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2008-03-10 平成19年度予算特別委員会(第2日) 本文
2008-03-10 平成19年度予算特別委員会(第2日) 名簿

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    2008-03-10 平成19年度予算特別委員会(第2日) 本文


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    トップページ 検索結果一覧 使い方の説明 (新しいウィンドウで開きます) 平成19年度予算特別委員会(第2日) 本文 2008-03-10 文書・発言の移動 文書 前へ 次へ 発言 前へ 次へ ヒット発言 前へ 次へ 文字サイズ・別画面表示ツール 文字サイズ 大きく 標準 小さく ツール 印刷用ページ(新しいウィンドウで開きます) 別窓表示(新しいウィンドウで開きます) ダウンロード 表ズレ修正 表示形式切り替え 発言の単文・選択・全文表示を切り替え 単文表示 選択表示 全文表示 発言者表示切り替え 全 5 発言 / ヒット 0 発言 すべての発言ヒット発言表示切り替え すべての発言 ヒット発言 選択表示を実行・チェックの一括変更 選択表示 すべて選択 すべて解除 発言者一覧 選択 1 : ◯後藤参考人 選択 2 : ◯渡辺参考人 選択 3 : ◯米田参考人 選択 4 : ◯原田参考人 選択 5 : ◯大杉参考人発言者の先頭へ 本文 ↓ 最初のヒットへ (全 0 ヒット) 1: 6 会議の概要  (1) 開会  午前10時31分  (2) 記録署名委員の指名  (3) 理事会決定事項の報告    1) 総括審査の日程    2) 配席について    3) 発言時間の計測    ア 委員長席及び質問席の残時間表示計により、持ち時間が終了すると、質問席のラ     ンプが点滅する。    イ 原則として、ランプが点滅したときをもって、発言を中止する。    ウ 持ち時間を超過した時間については、理事会に諮って、翌日以降の同一会派の持     ち時間から差し引く。    4) パネルや資料等の使用は、事前に申し出て理事会で了承を得ること。    5) 参考人発言順位  (4) 各常任委員会に調査を依頼した各会計予算の調査結果  (5) 休憩  午前10時34分   (再開に先立ち、委員長が、参考人に対し、あいさつを行った。)  (6) 再開  午前10時36分  (7) 参考人意見 ◯後藤参考人 皆さん、おはようございます。
     ただいま御紹介いただきました日本経済新聞社の後藤でございます。私は、いろいろなところでお話しする機会はあるのですけれども、このような県議会の参考人というのは初めての経験でありまして、うまくお話しできるかどうかちょっと自信がないのですけれども、話に至らぬ点があれば、まずその分は、御了承いただければというふうに考えております。  きょうお話ししたいテーマは、広島県はアジア成長をどう生かすべきかということであります。  私は、以前、中国に駐在したこともございますし、この5~6年は日本にいながら中国経済、あるいはアジアの経済というものをウオッチしてまいりました。  今、非常に感じているのは、どこの地域もそうですけれども、アジア成長というものが大きな糧になってきているということであります。きょうは、その話を中心に、20~30分間お話しさせていただきたく思います。  まず最初にごらんいただきたいのは、このグラフであります。これは、世界の経済がどのように成長しているかという成長率の数字を並べたものであります。これは、IMFの資料からとってまいりました。  一番上の世界成長率は2005年から2008年、2008年については予測でございますけれども、こう見ていきますと、大体5%前後の成長が続いているわけであります。  これは、聞いてみると当たり前に感じるかもしれませんけれども、世界の歴史の中で5%前後の成長が4年、5年と続いたケースは、実は1960年代後半から70年代前半の一時期にあっただけであります。すなわち、第二次大戦後の世界としては、今は異例とも言える世界経済全体の高成長期にあるということであります。  これに対し、2段目の日本、このパワーポイントでは青く表示しておりますけれども、ここをごらんいただきますと、言うまでもなく日本成長率は2%前後、主に1%台の成長を続けているわけであります。とても世界の高成長には及んでいないということであります。  一方、下から2番目にアメリカ、一番下にヨーロッパの成長率を書いております。ここも日本と似たりよったりの数字でありまして、1%台から2%台の成長というのがやっとということであります。  では、世界の経済がこのように高成長しているのはなぜか、先進国が余り高くない成長にとどまっているのに対して世界成長しているのはなぜかといいますと、これはもう言うまでもなく、真ん中あたりに出ております中国とインド、そしてまた、もう一つ例としてアフリカを表示しておりますけれども、このあたり成長世界を牽引しているということであります。  中国の場合、2けたの成長が去年まで続いております。去年の成長率は、もう11.4%という異常とも言える高さであります。さすがに、ことしはやや減速するのではないかという予想が出ておりますけれども、10%近い成長です。また、インドも9%台、8%台の成長がずっと続いてきているということであります。  そして、今まで日本人にとっては忘れられた大陸と、経済成長からほど遠いと思われていたようなアフリカですら、実は今、5%台から6%台の高成長をしているわけであります。  では、一体なぜ途上国、第三世界と呼ばれるようなところが高成長しているかということでありますけれども、これは端的に申し上げれば、90年代に世界グローバリゼーションというものが広がったおかげだと言えると思います。  すなわち、グローバリゼーションによって、人、物、金の動きが自由になりまして、グローバル企業は工場を先進国から途上国に移す動きを強めました。日本の工場も、90年代の後半から随分中国にシフトし、日本空洞化というのが叫ばれた時期もございました。その結果、途上国にたくさんの工場ができ、雇用が生まれ、所得が上がり、途上国成長が加速しているわけであります。このグローバリゼーションの恩恵が、今、世界経済押し上げ要因になっているということであります。  次のスライドでありますけれども、このグローバリゼーションの恩恵というのは、途上国だけではなく、回り回って日本にも及んできているということを、このスライドでお示ししたいと思います。  すなわち、これは日本経済新聞社が独自に調査したものでありまして、日本上場企業500社の回答を得て算出したものでありますけれども、営業利益ベースで見ますと、日本国内が12兆8,000億円、これは去年の3月、06年度の数字でございますけれども、日本の国内から稼いだ営業利益が12兆8,000億円に対して、海外のマーケットから得た営業利益は5兆7,000億円ということでありまして、依然として、もちろん日本国内は大きいわけですけれども、伸び率を見ますと、日本が12%増に対し海外は21%増と、海外マーケットの方が伸び率が非常に高いわけであります。結果として、2007年3月期の営業利益のうち30%以上は海外から稼いでいるという構造が出ているわけであります。  これは、同じ調査を継続的にやっておりますので、2004年3月期、つまり3年前と比べるとどのように変わったかといいますと、3年前の2004年3月期は27.1%でありました。すなわち、3年の間に海外依存度は3.8ポイント上昇したというわけであります。短期間に、これだけ海外への依存が深まっているということであります。  これをさらに細かく見ますと、構成で言えば、アジアが30%、アメリカが40%、欧州が17%といった構造になっております。すなわち、アメリカが、やはり日本にとっては非常に大きいわけですけれども、アジアの比重というのも、今、急速に高まってきているということであります。  日本企業が海外への依存を深めているということは、例えば、この御当地広島マツダの本拠地でありますけれども、マツダを初めとする自動車産業を調べてみますと驚くべきことですけれども、売上高の大体70%から80%は海外マーケットであります。日本自動車産業は、日本の国内でもたくさんの車を売っているわけですけれども、売り上げの7~8割は海外になっているということであります。  しかも、今、日本国内で販売している自動車の数と、日本を除くほかのアジアで販売している自動車の台数がほぼ拮抗してきている。マーケットの規模としては、日本日本以外のアジア日本自動車メーカーにとっても、ほぼ同じような規模になってきているということであります。それくらい海外のマーケットアジアマーケット日本企業にとって重要になってきているというふうに言えるわけであります。  さて、そういう重要になってきているアジアでありますけれども、経済の規模、水準というのは一体どれくらいかというのを、この一覧表で見たいと考えております。  1人当たりGDPで見たアジア各国の水準というのは、このようになっております。日本が一番高いというのは当たり前でありますけれども、その次に来るのがシンガポール、さらに韓国とつながってきております。この韓国あたりまでが、いわば先進国です。韓国では先進国の一歩手前というふうにみずからを見ていることも多いのですけれども、客観的に見れば韓国ももう先進国入りしていると言っていいかと思います。  その下に来るのがマレーシアやタイでありまして、ここはいわゆる中進国と言われるところであります。そして、その下に途上国の中国、インドネシア、フィリピン、インドなどが続いているわけであります。  こういうふうに見ますと、同じアジアと言っても、所得格差、経済の水準は随分大きく開きがあるということがわかるわけですが、気をつけて考えなければいけないのは、中国は今、1人当たりGDP2,000ドルぐらいですから、まだ全体で見れば日本の18分の1の水準にとどまっているわけですけれども、その中でも、例えばここに青い小さな文字で書き記しました上海のようにある特定の地域を取り上げると、既に上海の1人当たりGDPは1万ドル水準に達しているということは、韓国ほどにはいっていませんけれども、先進国にあと一歩、二歩というところまで近づいている。上海の中でも、特に裕福な層は、既に先進国と同じレベルに達していると言ってもいいわけであります。  このように、同じアジアの中で途上国と言われるところでも先進国的な部分というところがあり、そこがまた日本の企業にとっては大きなビジネスチャンスをもたらしてくれているわけであります。また、そこまでいかない中進国、途上国レベルのところでも非常に人口規模が大きいわけですから、市場需要としては日本の企業にとっては大きな意味を持っているというふうに言えるかと思います。  そういう中で、日本の企業がアジアをどう取り込み、アジアとどう連携していくかということを考えてみたいと思います。  過去、主に日本企業アジアへ進出してきたのは70年代からですけれども、どのような形でアジアとの連携が進化していったかということを考えてみますと、こういう流れになると思います。  最初は、日本企業が現地の会社、現地社会に対して主に技術を供与する。しかも、それは対価をもらってやるのではなくて、支援だとか無償協力という形で技術供与をしていくというケースが多かったわけであります。  これはなぜかといいますと、現地に日本企業が進出する上で、向こうで加工とか部品の製造とかをやってくれる下請メーカーが必要だということで、いわば生産のインフラを整えるために、そういう技術供与をする意味があったというわけであります。その結果として、現地で少しずつ日本企業に部品を納められるような地場のメーカーが育ったということであります。  その次に来たのが、既にかなりレベルが上がってきた現地のメーカーに対して日本企業生産委託をするような動きであります。  ここに書きましたOEMというものは、自分のブランドで売るけれども、ほかのメーカーに物をつくってもらうという生産方式でありますし、EMSというのは、エレクトロニクスの製品分野で完全に委託生産する動きであります。また、ファウンドリーというのは、半導体、LSIの分野で受託製造をしてくれる特殊なメーカーを指しております。主に、こういうメーカーは台湾などに多いわけですけれども、そういうメーカーが安いコストで物をつくるということで、日本企業を助けてくれる。これが、2段階目アジアとの連携でありました。  そして、この10年ぐらい進み始めているのが、研究開発の分野でもアジアにある程度機能を移していこうという動きであります。もちろんアジアで物を売る上で、日本で開発した製品をそのまま持っていって売れるケースも多いわけですけれども、なかなか売れないケースもあります。  例えば、家電製品であれば、生活習慣とか、気候だとかというものも違います。家族構成も違う。例えば、洗濯機、冷蔵庫あるいはエアコンといったものを一つとっても、日本製品そのものを持っていってもなかなかうまく現地に適用しないということで、現地で応用開発をする必要もある。そうした機能は、現地に移すということが起きておりますし、さらに世界市場に向けて売る製品の一部の開発も現地に任せる。  これは、日本で少子・高齢化が進んで、なかなか研究開発の人材を確保するのは難しく、現地の中国とか、あるいはタイだとかという地域で優秀な理工系の学生を使って、ある程度研究開発をした方がコストも安いし効率も上がるということで研究開発が進んでいる面があるわけであります。  この3段階が、従来、アジア日本企業との連携の進化のステージでありました。この1)、2)、3)までは日本アジアに対して何かを移していく、与えていくという形だったわけでありますけれども、今、明確になってきているのは4番目の動きであります。  