神戸市議会 2014-12-08
開催日:2014-12-08 平成26年未来都市創造に関する特別委員会 本文
本文へ移動 ↓ 最初のヒットへ(全 0 ヒット) 1 (午前10時2分開会)
◯委員長(吉田謙治) 皆さん,おはようございます。
ただいまから未来都市創造に関する特別委員会を開会をいたします。
本日は,産業振興という点に関し,参考人より意見を聴取し,それに対する質疑並びに委員間討議を行うため,お集まりいただいた次第でございます。
なお,本日の委員会の模様を事務局が記録用に写真撮影及びビデオ撮りをいたしますので,御了承願います。
まず,前回の委員会のまとめを配付しておきましたので,御了承願います。
次に,本日の参考人の意見聴取の進め方でございますが,まず,午前中は参考人の意見を聴取し,それに対する質疑応答を行い,午後からは参考人の意見を踏まえての委員間討議を参考人を交えて行いたいと存じますので,御了承願います。
2 ◯委員長(吉田謙治) それでは,参考人としてお越しをいただきました斎藤 統様より御意見をお聞きいたしたいと存じます。
斎藤様におかれましては,意見陳述をお願いいたしましたところ,御多忙にもかかわりませずお引き受けいただきまして,大変ありがとうございます。
斎藤様は,現在,日本とフランスの企業間の
コンサルティングを行うAECC社の社長をお務めになっていらっしゃいます。今から41年前にフランスに渡られ,長年にわたって
ファッションビジネス界で御活躍をなされ,2008年にはフランス政府から芸術文化勲章を受章なさっておられます。また,神戸を登竜門として若手のデザイナーを世界に通用するデザイナーに育て上げようと,
神戸ファッションコンテストの審査委員長もお務めをいただいております。
本日は,産業振興,具体的には,ファッションを軸に神戸をどう発信していくかということについて,斎藤様の御意見をお聞きしたいと存じます。それでは,よろしくお願い申し上げます。
3 ◯参考人 今御紹介にあずかりました斎藤でございます。どうぞよろしくお願いいたします。
きょうは,お忙しいところ,拙い人間の何か講義といいますか,お話をお聞きくださいましてありがとうございます。私自身,今はほとんどが日本での仕事といいますのは,大学ですとか,それからいろんな企業から招待──招待を受けたという形が,やっぱり講習会を開いて,特に海外等の今後どうしていくかとか,そういう話というのが非常に多いんですね。学生さんには若い人たちが今後どういうふうにしてあるべきなのか,そんなことについていろいろと講義させていただいていまして,私自身の簡単な略歴を今,吉田委員長からもお話がありましたが,ちょうど私,フランス,在仏41年目でして,もうすぐ42年になるんですけど,皆さんは生まれていなかったですよね──そんなことはないか。フランスに行って,本当はそんなに長く行くつもりはなかったんですが,大体そういう時代が,背景があったんだと思うんですが,私,年齢的にちょうど団塊の世代のほうにおりまして,団塊の世代というのは何か日本からあぶれていく年代が多かったらしいんです。私と同じぐらいの年代の人というのはかなり外国にそのまま残っている人が多いんですが,私の時代もそうで,パリにも何人かずっともう──大変悲しい話ですけど,亡くなっている方もパリでもたくさんいますけども,私どもの年代というのはかなり海外に当時はそのまま残ってしまう方が多いという傾向が強いです。
私は,リヨンという非常に絹で有名な場所で,兵庫県ですと西脇とは非常に関係が強いところなんですが,絹の産地として有名なリヨンというまちでずっと大学生として勉強──フランス語等を学んでいたんですけども,最終的にパリへ出て,あの時代というのは日本人がパリ以外は働くところがなかったんです。私も家内が──もう聞かれる前に言ってしまいますが──家内がフランス人でして,だからフランスに残っているんだろうと言われたら,はいそうですとお答えするしかないんですけども,フランスにずっとそのまま滞在して,そこでファッションの国ということで,ちょうどいろいろ1970年の後半に海外から,要するに日本だけじゃなくて海外からいろんなデザイナーたちがパリに集まる時期があったんです。
それが1980年代の非常に黄金時代を迎えるんですけども,そのときに日本から山本耀司というデザイナーがちょうどパリに出たいと。私がいろいろとパリでファッションの世界ではない別な世界にいたんですけども,そこでいろいろと仕事をしている中で,1つだけ私が日本的でない仕事の仕方──と言っても変なんですが,フランス人と直接する仕事のやり方をしていまして,そういうことがあって山本耀司さんから,君みたいな人にパリを任せたいということを言っていただいて,それが’80年代。’80年から山本耀司さんのところに入ってずっとファッションの仕事──まだ髪の毛が真っ黒な時代なんですけども,ふさふさと髪の毛があった時代なんですが,ずっとパリで山本耀司さんをスタートして。
山本耀司さんが終わった後にも,今度は向こうの海外のデザイナーさんから,やはり今後,日本との関係をすごい持っていきたいから逆に日本人であるあなたに仕事を頼みたいということで,どんどんフランスを中心としたファッションの世界に深く入ってしまって,最終的には向こうに
オートクチュール協会というのがあるんですが,フランスは大きく分けて2つしか協会がないんです,ファッションに関しては。
オートクチュール協会というのと
プレタポルテ協会というのと2つあるんですが──パリコレという皆さんがお聞きになったことがあると思います。残念ながら,きょう,パリコレのお話もと思ったんですが,そんなことをやると時間がかかってしまうので,きょうのお話にはちょっと筋が離れてしまうので,パリコレのことはきょうはちょっとお話ししませんが,
パリコレクションという,多分皆さんがお聞きになったことがあると思っておるんですが,
パリコレクションに出るということとか,そこに出ていくためにどうしたらいいのかとか,そういう非常に皆さん,簡単にパリコレとおっしゃるんですけど,実はやっぱり大変な手続がありまして,それは全部,
オートクチュール協会というところが牛耳っています。私,最終的には
オートクチュール協会の理事の1人にも加えてもらったりしたこともありまして,いろいろとフランスの業界の中では多少ちょっと外国人ではそういうところまで──私,向こうへ行ったら外国人ですから,そういうところまでいけて,フランスにおいてはいろんな意見も言うような立場にいたんですけども。
それで,一番最後に,三宅一生さんという,やはり日本人のデザイナー。ですから,山本耀司さんでスタートして,途中でいろんな外国のデザイナーさんをいろいろやって,最終的にまた日本のデザイナーで三宅一生という方のヨーロッパの社長を務めさせてもらって,その後はずっと独立して今のような形で
コンサルティングの仕事をメーンにやっております。
そういう中で,やはりちょうど山本耀司さんが終わって,それからいろいろなジョゼフですとか,
マルセル・マロンジュですとか,ジョゼ・レヴィですとか,いろんなそういうデザイナーを扱いながら,三宅一生さんの時代にたまたま神戸市ともつながりができることになりまして,それが実は
神戸ファッション協会でやっております
ファッションコンテストというのがあるんです。実は,きのうとおととい,そのコンテストがございました。オルビスホールというホールで,六甲アイランドのほうにあるホールできのうとおとといに審査があって,
神戸ファッションコンテストに審査委員としてやってもらえないかというのが2007年にお話が来まして,初めは私も余りそういうのって何かコンテストというのは余り意味がないんじゃないかと──失礼な言い方だけど──と言ったら,そのときの担当の方が,非常に
神戸ファッションコンテストの意味は,ただ1番の優勝者を選んでどうではなくて,優勝した人というのは──きのうも,ですから,私,その総評で申し上げたんですが,優勝した人というのは入り口に入ることなんです。これが
神戸ファッションコンテストの非常に私はユニークなことで,私と一緒に日本で審査をやってくださっている読売新聞の宮智 泉さんという方がいるんですが,宮智さんもなかなか
神戸ファッションコンテストはユニークだと。
なぜユニークかといいますと,後でちょっと簡単に映像が出てまいりますけども,ここできのう5名選ばれたんですが,5名選ばれた人は,そのうちの2名がノッティンガムというロンドンからちょっと北のほうに1時間ほど行ったところのノッティンガム・アートユニバーシティーに1年間,向こうの授業料が免除になると。もう1人がパリ,それからもう1人が──ごめんなさい,パリが2つです。2つの学校がパリから来ていまして,それからローマの学校とか,全部で4つの学校。そのうち5名が要するに1年間,ですから来年の9月から再来年の6月ぐらいになるんですけども,その授業料が無料になると。もちろん滞在費は御両親に払っていただくようになるんですけど,そういうのがあって。
そこで優勝したから何かがある,例えば,100万円もらえますとか,例えば,どこどこへ何か展示会に出られますということではなくて,あなたに勉強するためのチャンスをあげますよという,これは非常に私はユニークだと思う。そういうのというのは,日本にほかにはないんです。それが私が神戸に引きつけられた理由で,それがきっかけで2008年から──ですから,ことし,実はきのうで7回目の審査委員長を務めさせていただきました。まだもうちょっと続けてほしいというふうにきのうもお話を市役所の方からいただいたので,もうちょっと私も元気なうちは続けさせていただこうと思っているんですが。
その成果というのも少しずつ出ていまして,きょう皆さんにちょっと後でパワーポイントで見ていただきますけども,既に神戸で受かった方でヨーロッパ,1人はパリ,1人はイタリアもいますけども,そこで向こうでそれなりに一緒に頑張って,今,向こうで土台を築き始めている人がいる。そういう人たちを今後どういうふうに
神戸ファッション協会でうまく拾ってやっていけるかというのもきのうちょっといろいろとお話しさせていただいたんですが。やはり神戸,そうやって何らの形で発信していけるというのは,私は何か一緒に仕事をかかわらせていただいていて楽しいなと。
非常に神戸というまちが,私は小さいときから,実は関係がなさそうで──私,東京生まれの東京育ちなんですが,フランスに行くまではずっと東京にいたんですが,神戸というのは私の父の関係で非常に関係が強くて,うちの父が神戸製鋼とお仕事をしておりまして,よく父に連れられて六甲山に遊びに行ったことがあるんですね。そのたびに,あのころ,何か100万ドルの夜景の神戸とよく言われて,それこそ六甲山の上から見る夜景はということで,すごい子供心に六甲山ホテルの上から,あそこでジンギスカンですか,バーベキューですか,何かをいただいて,そこで六甲山の上から神戸のまちをよく見おろしたことを覚えているんですけども,何だかんだと神戸というのは不思議と小さいときから──何かこれといった大きな仕事とか目的はなかったんですけど,神戸に来る機会が非常に多かったということもあって,そういう神戸のお話を伺ったときに,じゃあ非常にユニークなコンテストのやり方をやられているんならば,ぜひ参加させていただこうということでやらせていただいています。
それをだんだんやっておりますうちに,やはり神戸のまちの特徴とか,私,今でも海外──フランスに住んでいますので,神戸のまちをゆっくりなかなか見に来ることはないんですが,一応,ルミナリエなんかは昔見せていただいたこともあるんですけども。神戸のまちというのは,非常に私は,異人館があるとかなんだとかということもあるんでしょうけども,やはりフランスに住んでいてある意味抵抗が少ないまち──抵抗が少ないというのはどういうことかといいますと,余り日本,日本しないところがあるというのが非常に──まちの雰囲気もそうですし,もちろん歴史的に神戸というまちが外国の方の非常に特別に居留地だったとか,そういう過去のこともあるんだと思うんですけど,私にとって結構すっと入ってくるまち。横浜というのも,どちらかというと神戸と同じようなそういうまちですけど,横浜よりも何か神戸のほうが私は個人的に──これは全く個人の話ですけど──好きなので,いろいろと神戸にこうやってかかわらせていただいていることというのは私は個人的に非常に楽しんでやっております。
実は,しょっちゅう神戸にはちょこちょこと,お友達も大分ふえまして,今,年に大体5回ぐらいは神戸に遊びに来ています。時々,吉田先生にお電話したりして,なかなかお忙しくて会ってはいただけませんけど,神戸にはそうやってちょこちょこ来ていますし,そういう中からいろいろと,神戸ってこんなことができるんじゃないか,あんなことができるんじゃないかと。
私,いつも思うんですが,これも発信という言葉を使わせていただきましたけど,やっぱり今,発信をしていかないと,それは日本だけの問題じゃないんです。今,日本は非常に発信が下手な状態だなというのは,きのうもいろんな学校の先生からも指摘を受けたことなんですが,発信していくということが結局はそのまち全体を動かしていくことになる。そういうためにじゃあどういうことをするんだということで,私はファッションを軸にしたときにどんなことができるかということをいろいろと私なりに──そのお答え,それに関してのことは,実際,このパワーポイントには出ていなくて,皆さんには海外の,特にフランスを中心としたもののお話をさせていただこうと思っていますけど,その後に皆様といろいろと意見交換をする時間があるということですので,そのときにそういうお話をさせていただこうと思っています。
簡単に言いますと,ファッションという言葉──もう41年前に
ファッション都市宣言を神戸市がなさったということで,そのときのファッションというのはもうちょっと限られたファッションだったと思うんです。でも,今,41年もたってきますと,ファッションという言葉自身,私が業界に入ってもう35年ですから,その前から既にファッションという言葉が出ていたと思うんですが,そのころってあくまで着ることがメーン。要するに,それ以外のものをファッションとは呼ばない。ファッションといったら基本的には女性服というイメージが強かったと思うんですけども,今,ファッションというのは生活自身がファッションと呼ばれるようになってきていますし,いろんな形で,
空間ファッションだとか,それからライティングのファッションだとかと,要するに,ファッションという言葉がもっと流行というか,今をつくり出していく。
例えば,洋服でいいますと,これは皆さん御存じかどうか,レディー・ガガという歌手がいるんですが,今,日本は
レディー・ガガ現象というのが起きています。
レディー・ガガ現象というのはどういうのかというと,彼女がいろんな非常に派手な服を着るんです。下手するとかなり強烈な服を着る方なんですが,彼女に着てもらったということが非常にデザイナーさんにとって何かいいきっかけになるということで,今,傾向として,きのう,おとといの審査会で見れたのは,圧倒的にそういうコスチュームというんですか,1点物。ですから,誰もが着れるものじゃない服をつくってくる学生さんが非常に多い。きのう,私,それをちょっと批判したんですが,そういう舞台衣装をつくりたいとか,映画衣装をつくりたいとか,要するにコスチュームというのは物すごい狭き門で,それを狙っている人というのは世界中──君が相手にしているのは日本じゃないんだよと。もう世界中にそういう人たちがいるので,それを考えたことはあると言ったら,日本だけじゃないんですかと。もちろん日本人でもいますよ,そういう世界的に有名な衣装をやっている人は。でも,基本的にはなかなか入っていけない世界で,やはり日本人はどこが弱いんだろうという話もきのうも皆さんとお話が出ていたんですが,やっぱり
コミュニケーションをしていく力が非常に弱い。
