行くという形ですけれども、その後ろに必ずバックアップ体制をつくらなければならないということがあります。もし、そのバックアップの病院がないのであれば、この診療所は自己完結型の診療所にならないといけないわけです。そうすると、1人や2人の医師、1人の看護婦では絶対に不可能なことなのです。入院施設を持った診療所をつくらないといけない。ですから、その辺のところのバランスをきちんと考えて、お医者さんを呼ぶに当たっても、診療所をつくるに当たっても、有床なのか無床の診療所をつくるのか、自己完結型の医療でしなければならないのか、それともしっかりとしたバックアップ体制を持って、すぐ移送できる形にするのか、どっちかをとらなければならないというふうに僕自身は思っております。  以上、いろいろとお話ししましたけれども、この1年余り、私自身阿多田島でいろいろ勉強させていただきました。その間、大竹市の入山市長、それから県議会議員の大井先生にもいろいろと心の支えとして私を助けていただきました。この席をかりて、改めてお礼を申し上げたいと思います。  以上をもちまして私の話を終わらせていただきます。(拍手)  (4) 意見交換 2: ◯東委員 林先生にはようこそ広島においでいただきまして、ありがとうございます。本当に、地域医療が抱えるさまざまな課題というものについて、その一端を御教示いただいたというふうに思っております。御案内のとおり、国も地方も公的な病院の財政ということが大きな優先課題となっている中で、厳しい病院経営を強いられているわけでございます。また、医師不足もありますし、また偏在という大きな課題もあるわけでございますから、解決する方法もなかなか一朝一夕にはいかないわけでございます。  私は地域づくりは人づくりというふうに思っておりますので、きょうはせっかくの機会ですから、林先生に人づくりという視点に立って何点かお聞きしたいと思います。  冒頭、先生はさらっとお話をされたのですけれども、若いころに過疎地あるいは島嶼部の医療にいつかは従事したいという志を持たれたというふうにお話がございました。その動機といいますか、あるいはまた小さいころから何かあってそういう志につながったのかどうか、教えてください。 3: ◯林参考人 私自身何で田舎へ行きたいと思ったのかは、これはもう理屈でも何でもありません。私は、田舎が好きだからです。医療というものは、すべての国民に平等に与えられるべきものだと思います。でも、都会にいる人たちばかりに光が当たって、そして都会にいる人たちは十分な医療を受けられるのに、島嶼部であるとか過疎地の人たちには十分な医療が与えられない。これでは不公平だと思いましたので、いつかは田舎へ行きたいというふうに思っただけで、これといって動機というのか、そのようなものはないわけです。ただ単に行きたいという僕自身の心情だけの問題です。 4: ◯東委員 大変シンプルかつとうとい志であり、気持ちだというふうに推察いたします。医師自身の教育のところで、いろいろな医療教育のあり方、とりわけ過疎地域の医療に従事していけるような教育、あるいはシステムをというお話でございましたけれども、そうは申しましても都会に住んでいた若い医学生が突然にぽんと過疎地へということも、なかなか難しい話だろうとも思うわけで、とりわけ今の教育というのは広島県を例にしますと、東京、京都を中心とした難関大学、あるいはその次には国公立大学というふうに、いわばブランド志向のような教育システムを進めております中で、過疎地、島嶼部へということはなかなか難しいのだろうと思うわけです。ですから、小さいときからそういった田舎になじむ、あるいは海になじむといったことも必要なのだろうと私は思っているわけです。過疎地の問題というのは、そういった小さいときからの取り組みもまた必要なのではないかというふうに思うわけですけれども、先生の御見解はいかがでしょうか。 5: ◯林参考人 確かに、今おっしゃったように小さなころから、そういうところになじむということも大事なのですが、先ほど島嶼部の医療とかそういう人たちを育てるような特別枠をつくったらどうかということをお話し申し上げたのですけれども、私は入学試験の段階で、ある意味そんなに優秀な人でなくても、将来そういう地域医療に貢献したいという人たちの入学枠を特別につくって、一般の人と全く別の入学システムをつくっていただければありがたいと思うのです。志の方が大事なのです。