アジアから日本が何かを受け取る、受け取るといっても、この場合、注文を受け取ることが多いわけですけれども、アジアの市場に対して日本が物を出していく、アジアから受注していくという動きであります。これが、今、実は広島県にとっても、日本全体にとっても大きな成長の糧になりつつあると言っていいと思います。  今、どんなものをアジアから受注しているかといいますと、非常に高度な素材、部品であります。もちろん完成品をそのまま輸出するケースもありますけれども、今、目立ってきているのは、現地メーカーが生産する製品に組み込まれる部分で極めて技術レベルが高くて、なかなかつくるのも難しい、あるいは特許に守られている特殊な部品といったものが日本からアジアに向けて輸出されているわけでありまして、それが日本企業あるいは日本経済の押し上げの力になっているということであります。  例えば、それはどういうものかということをお話ししたいと思います。これはちょっと羅列的になりましたけれども、上から見ますと液晶パネル、これは日本では液晶だとかプラズマと言えばシャープとか松下というメーカーが思い浮かぶわけですけれども、この液晶パネルに使う非常に重要な機能を果たす偏光板というものを見ますと、それをつくっているのは、もちろんシャープとかというメーカーではなくて、日東電工などの素材メーカーですけれども、重要なのは、世界のシェアでありますが、世界のシェアで見ると日東電工1社で50%を占めている。  また、液晶に使う、同じように非常に重要な機能を果たす素材にTACフィルムというのがあります。これは、保護板、偏光フィルターを保護するためのフィルムでありますけれども、これなどは富士フィルムが世界の9割の生産を占めているということであります。  あと、下の方にいきますと半導体のウエハ、これも日本の信越とSUMCOの2社で半分以上を押さえているという状況であります。あと、リチウム電池セパレーターとか、DVD基板材料とか、さまざまなもので日本企業世界のシェアが圧倒的に高いというものが見受けられるわけであります。こうしたものが、実はアジア向けの輸出の中心になってきている。  液晶だとか半導体といいますと、韓国のサムスン電子とか台湾にたくさんのメーカーがあるわけであります。そういうところと日本メーカーが熾烈な競争をして価格低下といったことも起きているわけですけれども、こういう電子材料の分野では価格低下というのも余り起きていない、非常に高収益を維持しているということであります。  こういう分野が、実はこれから先、日本アジアをつなぐ物の流れの中核になっていくのではないか。広島県としても、こういう分野を積極的に強化していく必要があるのではないかと私は感じているところであります。  ちなみに、2番目に書きましたTACフィルムは富士フィルムが90%のシェアをとっているわけですけれども、この素材になる酢酸セルロースというものは、実は広島県の化学メーカーがつくっておられまして、それが富士フィルムに納入されているところでありまして、そういう面で見ると広島県にも深くかかわりがあるものであります。  さて、きょうの本題、産業の観点からすると広島県の強みは何かということであります。  広島県を一言で申し上げると、自動車から造船重機、素材、あとはエレクトロニクス、エレクトロニクスといっても半導体のようなデバイスもありますし、携帯電話端末のような完成品もあるわけですけれども、非常に幅の広い分野をカバーしているというのが大きな特徴だと思います。  私は、このような産業のあり方を自分でつくった言葉でプロダクション・モールと呼んでおります。まさに、世界の中で見たときに、あるいは日本の中で見たときに、広島県はプロダクション・モールという要素をきちんと達している地域だと感じております。  ちょっと1枚先に進んで、ここでまず、プロダクション・モールとは何かというのを御説明したいと思います。  モールというと、最近、ショッピング・モールというのが非常に有名で、よく耳にされることがあると思いますけれども、このショッピング・モールというものは、言ってみると、例えば洋服の店とか、かばんの店とか、靴の店とか、アクセサリーの店とか、あるいはちょっとしたしゃれた日用品を売っているとか、家具を売っているとか、ありとあらゆる商品を置いた店が、ある意味では無秩序に、無関係に並んでいるということであります。いろいろなものがあるというところが魅力で、多くのお客様を引きつけているわけであります。プロダクション・モールというものも、同じように、いろいろな生産・製造業種がモール状態、混然一体となって立地している状況を、私は想像してネーミングしております。  最近、日本国内では、三重県の亀山にあるシャープの液晶工場を中心とした産業集積はクリスタルバレーと呼ばれることが多いわけですけれども、あるいは山形県の有機ELを中心とした大学と企業が一体となった産業集積を有機ELバレーと呼んだりすることもありますけれども、こういうものを指して産業クラスターと、全国各地に産業クラスターをつくらなければ発展しないというような説が出ているわけですけれども、私は必ずしもそうではないと考えております。  というのは、一つの分野に特化した産業クラスターというのは、ある時期、その製品分野が非常に好調な時期は、確かに物すごく力を発揮するわけであります。世界的な競争力を持つということですけれども、その製品がもうピークを過ぎてしまって別の製品に需要が移ってしまったときに、果たして永続的な成長が約束されるかというと、これはなかなか難しい問題だと思います。むしろ長期にわたって発展していくには、あらゆる変化に対応していけるような集積、いろいろなものを取り込んだ混然一体となった状況が、むしろベターではないかと考えるわけであります。  世界で見ると、このプロダクション・モールというものを一番よく体現している地域というのが、私は中国の広東省ではないかと考えております。  この地域は、産業発展の歴史で見ると非常にユニークな場所でありまして、もともとは何の産業もない一漁村だったところに玩具メーカーが進出し、繊維メーカーが進出し、それが家電メーカーに発展し、家電メーカーが電子部品メーカーに発展し、それがIT機器を生産するようになり、そして今は、広東省の最大の産業は自動車産業であります。日本のトヨタ、日産、ホンダが進出して、世界でも有数のデトロイトとか愛知県に匹敵するような自動車産業集積地になっているわけでありますが、その広東省がこういう発展を遂げた最大の理由は、そこには混然一体と、さまざまな産業があったことであります。素材もありました、製品を加工する業者もありました、そして完成品メーカーそのものもある、その力が、新しい分野に発展していく原動力になったわけであります。  これが、まさにプロダクション・モールの力を証明しているわけですけれども、私自身は、やはり広島県としては、既に戦後の長い発展の歴史の中で、広島県はプロダクション・モール型の産業集積になっているわけですから、これから先、この強みを意識的に使っていくことが重要ではないかというふうに考えます。  先ほどのアジアが求めるいろいろな需要、ニーズということですけれども、まさにそれに適合するような製品分野を広島県は持っている。素材、あるいはエレクトロニクスという分野でアジアに適合したチャンスを、今、広島県は持っているというふうに感じております。これを大切にして、アジアに向けたプロダクション・モールとしての存在感を高めていくことが、広島県産業の発展の方向性ではないかと感じる次第であります。  これが最後のスライドになりました。これは何を意味しているかといいますと、私は、産業を見るときに3つの要素があるのではないかと感じております。  一つは、研究開発をする能力、新しい物を生み出す力ということであります。もう一つは、コモディティーの量産能力です。コモディティーというのは、最近よく耳にする言葉でありますけれども、要するに普及した日用的な製品ということであります。例えば、自動車も50年前は非常に貴重な高級なものだったわけですけれども、モータリゼーションが進み価格が低下すると、だれでも買うことができるものにかわる、そうなるとコモディティー化したというふうに言うわけです。低価格で広く普及しているような商品をコモディティーと言うわけでありますけれども、そういうコモディティーをたくさんつくる、量産する能力というものも、産業国家としては一つの力だろうと思います。  もう一つ、物をつくるということに関して言うと、余りたくさんの量は出ないけれども、高付加価値で利益率の高いものをつくる力、高付加価値の量産能力ということもあります。  今、世界で見ると、北東アジアの4カ国─日本、韓国、中国、台湾の4カ国地域というのは傑出した産業競争力を持っている地域であります。半導体や液晶、あるいはエレクトロニクス製品、通信機器などを見ると、この地域でほとんどのものがつくられていると言っていいかと思います。  その4カ国ですけれども、実はそれぞれがこの3つの要素で見れば違いが出ているということであります。日本は、研究開発と高付加価値のところで力を発揮している。ですから、今、この表では研究開発と高付加価値量産のちょうど両方に重なる部分に日本は立っているわけであります。一方、韓国は研究開発とコモディティーをつくる力です。韓国は、高級品の方にシフトしたいというふうに考えているわけですけれども、韓国の強い製品分野というのは、やはりコモディティー、安くて普及している商品です。台湾も同じように、やはりコモディティーを中心にしていると言っていいと思います。中国は、研究開発の能力は非常に弱いということで、研究開発のない形でのコモディティーの量産のところに、今、その場所がある、立ち位置があるということであります。  この赤い矢印で示したのは、それぞれ韓国、台湾、中国がこれからどこに行くかということであります。中国は、明らかに高付加価値量産の方に行こうとしている。台湾も、同じく高付加価値量産です。すなわち、日本が強い部分を脅かそうとねらっているわけであります。一方、韓国は、高付加価値量産というのは実際難しい状況であります。すなわち、国内の市場がそれほど大きくないということと人手不足が起きている。韓国の場合、日本を上回る少子化が進んでいますので、雇用の問題で難しいということで、研究開発にシフトする動きが目立っているわけであります。  このような競争構図が、これから先、北東アジアで展開されるということを前提に、広島県のこれからの立ち位置を考えますと、やはり日本が立っている研究開発と高付加価値量産の間に立つのが、広島県だろうと思います。その中でも、私は特に研究開発というところ、もちろん広島県には優秀な大学も研究所もありますから力はそれなりにあると思いますけれども、研究開発のところ以上に高付加価値量産、先ほど申し上げたプロダクション・モールとしての力が非常に強い地域でありますから、この高付加価値量産というところに軸足を置いて、韓国、台湾、中国と競争を戦っていく。また、逆に言えば、競争だけではなくて、韓国、台湾、中国は広島県にとっては重要な物の輸出先、お客さんになるということであります。そういう形で、広島県の産業をこれから設計し発展させていっていただければと考えております。  つたない話でしたけれども、私のお話ししたいことは以上でございます。どうもありがとうございました。(拍手) 2: ◯渡辺参考人 御紹介いただきました渡辺一雄でございます。  私は、今から26年前、39歳のときに広島大学に赴任いたしまして、2年前に定年退官いたしましたが、ちょうど5年前から広島大学と兼任で文部科学省の独立行政法人で仕事を始めております。週1回、東京通いであります。  ちょっと仕事がわかりにくいのですが、10年先の日本社会のために今やっておかねばならない科学技術分野を検討・審議し、その幾つかを戦略目標として国費投入を決定することです。これは国の新しい財政機関であります。トップ研究者と国との間を取り持ちながら、年間約600億円の国費を支出しています。60歳の大学教授にとりましては、この5年間の経験は甚大でありまして、本日はこれを踏まえた発言としてお聞きください。数字は、きょうはあえてほとんど使いません。  私は、兵庫県の宝塚の生まれなのですが、父は福山市になりました瀬戸の小島、母は比婆の山奥の備後西城の出身です。学位を取りました後、お世話になりましたのが、広島県の名誉県民で文化勲章を受章された岡田善雄先生であります。海兵出身で、まことにすばらしい先生でありましたが、ことし1月に、お亡くなりになりました。きょうは、こういうところで話をさせていただくのをとてもうれしく思っております。  さて、まず林議長からいただいた文書にあった2点です。  1番目の新年度予算でありますが、これについて私は、今、特に意見はございません。2番目の行政の課題と望まれる政策提言について発言させていただきます。  これについても、あくまでも私の経験が基礎でありまして、県政の中身については正直余り詳しく承知しておりません。しかし、その逆に、そういうレベルの県民の考えとか意見も、むしろ重要かと考えまして、かなりざっくばらんなお話をさせていただこうと思っております。  まず第1は、何といいましても道州制問題が目の前にぶら下がった現実です。2018年、これは政府は本気であります。別にだめでもだれも命をとりには来ませんが、これを甘く考えてはいけません。お金の問題もさることながら、州都が幾つになるにせよ、要するに日本という国が幾つかのまとまった個性化、特徴出しをしないと、もう国際社会に伍していけないという基本認識に発しています。世界の情報化、グローバル化の現実なのです。  ここで、早速脱線します。実は、この数年来、広島大学は、これに少々失敗してきました。2011年に、国立大学の法人化5カ年計画が締めくくられます。次の段階に移行するに当たって、実は広島県と同じぐらい危機的状況なのです。  