コミュニケーションをしていく力が弱い。だから,
コミュニケーションも下手するとファッションと言えるのかねという話がきのう出てきたぐらいなんですけども。
要するに,現在,ファッションというのは,いろいろな空間を取り巻く,皆さんの毎日,毎日の生活のいろんなところに入ってきている。極端に言うと,例えば──わかりませんけど,海外では,例えば,神戸牛がファッションなんですよ。神戸牛,要するに神戸ビーフというのを食べに行くのが何かファッションだとか,そういうこともファッションと呼べるような時代になってきていますので,非常に今,時代は変わってきていると思います。
そういう中で,商品を動かすだけではなくて,いろいろなノウハウだとか,いろんなソフトを発信していくということが非常に今後重要になってくるんではないかというのが私どもが考えていることで,何もその商品を,例えば,このコップなりなんなりを神戸だろうがどこだろうが,つくったものがすばらしいからメード・イン・ジャパンを出せばいいということだけではなくて,もっとソフトを発信していこうということを,今,日本全体としてはやろうとしている風潮はあります。それはフランスも同じで,もっともっとそういうものを出していこうと。
その例として,例えば,この
ファッションコンテストで,今,皆さんがやっている──
ファッションコンテストというのがきのう,おとといとあったというのがありまして,これがどんなふうにやられているかといいますと,第1審査というのと第2審査と2回に分かれるんですね。きのう,また来年の2015年の第1審査と第2審査の日にちも発表になりましたけども,大体募集を6月いっぱい,5月,6月ぐらいに募集をかけて,そこで2次審査に進むための候補者を20名に絞るんです。きのう,1人辞退者が出て,きのうは19名でしたけども,その19名を今度は3体ずつサンプルをつくってもらうんです。そのサンプルを,我々がまずサンプルをつくる前に第1審査で20名に絞ったものをおととい土曜日に彼らが全部ブース分けをして,そこで自分たちの服を我々審査委員が見るんです。1点1点見ていって,かつ本人とのインタビューといいますけど,どうしてこういうことをしたのかとか,どういう意図を持ってやったのかとかもいろいろと我々が質問攻めにして,その後にそこで採点をして,きのうがランウエーショーといいまして,一応ショー形式でつくってもらった3体の服を一応プロのモデルさんに着てもらって,歩いて,それでそれを一般公開で皆さんも申し込んでいただくと見に行けるようになっていますけども,それがオルビスホールできのうやって,そこで我々,その後,先生,海外の先生4名と日本の審査委員4名,これがどの学校にどの学生をとるということでずっと,結構きのうも白熱しましたけど,一時。要するに,同じ子に集中するわけですよ。私もこの子がいい。私のところもこれがいいとかとなりますので,そこでちょっと。そうすると,私のところに委員長どうしましょうというと,ちょっと待ってくださいと。この学生さんはどこの学校を志望しているかをまず大事にしましょうとかとやって,皆さんを最終的に落ちつけてやるんですが,白熱しないときもあるんですよ。すすっと決まるときもあるんですが,きのうはちょっと。一番ひどいときはほとんどコップが飛ぶぐらいの勢いのけんかになったこともあるんですけども,何しろ英語とフランス語,イタリア語と日本語が飛び交いますので,かなりややこしい状態になるんですけど。きのうも何かワーワーワーとやっていましたけど,第1はきのうもうまくおさまって,きのうはパリの先生がこれは嫌だとかあれは嫌だとか言い出して,あれまた,ちょっとそれはだめとか,もうしょうがない,私もきつくだめはだめで絶対だめとノンと言い続けますけども,そんなふうにして合同できのう,留学生を決めました。本当はきのうの写真でも中に入れられればよかったんですけど,ちょっときのうの写真は入れる時間がなくて。
1次審査で,これは1回だけなんですけども,2008年,初めて私が審査委員長をやったときに,これ,パリで実は第1次審査をやったんです。要するに,あのとき,何百枚と応募者が来ますよね。その応募の審査表,紙があるんですが,その紙をパリに送ってもらって,パリで場所を借りて,向こうのデザイナーですとか,向こうで,要するに海外に発信するんだから海外の人が見てどう思うかということのほうが大事じゃないかというのがそのときは
神戸ファッション協会の方とも話をして,ちょっとお金がかかるけど,全部それを送ってやりましょうと言ってやったんですが,ただ,やっぱり海外で1次審査,何百枚という応募を送っていただいて,それを見るというのは結構大変な作業で,1回やってみんな諦めました。
この中で,例えば,この男,これは
マルセル・マロンジュといって,非常に──皆さんは御存じないと思いますけど,ギ・ラロッシュというブランドがありまして,そこに今,ギ・ラロッシュの主任のデザイナーをやっている男なんですけども,私,彼とは非常に長いつき合いで,あとここにいる女性は,これはクリスティーヌ・マッザといいまして,この方も,この後も出てきますが,
神戸ファッション協会でやったセミナーで講師として私も来ていただいたこともあるんですが,ビジネスをやるデザイナーで,ビジネスをやる上でのそういうデザイナーを見つけるには非常に目のきく方。あと,ここにいるちょっと大き目の男性は,これは
パリオートクチュール協会の人間なんです。ですから,できるだけもろにそれぞれの専門家といいますか,それぞれのファッションと簡単に言ってしまってもそれぞれ専門家がいますから,ビジネスもあれば,あくまでデザインから物を見る人とか,協会という立場から見る人とか,それぞれ見方が違うので,こういう人たちを集めて。あと,一番右側にいる,ちょっとこれ,見にくいんですが,これ,日本人なんですけども,これも実は2000年に
神戸ファッションコンテストで入賞して,彼はイギリスに行っている男なんですけども,彼がたまたまパリにいるので,ちょっとおまえも手伝えということで彼も引っ張り出してこうやって審査をしているところなんですけど,こういうことを。
これがことしは,ちょっと時間がないので,時間もないし,お金もないし,大変なんだということなので。これは日本の審査委員のみでオルビスホールで応募されてきたものを広げて,ここにいるのは,これは今回,日本で審査をやってもらっている1人のヨシキ・ヒシヌマという,そういうデザイナーがいるんですが,こっちはちょっと見えるこの方がたしか宮智さんという読売新聞の方で,ここにもう1人──何耕佑といったっけ──彼もデザイナーですけど,デザイナーを2人。昔々,私が来る前は,どちらかというとファッションのビジネスをやる方,ビジネスというか,お店で物を売る方が審査の委員で多かったのと,あと新聞記者の方だったんですけど,やはり学生さんの服を見るとなるとデザイナーさんのほうがぱっと見たときにどうしてここを,この襟を,どうしてこういうふうにしたのとか,ここの縫いはこういうんじゃよくないんじゃないとか,そういう非常に技術的なものまで入ってもらえるので,デザイナーさんを2名入れて,そしてあと1人,ジャーナリスト──このジャーナリストの方も,宮智さんという方も世界中のミラノを初め,ニューヨークからパリのずっと展示会とかショーを見て歩いていた方なので,そういうかなりファッションを見る目のあるジャーナリストの方で,普通のジャーナリストの方ではないちょっと変わった方なんですけども,そういうことでお願いして。これも同じような分ですね。これも,これはその宮智さんとヨシキ・ヒシヌマさんですか。こんなふうにして,ことし7月の25日に。この審査会が行われた後のものがきのう,おとといと審査をしていたんですけども。
これはちょっと古い写真なんですが,これは私が初めて審査委員長をやったときの2008年のこちら,ちょうど35回目,35周年の審査の最終日で,ここにこういうふうにして全部で1,2,3──このときにはまだフランスが1校しか出ていなかったので,フランスの学生さんと,それからイタリアへ行ったのと,この2人がイギリスに行ったんです。今,その後,エスモードという学校が入ってきて今4校になっていますけども。ここにいる2008年にいたこの男の子,後でもっと別な写真が出てきますが,ことし,フランスであるイエールの国際フェスティバル,ファッションフェスティバルで彼は優勝しました。だから,そういう意味で,こういうのも,きのうもファッション協会の方にお話ししたんですが,やっぱりそういうことを発信していかないと誰も知らない。だから,
神戸ファッションコンテストって何みたいな話が出てくるのはおかしいんじゃないでしょうかねと言って,きのうちょっと詰め寄ってしまって申しわけなかったと思うんですが,やっぱりそういうのはとても大事なことだと思うんです。発信していく,まず
神戸ファッション協会のほうも今後そういう過去のいろいろ通った方をもう1度全部洗い直してどんどん発信していこうねというお話をきのう部長の方もなさっていましたけど,そういうふうにして発信していかないと,結局,
神戸ファッションコンテスト,せっかくこれだけのいろんなすばらしいことをやっていながら,その発信がし切れていないとみんながわからない。ですから,そういう意味では,
ファッションコンテストは最初に私はすばらしいことだと思っていますので,きのうの写真とか何かもまたすぐ掲載されてくると思いますけども。
これは,ファッションセミナー開催というのもやらせていただきました。これは,2回だけだったんですけど,2012と’13年の秋に,ただ
ファッションコンテストをやるだけではなくて,ちゃんとしたセミナーをやろうと。セミナーをやるというのはどういうことかというと,要するに,何でもかんでも東京に集まっているいろいろなそういうJETROさんだとか何かが主催していろんな講演会とか何かも開いていらっしゃいますけども,やはりそういうのを神戸で何か非常に特色のあるものをやれないかということで,そのときの
神戸ファッション協会の方といろいろ話して,あのときは市役所のほうにも一緒に参加していただいて,ファッションセミナーというのを開かせていただきました。
これは,ですから,一方的に──アトリエという言葉が皆さんはぴんとこないと思うので,今御説明しますけど,要するに,これも基本的には東京から来たデザイナーさんが多かったんですが,セミナーをやって,じゃあビジネスって何なのかとか,今後どういうふうにして海外へ出ていくんだという,そういう話をセミナーでやった後に,デザイナーさんが,自分が海外に行くならばどういうことを注意しなきゃいけないのか,自分の服というのがどういうふうに海外において評価されるだろうかというのを海外から来た先生,要するにセミナーの講師の方に直接見ていただくという,そういう──また写真が出てきますけど,そういう──なかなか皆さん,初め,私がアトリエをやりますと言ったら,そのアトリエって何ですかと言われたんですが,そういう形式で──後で写真が出てきますから,皆さんもすごくわかりやすいと思うんですけども。これが1回目にやりました。ヨーロッパ進出の成功の鍵というか,ファッションビジネスもディベロップメントする,世界レベルでパリを中心にしたときどういうことかということで,これは2012年に,これも2回やっているというところに非常に意味がありまして──これは後で御説明しますけども,2回に分けてやっているんですね。わざわざ7月の12日に1回目があって,2回目が9日にあって,約1カ月近い間をあけて。
私は日本にずっといまして,ミリアム・モハメッドさんと,彼女は私から2回日本に来てもらったんですけど,これが本人がやったときのそのときの入り口での写真なんですけど,写真とできるだけ同じ格好をしようといってわざわざポーズをつけたんですけども。これが実際,舞台の上で御紹介を受けて,これからそういうファッションディベロップメントについてのお話をしましょうというところなんですね。これ,そのときの会場の写真はありませんけども,これが今申し上げた──これはちょっとわかりにくいんですが,もう1つ出てきます。アトリエって,この右側にいる2人が──金髪の子と向こうにいる眼鏡をかけた女性が,これはデザイナーで,彼女たちがつくったものをミリアム・モハメッド,彼女にいろいろと評価されているところなんです。評価されるというのはどういうことかというと,要するに,日本ではこういうものが通ったとしても,海外ではこういうものでは通りませんよと。やはり海外ではどういうところが重要なのか,それからサイズの問題も含めて,海外の人は,海外のお客さんというのはどういうことを気にするのか,それがやっぱり日本とは違うんです。体つきも違いますし,いろんな意味で,向こうの人が気にすることというのはやっぱり注意していかないと,日本のことだけではだめよというのは,そういうお話を彼女がしていまして──向こうにいる左側にいる男性がそのときの通訳の方なんですけど,そういうふうにしていろいろお話をしていただいて,その後に,これはたしか市役所でみんなが集まって,市役所のあのときのファッション課の方たちと何かその後意見交換をして,今後どうしていくべきだとかなんかということをお話ししたことを覚えています。
その後に,今度は,2013年に──これが’11年だ,ごめんなさい。さっきのは’11年です。これは’12年だ,ごめんなさい。1つ間違えました──に,今度は,さっき審査委員を1次審査でやってもらったクリスティーヌ・マッザというこのおば様を連れてきて,この方も向こうの海外では非常に有名な方なんですけども,彼女に,やはり海外に来てビジネスをするということ,2011年のやつはビジネスを海外でどういうふうに行われているかという説明,今度は海外ビジネスをしに行くということはどういうことなのかという,そういうふうにだんだん内容を分けて,本当はもっといろんな形とテーマで続けたいなと思ったんですが,この2回しか残念ながらセミナーはできなかったんですけども,こういうことでやはりクリスティーヌ・マッザさんを呼んで。このときは時間的に──ちょっと見にくいかもしれませんが,11月の29日,11月の30日,それから12月の3日,4日とちょっと2回の余り間がない状態で,さっきの1回目よりは短いインターバルで開催してしまったんで,ちょっと大変だったんですけども,ちょうど
ファッションコンテストもあるということでこの時期になってしまったんですが,このときも結構たくさんの方が応募してくださって,クリスティーヌさんに朝から晩までいろんな洋服を見てもらったことを覚えていますけど。
これは,たまたま始まる前のいろんな打ち合わせ中です。これは,通訳の方と一緒にああだこうだとここで打ち合わせをしまして,それで実際,クリスティーヌ・マッザさんがいろいろと海外でということはどういうことなのかということ──これは,一般の方,申し込まれた方全部を対象にしてやっているものですけども。先ほどのミリアム・モハメッドさんのほうは写真がなかったですけど,これは会場の様子もこんな様子で,結構オルビスホールの中にいっぱい埋まって,たくさんの方が。
ただ,日本の場合の1つだけおもしろい現象というのは,一応,セミナーが終わって質問はというと誰も質問しないというのがちょっと寂しかったことを覚えています。海外ですとばあっと手が挙がってきて質問攻めになるんですが,日本の皆さんって,質問はといって,ふと見て目が合うと目を下げちゃう方が多いなと思ったことを覚えているんですけども,皆さんとても真剣に聞いてくださって。これで終わった後の話かな。どうもありがとうございましたということで。