学問とか頭とか勉強とかそんなのはどうでもいいのです。大事なのはお医者さん自身が、田舎で仕事をしたいという志の方が大事だと思います。そういう面で、入学試験の点数が一般の学生よりも落ちても、そういう情熱を持っている人たちを入学させて、そしてそういう一般医として育てていくシステムも、時には必要ではないかなというふうに私自身は考えております。 6: ◯東委員 地域医療に従事しておられる原動力でもある先生の熱意が、本当に今のお言葉の中にも感じられたわけでございますが、なかなかそうは申しましても、地域医療に対する魅力といいますか、若い学生さんは卒業したら、やはり東京とか大阪とか有名なところへと、広島県内におきましても、広島市へというふうな方向というのはどうしてもあるのだろうと思います。そうした中で、先生の方からぜひ若い医師あるいは看護師も含めて、そういう医療に従事する人たちに地域医療のおもしろさ、魅力といったものをアピールしていただきたいのですけれども、魅力はこういったところにあるのだということが、もしありましたら教えていただきたいと思います。 7: ◯林参考人 患者さんと接するという面では都会と一緒なのですけれども、地域医療においては、少人数の村民、島民たちを診る場合には、私生活などすべてを私自身が知った上での医療行為になると思います。そういう意味で自分がこの人に対してどういうことをしてあげられるかということを考える上で、今まで都会にいたときは、病気そのものだけを考えて医療をし、そして指導してきたのですけれども、そうではなく今度はその人自身の全生活、全人生というものを僕自身が理解して、その上でいろいろアドバイスできるという面が非常に楽しみなのだろうと思います。  それから、そういうことをもっと宣伝してほしいとおっしゃるのですけれども、それは確かにそうだとは思うのです。ただ、若いときには自分自身の医療と医学というものに対する情熱がありますから、難しい医学あるいは最先端の医療というものも、みんな幾つも手を出しがちなのです。それは普通だと思うのです。若い人が卒業してすぐに田舎に行って、私はのんびりやりたいなんて言うような人では絶対島では生活できません。医療はできません。ですから、一たん若い間はそういうところへみんな繰り出して、いろいろなことを勉強してほしいのです。その上で、10年なら10年のそういう専門医としての生活が終わった段階で、今度は一般医としてのいろいろな内科系の先生が整形外科や外科のことやらも勉強なさって、その上で田舎へ出てきてほしい。だから、60歳を過ぎたようなお医者さんはむしろ積極的に自分自身から島嶼部へ出ていっていただきたいと思うのです。ただ、医者には町では施設長であるとか病院長であるとか、いろいろな仕事がいっぱいあるのです。だから、田舎へ出てこなくても、お医者さん自身、生活していけるから余り出たがらない。やはり、都会にいて、自分の子供や孫、いろいろな人たちが自分の周りにいる、親族たちがいるところで生活したいのが人間の心情です。それをすべて捨てて、島へ出てくるというのはある意味、非常に大きな決心を要します。子供たちともメールでしか話し合いができません。いろいろな季節に応じて、子供たちが大きくなった、孫が大きくなった、それをメールにつけて送ってくれるというような形でしか交流できません。そうだけれども、やはり自分自身の若いころの志を果たすためだからと言って子供たちには因果を含めてこっちへ行かせてもらいました。子供たちも医者をしておりますけれども、やはりお父さんはお父さんのそういう志があるのであれば行ってきてほしいと、そのかわり元気にやってくれと、もし病気になったりしたら大阪へ帰ってきてくれと言われました。 8: ◯田辺委員 救急船のことを言われたのですが、救急船には何の機能もないのですか。先生がついていくとか、看護師さんがついていくということもなく、ただ運ぶだけですか。 9: ◯林参考人 看護師がついていきます。 10: ◯田辺委員 その運ぶ間、医療行為とか、そういうことは一切なしですか。 11: ◯林参考人 観察ぐらいでしょうね。本当に実際ついていっている看護師に聞きますと、真っ暗な中で、患者さんのお顔も見えない、どういう状況かも判断できない中で、救急船で搬送する10分か15分の間が非常に恐ろしいと毎回看護師は言っています。設備は何にもないですから。 12: ◯田辺委員 何か、そういうことに要望があるのですか。 