例えば、国が何回も、これをもとに国立大学を立て直すと繰り返し言ってきた21世紀COE、これは21世紀をリードする強い研究分野を構築した大学に数十億円単位の巨額を投資する予算です。これへの応募の判定で、広大はほとんど全滅したのです。立派な先生がたくさんおられるのですが、これは説得力のある強い指導理念を示さなかったからだと私は見ています。国がしようとしていることが、正確に見えていなかったのです。  経済財政諮問会議のもとに行革を進めると小泉さんが何回も言いました。そして、行革が理念どおりに遂行しやすいのは、だれが見ても文教行政、それも初等・中等教育ではなくて大学です。だから、わかっている大学は、実は経済財政諮問会議の議事録を熟読して事に当たったのです。昨年5月に新しい学長が選任されて、今、必死になって立て直しを図っておられます。私は成功を祈るばかりです。実は州都問題も全く同じで、かなりの危機意識を持たないといけないということを、私は東京で仕事をしながらひしひしと感じます。  さて、広島は州都になれるでしょうか。一体何があるとお考えでしょうか。関東甲信越、関西近畿、北海道、九州、これに対して我が中国5県、あるいは四国を加えた9県に何があるか。これを徹底的に踏まえた説得力のある指導理念の提示、その施策が物すごく厳しく求められています。私の本日の発言の趣旨も、ここに集約されます。  私が思いますに、広島に今あるものの1番目は、やはり世界最初の被爆都市だと思います。でも、申しわけないけれども、国際平和文化都市という言葉は、もうだれも言わないではないですか。旬が過ぎたからと、もし行政が平気で言うようだと、もう何をか言わんやです。ほうっておいても1年間に120万人が世界じゅうから原爆資料館に集まる。これにあぐらをかいていては、仕方がありません。原爆資料館を見てもらって、宮島に行って、はい、さようなら、これに近いのではないでしょうか。  今、日本が、あるいは世界が、本当に新たに構築すべき緊急の課題というものは、私にははっきり見えています。これは、科学者というか、生物学者の立場からの意見であります。それは、医療・健康問題であり、脳と心の問題、3番目は、地球環境問題です。この3つの根幹は教育であります。貧困とか宗教は、私はここでは触れません。  広島が、被爆都市の名において、人の体の科学を正面から取り上げて、これに先陣を切って取り組んで世界にアピールすること、人の命とその大事さ、これが広島に最適の、そして緊急のテーマです。  一例を挙げますと、例えば生殖医療、体外受精、借り腹問題、あるいは、がんとか成人病医療というものは、極めて高度化しています。一体どこまでが庶民のものになりますか、どうすればいいでしょうか。あるいは、移植再生医療、救急医療体制、医療保険と医療費30兆円問題、あるいは薬とは何かとか、遺伝子はだれのものかといったことに関して出たとこ勝負では、限界が見えているわけです。患者さんは、今、病気は治してくれて当たり前だと考えているみたいです。ほんの50年ほど前まで、出産というのは女性にとっては命がけだったのです。幾ら情報化が進んでも、それが生物としての人間であります。医療の真の進歩ということを知っているのは一部の特殊な人だけ、これではもう世界は済まなくなっているのです。  私は、広島は、この発信基地にできると思っています。私は、20年前、アメリカのクリーブランドという田舎町に1年間住んでいましたが、憎らしいけれども、京都や大阪は知らなくても広島はよく知っています。それと東京です。世界の隅々に行きますと、京都大学より広島大学の方がよほど通りがいいです。つまり、被爆というものは、それほど世界にとって非常に重い現実なのです。だから、被爆の悲惨さや戦争の巨悪の発信は、もちろん大前提です。だけれども、次にどうするのか、この部分は結構ぽっかりあいているのではないですか。もう被爆者は、どんどん年をとっているのです。  広島に存在する2番目の問題、これはちょっと厳しいので、先ほどの後藤参考人の御意見も、もちろん別の見方での一つの見解です。私は、生物学者として、ごく自然に考えて、自然環境資源だと思います。深い意味での観光も含みます。  21世紀の食料問題、農林漁業と地球環境等をアジアと結びつける中枢役、ここまで視野に入れないといけません。私は、生物学者として、気候変動が戦争に結びつくことを本当に、今、恐れています。広島は各県の力を結集したネットワークの中枢になれるのです。  科学的に見ますと、瀬戸内海と中国脊梁山地、四国山脈を抱えたこの地域の自然環境の特性は実に多様性に豊かです。21世紀の地球環境、人類の食料問題の深刻さを考えるときに、アジア日本の持つ先進性というのは非常に重いのです。  ちなみに地球規模で見ますと、多様性が一番大きな地域というのは、南米とアフリカアジアの温熱帯です。南米はアメリカアフリカはEU、アジアは多分日本がリーダーシップをとらないといけません。だけれども、先ほどもありましたように、中国は10年後には、GNPでアメリカを抜くと言っています。国防費は7兆円と言っているけれども10兆円を超えていると言われています。宇宙を支配する者は地球を支配すると言っています。インドも急速に追い上げています。  文化というものの本当のひ弱さや重要さを知り尽くすのだったらもう時間がありません。それとも皮肉ですが、アジアは福岡に全部お任せするのですか。自然というのは逃げませんけれども、その辺に座っているだけでは、力の結集もネットワーク集積もできません。もう一遍、農業、水産業、林業からの中国地方の自然環境をとらえ直して、衣食住で世界に発信する。これが、私は、2番目のいわゆる中国地方が持っている力だと思っています。  これをまとめますと、今まで申しましたように、今ほど人類が、いわゆる工学と情報学の科学技術の前に本当の人らしさというのを見失って、人って何だろうと世界じゅうが考えているときはありません。そして、現代社会は、命の意味が軽くなっています。子供たちが、人間としての力を失っています。むさぼり上げた自然環境の報復に、いわば度を失っています。これに対して、それでも科学ができることって何でしょう。私が自然科学者だから言うのではありませんけれども、これはやはり科学の名において、本当のヒト、本当の自然を取り戻すことしかないではないですか。  被爆の後、60年以上たって、科学と技術がこれだけ進歩した中で、年間120万人の訪問者に対して、原爆資料館と宮島で、はい、さよならでは、科学が人という生き物に対して犯した被爆という、いわば罪と破壊の現実に対して私はちょっと情けないと思います。  今、広島が世界に何をアピールするか、できるか、間に合うか、間に合わなくてももうやるしかないこの状況で、私は結局のところ、広島の未来館の設立を考えます。もちろん、もっといいものがあればいいのですけれども、私が考えるに、どうもこれしかないのではないかと真剣に考えます。対象は全世界、全日本からの120万人の訪問者です。もう一つは、広島の市民・県民、それからもう一つは、これからの21世紀をつくる子供たちです。  さて、ここまで道州制へのおくれという観点から議論しましたが、ちょっと別の切り口があります。それは、科学教育であります。  今、いわゆる自然・理科離れの議論が盛んですけれども、私は極めて重要な点が見落とされていると指摘したい。テレビとかマスコミでも、理科実験に興味を持たせるための工夫などがしょっちゅう放映されています。これは誤りとは言いませんけれども、私はピントがずれていると思います。一番大事なのは、ただ一言、身近な自分の体、あるいは身近な周りの自然に対して人は生まれてからだれでも根源的に興味を抱くのですが、これに答えることに尽きます。何とかさんが羊水が腐っていると発言されました。だけれども、羊水とか羊膜という言葉をほとんどの大学生が知らない先進国というのは、ほとんど日本だけだということを御存じですか。  例えば、おしっことは一体何か、食べ物がどうやって便になるのか、食べた胃の中の御飯は真っ白です。なぜ便は黄色いのか。これは子供の興味なのです。だけれども、だれも答えられない。これが大きなキーワードなのです。  実は、日本の生物という教科は、人体の教育を故意に避けてきました。近年、やや改善の傾向にあります。食べ物、飲み物への興味、あるいは女子の生理は、日本では教科を生物ではなくて保健体育が扱います。これは切り分けられて既得権益化しているのです。実は、このことが医学・医療の日本独特の聖域化に大きくくみしています。現代社会の医療問題や医師不足問題とか食料問題の根幹に、私はこれがあると思っています。自然環境というのも教科の片隅に追いやられています。  ちょっと余談ですけれども、私の先輩に慶応大学で生物を教えていた先生がいます。この人は、とてもまじめな先生で、慶応の経済学部に新入生が来たら、必ずキャンパスの案内をするのです。キャンパスのいろいろな自然を案内して、きれいなツツジが咲いていたのです。そこへ、1人の若い格好いい男の子が来まして、先生、この花は何ですかと言ったのです。先生は、すこぶるまじめな、私と一緒でまじめな人でありますから、さあツツジもヒラドとかキリシマとかいろいろあって、僕は知りませんと言ったのです。その学生が、ああこれがツツジですかと、先生は腰を抜かされました。それで調査をしました。そのときのデータを映そうかと思ったのですけれども、時間の関係でやめますが、300人の学生にアンケートをとったところ、例えば桃は、半分以上の学生が知らない。ヤマブキは、90%が知りません。ハギも90%以上の学生が知らない。これが今の若者の、しかも優秀な若者たちの現実です。先生いわく、これは理科の問題ではなくて、万葉集も読めないというふうに書かれています。我々は、やはりそういう現実にあるということを知らないといけません。  さて、これは端的に言えば、日本で科学というものは実はほとんど工学だったということです。明治維新以降の富国強兵で日清・日露戦争に勝ってしまいました。第二次大戦後の敗戦も、産業経済で乗り切りました。日本というのは工業立国なのです。科学技術という用語は、英語にはありません。日本の国家公務員試験は、10年ほど前まで実に物理と化学だけだったのです。生物は外れていたのです。広島大学と愛媛大学の医学部は入学試験に生物が必修どころか、ほんの10年ほど前まで、物理と化学が必修で生物は外れていました。これは、日本全国でも極めて特異な地域であったと言うべきです。これらのことが、日本社会、殊に中国地方に与えた負の遺産というのは、極めて大きいのです。  私は、事ここに至って、まだ物理の実験ですかと言いたい。私は大学教育をしていまして、物理や数学が本当によくできる学生は、実は生物もよく知っているのです。つまり身近な物事への興味が科学への第一歩なのです。この問題には、我が国でも、実は文部科学省でははっきり気がついています。それで、早晩、教育システムの大改革が図られるのですが、広島県が教育県だったら、教育県の名にかけて現状突破の先陣を切ってほしい。私の言う広島の未来館というのは、そういう願いも込めています。もう世界じゅうで、だれもが言うように、21世紀はライフサイエンス─生命と生物の科学の時代です。  これはどういう意味か、端的に言えば、物質科学、すなわち物理学と化学と工学がもたらした現代文明というものを享受した上で、改めて現代社会が人と自然を、その豊かな持続のために、科学の手でいかに生かすことができるのかです。  残念なことに、先進国アメリカでは、既にマサチューセッツ工科大学、カリフォルニア工科大学、ハーバード大学の工学部という一流どころは1990年前後に、生物・生命科学を必修科目にしています。これは、やはり見識なのです。  この40年間で、分子生物学や生化学の進歩で生物学は、もうすっかりさま変わりしています。日本は、これへの対応がおくれています。もう一度言います。やはりこの先陣は広島が切らないといけないという話をした上で、広島未来館の中身を考えます。その前に大事なこと2点に、少し時間を費やします。  お金と場所、つまり財政と立地の問題です。  私が広島のお役所でお話しすると、二言目にはお金がないと言われます。これは議論を避けるためではないですかと、実にいらいらします。僕は、学生や書生ではないのです。学者ばかと言っているのと同じではないですか。正直言って、私は理念を語っているわけで、ちょっときついですけれども、理念がないからお金が集められないのだと言いたくもなります。  まず大事なことは、理想・理念を明示して、その上で目標への説得力のあるロードマップを示せと言いたいのです。お金は、その後からついてくるのです。ない金の取り合いほどつらいことはありません。まず、強い理念と目標とロードマップが納得できれば、県民には、だから我慢してくださいと言えますし、県民も我慢してくれます。