これがアトリエの様子です。これは,多分皆さんおわかりになると思うんですが,要するに,ここに,一番左側に,これは小澤聡子と,これは昔,ヨウジヤマモトにいて,今は独立しちゃっているデザイナーで,女性なんですけども,男性の服をつくっている子なんです。彼女がつくった服を何体か持ってきて,これをクリスティーヌ・マッザという彼女が見て,やっぱり海外に行くときにはこういうものとか,こういう素材でこういうふうにすると海外の人はだめよとか,例えば,海外の人の着方で,日本ですと女性の場合で結構下にTシャツみたいなのを着てから上に物を着るケースが多いけど,向こうの人たちは直接素肌にシャツを全部着てしまうと。だから,そういう違いがあるからこういう素材はだめとか,いろいろあるわけですよね。ちくちくするとかしないとかと。それから,日本人の感じるちくちくとヨーロッパ人の感じるちくちく感というのは違うんです。私自身も経験はないんですけど,必ず日本ではちくちくしないものが向こうでちくちくする,向こうでちくちくしないものが日本人はちくちくするみたいなものもある。非常にその辺って実は微妙なところがありまして,特に肌に直接着るものというのはより神経を使わなきゃいけないということがあるんですけども。
これは,今度は面接ですね。さっきみたいに商品を見ながらああだこうだというんじゃなくて,ここで,これは,彼ら若い2人が──向こうにいる大きな眼鏡をかけている彼が,これがデザイナーで,こっちにいる彼はパタンナーといいますけども,服をつくるためのモデリストという言い方をしますけど,この2人がデザイナーとモデリスト──パタンナーが一緒にならないと洋服というのはできないものですから,そのときに彼らが,自分たちがどうしたいかというのをいろいろと話をして。
これは同じようなシーンですけども,こういうふうにして,ここでやっぱりアドバイスが出ている。これは,洋服ですが,今度,アクセサリー類もやはりこういうものだとお客さんからとか,色の問題とか,もう本当に細かいほうなんですけども,やはり日本でいいから,日本人が好きだから持っていっていいかというとそうではない,そういうものがたくさんありますので,そういうことも含めて彼女からいろいろなアドバイスを受けている。それから,その取っ手の位置,それから,例えば,このときにまだ覚えているのが,こちらみたいな長いベルトがついているものはいいけど,短いやつだと,これは日本では皆さん余り考えないと思うんですが,パリに限らず海外というのは非常にひったくり,泥棒が多い。こういう手で持っているものとか,ちょっと肩にかけるものだと,すれ違いざまにだんとたたかれて,そのままサックごと盗まれちゃうことがある。じゃあ,こういう長いベルトだと何がいいかというと,結局,斜めがけができる。斜めがけだとなかなか持っていくことができないとか,やっぱりそういう生活の中で日本では余り起こらないようなことが海外ではたくさん起きますので,そういう意味で,やっぱりこういうのが──こういうのはいいけど,必ず横に長いベルトのやつをもう1本つけなさいとかというアドバイスを彼女がしていたことを覚えています。
それは今度,デザインの問題だけではなくて,やはり生活における──例えば,この間,たまたまインドに行っていた方とのお話をしていたときに,インドでは,外国人を見たら物をねだるのが当たり前な文化があると。日本人って,例えば,外国人の方がいたら,金をくれと行く子供も大人もいないじゃないですか。それは,神戸だろうが東京だろうが大阪だろうが,ないと思うんですけど,例えば,インドというのはそれが文化なんだそうなんです。歩いていたら必ず金をくれという子供から大人まで来ると。それはそういう──それを日本人は,えっと言うけど,それは文化なんだから,それもちゃらちゃらとあしらうことが日本人はできないので,非常にあげちゃったりすると100人ぐらい後ろからついてくるみたいになるらしいんですね。1人にあげちゃうと後ろに100人いるという,そういう世界らしいんです。
私も昔々,今みたいに中国がまだ発展する前ですから,もう15年ぐらい前,よく中国へ行くことがあった。あれはたしか上海だったと思うんですけど,ホテルに向かってフランス人の女性と仕事の話をしながら帰っているときに,やっぱりおじさんが来て金をくれ,金をくれと言うんで,うっかりあげたんです。そしたら,一緒にいたフランス人の女性が,ちょっとムッシュー斎藤,やばい,後ろを見たらぶわっといるんですよ。こうやってみんな金をくれと,何かそういう映画があるじゃないですか。何かそれに近い──何かちょっと怖かったですよ,一瞬。だから,そのくらいそういう本当に文化が違う。だから,日本ではそんなことは恥ずかしいことだからそういうことは起こらないこととかというのは,やっぱり海外では国によっては全然違うところでそういう文化がある。
フランスという国も──お話が横へそれますけども,やはり今はそういうひったくりとか何かが多いよと言ったのは,イメージとしてはフランス人がそうなのかというイメージを持たれると思うんですが,フランスというのは日本と違って非常にイミグレーションの国なんです。どういうことかといいますと,例えば,私の家内を例にとってもらうんですが,私の家内の3代前は,お父さんのほうはドイツ人なんです。ですから,お父さんのひいおじいさんは,例えば,北ヨーロッパから来て,お母さんのほうの家系は,例えば,イタリアから来たとか,スペインから来たとかというのは,今はフランス人として生きている方がたくさんいるんですね。ですから,メンタリティーが日本みたいにある程度単一的に──日本人が持つ常識とか,日本人の考え方というのは通用しない。ですから,当然,食べ物もお母さんの出身地のほうの食べ物が今でも非常に重要であったりとか,ですから,必ずしもフレンチをみんなが食べているわけじゃないんです。その辺がやっぱりフランスというのは非常にイミグレーションの国であるということで,フランス人の国籍を持っているということとフランス人というメンタリティーも含めたフランス人というのは全く違うものなんですね。
まだまだ日本というのは,北と南の違いがあるとか,そういうのはあったとしても,例えば,この間もある方と──会津の方と話をしたら,やっぱり長州の話が出てきた。そうすると,あれはちょうど江戸時代末期だねという話になるんですが,これがヨーロッパに行きますと百年戦争にいっちゃうんです。イギリスとフランスで,だからイギリス人は嫌いとかといって,何の時代かというと百年戦争の話。百年戦争というと何年前だろうという話になってくる。ちょっと最近の話じゃないなと。そういうふうにして,全然文化が違う。ですから,そういう意味で海外にいるおもしろさというのもあるんですけども,逆に言うと,日本の常識で物を考えはかってしまうと海外では通じなくなってくることもあったりするという。
これが今度──これは服を見ているところですね。これはまた別なデザイナーの服で。これは,レザーを扱っているデザイナーさんの服を見ていて,この彼は結構ヨーロッパで頑張っていますけども,今も。こういうふうにして,アトリエという制度,要するにデザイナーさんが外国で,一線で物を売ったり,または物を発表しているとか,そういう人たちの意見を直接聞ける場を神戸につくっていきたいなというお話があって,このとき,そういうことを,ちょっとセミナーをやらせていただいて,残念ながらちょっとこれは続かなかったです。
本当は,その後に,ヨーロッパで物を生産するというのはどういうことなのか,ヨーロッパで物を調達するというのはどういうことか,そういうこともちょっと本当はやってみたいなと思ったことがあったんです。といいますのは,ちょっとかたい話で申しわけないんですけど,ビジネスの上で,日本から海外に持っていきますと必ず2倍になるんです,料金が。これはどうしようもないことなんです。どういうことかというと,例えば,こういうジャケットならジャケット,これが1枚,日本で5万円で,例えば,これが5万円でいいかどうかは別として,それがリーズナブルな値段だと。でも,向こうに行って10万円じゃ高いよということが起こるわけですよね。あらゆるものでそれはあると思うんです。あらゆるもので,例えば,これが日本で300円で売っているからいいけど,これが1,000円だったら買うかなということって,やっぱり物の価値って,そういう何か全体のバランスってあるじゃないですか。そういう中で,必ず2倍になっていってしまう。
これは,輸出ということで起こってくるいろんな弊害があるんです。まずは,途中でいろんなチャージがいっぱいかかります。当然,飛行機で飛びますから,そのフレート,要するに運送賃がかかります。フランスに入った時点,どこに入ろうがヨーロッパに入れば,そこで関税がかかります。いろいろと今,日本でもいろいろと,アメリカを初め,TPPの問題をやっておりますけども,なかなか日本はまだフリーになっていない部分があるので,結構関税が高いです。例えば,韓国からだとヨーロッパとつながっているので,結構非常に安い料金で入っちゃうんですけど,日本のものが入らない。
そうなると,じゃあ本当に海外で物をつくって生産していく拠点というのをどうしたらいいのかとかということもやっぱり今後考えないといけない。じゃあ,日本にしかない生地もあるけど,海外でも,例えば,手当てがつくもの。要するに,今いろいろと問題になっています,例えば,アイフォンだって別に全てがメード・イン・USAなわけではなくて,組み立てがとか,そういうもとがUSAであっても日本からもいろんな部品が出ていたり,いろんなそれぞれ得意な専門家の方が,それぞれのプロフェッショナルがつくったものが1つになってアイフォンという形になっていくという,そういう時代に今なっているわけで。
車だってそうですよね。例の2011年の3月の大震災のときにも,結果,あれのおかげでフランスのたしかプジョー社だったか何かが工場を一時ストップしたんですよね。要するに,部品が入らなくて,パーツが入らなくなってしまって。というふうにして,何かどこかでそういう大きな災害なんかが起こってしまうと,実は突拍子もないところに影響していく。それは経済的な影響が結局起きてくるという時代に今なっているという中で,やっぱり今後,日本人の人が日本製──メード・イン・ジャパンというのは片一方で非常に言われていますけども,そういう中で,やっぱり逆にそのメード・イン・ジャパンという意味合いをどうしてしていくんだ,要するに,本当に物が全部じゃあ日本製であることが大事なのか,日本の物のアイデアが入っているというようなものをメード・イン・ジャパンとしていくのか,そういう考え方というのはいろいろとできると思うんです。それが今,海外では少しずつそういうことをしていこうという動きがフランスもイタリアも出てきています。要するに,必ずしも全てがイタリアのものじゃなくても,必ずしも全てがフランスではなくても,何をもってメード・イン・フランスと言えるんだろうかとか。
洋服の世界なんかでは,例えば,有名なブランドはほとんど生地は日本から行っています。でも,メード・イン・フランスです。例えば,ディオールとかシャネルとかルイ・ヴィトンとか,皆さんお聞きにならないジバンシーとか,ああいうものというのは,いい生地はほとんど日本から行っています。でも,そういうことでも,やはり向こうではメード・イン・フランスと言い方で言われるようにしていくにはどうしているんだという。それはテクニックだけの問題ではなくて,やっぱり世界中にあるいいものを集めて,フランスで,例えば,ディオールならディオール,シャネルならシャネルという1つのブランドの下においてそれを発表することによって,それはメード・イン・フランスになっていくというような部分はあるわけです。
ただ,ファッションに関しては,日本では世界に通用するというとユニクロぐらいしか今のところはないですけども,でも,そうやって世界に通用していくブランド──これはブランド力と私どもは言いますけど,ブランド力を持っているものがあるものを発信すると,それだけで信用もつくし,そこに付加価値が生まれてくる。
私が昔,よくイタリアに出張で行っているときに,非常にすばらしいニットをつくる工場があったんです。ペルージアというところにあったんですけど,あの辺は非常にニット工場が多いところなんですが,あそこのニット工場をオーナーが,これ,すごいねと私がさわっていて,こんなゲージ会社のハイゲージ,こんなすばらしいものがあるんだねと話していたら──これ,売ってくれますかと言ったら,250ユーロ──はっきり言って高いです,250ユーロって結構。いいもんでしたから,じゃあ1枚くださいと言ったら,あんたいいやつだから──これはイタリアですから──あんたはすごく感じがいいから150にしてやるとかといって一気に100ユーロ下がった値で買いましたけど,2枚ほど。ところが,彼はエルメスの下請もやっている。エルメスだったら,それが800ユーロなんです。これがブランドのすごいところなんです。
だから,要するに,発信するときに,結局,エルメスという名前で発信されてしまったら,本当だったらば,イタリアでは250ユーロとか300ユーロで売っているものが一気に2倍以上で売っても周りが納得してしまう。そういう意味で,物を発信していくというのが,ブランド力というのはそこにある。ですから,それ,今後──私がいつも申し上げている,これは皆さんに,この後も写真が幾つか出てきますけど,ブランド力の中での発信で,あるものの名前が出てくると,それだけでみんながすごいねと思うものは,ディオールやシャネルもありますけど,そうじゃないものも結構あるんですね。それが今,ここで皆さんにちょっとフランスの例を皆さんにお見せしながら御説明しようと思うんですけども。
その前に,発信ということが,例えば,今は洋服の名前でディオールだ,シャネルだ何だと,ルイ・ヴィトンだと申し上げましたけども,やっぱり発信軸に対して何かあるもの1つで発信していくと,そこに物がだんだん,その幹が太くなってくる。それがどういう結果を生んでくるかというと,そこに今度,人が集まってくる。人が集まれば,そこにお金も集まってくる。だんだん経済的にも。
それで,文化というのが,これは私,いつもくせ者だと思っているんです。文化って何というと,非常に言葉として何か説明しにくい。でも,非常に文化ってわかる部分があるじゃないですか。例えば,やっぱりお正月に餅を食べたいというのだって1つの食文化という側から見たら,間違いなくこれは日本が独特の持っているものです。海外でしたら,例えば,皆さんも御存じのターキーをクリスマスに食べる。日本人は別に無理にターキーを食べなくたって別に困りませんけど,別に鶏の足でいいじゃないと思うんですけど,やっぱり向こうの人はターキーでなきゃだめなんです。なぜ七面鳥なのというんですけど,七面鳥なんです。これがフランスですと,例えば,鹿の肉が出てきたりとか,今はもうそういう時期に入ってきていますから,フランスはいろんな種類の肉が出てきています。特に雌鹿の肉は非常に高くて高級で,これはクリスマスにしか出てこないとかというものがいっぱいあるんですけども,そういうふうにして文化というのは非常に形としてつかもうとしてもつかめない。
でも,それをやっぱりどこかで発信していくと,例えば,日本なんかは,発信は下手なんですけど,受けるのが得意だなと私がいつも思っているのが,ことしちょうど10月の末に東京にいたんですけども,そのときにハロウィーンというのがある。私,東京の六本木というところに実はすごく安くて──安くてというか,いいウイークリーマンションがあって,私,日本に来ると一月ぐらいいるもんですから,そのウイークリーマンションに入るんです。ホテルよりも半額以下で部屋も大きくていいものですから,六本木にいる。
そしたら,ある土曜日だったか日曜日だったかに子供たちがみんなハロウィーンの格好をしてぞろぞろいたら,ハロウィーン行進というのがあるんですよ,六本木で。ちょっと私が意地悪で,ハロウィーンって何だか知っていますかと言ったら,こういう格好をして歩くことでしょう。ハロウィーンの発信の本当の意味というのは皆さん知らない。でも,ハロウィーンのお祭りというものは受けていく。それって,例えば,皆さんも御経験──男性の方が多いから御経験あるでしょうけど,義理チョコで有名な2月の14日の例えばああいうバレンタインデー。じゃあ,バレンタインデーって何,じゃあバレンタインデーの大もとって何なんですか。セントバレンタインというんですよ,本当に。聖バレンタインという方が過去にいるんですが,じゃあその方がどういうことをやったのかということは皆さん知らない。知らなくても,それが逆に文化として入ってきちゃっていて,もう切り離しても入ってくるものというのは逆に文化のすごいところだと思うんです。