13: ◯林参考人 もし、さっきの救急船に救急車のような設備をつけるとしても、5隻の船に設備をつけるのは無理です。 14: ◯田辺委員 無理ですか、もっとコンパクトな何かないのでしょうか。 15: ◯林参考人 一つ考えられることは、救急専用の船舶をつくることです。でも、それだって月に2回や3回利用するだけで、この船を維持するだけの財政的なものがあるか、メリットがあるかいうことを考えると、これも無理がある。だから今のような形態しか仕方がないのかなと思います。     休憩 午前11時41分     再開 午前11時43分  (5) 当局説明  医療政策課長が報告事項について、別紙資料により説明した。  (6) 質疑・応答 16: ◯質疑川上委員) Bプランで福山・府中圏域と尾三圏域となっているでしょう。これは、基本的にはどういうイメージになるのですか。 17: ◯答弁医療政策課長) イメージといいますか、まずは、Aプランは都市型の課題の解決をしたいというふうに思っております。広島県の医師不足というのは、中山間地域の悲鳴が大変聞こえますけれども、その要因の一つとして、都市部の医師が結構少なく、減少率が高くなっていることがあります。そこの救急医療をきちんと整備をして、その医師を最終的に中山間地域に安定的に供給できるような仕組みにしたいというのが基本的な考え方なのですけれども、Bプランにおきましては、その全体的な医師確保と、中山間地域へ医師を送るということで(3)の大学医学部地域枠の拡大ということで、県内の公立病院の必要従事期間の2分の1を中山間地域で働くということにしております。この福山・府中圏域と尾三圏域の(1)の医療機関の再編の部分でございますけれども、医療体制をある程度整備しなければ幾ら送ってもそこでなかなか定着が難しいということで、この尾三圏域の公立世羅中央病院の再編と福山・府中圏域の府中北市民病院と厚生連府中総合病院の再編を支援していこうということです。これらは中山間地域のほとんど同じような形体の100床から200床までの小さい医療機関となっていますので、それをしっかり支援をしていこうということにしております。 18: ◯質疑川上委員) ある面において福山圏の救急医療は、第二次救急を含めて、岡山県とも非常に近いでしょう、井原の方はどんどん福山圏に入ってくるでしょう、その辺のところはどういうふうにすみ分けをするのですか。基本的には市民病院にも何割かは岡山県から来られる患者がいてもいいわけです。それとここできょうよくわからないのだけれども、救急医療を含めて、どういう医療圏をつくっていくのかと、その辺の形がよくわからないので後から教えてください。 19: ◯要望小林委員) 要望でありますが、本来の広島県地域医療再生計画がこの前作成されていますけれども、今回の国の方針において県2カ所ということで西部と東部ということで、北部はない。やはり広島県地域医療再生計画にのっとった形でこれが入ってきたら、どうしてもウエート的に北部の状態はどうなっているかと、中山間地域対策はやってくれるけれども北部の方々が見られたときには、南が重たくて北が全然ないではないかというような判断を、私はされると思うのです。ですから、そうではないと、全体を見回していて、決して北部について薄くやっているのではないということをきちんとして説明してほしいというふうに思っています。 20: ◯質疑山崎委員) 資料2ページの(1)の2)に広島市立安佐市民病院と書いてあるのですが、3ページのイメージ図には安佐市民病院が書いていないのですがどうしてでしょうか。 21: ◯答弁医療政策課長) イメージ図の三角形の頂点のところに安佐市民病院がございます。 22: ◯質疑川上委員) 例えば、国から25億円の予算がつくとして、1カ所に予算25億円ということですか、それとも両方で25億円ということですか。 23: ◯答弁医療政策課長) 25億円程度の計画が2本ということでございますので、Aプランに25億円、Bプランに25億円でございます。 24: ◯質疑川上委員) だから、AプランもBプランも国の指示した約25億円でやるという意味ですか。 25: ◯答弁医療政策課長) はい、そのとおりでございます。  (7) 閉会  午後0時3分 ○ 参考人名簿    阿多田診療所 院長  林 重三 発言が指定されていません。 広島県議会 ↑ 本文の先頭へ...