     もう一つ、次に、これがなければ国からのお金も取れません。これは少し後で説明します。攻めることなく寝ていてもお金が入る時代というのは、はっきり言って終わっております。そのために必要な基本的なアクションが欠けているのではないでしょうか。  2番目に国との連携と書いてあります。私は、中央からの人材と書いておりますが、これはもう既に来ていらっしゃることも、かねてから知っておりますが、大事なことは広島が主体性を持って何のために来てもらうのか、その人たちが本当に活躍できる場が保障されているのか。もう一つは、その人たちは本当に広島に根づいてくれるのか。別に広島出身でなくても、若い課長・課長補佐クラスの人でもいいのです。本当に一生懸命やって、さあそれなら広島にいようというふうな世代、クラスの人にも来てもらう。そういうことができるためには、私がさっき申し上げた理念と目標が必要だと思います。  次は、数字はと言いましたが、しょっちゅう私がこんなものばかり見ているから、きょうはやめようと思ったのですけれども、これは文部科学省の競争的研究資金の推移です。私たちの600億円というものは、この紫色のところで、555億円、2005年というところにあります。お気づきのように、小渕内閣の閣議決定で、科学技術基本計画というものを5年ごとに策定して、今は第3期目です。これで科学技術予算だけは、特例的にマイナスシーリングがかかっていません。この上にあります二千八百幾らという草色のところは目標値であります。その下の紫と青の部分、これは原則公募です。私がかかわっている新興・再興感染症研究拠点形成プログラムの平成17年度の文部科学省の概算要求は一番上の草色の部分です。これは目標値ですから全部使わないといけないわけではないので、機動的に使われますが、その部分であります。ここには45億円と書いてありますが、これは概算要求でありまして、実は29億円に減額されました。しかし、これは全部通っています。  私が言いたいのは、いわゆる文部科学省の理化学研究所の予算とか内局予算には新興・再興感染症研究拠点形成プログラムも含まれており、こういう政策的な予算は機動的に組み込まれているのです。このお金の動向というのは、世界日本社会の科学技術の動向に従って極めて柔軟・機動的に運用されます。後で広島の未来館の見本にしなさいと言いますが、東京の日本科学未来館は、我々が属する科学技術振興機構が、いわばこの部分で今から6年前、180億円で建てて運営しているものです。180億円というのは高いと思わないでください。それも今から申します。  科学技術振興機構は我々のような科学者集団が集まって、厳格な科学的根拠に従ったガラス張り運営でありまして、行政改革担当の渡辺大臣がねらったのだけれども、有意義で適切な運営なのでさっさと切り上げました。東京の未来館の館長は宇宙飛行士の毛利衛さんです。総館長は、科学技術庁の最後の事務次官だった石田寛人さんです。  広島が仮に説得力のある理念を掲げて、きちんとした体制でもって全力で取り組んだら、国で2番目の生命科学中心の広島の未来館のお金を取ってくることも私は不可能ではないと思います。そういったことをやはり考えるということが必要だと言いたいのです。  次に、未来館の立地であります。  実は、広島には広島大学の移転跡地と市民球場跡地という中心地に2つのすばらしい跡地があります。しかも、前者には使用目的に条件がついた被爆建物である理学部1号館がついています。後者は、原爆ドームの真向かいです。実は、私たちは、かつて広大跡地の理学部1号館をそのまま生かした未来館を構想しました。広島大学学長を初めとする、広島6大学学長会議の知の拠点構想です。この中に、こういうものをつくっていますが、これは去年、コンペで負けました。知の拠点構想は残っていますけれども、理学部1号館は人が集まらないからというので、専門学校が構想されています。少なくとも、私は、ここに至るまでの議論を一切聞いていません。なぜいけないのか。恐らく、こういったいきさつがあったということも、ここの皆様方も御存じない方が多いのではないでしょうか。結局、これは私たちの力不足だったのですけれども、まだもめているみたいなので、まだやりようがあるかと思っています。  球場跡地はもっと悲惨です。私は、球場移転跡地には、さぞやしっかりした理念構想があると期待していたのですが、これが何と公募で、おまけに決まった3案は、何か財界からクレームがついて頓挫したらしい。このクレームに対する反論か知らないけれども、後で文句を言うぐらいなら案を応募せよという市側の発言を私はテレビで見ましたが、心底力が抜けました。心ある人たち、殊に利益団体に関係のない多くの文化的な広島市民は、行政の見識を信用しているのです。そして、自分の商売、あるいは自分の研究やライフワークに必死に励んでいるわけです。私もそうです、忙しいのです。だから構想のできばえというものが、行政の意識の結果であって、理念提示者の責任だと私は思います。余り怒っても仕方がないですが、私はそう感じました。  私の中学の同級生の財界人から、広島の市民球場ではひどい目に遭ったと言われました。私は知らないけれども、移転後の跡地計画ぐらいはしっかりしていると思うよと言いました。こんなことを繰り返していたら、もうこれは州都どころではないと、真剣に思います。世界初の被爆都市の見識はどこへいったのかと、本当に私は言いたい、というのが私の思いです。だから、これはまだやりようがあるかもしれません。これから私は、これは広島市ですけれども、奮闘を願うばかりです。  大阪府の橋下知事でさえ、でさえと言いますが、知のセーフティーネットは残すと言っています。これは、私は見識だと思っています。東京の未来館は、ライフサイエンスのほかに国の重点4領域─情報、ナノテク、環境エネルギーとライフです。広島の未来館は、私が思うのですが、人類の未来のための知の構築の拠点として構想されます。これは実は余り知られていませんけれども、今、広島は6大都市と全政令指定都市圏を含めて、自然系博物館を持たない唯一の大都会なのです。今、全国で自然系博物館が極めて重要な、世界じゅうで重要な役割を果たし始めています。世界からお金を集めて、今、すばらしい進歩を日々示している世界最高の医学者、科学者の知性を集めて、自然環境と食料、生活の2つを併置して、それで私はこれを実現するというのが夢です。おまえはどうするのだと言われたら、私は、お金はありませんが。  ただ、私は何もなければ、やはりこれしかないと、何もなければというのは、失礼ですが、現状を見て、非常に厳しい財政状況の中で苦労されているのは非常によくわかりますが、やはり先を見てお金は取ってくると考えなければだめです。寄附にしましても、先ほどは言いませんでしたが、日本では、文部科学省、それから厚生労働省、農林水産省、総務省を全部ひっくるめて競争的研究資金は、ざっと1兆円です。この広島県の全予算に匹敵します。同じ基準で私たちのところで試算しましたら、アメリカは約20兆円です。そのうちアメリカは約半分が寄附です。日本は98%が国費で、寄附は2%です。これは異常であるということはもちろん国も気づいていまして、税制を初めとして、いろいろなことへのアクションが始まろうとしています。寄付をしやすくしようというわけです。  だから、私は、国のお金を持ってくるだけではなく、寄附をちゃんと募る。広島だったら、私は世界じゅうから集められると思います。そのためのチームをつくるとかというようなことをしたら、200億円でも500億円でもというのはちょっと言い過ぎですが、集められるのではないでしょうか。  ここに示していますような未来館というものは、東京では180億円で5年前につくりましたが、入館者は年間80万人で年々ふえています。ここでは最先端の日本の医学者、科学者がみんなで来て子供たちに授業をしています。彼らは、それをしてくれます。そういうことをしています。これをしないといけません。  あとは、ごらんのとおりで、多分コピーがあると思いますので、ごらんください。とにかく我々は自分の体のこと、それから病気のこと、特に最先端でどこまでわかり、何ができ、何をしたらいけないのか、これは一部の人が決める時代ではないと先ほど申しました。人類、市民のためのものであることは、広島からのみ世界に発信できるはずです。自然環境、展示だけではありません。展示もいかにダイナミックであり得るかは、もしお時間がございましたら東京のお台場にあります科学技術未来館に行ってみてください。  私の話は以上でございます。(拍手)  (8) 休憩  午前11時37分  (9) 再開  午後1時3分 3: ◯米田参考人 米田でございます。どうぞ、よろしくお願いいたします。  きょう、私にいただきました時間は約30分ということで、「地域における自立型産業の振興策 地域自立へ「複業」のすすめ」ということでお話しをさせていただきます。  私は、きょうは実はすごい量のパワーポイントのデータを持ってきておりまして、30分でどこまでお話しできるか若干不安ですけれども、相当早口で飛ばしますので、とても賢い先生方ばかりなので大丈夫だと思ってやらせていただきます。どうぞ、よろしくお願いします。  きょうの中身ですけれども、私は、実は建設業の研究者でして、建設業の研究だけやっていたころは幸せだったのですけれども、公共事業がだんだんなくなってきまして、やはり雇用が大変だというので、みんないろいろなところへ新分野進出を始めたのです。その支援をいろいろやっている中で、実は新しい企業型の農業だとか、ひょっとしたら林業の自立ができるのではないかとか、いろいろな地方復活の芽が出てきましたので、そういった芽をなるべく多くの実例をもとに、きょう先生方にお伝えするというつもりでおります。  ということで、最初に建設業の新分野進出の話をしまして、それから新しい企業型農業ビジネス、それから3番目に路網整備から始める林業改革、日本の林業は十分これから自立できますので、実は隠れた成長産業だと思っております。それから、4番目に地域・観光・コミュニティービジネス、最後に地域自立へ「複業」のすすめという形でお話しします。  なお、私が今から話しますことは大体全部本になっておりまして、下の方にずらりと、お手元のパワーポイントの資料と全く同じものがありますけれども、いろいろなものを書いてありますので、もしよろしかったら、そういうところをごらんになっていただければと思います。  最初に、建設業の新分野進出ということでお話しするのですが、結構暗い話題から入るのですけれども、本当に建設業は大変でございまして、日本全体で、今、建設業はどうなっているかというと、市場はピーク時から日本全体で約4割減です。しかしながら就業者は2割しか減っていない、許可業者数はほぼ横ばいということで、やはりとんでもない供給過剰にあります。  しかし、これは東京や名古屋の民間建築も含んだ値でございますので、いわゆる過疎地と言われる中山間地域に行きますと、実態は悲惨でございまして、7割減というところが本当に多々あります。要は、ピーク時の3割しか残っていないのに、まだ2割の人しか減っていなくて、許可業者の方は余り減っていないというのが実態でございます。  しかしながら、やはり災害の多い我が国においては、各地域にその地域の風土をよく知る建設会社が必要だということで、今までのような多くの数は要らないかもしれないけれども、きちんとした企業に残ってもらって守っていただかなければいけないという非常に大きな問題が、今、生じているわけです。  過疎地域に行きますと、今、地域格差拡大ということを言われるわけですが、その中身を産業から見ますと、過疎の進む地域を支えていく産業は何かというと、やはり建設業と農業と公共部門という3つで、勤め場所と言えば農協と建設会社と役場しかないというところが多くて、その3つがすべて今縮小に向かっているということが、すごく今、大きな課題になっております。  中でも、公共事業というのは地域における現金収入の柱でございましたので、本当に急激な減少というのが、すごく地方にとって痛いということでございます。それがなぜ起こったかというのをほんのちょっと、さわりだけお話ししますと、建設産業から見た、ここの移り変わりのポイントですけれども、要は普通の建設業というものは、どこの国でも国が発展途上段階にあったらたくさん物や社会基盤をつくらないといけないから大きくなるのです。だけれども、先進各国になると結構成熟してきて市場は若干縮小して、後は一定というのが普通の建設業の姿です。それは日本の建設業も高度成長のときに大きくなりまして、オイルショック後、冬の時代というのが来まして、成熟国家にふさわしい成熟産業に生まれ変わっていたわけですが、それがもしそのままいっていれば必要なものを必要なだけつくって、世間の方にも喜ばれて新聞にたたかれることもない、もっと幸せな業界になられたと思うのです。  しかし、それをひっくり返したのが、実はプラザ合意でございまして、先生方を前に、釈迦に説法のようなことを言ってまことに失礼ですけれども、そのときにやはり貿易不均衡の是正を解消するために、円高政策とともに地方公共投資をふやすという国策がとられます。それから、地方公共投資がどんどんふえていく中で、実はせっかく成熟産業に縮小して、一定規模を保ちかけていた建設業が寝た子を起こされたように実は大きくなっていきました。今度は90年代の終わりぐらいから、だんだん地方財政が苦しくなって、また、構造改革の名のもとに一気に下がっているということで、この政策的に膨らんだ状況があったので、今の減少が非常につらいというのがあるわけでございます。  そうは言っても、地域格差の問題には打ち出の小づちはなくて、地方の方々が自立型の産業を興す努力にこそ、本当の解決の光があるわけでございます。その中で、建設業に対して、今、一生懸命やっておりますのは、やはりきちんと風土を守っていただくためには、いい企業に残っていただかないといけないという健全な縮小の促進と、もう一つは地域の雇用を支えるに至った中で、支えてきた企業として時代の流れがいわゆる公共事業を減らしているとしても、時代の流れというのは、ほかに新しいビジネスを生んだり、ほかに新しいニーズをもたらしておりますので、そちらの方に目を向けて多角化することで、何とか地域への雇用を生み出そうという動きへの支援です。  建設業の新分野進出については、私はかれこれ6年ぐらい全国を回って実際に事例調査をしながら講演してきました。進出した方々と実は建設トップランナーフォーラムというグループを結成しておりまして、みんなの中で、例えば農業に行った方はアグリビジネス分科会とか、地域コミュニティーに行った方は、地域づくり分科会で、グループで分科会や研修もしながら、今、建設業は非常に底割れ状態で大変でございますので、励まし合いながら何とか成功のルーチンを見つけようと頑張っております。現に、富山で建設トップランナーフォーラムin富山という地域づくりに特化したフォーラムをおとといやったばかりでございます。全国から350名が集まってきまして、非常に活発でした。  建設業の新分野進出というと、結構もう世間では余りうまくいかないということを言われる方が多いのですけれども、実は新分野がうまくいかないというよりも、余りに急激な公共事業の落ち込みでうまくいかなくなる場合が多いのです。