ですから,物の商品というのは,向こうから送ってこないとだめですけども,形を変えていける。食文化を考えたときにも,例えば,皆さんが多分食べられるピザ。ピザって大もとの大もとはイタリアのナポリなんですね。ナポリの人はマルゲリータしか食べないんですよ。じゃあナポリのマルゲリータももとは何といったら,要するに,失礼な言い方をすれば,余りお金がない方たちが小麦粉をまぜて,それで余ったトマトを上に乗っけて,それでチーズをかけて,それで焼いて食べたというのが基本になって,今はナポリには,ナポリが主宰するちゃんとしたマルゲリータの間違いなくあなたはマルゲリータの本物をつくっている証明書まであるようなサーティフィケートまで出るように,そういうふうにイタリアでなっていて,そのサーティフィケートを持っているところは大きくそのサーティフィケートがレストランの中に飾ってあるぐらいなんですね。そうすると,ここのピザはうまいということになる。
でも,例えば,日本に来ると,ピザの上に乗っかってくるのは,最も日本的なものが乗ってくるじゃないですか。それはスパゲッティなんかもいい例ですよね。明太子イカスパゲッティなんてイタリアへ行ったら食べられませんから,絶対に。だから,そういうふうにして文化のもとというのは何かあるけど,それは形を変えても,結局,スパゲッティという大もとは変わらない。スパゲッティに何をまぜていくかによっていろいろ変わっていくように,文化っていろんなふうに変わっていけるものがある。だから,発信していく大もとというのがあれば,それをその人たちがいろんな形で受けて,その発信されたものをまた新しく別なものに切りかえていくということができる。だから,その発信地のすごさというものもあると思うんです。
そういう中で,例えば,日本というのは,非常に今,現状としては東京から発信しようとする傾向が強い。私の友人で,現在,経済産業省の外郭団体で,第三セクターでクールジャパン推進機構というのが今できて,そこで太田伸之さんという──昔から私も20何年,彼とおつき合いしているんですけど,彼なんかも地方発信ということを非常によく言っているんですね。地方発信といいますか,日本ってちょっと私がいつも海外から見ていると不思議なのは,何でも東京に集まっていて怖いんです。東京にあそこまで集まっていると,何かあったとき,それは地震の話もいろいろありますけども,富士山が噴火とかということよりも,あそこまで集まってしまうというのは,逆に言うと非常に私は怖いなと。
フランスがいいんだろうか,ここにちょっとオーバーに書きましたけど,神戸でやれることはないのでしょうかとなんてちょっと嫌らしい言葉を載っけていますけど,フランスを例にいきますと,例えば,フランスっていろんな発信があるんです。世界レベルで発信しているのはたしか20か30あるんですが,多分,皆さんが御存じだろうと思うもので世界的に有名な映画祭というのがあるんですが,これはパリじゃないんです,発信しているのは。これは,カンヌ──フランスの地図なんですけども,フランス,パリがここにあります。かなり北です。この辺のヴァランスとか,この辺のあたりが,これがちょうど日本の最北端──稚内ぐらいのところになるんですけども。ここの地中海,これが大西洋側ですね。地中海のここのモナコ,この辺にカンヌというまちがあるんです。もっと近い地図にしますとここになりますけども,ここにマルセイユ,ですから本当に南フランスの非常に温暖な──ちょっと最近この辺で水がいっぱい出ているみたいですけども。
このカンヌというところで,ここに毎年5月に世界中のレベルで人が集まってくる。ですから,パリから1,000キロです,距離にして約。ここにやはりカンヌ。ここが,カンヌの映画祭というのがあって,これは非常に長い歴史を持つ──1946年から。やっぱりこれはフランス政府がもちろん大もとは推しているんですけど,これにかかわった人たち何人か,俗に文化人というのがいまして,私もそのうちの1人の方とお話ししたことがある──もう残念ながら亡くなってしまいましたけど。やはりその彼が,なぜあなたはカンヌだったんですかと,とてもくだらない質問だったと思うんですけど,したときに,結局,その人の言ったことは,なるほど,全部パリに集まったらおもしろくないだろう。パリというのはほっといても人が来るんだから,やっぱりそうじゃないところをやってみたかったんだ。それでいろいろ見たら,そのころ,カンヌってだめだったんです。ニースは有名だったんですけど,カンヌって余り有名じゃない。でも,ニースとカンヌって本当に60~70キロですから大した距離じゃない。だったら,カンヌって非常にいいし,海があって──実は,だから私,いつも思うんです。神戸を見るといつもそれを思うんですけど,神戸とか,カンヌとかニースと近いなとイメージなんです。何かというと,海があって,ちょっと平らがあって,ずっと山になっちゃう。カンヌもニースもすぐ裏は山になっていっちゃうんですね。そういうのがあるので,結局,ただここに,カンヌに行ったからそれだけで終わるんではなくて,そこにいろんな楽しいものがある。山に行って,例えば,有名なヴァンスの香水とか,そういうのも近くにありますし,それから山の上に行けばおいしいレストランもいっぱいありますし,それこそ,ですからここでいくと六甲のほうへ行くとか──六甲って神戸市になっているのかどうか知りませんけど──そうですか。神戸市じゃない話だったらまずいかなと。
そういうふうにして,例えば,片一方で海水浴ができ,片一方で上がっていくと山もあり,それで冬になるとこの裏のほうでスキーもできるとかと,そういういろんなものがそろっているものをこれはおもしろいと思って,そのときの主催者の人がやったというのを見て,なるほどなと。だから,パリに集まったらおもしろくないだろうと言ったパリの人もすごいなと思った。東京の人ってそういうことを言わないんじゃないかなと思うんですけど。そういうところでいくと,ちょうど神戸あたりなんて──1,000キロも離れていないけど,いいのかなとかと勝手に思っていますけども。
こういう映画祭,これは洋服も同じなんですけども,この映画祭というと,皆さんの頭の中には映画をいっぱい見て批評して,例えば,有名な女優さんが来てにこにこ笑って──この後も写真もあります。レッドカーペットがあってとなりますけど,実際,ここで何が一番大事に行われているかというと,これは実はビジネスなんです。これが世界3大マーケットが同時に開催されるという,これが大事で,結局,このためにスターが来て,有名な映画監督が来て,それでそこで映画が上映される。それは,その映画祭に参加する映画は上映されますけど,そうでない映画がいっぱいあるわけです。でも,その映画が,結局,いろんな国のそういうバイヤーが,映画のバイヤーが来て,そこで商売をしていくわけです。ですから,そこで小さな試写室がいっぱいあって,その専門家たちが見て,じゃあこの映画を買おうとか,そういうすごい大きなマーケットがあるんですね。それがカンヌで実際に片一方で──これは,ファッションショーも同じなんです。パリでも,きょうは誰々のショーがありますといって,片一方で大きなショーをやってみんなパチパチとやっていますけど,それは非常に見た目にはすごいところなんですが,実はその裏では何千という洋服のデザイナーたちがしのぎを削ってビジネスをしているんです,あのパリコレの間というのは。
そういう中で,やっぱりこういうマーケットとして映画祭,お祭りとして非常にみんながわあっと──ニュースなんかはそういうものばかりを見せますけど,実際はそこで非常にビジネスが行われている。要するに,ビジネスチャンスにつなげていくということが大事で,初めは多分,映画を,例えば,何本か選ばれたものがそこで上映されて,それでいいねというふうにしていたものが,だんだんそこにビジネスが生まれてきて,結局,カンヌが物すごい大きなものになって,カンヌを中心としたあの時期っていろんなビジネスが起こるんです。ですから,そういうふうなものにしていくには残念ながら時間はかかります。そんな1年,2年でできることではなくて,こういう映画祭も,ごらんになるように,1946年ですから,もう本当に随分昔から,私の実は年齢より上ですから,’46年というと──私,’49年ですので,私が生まれる3年前から始まっているわけですから。カンヌの映画祭が本当にすごくなってくるのって,やっぱり10年,20年という時間がかかってくる。
こういうふうにカンヌ映画祭といっても,今は賞も──昔はこんなんなかったんです。結局,いろいろたくさんつければつけるほどやっぱり価値が上がってくる。要するに,さっき言ったブランディングされちゃったわけです。カンヌの映画祭というのは,ブランド化されたから,こういういろんなものでこういうものを,賞をとったらとったなりにやっぱり高く,世の中が,世界が評価するわけですね。例えば,カンヌ映画の男優賞をとったよ,女優賞をとったよという人が,その人の価値が上がるのは,カンヌの映画祭でとったから価値があると。やっぱりまだ残念ながら,東京の映画祭よりはカンヌのほうが力を持っているというのがあると思うんですけども,それは東京が悪いんではなくて,やっぱりカンヌの映画祭というのはそういうふうに歴史を持っているということと,やっぱり長い時間をかけた──もう1つ,日本の場合の1つだけ,これはよく外国の方に言われるのが,ちょっと来にくいとは言われるんです。遠いとは言われるんですけど,でも,そうは言っても,これ,日本国を別のところにちょっと動かすわけにいかないでしょうから,侵略になっちゃいますから,ほかの国に行っちゃうと。それはできませんけども,それでもやっぱりそれだけ魅力のあるものができれば,逆にアメリカからやっぱりカンヌまで来ると結構遠い,ロサンゼルスからカンヌって結構ありますから,来ると,飛行機で来ようと思っても。そういうふうにしていろんな,遠い,遠いというのは,多分あの人たちも私に言わせるとそう言ってみたいだけで,本当はいいものがあれば来たいはずですし,必ず来ます,日本で何かがあれば,海外からも人が。
これが一番有名なパルム・ドールという賞ですけども,雰囲気としてこんな──これは有名なレッドカーペットですけども,やはりこのときに脚光を浴びるのは有名な女優さん,男優さんよりは女優さんがそれこそ──これは,ファッションをやっていた私には非常に関係あるんですが,海外から来る女優さんに着てもらう服を提供するというのが非常にデザイナーにとって大事なんです。黙っていても,ディオールとかシャネルとかジバンシーとかと,有名な人は黙っていても着てくれるんですけど,これから出てきたいやつらがみんな頑張るわけです。
こういうレッドカーペットじゃなくてもいいから──この人たちって,女優さんたちって物すごいかえるんですね,服を。毎日かえるわけですね。朝から夜の間で,例えば,昼間に着るものとか,午後着るものとか,それからインタビューを受けるときに着るものとか,それから夜のまたパーティーでの着るものと,それから自分が主演した映画のやるときとかと,それぞれ違って,1日に5枚も6枚も必要。そんなのを持ってくるわけがないので,それを皆さん──私も昔やったことがありますけど,カンヌまで運ぶんです,一生懸命,洋服を,その女優さんの。だから,有名じゃない女優さんでも,ここにいる方の目にとまればいいというちょっとずるい考えもあって,随分やりました,私もそういうことを。いろいろ大変なんです,ファッションも。
これがことしでこういう男性群も,見たことある人もここにもいますけど,ディカプリオさんも大分お年をとったなと──それはどうでもいいことですけど。雰囲気として,神戸と同じとは言いませんけど,カンヌのまちってこんな感じですよね。港があって,避暑地としても非常に有名ですし,カンヌというのは,南仏ということで。この後ろからずっと上がっていくと,これ,ずっとこちらのほうにかなり結構高く上がっていって,風光明媚,非常にいいところで,1年を通して暖かくていいところなんですけども。
神戸のほう,私,海岸ってよく見に行ったことがないんですけど,ヨットハーバーとかいろいろあるんですね,こちらもたしか。だから,その辺もゆっくりちょっと見に行きたいなと。余り神戸に来てもいつも何か中心で大騒ぎしていることが多くて,いろんな神戸のまちをゆっくり見れないんですけど,夜がやっぱり非常にきれいなところです,カンヌは。カンヌもそうですし,ニースもきれいですし,ここにかねてから,あの辺になると大きな個人クルーザー,外洋に行けるようなこういう個人クルーザーもここに来て,ここで船を遠くに置いてみんなでボートでまちに来て,まちの北で,レストランでわあっとパーティーをやったりとかなんかするんですけども。
もう1つ,今度は,これ,世界的に有名な国際写真展と,これもパリじゃないんです。これも世界中の写真家が物を発表し,かつそこでいろんな写真家のまたビジネスが起こる,または写真のビジネスが起こるところなんですけども,これはフランスの──先ほどの──近いです。ここ,この辺がカンヌでしたけど,マルセイユのちょっとこちら側のところにアルルという──アルルの女,何かそういうのは皆さんも何となく聞いたことがあると思うんですけど。
これ,全然余談ですが,皆さん意外と──この間,ある外国人の人と話したら,その外国人の人が知らなかったんですよ。ここにニームというまちがあります。ニームって,日本ですと岡山が有名ですが,デニムという言葉がありますね。デニムですね。ジーンズなんかに使われているデニム。デニムという生地はここのニームから──これが発祥地なんです。「ドゥ」というのは「フロム」なんですね。ドゥニームがなまっていってデニムになってしまったんです。ですから,ドゥ,フロムニーム,だから一番初めのああいうデニムの生地がつくられたときにはフロムニームで,ドゥニームだったのがだんだん──これをジーンズにしていったのがイタリアで,それがアメリカで皆さん御存じの西部開拓史時代に非常に丈夫だということでデニムの生地というか,物すごくジーンズというものが発展していって,そしてそれが1990年後半からファッションの中にも非常にデニムが取り入れられて,今はもう岡山はいろんな海外からも皆さん,いろんな生地のデニム,重さが違うものだとか,いろんな新しいものが開発されていますが──ちょっと横へそれましたけど,このアルルというところがその写真では非常に有名なところなんです。
これもやっぱりそれなりの歴史を持って──1970年とは言っていますけども。小さく始めたものがだんだんプロバンス──これもやっぱり周りにプロバンス地方といういつも年間を通して非常に気候がよくて,プロバンスって多分皆さんもお聞きになったことがあると思うんですが,食べ物もおいしいですし,そういうところにだんだん。ですから,何かいつも発信をするときに,発信のもとは小さくても,そこに何か魅力が出てくるとそこにいろんなものがついてくると,私はそれがすごく大事だと思うんです。何もその幹だけでずっといくということは非常に難しいと思うんですけども,やはりこれもこういう──ここに集まるとこのまちの魅力──アルルというのも闘牛があったりとか,非常に古い中世のまちですから,そういう中のまちが持っている魅力だとか,そういうものを集めていったことによってだんだん大きな一大イベントとしてなっていっている。