やはり新分野で次の芽が出ていってうまく回っていても、だんだん本業の方の悪化で足をとられて融資が受けられないというような状況が、今、展開されております。中には、事業を分割して本体をつぶして新分野だけで生き残っているような企業も、もう既にトップランナーの中では出始めております。こうやって何とか厳しい中でも地域の方々が地域を支えるために頑張っているというのが現実でございます。  では、中にどんな新しいビジネスが生まれているのかということで、ちょっと農業の方からお話ししたいと思います。  企業の農業参入ということを、まず言わないといけないのですけれども、よく農業に行こうというときに、農業で御飯が食べられないから建設業に来たのに、建設業で御飯を食べられなくなったからといって農業に戻っても食べられるわけがないではないかと言われるのです。全くそのとおりなのです。要は、今までの従来型の農業に戻ったのでは採算をとりにくいわけで、ここから出てくる新しい企業型農業ということに、やはり地域振興の芽はあるわけでございます。  では、農業参入の形ですけれども、企業の農業参入というと、大体3つのパターンがあります。最初のパターンは、建設会社のままで始められる農業です。それは、施設栽培と農作業受託です。施設栽培というものは、いわゆるトマトの水耕栽培、世羅町の方でもトマトを水耕栽培して、大きなハウスをつくっておられますけれども、そういうものとか、あと養豚とかブロイラーとかといった食品製造的に施設の中でつくるものについては農地の上でなくてもいいということで、農外企業でもすぐにできるわけです。それから農作業受託もできます。  それとは別に、自分の会社とは別に子会社か何かで農業生産法人を立てて、本格的に農業に行く企業もあります。この場合、大体、社長が兼業農家です。自分は農家だと言ってつくるのが、農業生産法人というイメージでございます。社長が農家でなければ、大体日本の場合は個人が農家になるのは簡単なので、社長が5反の農地を買って農家になって次の年につくるというものが、農業生産法人スタイルでございます。  もう一つありますのが、特定法人と言いまして、市町村を介した農地リース方式で入っていくというやり方が、今、特区から全国展開されているわけです。  では、その中でどんなことが新しいのかというと、例えば農作業受託で、一つの企業で複数の農地を持ちます。建設会社は、ここに工程管理を持ち込んでおります。工程管理を持ち込んでチャート表をつくって、人と機材をどういうふうに回せば一番生産効率が上がるかということに結構挑戦しております。これは今まで一つの農家が一つの農場では実現できなかった新しい分散型の生産革新ではないかと思っております。  中には、愛媛県の金亀建設は道路舗装の会社ですが、舗装現場と農場が一つのチャートになっておりまして、うちの社員は道路舗装と田んぼと両方できて一人前という多能工化を進めておりまして、一つのチャートの中で、きょうは現場が少ないから農場に行こうというようなことをやっています。ちょっと前までは農業と建設業の賃金格差の問題は結構大きかったのですけれども、今は仕事がない日が多いものですから、遊んでいる社員がいないようにどういう経営をしていこうかということに、みんなすごく心を砕いているわけです。  例えば、鹿児島県の方はラッキョウ栽培をしておりますが、あれは暇なときに植えて暇なときに収穫できる作物というのでラッキョウを選んだりとか、岩手の方も、丸正建設がリンドウとかをやっているのですが、やはり自分の仕事が暇なときに植えて、暇なときに収穫できるというようなことをやっております。  今、農業と建設業の複業会社が結構生まれつつあるのです。というのは、建設業だけでこれから中山間地域で本当に1個の企業を成り立たせることができるかというと、継続的な需要が担保できないという状況が現実に起こっているわけです。でも、そこに建設会社は要る。片方、農業の方は高齢化していって農作業をやってくれる人がいないわけです。特に、重労働のところをやってくれる方がいないということであれば、1年通して両方が忙しいわけでなければ、農業も本業としてきちんと企業型農業をやり、建設業も本業としてちゃんと土木もやって、両方を複数やることによって何とか地域を支える企業になろうという動きが、今、起きているわけです。  なお、こういった金亀建設とかはみんなトップランナーフォーラムの仲間ですけれども、エタノール米という、いわゆる多収穫米にも挑戦しておりまして、減反対象田などにエタノール用のお米を植えて、実際にエタノールの生成にも挑戦いたしております。  それから、ちょっと時間がないのですが、ここに頸城建設を出しておりますが、これは新しいスタイルという感じだと思うのですが、建設会社は農業土木をやっているものですから結構土に詳しいのです。いい堆肥を使っておいしいお米を山の中で耕作放棄地をもう1回切り開いてつくられているのです。そして、おいしいお米が売れたわけです。明治屋に認められた。でも明治屋がまず言うことは、おいしいのはわかったけれども、安定供給してくださいと言われたので、1つの会社だけでは難しいということで、同じ肥料を近隣の農家30軒に分けて同じように無農薬でつくってもらって、それである程度の量を確保して安定供給を実現しました。今、明治屋やクイーンズ伊勢丹とか、東京の高級食材の店に直接売るという形で、ビジネスモデルをつくっておられます。  それから、宮城県のヒーローです。日本の農家の中にはすばらしい方がいっぱいいらっしゃるのです。この農家の米づくり名人の方を副社長にお迎えして、その方の農法をみんなで勉強して、その方の農法で、ひとめぼれを無農薬でつくって、現在、ここは80ヘクタールやっておられます。彼に言わせると、今まで農家を指導してきたのだが、農家の方はやはりそれぞれの方が一流でいらっしゃるので、自分流のやり方があって素直に言うことを聞かないのですけれども、建設業の場合はISOで鍛えられてマニュアルをつくり、マニュアルどおりに施工するという、すごく素直な生徒で、そのとおりつくれてよろしいというふうにちょっと褒めていただいたりしております。  それから、もう一つは野菜工場です。結論から言いますと、皆様の方が詳しいと思うのですが、私は結構有望なのではないかと思っております。やはり販路がきちんと開拓できれば、天候に左右されずに今、相当技術も上がっておりますので、これは結構うまくいきつつあります。ネギとかトマトとかさまざまなものが栽培されております。  ただ問題は、原油高をどう補うかということですが、後で申し上げますけれども、もう1回林業を再生して、そこから出てくる森林バイオマスを、こちらの工場に持ってきて燃料にするというのが、新しい一つの中山間地域のスタイルになるのではないかと思っております。先進的な地域で、例えば新潟県妙高市などに行くと、野菜工場だけではなくて、エビの養殖工場もやっておりまして、今、原油高なので、何とか林業を復活させて、そこから森林資源を持ってくるという検討をしています。あいた工業団地を野菜工場にしようということは、これからの国策として打っていただけるといいと思います。  各地の事例では、大分県の宇佐重機は、町の減反対象田60ヘクタール全部を1社で引き受けて、大豆と大麦の二毛作をやっておられます。60ヘクタールを全部1社で引き受けている分、機械化ができて生産効率がアップするということをやっている。実はここは、「いいちこ」の工場のある宇佐市なのです。「いいちこ」の工場に納入するための麦を、減反対象田を借りて1社でまとめて機械的につくっているということでございます。  農業の場合は、今までいろいろ話してきましたけれども、実はまだそれほどもうかるというところまでいっていないのです。よくてとんとんというか、やはり作物は育て始めて何回かやる中で、農家の方でも難しいようなところもあるわけですから、やっとうまくなってくるわけですが、そこで一番大事なのは販路の開拓です。  建設業の方は結構農業土木をやっている方が多くて、また、もともと兼業農家の職員も多いので、特に異業種への参入というよりも、兼業農家の企業型農業参入みたいな感じですけれども、やってみても要は受注型産業ですから販路がなかなか見出せない。それで、農商工連携というのを強くお願いしておりましたところ、最近は経済産業省で農商工連携という施策もとっていただいています。建設業が、例えば農協の方々の協力で新しい産品をつくって、それを商工会が売り出すというようなことも、これからはあっていいのではないかと思っております。  農業の話ばかりしていると30分がすぐたってしまいますので、ただ農業はまだいろいろな規制がございまして、企業型農業の全部がオープンになっているわけではありません。私も微力ながら、今、内閣府にあります規制改革会議の委員として、この辺の農業の規制緩和について頑張って進めているところでございます。  次にお話しするのは林業ですけれども、これからの成長産業は林業ではないか、むしろ中山間地域の建設業を救うのは、ひょっとしたら林業ではないか、森林資源ではないかと思っております。  実は、日本の森林資源ですけれども、今、既に日本の国内に43億?という膨大な森林資源がありまして、戦後の植林がみんな切りごろになっております。使える材になっています。もともと年間で育っている量と使っている量が、日本の場合はほとんど一緒です。ですから、自給率はもっと上がっていいはずですが、現状では木材自給率はわずか2割で、8割を海外から持ってきている。  ここに山がありながら、住宅を含むユーザーとして建設業があるわけですけれども、このルートが途切れているために、海外から多く持ってこざるを得ない。海外の2割が、違法伐採と言われております。やはり国内で森林資源とユーザーの循環を取り戻すということが、すごく大事なことではないかと思います。  その中の一つの方策として、ではどうやって林業を改革していけばいいかということですが、きょうは農林水産部長もいらっしゃるので、ちょっと気が引けるのですけれども、路網整備と機械化というのがすごく大事で、作業道─林道という大きな道よりも細いキャタピラーが行くような道、林業機械の入る道をつくって、それで機械化伐採と木材の搬出を行う。日本の場合は、ほとんど作業道が整備されていないのです。そういった中で、今まで間伐材は7~8割、山にそのまま切り捨てられておりますけれども、それを道をつくりながら搬出するというやり方をすれば、日本の資源が有効に使えるのではないかと思います。  自立型の林業のシナリオというのをつくってみたのですけれども、今、戦後の植林が大きくなったからといって皆伐してしまったら、山はまた丸裸になってしまって環境によろしくないので、10年に1回抜き切りというか間伐を繰り返していって、100年ぐらいかけて森を育てながら林業をする。間伐材を有効に使わせていただくという長伐期方式に大きく転換して、1回目の間伐のときに路網整備、つまり作業道をつくりながら間伐をする。そうすると2回目は道ができているわけですから、今のような7割補助がなくても間伐できる。3回目は木が大きくなっていますから、今度は収益の上がる産業になるということで、これが補助金依存型から自立型の林業転換ということで、最近ちょっと日本経済新聞の経済教室にも、これを詳しく書かせていただいております。  では、だれが路網整備をするかというときに、今、ダムとかいろいろな治山・治水のお仕事がだんだんなくなって、山の中で公共事業がなくなって結構仕事を探している方がおられます。そういう方を上手に使いながら、彼らも路網整備つき間伐をしながら、いざというときは災害のために災害復旧に駆けつけていただくという林業・建設業複業会社というのも一つの方法ではないかと思います。  現に、私は今、林業をみんなに勧めておりまして、去年愛媛県では10社ぐらいの建設会社が林業事業体に入っておりまして、こういう動きは別に絵そらごとではなくて、全部現実に動いている話でございます。  安定供給できれば林業の方は流通も合理化できて、今、ちょうど中国が木を使い始めて、ロシアが違法伐採を制限しておりまして、国際的に木材が足りなくなって価格が上昇しておりますので、そうすると、また自給率が上がるのではないか。その中で、さらに建設業というものは、住宅の方と土木の方と一緒に建設業協会とかをつくっていますので、できることならば地産地消で広島の木は広島で使うというような形で回していただきますと、林業者というのは、皆様御存じのように、それほど大人数ではないので、例えば広島県だとせいぜい1,000人の雇用が生まれるぐらいだと思うのですが、そこから出てくる副産物がいろいろな形で資源となって、お金となって回り始めると、また中山間の山に価格が戻ってきますと、それが結局は山の豊かさを取り戻すのではないかと思います。  次に、地域ビジネスの方ですけれども、結構いろいろあります。建設業の方は地域づくりに乗り出す方がすごく多くて、例えば富山県の高岡ですけれども、古くなった建物をコンバージョンリフォーム─用途変更リフォームをして新しいものにして、まちのにぎわいを取り戻すということをやっておられるのです。  規制改革会議のメンバーとして、ちょっとだけ宣伝させていただきますと、私が今、最も力を入れておりますのが、補助金適正化法の緩和です。例えば、市町村合併で余った公民館をほかの産業施設に転用しようとすると大変な作業が要るわけで、廃校も本当はもっと自由にいろいろなものに使えたらいいというところを取り上げさせていただきまして、財務省や農林水産省などと今、一生懸命折衝しておりまして、何とか芽が出てきたかなというところです。そのうちもっと皆様方、例えばこういう議会とか首長の同意が得られたら、自分たちでそれをもっと自由に変えられるというふうにぜひしたいと思っております。結構財務省はかたいのですけれども、今、若干軟化の気配が出てきておりますので、自民党の先生方も随分皆さん、民主党の先生方もそうですけれども、一緒になって応援してくださっているので、そのうち何か画期的な動きが出てくるのではないかと思います。そうしましたら、地方にあるいろいろな公民館とか、合併で余ったものを地域産業興しの拠点にそのまま使えれば、新しいものをつくらなくても産業興しができるわけです。そういうことなので、先生方にもぜひ応援していただければと思います。  介護・福祉に出ているところも多いのですが、時間がもうほとんどございませんので、飛ばします。  きょう申し上げたかったのは、ぜひ建設業問題を建設業の中だけで考えないでいただきたい、農業問題を農業の中だけで考えないでいただきたい。村までいったら大体農業をやりながら建設業に行ったり、建設業をやりながら農業をやっている人が多いわけで、もともと副業、兼業でやっているわけです。それで地域を成り立たせるために、業種の壁を越えて、国土保全しながら、お年寄りがいなくなったところの農作業代行をしながら路網つき間伐をして、またそこから出てきたもので堆肥をつくって有機リサイクルをするという、地方を支える複業会社を考えていただきたい。例として、土木・農業・林業・環境会社というようなものも、自然に出ております。例えば、青森県中泊町の竹内組ですけれども、建設業をやりながら森林間伐してウッドチップリサイクルをやっていく、あと、輓馬という馬をつくりながら、そこから出てきたもので肥料もつくって地域を支えています。言ってしまえば割とどこでもある話ですが、こういったものを、どれもこれも中途半端にやるのではなくて、これも本業、これも本業という形でやることです。東京などは巨大マーケットですから何でも専業でできるのですが、地方はマーケットが小さいですから複数の業務を行って企業が成り立つこともあることをぜひ心に置いていただければと思っております。  例えば、隠岐島という島では、今、牛を飼っておりますけれども、飯古建設が行っているのですが、あそこは定置網漁業も実は行っているのです。建設会社が農業も漁業もやりながら、そこで出てきたものを首長たちや商工会がみんなで一生懸命に隠岐ブランドとして売りながら観光振興をするというようなことをやっておりますので、こういったところが結構モデルになるのではないかと思います。  先ほどちょっと言い忘れたのですが、介護の場合は、住宅系の建設会社がうまくいっているところが多いようです。住宅のリフォームとかで、よくよそのお宅に上がって、そのまま高齢者支援をしながら訪問介護もするという、何かやはりそこは連続性があるみたいなので、どうも住宅建築をやっている方が介護事業もしながら高齢者の生活支援もし、バリアフリーのリフォームをするという複業会社になって、高齢者の住まいと暮らしを支える企業の複業化というのが今、起こっております。  ぜひ先生方にお願いしたいのは、今まで、各業種を別々に見るという法制度であったり、霞が関も縦割りですし、みんなも商工会の人が農産物を売るという感覚がないわけですけれども、そういう壁を取り払って、みんなで協力し合うところに地域産業の芽があり、それを支援していただきたいということです。環境ビジネスと農業の間にも、時間があったらずっと紹介したいぐらい、いろいろな新しいビジネスが生まれております。その従来のビジネスの壁を乗り越えるところに、実はイノベーションというのが起きるのではないかと思っております。そのためにもいろいろな法制度を変えていかなければいけない、もっと簡素化してあげないといけないというのがありますから、その辺をぜひお願いしたいと思います。  それから、最後にすごくつらい話ですが、建設業は今、底割れ状態で、2~3年前までは結構新分野へ進出したのですけれども、今は逆に銀行がお金を貸してくれないような状況の中で、1社単独で行くということがすごく難しくなっております。そういう中では、これからやはり建設業自身の再編ということをもう少し手を突っ込んで、きちんと抜本的に手を打っていかなければいけないし、その中で頑張って地域を支える企業を支援していただきたい。積極的に地域をみんなで支えるというようなことも大事ではないかと思います。山・里・海の幸をもって、それをどうやって大きくしていくかという地域戦略を立てて、その中の企業としてどういうふうな位置づけができるかということであれば、まだまだいけると思うのですが、1社が企画して出ていって販路も開拓するというほどの体力は、地域の建設業にもう残っておりませんので、その辺の大変なことをぜひお察しいただいて、いろいろな県の施策に反映していただきたいと思います。  時間をオーバーしまして済みません。ありがとうございました。(拍手) 4: ◯原田参考人 ただいま御紹介いただきました沼田町伴地区自主防災会連合会の原田でございます。きょうは、予算特別委員会の方へお招きいただきまして、ありがとうございました。  地域防災力の向上についてでありますが、私たちは、ふだんから行政に頼らない自主防災ということを念頭に置いて、毎年、夜間訓練などをしております。これには、一切補助はありません。自分たちの力でどこまで自主防災ができるかというところから始まって、現在もしています。私は、学者ではありませんので、話も下手ですが、一応体験などもありますのでお話ししたいと思います。よろしくお願いします。  まず、きょうのお話の内容ですが、連合会の具体的な取り組みとしまして、自主防災会の概要、自主防災活動の経緯、伴地区防災協力団体、それから活動の内容です。わがまちの防災マップ、生活避難場所運営マニュアル、独自の被害状況調査と情報の共有、災害訓練、これは、毎年、夜間訓練をしておりますが、その実施と検証、最後になりますが、自主防災の重点項目を挙げまして、すぐれた防災リーダーの育成、行政と地域の信頼関係、それから危機管理的心構えとその維持、情報交換などをお話しさせていただきます。  具体的な取り組みでありますが、概況につきましては、現在、伴地区自主防災会連合会は会員数7,000名ですが、これは世帯数が7,000というふうに考えてもらえればと思います。  特色といいますと、皆様御存じのようにビッグアーチ付近の沼田町ですが、ほとんどが山すその斜面に開かれている土地、新しい団地は「こころ」とか「花の季台」など多くの新興住宅が造成されていますが、昔からの集落も点在しているというところでございます。  その点在する場所は、地盤が弱い場所や急傾斜地に面していたり、土石流の危険箇所などが含まれております。平成11年6月29日の6.29豪雨災害のときには、広島市がすごく被害を受けました。それ以前は、私たち住民の間では災害に対する意識は漠然として危機感はありましたが、それが組織的な防災活動に結びつくということはありませんでした。  これが、その地図ですが、伴地区は己斐断層、五日市断層に囲まれた地域で、これは活断層、まさ土、土石流の発生する場所を大きく書いております。  なぜ連合会をつくったかといいますと、阪神・淡路大震災をきっかけに、我々はもし阪神・淡路大震災規模の災害が起きたら、すごく人命が失われると判断しまして、やはり情報共有化、近辺への支援ということで連合会を結成いたしました。  伴地区には、4小学校区あります。伴、伴東、大塚、伴南で、23町内会、会員数7,000名です。  まず初めに、自分たちの力で何ができるかといいますと、やはり安全な場所へ安全に避難するというところから計画を始めまして、避難計画、防災マップ、それから避難場所へ着いたときの生活、それには運営マニュアルが要ると判断しまして、いろいろ考えまして、約4年かかりましたが、一応、全部完成いたしました。その完成したときに、平成11年7月1日の防災訓練を行う3日前に現実に6.29豪雨災害が起きました。それは市政始まって以来という大災害でありました。地区住民は、そのことで防災に対する危機管理意識が非常に高まってきたということが言えます。莫大な被害が発生しましたが、地区住民は逆境の中、くじけることなく、得た体験や教訓を将来に伝えていこうということで、地域の防災対応能力を高めるよい機会というふうに我々はとらえてきました。  その後の防災の関係ですが、自主的総合防災訓練、集団救急救助訓練、これは今、県や国の広報でテロ攻撃ということで現在しています。私たちは、その4年前に、ビッグアーチでサンフレッチェのサッカーの試合のときに、サリンが散布されたということで、県・市、それから消防、地域というところが一緒になって訓練をいたしました。毎年、自主的に夜間訓練を行いますが、やはり県市の防災機関が行う行事に対しましては積極的に参加して、行政と地域が一体となった災害に強いまちづくり、人づくりということを目指して現在も努力しております。  これは、伴地区の防災協力団体で他県にはないと思いますが、やはり学校関係を広域避難場所ということで、それぞれ挙げております。それから病院関係は地区の病院の方々に、やはり緊急の場合の災害出動ということで、この病院・医院の先生にお願いしまして、訓練に参加してもらっています。これは医師の専門にかかわらず、眼科・耳鼻科とか内科も関係なく一緒にやって非常態勢に備えております。  それから、いわゆる学区社協、学区公衛協、それから民生委員が福祉関係で、それから地域関係は、女性会、商工会、特に、赤で建設業界と書いてあります。あとはPTA、体協、交通安全協会です。特に、建設業界に対しましては、実際に6.29のときに、私たちは市の方へ支援を要請しました。でも実際に来られたのは、7~8時間たって、ようやく重機が来たということであります。その間に、人命は2名ほど失っております。  とっさに考えたのが、地元の土木関係に依頼しましたら、小さい重機ですが、2時間で現場へ来てくれた。それで河川のはんらん、山崩れとか、土のう関係を全部してもらったということがありますので、やはり地元の建設業界を大事にして一緒に取り組んで防災訓練をしていることが、現在では非常に役立っております。  初めに避難計画をつくりましたが、やはり住民にわかりやすくするためにも防災マップの必要性を思いました。例がありますように、神戸では、水がなかった、電気が来なかったということがありますので、発電機、炊き出し用具、井戸、それから電話というものを主に挙げましてマップをつくりました。これは、全国で初めて平成9年に作成いたしました。ここにありますように、これが炊き出し用具です。それからこれが井戸、これが発電機というように、家にあるものを全部網羅して、どこに行けば何があるか、救出道具とかを調査しまして、これは町内会ごとに全部同じ色彩で記入して、各戸に、A3に印刷して配布しております。さらに市の方から、平成12年に土石流危険箇所の通知がありまして、それをここへ記入しておりますが、そのようにその都度記入しております。  それから、赤丸、ピンクがありますが、芸予地震の1年前に広陵高校で大きな音がしました。東大の方で調査していただいたら、そこが震源地だったということでありまして、やはり何か芸予地震と関係あるのではないかというので、今、東大の方で調査してもらっております。  このマップに記載するのに私たちは非常に困りました。なぜかといいますと、寝たきり老人とか、ひとり暮らしの世帯をいかにマップの方へ記載するか、それから、土石流の危険箇所、これは皆さんから土地の評価が下がる、なぜそこまで言わないといけないのか、プライバシーということで、非常にいろいろな面で苦情がありました。でも、やはり命が大事です、死んでは何にもなりません、命があって、そういう苦情を言えるのなら、これをマップに記載しようということから、町内会長、役員が各世帯を回って説得して、了解・同意を得ました。それも、やはり数カ月から1年ほどかかっております。  そのマップをつくりましたところ、経費がかさむので、A3判に縮小してカラーコピーして全戸に配布しました。そのマップにつきまして、やはり住宅地図では著作権の問題があるということを考えました。それで、消防局に救急車、消防車が通れる道路地図がありましたので、それをお願いしまして、町内ごとに作成していただき記入しました。その後に災害場所の記入と、それから危険箇所の記入、マニュアルの作成などが現在も続いております。  これがマニュアルの作成ですが、まず小学校へ行きますと、そこで10日間、20日間と暮らしますので、やはりだれかリーダーがいて、そこで生活ができるようにということで、本部長があって情報広報班とか施設管理班、救援救護班、食料物資班と、現在は避難班を追加してマップで活用しております。  これは、6.29のときに災害が起きまして、2名ほど亡くなりました。そのとき、やはり行政に早く被害状況を知らせる義務があるのではないかということを考えまして、このような表をつくりまして各町内会長に配付しまして、各家庭の被害状況を記入していただいて、3日後には行政の方へ、区役所、消防署の方に全部報告して、それに基づいて行政がスムーズに対応してくれたということが言えます。  災害に対応するために夜間訓練を始めました。これは、マップと避難場所マニュアルの検証であります。そのため、テーマは住民への迅速な情報提供、情報収集と伝達、それから避難手順・準備、訓練避難経路の確認、避難場所の運営を掲げまして、自主防災会員の防災意識の高揚と維持を図るために訓練を始めました。  この訓練の特徴を言いますと、私たちは行政に頼らない自主防災ということでありますので、主催は連合会で、連合会長名で行政ほか関係機関に参加を要請して開催しています。だから、ヘリコプターでも連合会長名で消防署に要請して訓練に参加してもらっています。  災害の想定としまして、やはり団地と山間部がありますので、洪水と大雨警報、避難勧告発令、それから時間を置いて団地の方には地震が起きたということで、2つの要素を持って同時に避難させるということをやっております。  その後、ライフラインが全部停止したということで、電気、ガス、水道すべてとめて訓練をします。あと、シナリオプラスアドリブで救急車を本当に依頼しております。費用は12万円ぐらいですが、これは農協や商工会などから寄附をいただいて、それから各自、お米、タマネギ、ジャガイモとかを持ち寄って、支えられてやっております。  