ここにもありますけども,建物は広いし,いろんな写真を展示したり,古代美術館,ですから何もどこどこ美術館の中だけで展示するんではなくて,まち全体が展示会になっていってしまうみたいな,そういうまちおこしとしてやるんではなくして,まち自身がそういうことの中にどんどん入っていってしまうという。だから,まちおこしのためにわざわざやるというよりも,そういうふうにだんだんまちが──じゃあ,せっかくそういうものがあったらうちにも飾ろうよとか,そういうお店の方が協力し合っていろんな写真を飾っていったりなんかしている。そこに結局,今度はここにいろんなシンポジウムがあったり,ワークショップが開かれたりとかで,写真家はこうした坂の上へ集まってきて,キュレーターがここへ来る。ここへ来ると必ず,君,腕がいいね,じゃあこういうことをやってみないとかという,そういうキュレーターが出てくる。そこで,結局,若い人たちが,これから頑張って写真をやっていきたい人たちがそういうところでいろんなキュレーターと知り合う。こういうところで知り合った人が世界レベルの写真家になることもあります。全員ではないですけども,やはりどの世界も同じですけど,全員うまくいった人というのはいなくて,やっぱり何人かが,非常に力がある人が最終的に世界レベルになっていくんです。でも,そういう1つの場,世界中から人が集まってきて,キュレーターも来れば,ギャラリーも来れば,写真家も来れば,それから若いカメラマン志望者も来ればというところの1つの集まる場所として,それはフォーラムですよね。そういう場が結局,このアルルというところに例えばできている。
一時,ちょっと衰退したという話もあったんですが,また最近,このアルルも大分元気がよくなってきているみたいですけど,これが有名な古代のいろいろと──まさにグラディエーターの時代ですよね,ローマと同じような。アルルとかって,この辺って完全に昔,ローマに侵略されていた時代のまちですから,こういうふうなものが今でも中心にあります。
これは,たまたま杉本博司さんという,2013年で2年前ですけど,発表した作品がこういうところにあったりとか,要するに,まちの中がこういうふうに,いろんなところに所狭しと写真が飾ってあると,こういう雰囲気になっていくんですけども。もちろん中のギャラリーの中できちんとしたところでも,こういう形で発表されています。ですから,先ほどの映画祭だとかパリコレも同じなんですが,ある決められた場所で非常にある程度のレベルで発表される人もいれば,本当にまちの中で,どこかのカフェなりレストランなりでちょっと場所を借りて作品を飾らせてもらって,そこで自分を売り込んでいくというやり方で,いろんなのがあるんですけども,そうやって,結局,ここに来ればいろんな写真家の卵たちがやっぱりプロの目に触れてもらえる時間が,タイミング──タイミングという時間があると。
もう1つだけなんですけども,これも今度,国際的な漫画祭があるんです。これ,漫画祭といいましても,日本のアニメとはちょっと種類が違いまして,向こうでは皆さんが結構日本でも映画にいっぱいなっていますけど,マルベルだとか,ああいうかたいハードな漫画ってありますよね。漫画本ってごらんになったことはありますか。結構ハード──かたい,結構大判の──ちっちゃい我々がよく目にする漫画ではなく,大判のやつなので,A4以上になりますかね。かなり大きくてかたい,表と裏はハードなやつで,中に結構色彩豊かな絵が描いてあって,スーパーマンですとか,バットマンだとか,ああいう類いの,マルベルなんかはそういうのが得意なんですが,そういう絵,漫画,バンド・デシネ──B.D.とフランス語ではいいますけども。
それが今度,これはちょっとおもしろくて,必ずしも海岸には近くないですが,アングレームというところがあるんですけど──フランスのここがパリです。これがさっきからお話ししている,この辺にあれがありますよね。カンヌがあって,ニームがここにありますが,アルルはこの辺ですか。今度はちょっと大西洋側に行ってしまうんですけども,ここにボルドー──皆さんよく御存じのボルドーのワインが有名なのがこれですけど,このちょっと北のところにアングレームというまちがあるんです。ここが先ほど申し上げた漫画の国際レベルの人たちが集まってくるところなんです,年に1回。
これは,ちょっと海が近くにないんですけども,やっぱりまちの雰囲気がこうあって,必ず下があって,ずっとまちが上がっていくような。フランスって意外と真ん中が高いんですね。山ではないんですが,フランスというのは周りが山脈に囲まれているという非常におもしろいところなんですけど,スペインとの国境にピレネーがあって,イタリアとがアルプス,それからスイスの間にジュラ山脈があってというふうにして,結構山脈で,山で囲まれていて,あとは平野なんですが,真ん中が盛り上がっているんですよ,少し。その盛り上がっているところに非常にきれいにまちがつくられているというのは,向こうのフランスの大体中央の──中央というか,真ん中辺の地域の特徴なんですけども。これ,国際漫画祭という。これ,いつもまだヨーロッパ最大級と言っていますけど,ヨーロッパで最大級ということは,やっぱり世界レベルで最大級ということになるんですけども,フランスの最も古い漫画関連のイベントという。ここにも書きましたけど,漫画界におけるカンヌと同じようなレベルだというふうに言われています。
こういうふうにして,いろいろと──これもアングレームとこういう字で書くんですけども,これが来年の1月の29日から1日までアングレームで今度また来年ありますよという,これはたまたまこういうのが見つかったもんですからちょっと書きましたけど。フェスティバルというのは,日本語ですと,何かちょっとフェスティバルというとブラジルの何かやあっという感じに思われてしまうと思うんです。こういうお祭り全体を全部フランス語ではフェスティバルという言い方をするんです。ですから,カンヌの映画祭もフェスティバルですし,洋服に関してもやっぱりフェスティバルという言葉を使います。
こういうのがありまして,それで,今度,世界的に有名な,これがファッションなんですが,ちょっと一瞬,神戸に重なるかもしれませんけど,こういう登竜門となるフェスティバルもパリでは──パリにも実は1つあるんですけども,有名なのが2つありまして,もう1つがイエールという──これ,イエールってまちの名前なんですけども,これも南仏の小さなまちで──人口何万人かな──本当に小さいまちなんですけど,ここのこれでやっぱり国際的な写真と,それから洋服のフェスティバルが開かれるんです。イエールというのは,これまたしつこい──済みません,しつこくて,南仏が多いんですけど。南仏って暖かいということと気候が温暖であること,大西洋って太平洋と同じでやっぱり外洋ですから,非常に天気が変わりますけど,やっぱり地中海ってある程度,地中海って大きな池──池ということはないですけど,湖みたいなものですから,やっぱり全然海の荒れ方も違いますし,やっぱり温暖なんですね。ですから,この辺で時々水が出たりはしますけども。この中にあるイエールって,これがそうなんですけども。
トゥーロンというのがここに書いてある,この辺がマルセイユなんですけど,トゥーロンというのは,フランスの海軍の軍港の大もとです。ここにフランスのシャルル・ド・ゴールとかと言われているああいう航空母艦なんかが全部ここに集まっていて,トゥーロンはフランスの海軍の本拠地なんですけども,ここのすぐ近くのイエールというところで開かれます。まちの雰囲気がこんな雰囲気です。ですから,やっぱりちょっと上がっていて,まちがずっと,町並みがあって。
これは,ちょっとしつこく書きましたから,これを全部読むのは面倒くさいでしょうから別にいいんですけど,初めは,やはり小さく学生を中心として,何となくその学生たちが集まってやっていたものが,これはイエール市にいた職員の1人が,だったら,そういうふうなのがやっているんならば,ちょっと市として何か手伝おうやというところからスタートをしていったのがだんだん大きなフェスティバルになっていってしまって,10年ぐらい前からパリコレのやっている
パリオートクチュール協会もこのバックアップに入っている。ですから,ただ洋服を見るだけではなくて,いろんな今の現状のパリというのは,ファッションはどうなのかとか,そういう討論会だとか何かが,いろんな海外から有名な著名人を招待して,その人を講師としていろんな──タブルフォンデュとフランス語で言うんですが,要するに,そこでいろんな講演会が開かれたり,それからその人を有名なデザイナーなりなんなりを呼んで,その人をみんなで質問していろいろと聞いたりとかと,そういう新しいイベントがどんどんここ10何年間で出てきています。
実は,
神戸ファッションコンテストの出身の星野貞治君と,これが2000年──さっきちょっと1回目の審査をパリでやりましたと言ったときに一番奥にいた彼なんですけども,彼がこれに入賞しましたし,ことしの──2008年のさっきお見せした一番左の彼,ちょっと覚えていてくださいと言ったと思うんですが,彼がことし,ここで優勝しました。日本人では初めてです,優勝は。10名の中に入賞した人は何人もいるんですけども,優勝したのは彼が初めてで,私もちょうどいてとてもうれしかったですけども。彼の写真が出てきます。彼の許可をとらないで撮っちゃったけど,問題ないんでしょうねなんて。これがこんな開催,ことしで29回目だったんです。ですから,やっぱり非常に長い時間続いていた。
本当に初めは,今でも私は覚えているんですが,初めのころって,まちの公園の中に,要するに,イエール市がどこかのサーカスで,サーカスの公演をしないところのサーカスのテント──丸い──ありますよね。あのテントを借りてきて,それをその公園の中に設置して,その中でやっていたんです,このフェスティバルを。その中でショーをやったりいろんなことがあって,私はその時代から行っていたんですけども,なかなかおもしろかったです。
写真というのは,後から,さっきのアルルとはまた違った写真展をやろうと。これと違ってプロを対象にしたもので,アルルは一般の人が──一般というか,若手を対象にしていっていますけども,ここは本当にプロのものを対象にしています。これがさっきの松重君のことしの優勝した彼の──実はこんな顔をしていますけど,左側にいるちょっとおっかない人は私ですけど,非常に日差しが強いので,私,ちょっと目が結構痛くなるような,明るいものですから,それでこの後ろに「Kenta Matsushige」と書いてあります。彼は大阪エスモードを卒業して,フェスティバル,神戸のあれに受かって,神戸のきのうやった
ファッションコンテストに受かって,それでパリの
オートクチュール協会という,
オートクチュール協会が持っているそこの学校に彼は入って,2009年から行っていて,ことし優勝して,また私もうれしかったですけど,これが発表されたときですね,「Kenta Matsushige」と書いてありますけど。これが彼の服です。こういう服を彼は出したんです。
逆に皆さんがこれを見て,とても女性の方なんかが見てどう思われるかと思うんですけど,着てみにくそうな服ではないですよね。要するに,コスチュームじゃなくて。要するに,コスチュームって,映画か何かに出てくるようなボディーコンシャスな服みたいになりますと──本当にすっとしたやっぱりきれいな,しゅっとしたいい服だなと思います。こういうものが逆に評価されて,こういうディテールにちょっと凝っていますし,なかなかいい服で。これも彼です。
ここにたまたまいる,ここにいるこのおじさん,それからここにちょっと下を向いているこの人,この人はというと,これは,今現在,
オートクチュール協会の理事長です。ラルフ・トレガノという男なんですけども。彼は,昔はたしかクロエか何かの社長をやっていた人なんですけども,この辺,こういう人たち,これは──これと言っちゃ失礼だけども,彼はステファンといいまして,彼も
オートクチュール協会のやはり常任の理事をやっている男で,この2人が今,パリの
オートクチュール協会をいじっています。いじっているというか,牛耳っていますけど。2人ともそれぞれにいろんな経験を──彼はずっとエルメスにいましたし,そういう人たちがやはり来る。極端に言うと,日本でいえば,日本の場合とちょっとそういう山本耀司の社長さんとか,イッセイミヤケさんところの社長さんとかというのとはちょっと違うので,ちょっと同じのはうまく日本では見つからないんですが,そういう人たちもこういうものには見に来る。
だから,わざわざパリから。週末にやるんです。必ず金曜日に始まって,土・日がメーンでやりますので,週末にやるから,皆さん──ここに来ることの大きな楽しみというのは,ヴィラノアイユって,これは向こうの市が,イエール市が管理しているそういう昔のお城があるんですね。そこが今,一般の人が見られるようになっていて,雰囲気としてこんなんになっているんですけど,昔は城塞があったところなんですが,ここにみんな,このフェスティバルに参加する人間が適当にみんなで座ってわいわいといますし,こうやって皆──もう天気がいいです。4月ですから,かなりいいお天気なので,みんなここで芝生にごろごろ寝て。このとき,たまたまこれはおととしなんですが,山本耀司さん,一応,日本を代表する御三家と私ども業界では言いますけど,日本を代表するデザイナーさんというのが3名いるんですけども,この山本耀司さんと川久保 玲さんという方と,あとは三宅一生さんと,この3人の方が日本を代表する世界的に有名なデザイナーさんですけど,あともう1人,忘れてはいけないのが高田賢三さんという方がいらっしゃいますけど,高田さんという方は,ほとんど日本人というよりもフランス人という見方をされているので──フランス在住ですし。
たまたま私が行ってこの写真を撮ったときは山本耀司さんがいて,こうやって,例えば,さっきお話ししたみたいに,山本耀司さんがこういうフェスティバルの会場に呼ばれて,ここで──彼は,たまたまこのときにも──これは映画監督なんですけど,フランスの。映画の中でのそれこそまさにコスチュームですね。映画の中でコスチュームをつくるときに,一体じゃあ,こういう服飾デザイナーであったら山本耀司さんなんかはどうなのかとか,そういうことについての討論会をここで進めていく。IFMというフランスのファッション学校で非常に有名な学校の先生がどんどん話を引っ張って,司会をやりながら,監督と,それから服をつくった山本耀司さん──主に北野 武さんの「Dolls」という作品があるんですが,これを山本耀司さんが服をつくったということで,その「Dolls」の衣装について随分質問攻めに遭っていましたけど。
これはちょっと突然,余り関係ないんですけど,なかなかいい写真がなかったので,この写真しかなかった。この男がもとはイエール市にいて,イエール市の職員だった人がこれを1つ独立させて,今ではこれの全部のフェスティバルの大もとのところをやってパリにいますけども,この男が,ジャンペルブロンという彼がまだ若かりしころ,このイエールのやつを1つの大きな組織というか,そういうフェスティバルに育てていった男です。
さっきの話に戻りますが,これが山本耀司さんが講演しているところをみんなこうやって──これは,みんなが身につけているのは全部,要するに,同時通訳が入りますので,それ,皆さん,言葉がわからない人たちが同時通訳を。ですから,多分この方はフランスの方ではないと思うんですけど。ここにいる,たまたまこの男性,この男性は,フランスの紳士服──メンズですね──紳士服の推進をするフランスの協会のやっぱり理事長の方です。ミスターミズレーという方で,この方がいなかったら,日本は,フランスの紳士服はそこまで伸びなかったというぐらい言われているちょっとレジェンドな方で,なかなかいい方ですけども。
イエールのまちというのがこんなふうな雰囲気ですか。ですから,要するに,一番初めって何でも小さいものから始まっていると思うんですね,私は。ですから,初めはファッションの何か集まりで学生たちが集まって,じゃあ多分イエールというまちが非常に風光明媚だし,ちっちゃなまちだし,楽しいし,じゃあそこに集まって何かやろうよといったものがどんどん大きくなって,そこにだんだんまずはイエール市が入っていって,最終的には──パリ市とか国は入っていませんけども,要するに,今度はパリのそういう
オートクチュール協会というフランスの──フランスというか,世界レベルでやはりファッションを担っている,そういうところの組織が入ってきて,そういう新しい,今度はどんどんインテレクチュアルな,ただただ服を見てはいいね,いいねというだけではなくて,もっとインテレクチュアルなものになる。
さっき申し上げた松重君なんかが,ことしあたりに優勝した彼になると,例えば,ルイ・ヴィトン社はどうだとか,それからディオール社がどうだとかと,そういうところからいろんな形でバックに入ってくる。お金だけを出すんではなくて,例えば,そこで1点つくっていいとか,それからどこどこに研修に行きなさいと。例えば,フランスは刺しゅうだとかなんかが非常に有名ですから,そこの刺しゅうの有名なところに彼は1週間なり2週間なりを無料でそこで研究することができるとか,いろんなチャンスが与えられる。そのチャンスが与えられるというのは,私に言わせると何が大事かというと,いろんな人たちと知り合えるということなんです。フランスの,またはフランスにいる海外の人も含めたそういういろいろな業界の偉い──偉いと言ったら変ですけど──人たちと知り合うことによって,健太ということで別な認められ方をされていく。結局,それが彼を引き上げていくことになるので,私は,将来,彼を非常にちょっと期待しているんですけど。
でも,本当は彼だけじゃなくて,それこそきのう受かった人たちも今後,例えば,イギリスに行ったりフランスに行ったりローマに行ったりしますけど,彼らだってそういうチャンスがないわけじゃない。だから,きのうも彼らに,君たちは今もう本当に出発点に立ったんだよと。だから,海外に行くということは,ただ洋服を勉強しに行くとか,学校に行って毎日通ってやってくるとかということだけではなくて,大事なことは,全部,生活して毎日,毎日のことを君らがどう吸収して──私は別に,彼らにフランス人になってほしいとか,イタリア人になってほしいとかと思っていないんです。私自身も自分がフランス人になったと夢にも思ったことはないですから。それは,どんなにやはりフランスに長くいようが,私はやっぱり絶対自信を持って日本人だと思うところがある。
やっぱりさっき申し上げたように,私の生活文化の一番基本になっているのが日本ですから,やっぱりお正月に御来光を見に行きたいなとかと思ったりとか,例えば,皆さんとお話をすると自動的に頭がおじぎをするとか,やっぱり出てきてしまいますし,フランス人とか外国の人にぐんと立ったまま,おうっと握手というのはなかなかできませんし,やっぱりそういうのというのは,習慣としては海外にいればそういうことができますけど,やっぱり日本に帰ったら私はきちっと自分が日本人になれているとよく思うことがありますし。
そういう中で,外国人になる必要はないけども──ただ,日本にないもの,日本をベースとして。だから,逆に言えば,フランス人ならフランスをベースとして日本に来て日本のものを学べばいいし,日本にいる人は,海外に行くことによって,そこでまた学べるものがいっぱいあることによって人間としても広くなるし,いろんなおつき合いも広くなっていく。そういうものが発信していけるということ,どこかにつくっていかないと,なかなか日本にはありそうでないんですね。
東京でも私はそれが──強引に押していくというんではなくて,ただ海外に行ってきなさいではなくて,海外に行って何をそこでするのか,目的を持たせてやっているということがこのファッション協会がやっている
ファッションコンテストの大きな意味があって,外国に行って,じゃあ1年間行っておいでということは誰だってできることだと思うんですけども,そうではなくて,じゃあ今度は学生ではなくてプロを相手にしたときに,例えば,そういうプロをどういう形で神戸でどういうふうにしていくことによって,世の中に発信,世界に発信していけるのかとか,いろんなことが考えられる。
私はファッションが軸の人間ですので,ファッションから考えていくんですが。そこに今,例えば,世界的なレベルでよく言われるのが洋服とか食とかというのが一緒になり始めています。結局,そこでチョコレートだ,パティシエとかというのは皆さんも聞くと思うんですけど,そういうのと洋服のファッションというものがだんだん一緒に近づいてきている。ですから,例えば,そういうデザイナーさんがどこかのホテルの有名なレストランの洋服,ユニフォームをつくる。山本耀司さんも昔つくったことがあるんです,そういう洋服も。ユニフォームをつくってくれといって。それは,サーバーのユニフォームをつくってくれとか,そういうふうにして,デザイナーは,ある感性が,例えば,パティシエなり料理人なり,そういう感性と一緒になって,感性と感性が一緒に重なることによって,より1足す1が2でないものをつくっていこうというのが非常に今強く出ていると思います。世界レベルで出ていると思うんですね。
そういう中で,やはりパリに限らず,フランスとかイタリアとかスペインとか,もちろんドイツも含めて,ああいうヨーロッパって非常に敏感な国です。あと,ニューヨークももちろんそういう文化とかそういう芸術とかというのに敏感な国です。そういうところに対して,やっぱり何かお互いが物を発信していくこと,また受け入れていくことも必要だと思うんですね,発信するだけではなくて。そこで,結局,何かが交流できることというのは,そういう場というのが私は東京だけではなくてもいいし,例えば,神戸であってもいいなと。逆に京都というのはちょっとまた別の性格があると思うんですけど,京都というのは既にそういう要素があるけど,神戸ってやはり皆さん──多分,皆さん,神戸のもちろん市の方ですから,神戸の方ですけど,神戸にしても,皆さんが思っていられる以上に神戸という名前は通っています,海外では。大体,日本人の方っていつも私は思うんですけど,日本っていろんな形で知られているんですよ。
だから,それが意外と日本人の方は,非常に──私がそういう性格をちょっと失ってしまったのかもしれない,ちょっと引いてしまうところがあって,よく私,失礼な言い方を言うんですけども,すごい息子さんなりなんなりが非常に優秀でも,うちの息子はばかなもんですからというのが日本のやり方,うちの家内はどうとか,うちの主人は宿六でとかというのが日本の挨拶みたいになるところがありますけど,向こうの人というのは,うちの主人はすごくてとか,うちの娘は学校で一番なのよということを言うみたいなところがある。それは,もちろん発想が違うわけですから,それがどっちがいいということを私は申し上げたいんじゃなくて,海外でやるときには,やっぱり日本のいいところというのを自分たちから発信しないと,何か日本のこれはいいですね,例えば,神戸牛ワンダフルと言ったら何かそこでやっぱり引いちゃうんじゃなくて,いや,神戸って牛だけじゃなくていっぱいうまいものがあるんだぜということを発信していかないと,神戸牛で終わっちゃう。でも,神戸牛の方に言わせると,そんな海外に本物の神戸牛が行くはずないんですけどねとおっしゃるし,何か本当に限られているので,だから──でも,実はどこの国へ行っても神戸ビーフと出ているわけですよ。だから,あれは何流品なのかなと思うんですけど,神戸ビーフという名前がついているビーフがいっぱいあるので,もしかしたらどういうものを食べているのかわからないですけど。何か前に神戸で,それこそ神戸牛の専門の方と市役所の方と話していたら,あんなに出るわけないんだけどなといって,年間でもせいぜい4,000トンとか,そのくらいしか本当に認定されているものがないとなると,これはフランスのワインと同じで,途中で何かあるのかなと思ってしまって,私はそれが知れたことがないんですけど。そういうふうにして。
でも,例えば,神戸牛というか,神戸といったら皆さんは牛と思うこと,海外の人は。これって大事なことだと思うんです,私は。牛で終わっちゃいけないだけであって,そこにじゃあ何がついて,じゃあ牛もあるけど──豚もあると言っていいかどうか別ですよ。ただ,神戸は牛だけど,これもある,あれもあるというものがそこで会話として出てくれば,やっぱりそうなんだねとなってくる。そういう意味では,やっぱり神戸というのは,結構,私は歴史的に見ても,非常に短い歴史のまちではないですし,いろんなおもしろいことがいっぱい──おもしろいことと言うとちょっと語弊がありますけど,語れることがいっぱい──私は,神戸というのは,たまたまおつき合いさせていただいている中で,神戸というまちのいろんなことを読んだり見聞きしているうちにやっぱりいろんなことが発信していけるおもしろさがあるなということをよくつくづく感じています。
既に
神戸ファッション協会が神戸から世界へとうたっているわけですね。うたっていると言っちゃあ──これがきのう,私がずっと今やっていることで,ここにあるように,フランス・イタリア・イギリスのファッション系大学や専門学校への留学支援のプログラムをしていると。ここで,90名になります。これはこれでいいんですが,この次の大事なところは,ここに世界を舞台に活躍するデザイナーを目指す方々にとって,
神戸ファッションコンテストが世界への第一歩となるように,ファッション都市神戸は,日本,そして世界のファッション業界の次代を担う若手クリエーターを支援する,これがもっと私は必要だと思うんです。それがせっかく,例えば,神戸市の今やっていらっしゃる──これ,41回目だったんですね,きのうのやつが。41回って,外国の人たちは驚きますよ,みんな。41回もこれをやっていたの。海外支援というのは,海外の学校支援というのは20年ちょっとだときのうおっしゃっていましたけど,やっぱり20年続けるって大変なことですよね。
私が,変な話が,だから,
神戸ファッションコンテストというのは私がフランスへ行った年から始まったんだと。何かもうちょっと気が遠くなるぐらい昔ですよ。私,先ほど申し上げたように,今41年目ですから。フランス在仏で41年目ですから,あのときからだと昭和48年ぐらいにスタートですから,あのときはまだ髪の毛がいっぱいあったし,元気だった時代だなと思うと,ちょっとそれは驚くぐらいに長い。だから,これだけのものを持っているというのはすごい財産だと思うんですね。だから,ファッションに関しては,やっぱりこれはすごい持っているし,私がこんな生意気なことを言っているんです。これは,審査委員長としての紹介の中で言っているんですが,この下のほうはどうでもいいんですけど,これが,こんなことを言っちゃったんですけど,君たちの才能のチャレンジは,世界が相手だと。やっぱり世界ということをいつも意識したもの,そういうチャレンジというか,そういうことが──これは,個人もそうでしょうし,逆に言えば,それぞれのブランドもそうでしょうけど,例えば,まちだって市だって国だって,全部やっぱり世界に対してチャレンジしていくということ,これが非常に大事なことなんじゃないかなというふうに私はいつも思っています。これから,じゃあ神戸から何を未来に向けて発信していけるんだろうというのを本当に私も何か,もし微力ながら参加できるんなら私も何か皆さんと一緒にそういうことを考えていきたいなと思っています。
御清聴ありがとうございました。何かちょっと拙いお話しでしたけども,ありがとうございました。
4 ◯委員長(吉田謙治) 意見陳述は終了いたしました。斎藤様,どうも大変ありがとうございました。
ただいま11時半でございますけれども,ただいまいろいろ意見陳述いただきましたことについての御質疑がございましたらお願いをいたします。
先ほど,御質問はと言ったら誰も手が挙がらないというお話もありましたけど,そんなことはありませんので,ここでは。
5 ◯委員(岩田嘉晃) どうもありがとうございました。
実は,今41回ということで,神戸がこうしたことで世界への発信ということで神戸ファッションも開催しているということで,実は恥ずかしながら私たちも余り知らなかった部分がございまして,そして意外と神戸は海外では通っているんだよということもお話しいただきました。
ところが,神戸市民の皆様方は,そういったところは全く知らないと思うんですよ。多分,日本の国内の方々もそういったところについては,神戸をそういった意識した目で見ていないと思うんですね。国内の方が知らなくて,そしてこうした賞をいただいた方々が,先ほどのお話のありました松重健太さんですか,2014年で優勝を初めてしたということで,本当に名誉のあることだと思います。こういったところの国内での発信というのが,この仕方というのを,それは行政も悪いんでしょうけど,ファッション協会も含めて,もっと神戸としてアピールできるというような,そういったことについてはどういった方向の仕方,やり方というのか,発信の仕方というのか,神戸はこんなんをやっていますよということをちょっと今までの経験の中で教えていただきたいと思うんですが。
6 ◯参考人 やはりまずは時間がかかるということだけは事実です。これだけはどうしようもないことだと思うんです。これは,1年,2年でじゃあできるということはないです。例えば,あるそういうフェスティバル化をしようということをもししたとしても,フェスティバル化をしたとしても,やはりそれにかかわる方だけではなくて,世界に発信していくには,嫌な言い方をしたら,お金もかかりますし,それなりの人材を使っていかなきゃなりませんし,それと同時に,もちろんスピードは,今は,先ほどのイエールのフェスティバルなんかに比べると,今はインターネットですとかいろんなものがありますけど,やはりこういうものというのは,例えば,海外のファッション協会,向こうの協会とか何かとつながっていくこと,例えば,市としてやるのか,それともそれは
神戸ファッション協会としてやるのか,それはまたいろいろやり方があると思うんですけど,そういうふうにしてまずは海外に──私は,日本で──から日本国内に発信するのって難しいと思っているんです。
これは,何か日本の特徴なのかもしれないんですけども,あらゆるところで日本は分断化していく傾向が非常に強いんです。だから,みんなでまとまるというのが余り得意ではない国民性なのかなと思うことがよくあるんですが。例えば,ほかの国の方と比べちゃいけないんです──やはり日本の方って海外に行くと非常にちっちゃくまとまるけど,全体でまとまりにくいところがあるんですね。ですから,私は,逆に海外で旗を上げて戻してくる方法のほうが,神戸──神戸,例えば,発信でも。実は,発信は,神戸から日本国内に発信するんじゃなくて,ダイレクトに向こうからで,向こうから逆輸入方式で入ってくる式で,神戸ってそんなことをしているのとか,例えば,ああいうふうに思わせていくような方法のほうが手っ取り早い──手っ取り早いという言い方は失礼な言い方ですけど,時間的には早いんじゃないかなという気がします。だったら,例えば,5年とか10年とかというスタンスで物が見ていけると思うんです。
やはり少しずつ積み上げていくというのは大変なことですし,それだけの素材を持っていますけど,やはりじゃあ今から全部,いろんな今までのファッション協会でやっていたことも全部積み上げようと思うと,それだけで物すごい時間の無駄が出てきてしまうと思うんです。ですから,例えば,そこに1つある題材でいいものは,例えばですけど,もし神戸で海外から持ってこさせようと思うと,私はその中で非常に神戸にすごいものがあるなら,神戸ファッションミュージアムです。美術館です。あそこにあるものというのは,すばらしいものがあります。あれは,例えば,海外の中で,神戸の中でそういう──どういう組織にするのかは別として,そういう組織で,あそこで学術的な組織がつくれると思います。神戸ファッション美術館というので持っている──神戸ファッション美術館のある人が,何かこんな古着美術館は何だと言われたとかといって落ち込んでいる方がいましたけど,やはり確かに古着ですけど,でも,やはりそこでファッションとしての価値があるものが非常に多い。