花火がありますが、子供たちの防災の意識を高めるために花火の正しい遊び方ということで夜間訓練に、8時ごろに子供たちに来てもらって、そうしますと親も来ますので、一気に人数が倍の訓練になります。そういう目的で花火を有効利用してやっています。それから、あと点検などをさせてもらっております。  これが、今の防災訓練の様子であります。真ん中にお医者さんがおりますが、これは耳鼻科とか、内科とか、外科とか、いろいろな先生が集まって、負傷者などを手当てして、それぞれが勉強などをしておられます。  それから、体育館内に裸電球があります。これはライフラインがとまっていますので、中電工に派遣依頼をお願いしまして、裸電球を約50球つけてもらって、この場をそれでしのぐということ、発電機は連合会が宝くじでいただいていますので、それをもって発電しているということがあります。  これは、農協から無償提供されたプロパンガスで炊き出しをしています。真ん中では、修道大学、市立大学から学生さんにも来ていただいて、約60名に炊き出しとして支援をいただいております。ここにありますが、5升炊きのかまどを用意しています。それも含めてしております。  これは、子供が放水していますが、先ほども言いましたように、子供たちにも防災の意識ということで、たまたま農家に昭和の初めの手押しポンプの消火器がありました。それをいただいて、1カ月かけて修理いたしまして、現在使用できます。これによって、君たち今、学校が地震で燃えているよと、どうすればいいのと投げかけて、いやそれを消さなければいけないよと、おっちゃんバケツがあるかとかということで、子供たちが自分自身で水をくんできて、その手押しポンプで放水しているという状況で、非常に子供たちが楽しく防災訓練に参加しております。  これは今、県の方からも要介護者の避難という問題がありますが、やはり私たちは要介護者もということで、リヤカーに不自由な人を乗せて避難させて一緒に生活するということをしております。  ここで、5分ちょっとですが、この訓練の内容をビデオで見ていただきたいと思います。(ビデオを放映する)
     ただいま見てもらったのが、私たちの訓練の内容でございます。  ここで、お礼を申し上げます。  この訓練は毎年していますが、県議会議員の先生方、それから危機管理室の方、砂防室の方に毎年来ていただいて、我々に指導をしていただいております。改めてこの場をかりてお礼を申し上げます。ありがとうございました。  そのようなことで、今、言ったように、ひとり暮らし世帯、障害者世帯を民生委員の協力で把握して安全な避難経路を検証して、現在もマップやマニュアルに反映しております。  それから、それ以外に、沼田には災害弱者の方がおられます。例えば、太田川学園などの障害者施設、それから老人ホームの5カ所に対して、地元の町内会が災害協力応援協定書を締結して年に1回訓練をしております。  自主防災活動の重点項目でありますが、私たちは住民意識の改革と維持だと思います。そのためには楽しい防災訓練、参加したら楽しかったという防災訓練を目指して、現在も子供たちの花火とか、担架づくりとか、いろいろな面で工夫してやっております。それが、意識維持の手がかりときっかけとなるように思っております。  それから、アンケートをいただいて、来年度へのまた飽くなき向上心ということも一つの方法だと思っています。これは、災害に対する危機管理意識の高揚と危機管理の実践、災害弱者への配慮、防災行動力の向上ということにつながると思っています。  重点項目の2ですが、やはり住民、これは自助・共助が行政を動かして、安全・安心なまちづくりにするという思いから、私たちは行政に頼らないということが一つの本質だと思います。  要するに、3日間はだれも救助に来ない。例えば、安佐南区では、人口22万人です。行政人口は、今、区役所含めて全部で500人です。同時に地震が起きた場合には本当に支援体制がとれないと思いますので、やはりその間は地域住民の自助・共助が大事だと思います。  行政は、現状をよく聞いて、地元とよく協議して改善する。例えば、6.29のときに伴小学校へ180名を避難させました。それぞれ避難しました。ところが、平成12年に広島市から危険区域のマップが来ました。それと合わせますと、その伴小学校が土砂災害の危険区域に入っていたのです。もしそれを知っていれば、私はそこへ避難させませんでした。そこでもし災害が起きていれば、恐らく大災害だっただろうと思っております。どうか県職員の方は、その避難場所が安全かどうかというのは、自分の足で歩いてもらって、それからマップに記載してもらいたいというのが、私からのお願いであります。  公助─行政を地域がリードして支えることで、地域にとって本当に必要な、役に立つ公助ができると判断をしております。共助は自助なしでは実現できないと、自分たちだけで守ろうということであります。  自助の心がけは、自分の住んでいるところを地図で確認しましょう、周辺の環境を確認しましょう、どんなことが起こりそうか確認しましょう、過去の災害事例を確認しましょうと。亡くなった方の家は、元はため池だったのです。それを団地にしているのです。ということは、水の流れがある場所です。だから、こういうことが起こるということで、やはり過去の災害事例とか場所を確認してもらいたい。それから避難経路の確認、それから警報等の情報入手方法、一番大事なのは家族同士の連絡方法です。帰ったらだれもいない、どこへ行ったかわからない、平素からお互いに、この場合にはどこへ、スポーツセンターとか小学校とかに避難しますということを前もって決めておいてもらえば、両面で助かるというふうに思います。  自主防災の重点項目ですが、ポイント1は、やはり行政と地域の信頼関係で、これは本当に必要であります。行政は地域から現実を学ばなくてはならない、地域は行政と情報を共有しなくてはならないという役割があります。  ポイント2は、地域をみずから守るためにはすぐれたリーダーの育成が必要であります。危機管理的心構えとしては、さっき言いましたように、だれも来ない。情報というものは、行政は知らせる義務がありますが、やはり地域はそれを知る義務があるということを頭に入れてもらいたいと思います。  これは参考ですが、もう時間が来ましたので、手元にある資料で見ていただきたい。これが災害の場所です。これが連絡体制であります。これが、今までの訓練です。表の中に空欄があります。ここで一つ言いたいのは、このときに行政にお願いしました。そうしますと、沼田ばかり支援できませんと言って断わられましたので、中止しました。だから、これからは自分たちでやってみようと立ち上がりました。それから毎年自分たちの力で訓練しているということであります。  これはアンケートの結果ですから、後で見てください。  これは今の我々の活動状況で、私が他県へ行って防災講演などをさせてもらっています。広島県の都市と地域を回って、これは全部そうです。このようにして現在も皆さんに聞いてもらっています。  これも連合会の幹部が感じたことですから、また後日見てください。  以上、私の体験談を述べましたが、最後ですが、特に県の方へお願いしたいと思います。土砂災害防止法は、広島県からお願いしてできたと聞いております。また、広島県はそれによる危険区域も、指定する場所も日本一だということも聞きます。そのために、先ほど言いましたが、自主防災リーダーの育成を考え、広島県に西日本随一の土砂災害専門の防災センター、例えば災害の体験ができる、災害が起きた写真の展示などを踏まえた防災センターというものがあれば、そこへ皆さんが研修に来られて、広島県が防災に強い県となるように感じますので、ぜひ防災センターの設立を国の方へ働きかけていただいて、そういう施設をつくってもらえればありがたいと思いますので、よろしくお願いします。  これで、私の話を終わります。どうもありがとうございました。(拍手) 5: ◯大杉参考人 大杉です。よろしくお願いいたします。  きょうは、私は、広島県の人づくりという題目で、それから人こそ最大の財産、人つくりこそ最重要課題というテーマでお話をさせていただきます。  最初に、私は、最近できました東広島天文台の宇宙科学センター長も務めておりまして、これは3番目に書いてありますが、児童生徒の科学リテラシー教育にも使うということも一つの柱にしております。目で直接、宇宙の美しい神秘を見ますと、これは大きな感動を生みますということで、特に児童生徒のために御相談に応じておりますので、宇宙科学センターの方へ御相談ください。また、この設立に対しては、地元からいろいろな方々に御支援をいただきまして、本当にありがとうございました。  このような天文台ができ上がっております。場所は、西条下三永の福成寺の隣にできておりまして、まだ2年弱でございますが、約7,000名の人が既に訪れていらっしゃいます。  主鏡が直径1.5mの望遠鏡でございまして、一般には目で見る装置はついていないのですけれども、これは、そこの横に出ていますが、特別に眼視装置をつけまして、直接に、例えば今だと土星の輪がきれいに見えるということがありますので、ぜひ御活用ください。  それでは、きょうは人つくりについて私の方からお話をしたいと思います。  まず、きょうの話は大部分が私の経験から出た、いろいろな積み重ねをベースにしてお話ししたいと思います。  私は、広島で生まれて広島で育ちました。広島大学に入りまして、大学院も広島大学です。そのまま大学に残りまして、縁がありまして、博士号を取った後、アメリカの国立研究所に2年ほど留学させていただきました。これを契機に、それ以後、大部分の研究、教育もあわせて、活動を国際共同研究という形で、アメリカを中心に、アメリカの人たち、ヨーロッパの人たちと一緒に仕事をやってまいりました。この経験が、その人たちの子育て、あるいは、その人たちと直接競争することによって、いわば私は広島県の教育の製品でございますから、この私が世界の人たちとどういう競争をやったか、そういうことがこの話のベースになっているわけです。  ここに書きましたが、子供への最大の愛情は何か、これはヨーロッパと日本では大分違うというのが、まず最初の印象でございます。特に、ヨーロッパの人たちは、子供が小さいときには厳しいです。一度イギリス人の家族、アメリカ人の家族、それからうちの家族と3カ国の家族で山奥にキャンプに行ったことがございます。そうするとイギリスの家庭ではびっくりするほど厳しいのです。うちの女房がびっくりしていました。  厳しいという感想を女房が言いましたら、イギリス人は、我々の仲間ですから研究者で大学の先生ですが、あなた、今、子供を鍛えなくてどうするのだと、先のために今やっておかないといけないのだよ、子供というのは未熟なのだと、ちゃんと教育してやらないと先で困るのだよと、はっきり言いました。ここに書きましたが、彼らは将来の幸福のために非常に厳しい教育をやっている。成熟を称賛するような文化なのです。  それに対して、日本では子供がかわいい、かわいいから安全なところへ置くというのがどうも基本になっています。これは随分違います。彼らは、安全なところに置いてどうやって教育ができるのかと言います。  日本の子育ての問題点の一つは、子供が純真無垢であることです。純真無垢というのは、非常にたっといものだという思想が日本にあります。成熟すると、どうも老成するとかというふうに言うわけですが、世界に出ていって競争しますと、したたかな成熟こそが戦力でございまして、また打たれても打たれてもめげない強さがないと、とてもやっていけません。これは、私は出ていって、たたかれてもたたかれてもやったわけですが、今の子供たちへの日本の親の愛情を見ていますと、確かに一生懸命愛情を注いでいるように見えますが、どうも子供をペット化しているのではないかと感じております。  事実、大学におきましてドロップアウトする学生が結構たくさんいるわけですが、明らかにこの学生を見ていると、幼児期にちゃんとした訓練を受けていない。特に、自分で自分の生活がコントロールできなくてドロップアウトしていきます。  というわけで、人つくり、教育の目的は何かということを、これらの経験からまとめますと、まず人間らしい大人とは、あるいは成熟とはと言ってもいいかもしれませんが、これは何だろうか。人間は社会をつくります。社会をつくりますから、つくっている人間同士のコミュニケーションができないと話になりません。その上、民主主義国家です。独裁者の命令一下動くわけではございません。ということは、構成員である人間の間にコミュニケーションが成り立たないと社会が形成できないわけですから、まず1番にこれを挙げさせていただきました。  次に、みずから学び考え、判断できる。これは、文明社会をつくっておりますから、この文明をつくり上げる、みんながある方向に何かをするということは、自分で十分に学んで適切な判断ができるようにならないといけない。これが2つ目でございます。  3つ目として、豊かな情感と芸術・学術を持つ。これは文化でございます。この文化がないと、平和が訪れないと私は思っています。それはどういうことかといいますと、この文化がありますと、それぞれに尊敬が生まれます。それぞれの社会、あるいは個人もそうですが、高い教養、文化・学術というものは尊敬に値する人間をつくります。このときにお互いに尊敬があると、そこに平和が生まれると私は思っております。コミュニケーションがうまくいかないと争いが起こると思っていますが、最終的には相手に対する尊敬が争いをおさめるというふうに思っております。  したがって、この3つが人間らしい成熟した大人の定義ではないかと、私は勝手に思っているわけです。この上に、豊かさを求めてプロフェッショナルな教育があります。どちらかと言うと、世間一般に教育という話をするときには、前の3つは、これは人間社会に生まれれば自然に育つように思っているのかどうか、余りきちんと議論されることがございません。その上に、下の方の例えば職業教育はどういうことかという議論はあるのですが、前の方はなかなかない。  