ですから,それこそ今,我々が,例えば,ナポレオン時代の服だとか,そういうものの非常に貴重なものがいっぱいあるんです。あそこを見せていただいてびっくりするぐらいのものがある。例えば,ああいうものを基準に神戸がそういうもの──民族衣装も含まれていますから,民族衣装も,この間──ことしいつだったかな,何か夏ぐらいにというか春ぐらいに民族衣装のやつがあそこで展示会があったので,見に行って,驚くぐらいすごいものがそろっています。例えば,ああいうものを──あれ,多分なかなかうまくたくさんの人が来ないんだというお話になっていましたけど,それは日本国内で広げているからじゃないかと思うんです。逆にそれを海外で何らかの形でフォーラム──わかりませんよ,勝手なことを言っていますから。でも,例えば,そういう衣装のああいうあそこのファッションミュージアムが持っているものを幾つかのテーマ,それこそ民族衣装でもいいかもしれません。例えば,ナポレオン帝政時代のときの服でもいいかもしれません。
それぞれの歴史,そこに含まれたもの,服を中心としたそういうものを例えば探っていくための研究施設というのはいっぱいあります。例えば,私が昔お世話になった山本耀司さんをもう既に研究対象にしているようなところが海外にはあるんです,いっぱい。やっと日本も今,明治大学の方がそういうことを始めていますけども,日本ってそういうのがなかなかないんですけど,山本耀司研究とか,三宅一生研究とか,それから川久保 玲研究みたいなのが起こってきているんですね。それと同じように,あそこのファッション協会にあるもの,随分いろんなテーマがありますから,そこの中のテーマで,それこそフランスの協会なりなんなりかと,そんなのは私がお手伝いできるものならしても構わないですけど,初めは,例えば,そういう人を招待しなきゃならないと思います,多分。初めから自費で来てくれというのは難しいかもしれませんけど,そういうものがされていくと,やっぱりじゃあ神戸でそういうフォーラムが年に1回開かれる。だったら,それは何なのかということで,やっぱりそこで出版だとかなんだとか,映像だとか,いろんな形で海外に発信をダイレクトにしてしまう。それがかえって日本の中で,あんなことがというふうになっていく傾向のほうが日本を見ていると強そうな気がします,私が思うには。
ですから,そういう材料としては,例えば,現在,ファッション協会がやっていたこともありますけど,もうちょっとインテレクチュアルな考え方をするならば,ファッション美術館なんかの何かをテーマにしてやっていくということなんかは──すごい財産ですし,あれは。ですから,そういう財産を使わない手はないなと思うんですけども。これは1つのアイデアですけど。
7 ◯委員(岩田嘉晃) どうもありがとうございます。
実は,神戸ファッション美術館,僕が見て,いつもお客さんも少ないし,本当に大丈夫か,ちょっと感性が悪いんと違うんかと逆に思っておったぐらいで。
8 ◯参考人 おっしゃるとおりだと思います。私もそう思います。
9 ◯委員(岩田嘉晃) そうですか。そういった価値のあるものだよということで言っていただいたら,ああそうなんかと今思うことなんですけど。
先ほど,逆輸入のお話もございましたし,私たちとしても,また協会としても,行政としても,神戸で生まれた,そういった優勝された方々なり,そしてまた成功者をいかにして──神戸のこういった経緯で今活躍しておるんだよというようなことを発信するほうがいいということ。
10 ◯参考人 そうですね。だから,彼らがやはり何らのそういう──ファッション美術館のものとつながるかどうかは別ですが,そういう彼ら,何か,そういうときに,例えば,彼らに何らのレクチャーをしてもらうとか,そういうこともあるでしょうし,例えば,日本にももちろんそういうフランスとか,ファッション服飾史をやっている方,たくさんいます。
もう1つは,これはやっぱり権威づけというのが必ず必要ですから,海外から1人か2人,そういう服飾史に関して非常に力のある方をやっぱり。それは,権威づけとしてやっぱりそういうところにお呼びすることも必要でしょうし,そこでそういうことが,そういうレクチャーが行われるということ,それがオルビスホールでやればいいのかどうかはわかりませんけど,たまたま上にオルビスホール──きのう,私,いましたけど,ああいうところがありますから,ああいうスペースというのを使って,もっと人が動く,人があそこに集まっていくようになれば,またあの辺って復活していくような気も──何かちょっと寂しい気がするんです。昔,あそこ,スタバがあったのに今はないじゃないみたいな話をきのう,イギリスの先生に言われて,ないよね,本当にと,私,あそこ,スタバが好きだったのよと言われて,そう言われてみれば,ここ2~3年,スターバックスもなくなったなと思うんですけども,やっぱりそういう人が集まらなくなっているということをちょっと向こうの方もおっしゃっていたので,何かあそこにファッション美術館があって,あれだけの立派なホールがあって,もったいないなという。私だったら何かついちょっとおもしろいことがいっぱいできそうな気がするんです。もちろん私ひとりでできることはないんですけど,あのファッション美術館というのは1つの大きな財産だと思います,神戸市の。
11 ◯委員(岩田嘉晃) また,御指導のほうをお願いします。
12 ◯参考人 こちらこそ。生意気に申し上げましたけど。
13 ◯理事(平木博美) 済みません,今ちょうどファッション美術館のお話が出て,私,議員になってすぐにいろんな施設を見学に,いわゆる視察に行く機会があって,何かわからないところだなと思ったんです,一番最初に行ったときに。それで,いろんな方にお伺いをすると,今,先生がちょうどおっしゃったような,とにかく世界に誇れるコレクションを持っていて,出ているものはテーマに沿って一部しか出ていないんだけど,この奥へ持っているものがすごくて,すごいんだという話をいろいろ聞く,聞く機会を足し算していくと,すごいのにうまく使えていないんだなと,集客とかという意味では非常に難しいところがあって,専門家のための美術館になってしまうのかな。なかなか市民とか,いわゆる世界のアピールができていないんだなというのは,今ちょっと質問が出ましたので──ですけど,課題として感じたところなんです。
何度か実は質問したこともあるんですけど,なかなかうまく行政もうまく前にいくことのアイデアが出てこないというか,やっぱりいろんな違う知恵もおかりしたいなというのがあるんですけど,先ほど,ファッション美術館のオルビスホールとかでお使いになって,ファッションセミナーを2回やられたけど,2回でとまっちゃったとおっしゃいましたよね。実は,そのファッション美術館をいろいろ発信源にするようなところでも,課題があっていろいろとまってしまっているところがあるんですね。これ,2回目でとまってしまったのにも神戸の抱える課題があったというふうに考えたらいいんでしょうか。
14 ◯参考人 結局,もちろん財政的な問題もあったんだと思うんですけども,やはり多分,準備なさるほうの役所の方たちも大変だったということもあるのかもしれませんし,私もよく詳しくは,──ただ,2回で残念ながらということで一応お話をいただいたので,余り私も詳しくは突っ込んでお話しはしていませんけども,やはりいろいろと。
結局,どうしてもそういうことをやるときに,これは海外でも起こることなので,別に市だろうが国だろうが同じだと思うんです。あることってやっぱり,さっきも言いました幹の大もとって細いじゃないですか。ボールペンの芯ぐらいしかないものにいろんなものが,結晶がついてくるのに時間がかかりますけど,それが,ちょっと見ている方,横から見ている方には耐えられなくなっているのかもしれませんね。変な言い方ですけど,要するに,結晶がついてある程度──それこそ,この間ちょっと向こうの中国の漁船が何だかみんな日本からかっさらっていくとかとあったみたいな,ああいうサンゴだって,結局,あそこまでいくにはやっぱり大変なわけで,何でも,何かそれが急に大きくなって,わあっと日本の中で,例えば,神戸にあったらすごいねというのは,多分なるには,やっぱりそれだけの回数とか,そういういろんな発信の仕方があるし,やっぱりそういうことというのがもうちょっと私自身も含めて動ければよかったなと思うことも反省としてはあるんですけど,やはりさっき申し上げたように,本当は,あれは私なりにはテーマが5つぐらい先までつくってはいたんですけど,やっぱり海外の人を呼ぶ,海外で有名な人を呼ぶということって,さっき申し上げたように,権威づけという意味で非常に重要だと思うんです。
そういう日本人の方でもちろん権威のある方もいらっしゃいますけど,やっぱり日本ってファッションに関しては海外の方のほうが有名な方が多いですから,例えば,ファッション美術館であるとき──でも,例えば,ファッション美術館のさっき申し上げた交流,学術交流だったら,私が今現在,客員教授をやらせていただいている神戸芸術工科大学なんかは絶対協力してくれると思いますし,既に齊木学長なんかは,あそこはもったいないねとよくおっしゃっていますし,そういう形でもやれることがあると思うんですね。
ですから,そういう学術的なものでやっていく方法──学術的なものでやっていくと,どうしてもある程度レベルが高くなってしまいますから,一般市民の方を巻き込めないと思うんです,初めは。でも,初めは巻き込めなくても,そこにやっぱりそういうものが,すごいんだよ,あれはというふうになってくれば,やっぱり市民の方ってそうじゃないですか。毎日の生活がそれこそあるし,そういう市が何かやっているということで急にわっというふうにはなかなか動けない。でも,そういうもので,神戸の中で例えば行われていて,それが何らの形で広報を通して,いろいろとこんなことがあった,こんなことがあったと。それも,ずっとあそこの六甲アイランドの中だけで閉じこもっていないで,何かの発表を中心でやるとか,それが大事だと思うんですね。あそこだけにいると何かちょっと大変かなと思うときがやっぱりある。じゃあ,中心に出てくるとお金はかかってしまうかもしれませんけど,でも,やはり何かの大事なものはわざとちょっと大きく華々しくレセプション──レセプションでシャンパンをあければいいというものではないんですけど,何か──そういうときに市民の方に何か触れるようなものをやってみるように何か考えていくとか。例えば,じゃああそこにあるファッションの美術館のものを,出せるものをある時期だけ中心に持ってくるような,そういう企画ができないかとか,そういうことをすることによって市民の方の目にも触れていくこと。
いろいろ伺っていると,結構,六甲アイランドって遠いんだよねとおっしゃる方が多いので,そうかと。私も昔は,六甲何とかマーケットってありましたよね──ファッションマーケット。あそこにいっぱいお店が出ているころに私が来たときに,やっぱり遠いなと思ったことを覚えているんですね,実は。ですから,市民の方でも遠いとおっしゃる方がいるので,だったらそういうものの何か非常にコアなものはそこで行われても,何か見せられるもの,やっぱり変な話が,それ,大事だと思うんです。見せるということは,非常にショーをするということが大事なので,それは何らの形で中心でやれるようなことを企画していくとかといういろんな手はあると思います。
そういう意味では,それこそ神戸芸工大なんかも参加させて,そこから,海外から人が来て,極端に言えば,本当は一番理想を言えば,ヨーロッパだけじゃなくてアメリカからも南米からもいろんなそういうファッションの人が。IFTIという世界中のファッション学校の大きな集まりがあるんです。こうなると,インドだとかなんかも非常に来ます。私も結構いろんな方と知り合っていますから。ただ,問題は,そこで,彼らが自費で来てくれるかどうかの問題が出てくるだけなので。でも,そういうのだったら,初めのうちは何人か御招待しなきゃならないかもしれませんけど,だんだんに,例えば,こちらの宿は提供するけど,飛行機賃は自分で出せとか,いろんなカテゴリーをつくる必要があると思うんです。要するに,全面招待とここだけ招待とか,レセプションだけ招待とかいろいろあって,やっぱりそういうふうにして。
でも,やっぱりそこに来て何が大事かといいますと,いろんなフランスで行われている,例えば,カンヌの映画祭でもそうですし,こういうフェスティバルだとか何かが行われると,そこに顔を出して自分がいたよということのそれぞれの立場の人が,それってすごい大事なことなんです。私もやはりパリで何かいろいろとパーティーがあると,このパーティーは行かなきゃなというのが──斎藤さんもいますという面を売ってこなきゃならない場面ってやっぱりあるんですね。そうすると,ああおまえ,元気でやっておるかという,そういう交流というのが必要で,先ほど,例えば,フランス紳士服協会の理事長がいますよといったら,例えば,彼らがフェスティバルのイエールに来るわけです。それから,例えば,プルミエール・ビジョンというフランスで,世界でも一番と言われている生地展の社長だとか,そういう連中もみんな来ますので,それが交流の場になっているわけです。
これは,1個外れた,肩の荷がちょっとおりた,立場を外した状態で皆さん会うわけです。みんな,だからTシャツに非常に気楽なチノパンか何かをはいて,おおという感じで,ふだんだとみんなスーツを着てぴしっとしている連中が半分リゾート気分で来て,飯を食いに行こうぜと肩をたたき合ってわいわいと御飯を食べにいくという,そういう場をつくると,どうしてもやっぱりそこで顔を出しておかなきゃならない人って出てくる。そういう場面もつくっていくことが必要だと思うんですね。
そのためには,極端に言えば,中央を動かすぐらいの人間を神戸に引っ張ってくることも必要かもしれませんし,将来──将来ですよ。今すぐ連れてくるんじゃ──だから,そんないろんなことというのは仕込めると思うんですけど,やはりイタリアとかフランスとかでそれぞれ服の協会,ファッションだけに限らず,いろんなそれなりの人というのはいますし,そういうのも引っ張ってくることも必要かもしれないし,そういうこともやってみたいなと思ったことがあったんですけど,セミナーの中で,そういう──先ほど言った2名の女性の方が,ミリアムさんもクリスティーヌさんもそれなりに業界で向こうでは非常に有名な方なので。ただ,日本で知られていないかもしれませんけど,私は向こうで彼女たちが逆にこういうことを神戸でやってきたよということで,向こうの中でそれが有名になってほしかったんです。ことし,それが戻ってくると思ったんですけど,ちょっと後々2回でとまってしまったので,終わってしまいましたけど。でも,彼女たちはやっぱり言ってくれましたもんね。神戸ってねと,私なんかが一緒にいると──私が一緒にいなきゃだめなんです,そのときに。そうすると思い出してくれるんです。例えば,こういう場面がある。そうすると彼女たちが行く。私も横にいると──私,統という名前ですから,統とこの間,神戸──神戸って知っているよねと,みんなうんうん知っていると。神戸のまちへ行ってこんなことで,私,こんな話をしてきたのよとかと言うと,ほうとなって,じゃあ統,おまえは神戸で何をやっているのと,こんなことをやっているんだよという話が広がって,そういう話題の中に織り込んでいくということが非常に大事で。ですから,1回目はみんな忘れている。今度,じゃあクリスティーヌさんと一緒にいて,また統と一緒にこの間,神戸でこんなことをやってきたよと,へえっということでだんだん神戸というのがそんなことをやっているまちなんだねというふうになっていくにはやっぱり時間がかかるんです,残念ながら。