では、この人らしい基礎はいつできるか、「三つ子の魂百まで」と申します。これは、人間としての基礎が幼児期に形成されるということを示していると思います。幼児は小さいときに言葉を覚えるわけですから、私は、中学校以来、何十年も英語をやって、世界に出ていってすごく英語に苦労したわけですが、幼児は2~3歳で言葉を覚えてしまうわけです。これは、幼児が非常に学び上手であり、あるいは頭が非常に柔軟であるということを示していると思います。この幼児期に形成された人間としての基礎の上に、その後の学校教育があるわけです。ですから、この学校教育をいかにきちんと積み上げようとしても、実はその土台ができていないと、これはなかなか積み上げることができない。  昨今、小学生の問題行動とか、小学校の学級崩壊とか、いろいろ問題になっておりますが、これは一つに幼児期の適切な訓練が欠けていたのではないか、それは大学生になっても見られるというふうに思います。  では、幼児期にどういうことを訓練するのか。これは、先ほども申しましたように、トップにありますコミュニケーション能力と社会性の基礎が幼児期に形成されます。子供は自分で学ぶわけですが、それは親子とか子供同士のアクションとリアクションの関係で学んでいくと考えております。ですから、テレビの子守が最悪の状態です。アクション、リアクションの関係なく、垂れ流しで一方方向に情報が流れてくる。これは、幼児の教育にとって最悪の状態だというふうに思っております。  例えば、トイレのしつけですが、これは親がもてあます最も厄介なしつけの一つだと思っていますが、何とこれは友達がやっていると、すぐに自発的に覚えてしまうものです。これは驚くべきことで、孫を見てみますと、実に苦労していましたが、保育園に行って周りがみんなやっていると、すぐに解決してしまう。下の子などは、1歳から行くと、2歳のときにはちゃんとできているという形になります。  そのほかに、ここには挙げませんでしたが、私がびっくりした経験がございます。それは、ある保育園の運動会を見学に行きました。そこで見学していた人が、みんなびっくりしたのですけれども、例えば、2歳児というのは満1歳と数カ月ですが、その2歳児が鉄棒にぶら下がって、ぶらんぶらんとできる、あるいは平均台の上をよちよち歩きながら、ちゃんとバランスをとって端から端まで歩く。あるいは、6歳児になりますと、竹馬に乗って竹馬サッカー、竹馬ダンスなどというのを披露しまして、びっくりしました。これは、特別な子供ができるわけではなくて、みんなできるのです。なぜそんなことが小さな幼児にできるのだと、ちょっと聞いてみましたら、友達です。先輩を見て下の子が覚える、あるいは隣の子供を見て覚える。つまり、幼児は驚くほど柔軟で学び上手である。それから友達というお手本、見まねという自発学習、これが教育の本質ではないかと思いました。  それから、それをやっている子供たちは、強制的にやらされたわけではないので、目を見ればはっきりわかるのですが、非常に生き生きとしています。これを見て、幼児期に体を動かすということは脳が育つのだ、これは、幼稚園の園長もおっしゃっていましたけれども、幼児期の教育成長の特質ではないかと思います。  ですから、きょう私がここでぜひ強調したいのは、幼児教育というものは人間の出発、一番重要な基礎をつくる時代ではないかということです。これは、昔は家庭に任されていたわけです。今は核家族で家庭にこれを任せておくことができるかというのは非常に疑問になっていると思います。経験の少ない家庭に新生児の人生の出発点を任せておけるのか、少なくとも、すぐ近所に母子が一緒に集えるような保育支援センターをぜひつくってほしい。つまり、新生児を持った母親が孤立しないように、あるいは子供は隣の子を見て育つわけですから、ぜひ、母子ともに隣を見て育つということもありますので、そういう施設をつくってほしい。例を調べますと、あちこちにあるようです。  先ほど言いましたように、1歳以上になりますと、友達が非常に重要ですから、全員どこかの保育所に入所できるような施設を完備してほしいと思います。これが全部公立である必要はありません。  それから、保育士はぜひ先進教育をやっているところに行って研修する機会をつくってほしいと思います。最後のところに、幼児保育は公ではなくと書きましたが、これは公だけでなくの意味でございます。いろいろな試みをやっている私立の保育園がたくさんございますので、それらの試みを尊重してほしいと思います。  ここは保育所と幼稚園の区別をしておりません。私は、これは区別があってはいけないものではないかと考えております。  次に、児童期は小学校から始まるわけですが、まず社会性が一番大事かと考えております。かつて人間形成は、親、家庭、地域の責任であった、学校は、社会から切り離してユートピア空間をつくって教育しよう、社会や家庭が大変であった時代はこれでよかったのですが、今は家庭も地域社会も変わってしまいました。家庭のしつけ、地域社会の教育機能がだんだん失われてきたように思われます。  したがって、その下に4行書きました。学校を社会に取り戻そう、社会を学校に取り込もう、学校を地域コミュニティーセンターにしよう、子供たちを社会の一員として育てよう、私は学校が社会から切り離されたユートピア空間から、逆にこの4行であらわすような学校に変わるべきだと思っております。  その下にございますように、小学校から高校卒業まで、大部分、ほとんどすべての子供たちが行きますので、この12年間を社会から切り離して隔離された同じ年代の子供だけで過ごすというのは、いじめの空間をつくるだけで、社会性を損なうおそれがあるというふうに感じております。  ですから、まとめますと、学びの基礎は、まずコミュニケーション能力を徹底的に開発すること。先ほど大学で落ちこぼれが出て困ると言いましたが、その落ちこぼれ学生で何が一番困るかというと、対話ができないのです。対話が成立しないのです。こちらが何か言っても、ただ単語の返事が返ってくるだけで、もっとコミュニケーション能力を鍛えないと社会人としてやっていけないと思います。  それから次は、脳と心を鍛えることです。広島県では、読書の時間というものが今、奨励されているそうですが、これは非常にいいことだと私は思っています。それから、流行の百ます計算などは、計算自身に意味があるとも思えませんが、脳と集中力を訓練するということで、非常に意味があると思っております。そのほかに、自然とのつき合い方もちゃんと教えないといけない。これには、ボランティアを活用すべきというふうに考えております。  それから、学び方の学習ですが、知識は教え込んでも、自発的でない限り、すぐに忘れてしまうのです。一生学ばないと、これから社会はどんどん変わっていきますから、一生教え続けるわけにいきませんので、これは自分から学ばないといけない。この学びのやり方をぜひ教えないといけない。  最後に書きましたが、ノーTV、ノーTVゲーム日をつくりましょう。テレビやテレビゲームがどういう害があるかということは、もう皆さん周知のことだと思いますが、これは非常に、特に小さい子供の間は害がございます。もう明らかになっております。  中等教育の中学、高校もまず徹底したコミュニケーション能力の開発です。ここら辺まで来ますと、きちんとディベートといいますか、議論ができるようなレベルのコミュニケーション能力が必要です。特に、世界がグローバル化して世界に出ていってやるということになりますと、外国ではここを徹底的に鍛えております。私が世界に出ていって何に一番苦労したかというと、ここです。私の時代はまだ沈黙は金というふうに言っている時代でしたので、私は世界に出ていって非常にここの部分で苦労いたしました。多分、すごく損をしていると思います。  それから、論理的思考能力の開発です。これから判断力が生まれます。現在、えせ科学というのがよくテレビで出てきますが、これを根拠がないという判断ができるかどうかというのは、論理的思考能力がないと無理かもしれません。数学などは実社会で役に立たないという向きもありますが、これは明らかに脳の訓練、論理的思考能力の開発をやっているわけです。  それから、文化・芸術に対する感受性を磨く。これも最初に申し上げましたが、平和な社会の建設に対しては、文化・芸術というものは非常に重要です。ここら辺の素養があるかどうかで、世界に出ていったときに尊敬されるかどうか、かなりの部分で関係します。今、学校で、図工とか、音楽とか、絵画とかの時間が非常に少なくなっていると聞いておりますが、非常に気にしております。  それから、中等教育では既に職業選択のための準備をしないといけません。ここに書きましたが、今、ロボットやコンピューターでどんどん物をつくる時代になっておりますから、ロボットやコンピューターに勝てるような、考える力を持った子供たちを育てないといけないと思います。  高校は、ここは先ほどと似ていますので、抜かします。  大学も先ほど言いましたが、大学はプロフェッショナルをつくる場所であると私自身は認識しているのですが、つまり高い教養、文学・芸術・科学の素養と、その上に職業人としてのプロフェッショナルを育てる場所だと定義しているのですが、実態は、大学によりますけれども、就職前の訓練として、あいさつから教え直さないといけない大学がたくさん報告されております。大学教員に高い給料を払って、プロとしての経験を積んできているこの人たちを、こういうことに使っていいのかと疑問に思います。私はぜひ、大学以下、全体として教育を見直さないといけないと思います。  大学は学生を社会に出すために必要ですから、仕方なくやっています。  言い方は悪いのですが、中学校は高校へ先送り、高校は大学へ先送り、大学はどこかに先送りできるかというと、そういうわけにいきません。そこから社会に出てしまいますから先送りができないから、こういうこともやらなくてはいけないのです。  同じことが教員の養成についても私は言えるのではないかと思います。4年間の大学教育のみで人を教えることのできる成熟した人格がつくれるか、これは非常に問題があると思います。人格の成熟には、もっと社会経験が必要ではないか。イギリスでは、ギャップイヤー─高校から大学に入るときに1年間、世界でいろいろな経験をしてくるという制度がございますが、どこでもいろいろと工夫をしているわけです。日本では、その工夫が今はないというふうに思っています。  もう一つは、ペーパーテスト対策です。  大学の入学試験突破、どこにどれぐらい入ったか、公立大学にどれぐらい、国立大学にどれぐらい、有名大学に何人入れたというのが高校の評価の対象になるようでは、お寒いというふうに感じております。これは、日本、韓国、中国で特にその弊害が出ているのですが、入試対策で一番効率的なのは丸覚え学習です。これはカリフォルニア大学の私の同僚が言っていたのですが、丸覚えで進学してきた非常に成績のいい中国人留学生、あるいは韓国人留学生、日本人も入っているかもしれませんが、僕の前では余り言いませんでしたけれども、丸覚えで進学してきた学生は、アメリカの大学への入学後、全くだめだそうです。カリフォルニア大の友人が嘆いていました。もう中国の学生は取りたくないというふうに言っておりましたが、似たような状況が広島大学でも起こっておりまして、受験対策に成功して入学した学生は、かなりの部分がドロップアウトします。これは、ペーパーテストの対策は非常によくやっているのですが、そのほかの基本3要素、コミュニケーション能力、自立学習、文化感受性の欠けた学生は、社会に向かって羽ばたけません。これが大問題です。  というわけで、最後にまとめでございますが、提案1、まず幼児教育が人間形成の基礎をつくりますので、ぜひ幼児教育環境整備をやっていただきたい。  次に、学校を社会の中に取り戻そう、社会から切り離したユートピアとしての学校というのはもう古い、地域のコミュニケーションセンターにするような、下に幾つか考えて、思いつくまま書きました。そういうふうに学校を変えようという提案です。見守る人が多いほど事故防止にも役立つのではないかと考えております。  提案2は、中学・高校教員に社会経験豊かな人を入れよう。これは全体として考えられているようで、あちこちで議論されています。  それから、もう一つ、教員に学外ボランティア活動、あるいは社会研修を奨励してほしいと思います。最初に申し上げませんでしたけれども、私のきょうのお話の中には、高校や中学校の教員の方と大分前からいろいろ議論をして、世間では理科離れとか、いろいろ言われているわけですが、どういう対策をとるかという議論をして、活動もしています。  最近、ボランティア活動で教員の方が出てきて、いろいろ活動するのが難しくなった事例が幾つか出てきています。なかなか出てこられなくなっている、管理がきつくなっている。こういう先生方のボランティア活動が、私は教育の活性化にすごく大きく役立っていると思っております。そして、この先生方は社会経験をこれで非常に積まれるわけですから、ぜひ学外でのボランティア活動を奨励してほしいと思っております。  最後の提案は、これは県の人づくり懇話会で、各界の人たちと一緒に議論させてもらいました。きょうの話のベースの一つにもなっておりますが、その中で子育てに優しい県民運動というのを光田委員が提案されまして、これをちょっと拝借しました。  これは、まず教育をやる前に安心して子供を産んでいただける子育てに優しい県にならないといけないわけで、そのために、例えば妊婦、幼児連れの母子に公共窓口や銀行窓口、あるいは公共交通乗降で優先順位を与えるような県民運動をやってはいかがでしょうか。これこそ子育てに優しい県ではないでしょうかというお話でした。  最後には、標語をずらりと並べて、これで終わりにさせていただきます。御清聴ありがとうございました。(拍手)   (閉会に当たり委員長が、お礼のあいさつを行った。)  (10) 閉会  午後2時39分 発言が指定されていません。 広島県議会 ↑ 本文の先頭へ...