ただ,そういうことというのはやり続けていかないといけないかなと思いますし,それが逆に,さっきお話ししたように,逆にバックされてくることになると,これはちょっと日本国でも捨ておけなくなってくるかなと私は勝手に思いますけど,こっちから発信して神戸でこういうことをしています,していますと言っても,多分日本のファッションにおいてはちょっと難しいかなという気がします。だから,逆に向こうから持ってきたほうが。バイヤーさんじゃなくてデザイナーさんがよく海外に行くんです。海外で,パリだとかベルリンだとかで展示会に行くんです。どうしてかというと,そこだと日本の有名なお店または百貨店のバイヤーさんは全部行くわけです,そこに。やっぱり日本人の人だと,おまえ日本人ということで──当然知らないわけですよ。日本にも何千,何万,何千,何万とブランドはありますから。でも,パリでやっていると,そういう日本で非常にレベルの高いところのバイヤーさんたちにやっぱり目をとめてもらう機会がある。やっぱり大事なことは,名刺交換ができる。顔をお互い見知って,それで日本で商売を続けていく。だから,中には,パリに展示会に来た目的というのは,日本のお客さん,日本のバイヤーさんと知り合いたいからだという人もいるんですね。それも1つのストラテジー──戦略だと思います,私は。正しいと思うんです,それはすごく。
だから,僕はいいんです,フランス人の方,外国の人に売れなくてもという方もいるんです。私,正しいと思います,それも。いろんな海外に行くというのはいろんな意味があると思うんですね。パリコレで有名になりたいという人もいれば,外国の人に自分の服をたくさん売りたいという人は,それでそういうやり方がありますし,日本に来るために海外に出ていくという,それで結構商売がうまくいっている人もいますので。それと同じとは言いませんけど,海外から戻してくるというのは非常に重要なところがあって,そういうそれなりのところに知られていくということは,私は非常に大事だなというふうに思っていますけど。
15 ◯理事(平木博美) それに関連して,逆輸入で神戸が外へ知られるようになるとかということは,私たちも,そのファッションの世界だけではなくて,とても大事なことだと思うので,そこに示唆があるような気がするんですけど。
私,たまたま松重さんをこの新聞で見たんです。これ,神戸新聞の夕刊で,6月に出ているんで,イエールが春とおっしゃったので。
16 ◯参考人 イエールのこれ,4月の29日ごろでしたかね。
17 ◯理事(平木博美) これが6月の21日で出ているんですけど,さっきも岩田委員も言っていましたけど,なかなかその
ファッションコンテストとかのことを一般の人が知らない。神戸市民なんかは知らない。知らないけれども,優勝された,海外で。それが神戸の
ファッションコンテストで出ていった人が何年かたって勉強した後で──これも20何年続けている,私,神戸がよくこの送るのを20何年続けてきてくれたなと思って,人材育成という意味でもすばらしいことをしている,すごいことをしていると思うんですけど,これが優勝されたことによってようやく市民のところへこういうのが──一部の新聞だったかもしれないんですけど,たまたま私は目にとまったので。
こうやって逆に,こうやってうちは神戸が送り出してきて,これ何,
神戸ファッションコンテストというのがちょっと全然関係ない市民の方と話題になったんです。知らなかったとやっぱり言われて,
ファッションコンテストって結構長い間やっているんですよとか,実は賞をとった人たちを何人も複数の人数を綿々と送り続けているんだと。いずれ神戸から出てきたんだよということが戻ってきてくれたらいいなと思って神戸は育てるいい考え方を持っていた神戸市ではないかと思って,そこは誇らしいような気がするんですけど,なかなか逆輸入してくるときに,これが大々的にそんなに急に取り上げられるわけではないので,神戸新聞さんもよくこうやって大きく書いてくださったなと思ったんですけど,これを市民にも知らせ,こういう,例えば,私たちが,神戸のまちというのはこういう文化も──ファッションも文化の1つのあらわれだと思いますし,こういう人たちを育てる土壌を持っているまちだということを思いっきり,やっぱりマスコミさんとか,雑誌とか,いろんなツールで知らせていかないと,市民ももっとやろうよというふうにもならないし,私たちもいろんな面で,送り出し,逆輸入して戻ってくる,時間がかかるかもしれないけど,それを自分たちが,まちが,神戸のまちはこういう土壌があるんだということを世界へ発信するようなツールにするには,たくさんいろんなマスコミさんとかなんかに協力を得なきゃいけないような気はするんですけど,先生のほうから,なかなか日本では発信するのが難しいとおっしゃいますけど,それは海外を使うということが1つのテクニックかもしれないけど,私たちの目に,市民の目にとまるためには,あるいは日本の国内のほかの人の目にとまるためには,日本のマスコミとかなんかも御協力をお願いしなきゃいけないですよね。いいテクニックがありますか。
18 ◯参考人 そうですね。ですから,今──テクニックといいますか,やはりそれは,本当は,全てだんだんお金がかかってしまうという残念なこともあるんですが,やはり初めは,これはフランスも含めて,どこでも何か起こるときというのはやっぱり招待というインビテーションをしなきゃいけないのもある。何かやはりそういう
ファッションコンテストの,例えば,きのうやったみたいな最終のやつで,一応,ランウエーショーがあって,ちょっと華々しいわけです,きのうのやつは。私の家内の友人のスイス人が一度見に行きたいといって,きのう見に来て,はっきり言って学生さんの,まだ素人さんに近い学生さんのファッションショーでも感激してくれたわけですよ。わあ,すばらしいといって,ショーを見て,もうワンダフルという感じで。
だから,そういう意味で,そういうところに海外の人がそういうふうに感激するという方が,例えば,日本のジャーナリストに何人かファッション専門の人がいますから,またあとブロガーというのがいます。往々に力を持っていますから。やっぱり何人か,私もブロガーの人も一応使ったことがあるんですけど,何か途中で離れちゃったみたいです。何人か私も知っていますし,例えば,そういうのをやっぱり──1泊じゃなくてもいい。日帰りですよ,極端に言えば,新幹線代だけ出してあげて,あと何人か集めてタクシーで新神戸から送ってしまえばいいんですから。だって,あれ,13時から14時で,その後,パーティーまで出席したとしても,パーティーが終わるのが6時ですから,十分東京へ帰れますよね,新幹線で。例えば,そういう手もあるかなという気がするんです。ちょっと日曜日,悪いけど,朝早く起きて新幹線に乗ってよということで,それは私が頼めばいいことなので。こういう電車賃とあれくらいで出るかなと。
例えば,そういう人たちでも,そういう人,彼らは,特にブロガーなんていうのは書かなきゃいけないので,何か自分たちが見てきておもしろいのがあれば書いてくれると思いますし,写真も載せてくれるし,人は,へえ,神戸でこんなことがあるんだという。そのときに,こういうこともあった,こういうこともあったという過去のこともちゃんと資料をつくっておいてあげれば,当然,その人たちは読みますから,ブロガーの人たちとかなんかは書いてくれるでしょうし。だから,雑誌にというと,結構,雑誌というと時間がかかるので,かえってブロガーあたりに,今はもうインターネットでやったほうが早いので。だから,そういうことは,残念ながら今回は終わってしまいましたけど,そういうもし予算とか何かがあるなら,例えば,私も引っ張ってこれると思いますし,何人か。ジャーナリストよりも多分ブロガーのほうがいいかもしれませんね。非常に敏感なブロガーは,要するにファッションに関して敏感なブロガーの人たちで結構頑張っている人たちは何人かいますので,そういう方法とか。ジャーナリストを引っ張ってこようとすると,ちょっと偏っていってしまう可能性があるので。今,余りファッションの全体のそういうのというのがブロガーのほうに力が入っていますから。その辺は何かいろんなことができると思います。海外からブロガーを引っ張ってくるのは大変ですけど,東京──やっぱり東京にどうしても集中しているんですね,ファッションが今。私,それがちょっと,さっきからお話ししているように,何でも東京にファッション──文化って特に物になると違ってくるでしょうけど,文化なんていうのはいろんなところから発信していけるし,神戸なんて発信力がありそうな気が私は個人的にはしているんですけども。
19 ◯委員長(吉田謙治) お昼が近うございますから,もうお一方。
20 ◯委員(上原みなみ) 済みません,貴重なお話,ありがとうございました。
私も皆さんと同じように,やっぱり41年,こうやって
神戸ファッションコンテストが開催されていることをきょう初めて知りまして,それでやはり時間がかかるのはそうかもしれませんけども,やはり41年もされていて,これほど認知度が低いというのはちょっと問題があるのではないかと思うんですね。
21 ◯参考人 私も実は参加させていただいたのは,さっき申し上げた2008年からなもんですから,その前のことは私もよく存じていないんですが,いろいろとやはり問題があったということだけは伺っています。やはり一度は,ちょうど私が入ったときが市の中で
神戸ファッションコンテストを本当に続けていくことの意味があるのかと,その分の予算はもったいないんじゃないかとか,そういうことがあって,たまたまそのときの責任者の人が,やっぱり活を入れてくれるような人をトップに置きたいということで,私がたまたま京都にいたんです,そのときに。そのときにファッション協会の責任者の方がわざわざ京都まで私に会いに来て,こういうことで審査委員長をやってくれないかということで,今現在こういう人が審査委員をやっているけど,これも全部一新して身を粉にして働きますと言うんで,それで私も言いたいことを言って,日本の審査委員を全部かえて,海外のほうも随分いじってとかで少し──私の力だとは言いませんけども,私は結構その辺をちょっと騒いだことは事実なんですけども。
本当にいろんなものに利用されて何か変なふうになったことがあるというようなことをちょろっと聞いたことがあります。私も詳しいことは知らないんですね。ただ,非常に残念だなと思うのは,余りアーカイブというか,昔のものが残っていない。資料がたくさん残っていなかったりしているので,それも本当に,そのときは2008年に私が参加させていただいたときにやっぱりそういうものをやらないとだめだよということで,少し何か資料を集めていて,何かそろえ始めているとかということも伺ったことがありますし,きのうもその話を部長としていたんですが,本当にそれをやらないといけないときに来ていますから我々もやりますとおっしゃっていましたけど。
確かにおっしゃるとおり,海外にこれをやっても41年。ですから,まさに神戸が
ファッション都市宣言をした年からやっていて,海外学生支援というか,この教育の支援,これはたまたま読売新聞の今の宮智さんという──昔から仲よくさせていただいているんですが,彼女がこういうコンテストというのはないよねと言って,すばらしいよねと彼女も感激してくれていますし,それで彼女にも──その前はちょっと別の方にやってお願いしたんですが,どうしてもその方ができないということで,たまたま彼女がパリに来たときにキャッチアップして,どうしても大事な話があると言ったら,何と言うから,実は僕,神戸でこういうことをやっているんで,審査委員をやってよと言ったら,そしたら何か,じゃあちょっと会社に戻って相談してみるわと,そしたら読売新聞の本社のほうもオーケーしてくれたからということで。それで,どうしても金曜日の夕方から来てもらわなきゃ──土・日とありますので,来ていただいて,やっぱりきのうもおっしゃっていましたけど,一番困るのは,審査していろいろ話しているつもりがいつの間にか取材になっちゃうのよね,私と言うから,ちょっと取材はやめてくださいと言って,新聞記者根性を出さないでくださいとかと大笑いしたんですけど,何かひとりで取材して,どうしてあなたはこうなのみたいな話をしちゃうんで,ちょっと違うでしょとかといってやっているんですけど。
でも,そういう中にいてくださる津村耕佑さんとか,ヨシキ・ヒシヌマさんとかもやはりおもしろがってやってくれますし,前にやってくださっていたデザイナーの方,今何人か,私が来てからも何人かデザイナーの方がかわって,昔は秋山さんとか別のデザイナーの方にもやっていただいたんですけど,みんなデザイナーの方たちもやっぱり非常に学生たちの──今の学生たちに何が足りないものかというのがよくわかるとか,非常におもしろがって──おもしろがってというのは,いい意味でとても楽しいねと言ってくださっていることもあるので,皆さん審査委員をやることがつらいとはおっしゃらないので,そういう意味でも,これを本当に何か1つの大きな軸が──だから,ファッション美術館があり,
ファッションコンテストがあり。
いろんなファッションというのは,私の中でいったら神戸ファッションって結構大事な時期がありましてね,昔。それって,何かいつの間にかそれが東京に行っちゃっているんじゃないかなと,何か変だなというのが私はあるんですね。私の中で結構,神戸ファッションといって,この業界に私が入ってから35年ですけど,結構,神戸ファッションってすごい時期があったし,そういうものを考えると,何かいろんな復活するものがいっぱい材料としてある。でも,メーンは,私は古着ミュージアムだと思います。古着がいっぱいありますから。でも,本当にファッション協会の持っているものは,何でこんな古着をいっぱい集めているんだと言われたとき,寂しかったと言っている学芸員の方がいましたけど,でも,本当にすばらしいものがあるので,ああいうものを利用して。だから,まずは市民さんの方に急に見ろ,見ろといっても,それはやっぱり皆さん,生活がある人も忙しいし,だから別の形で権威づけされていったほうがいいかなというふうに私は思っていますけど。
でも,本当にこの
ファッションコンテストは,私はまだしばらく委員長をやらせていただきますので,あと一度会いに来てください。皆さん,ぜひ来てください。ありがとうございます。
22 ◯委員長(吉田謙治) 済みません,お話は尽きないと思いますが,午前中はこの程度にとどめさせていただきまして,午後は1時から再開をいたしたいと思いますので,よろしくお願いをいたします。
どうも,先生,ありがとうございました。
(午後0時1分休憩)
(午後1時4分再開)
23 ◯委員長(吉田謙治) それでは,午前中に続きまして,ただいまから未来都市創造に関する特別委員会を再開をいたします。
午前中はいろいろとお話をいただき,また質疑も行いましたけれども,改めてここからは委員間討議を中心に行いたいと思いますけども,斎藤様にもお入りをいただいて,質疑応答の続きでも結構でございますので,それぞれ御発言をいただきたいと思います。
24 ◯理事(森本 真) 午前中の続きなんですけど,ちょっといわゆるファッションとかデザインとかという産業ですね。先生は,ビジネスチャンスがいろいろとあるということで言われたんですけども,1つは,デザイナーというのとメーカーというのとバイヤーというのと,それからつくるところ──工場といいますか,いろいろありますよね。それがどういうふうに,おのおのがどこでどうビジネスチャンスをつかんでいるのかというのが1つお聞きしたいのと。
もう1つは,全体的な話では,メード・イン・神戸ではなくて,フロム神戸か,僕,英語もフランス語も余りできませんが,ボーン・アズ・神戸というか,神戸生まれといいますか。
25 ◯参考人 ドゥ神戸です。デニムじゃなくて,デコベ,そのうちドコベになっているかもしれませんけど。
26 ◯理事(森本 真) そういうイメージで言われているというふうに思うんですけども,ただ,私,長田の議員ですけど,ケミカルシューズ,婦人靴なんかでいえば,今,神戸市が一生懸命言っているのは,神戸シューズというメード・イン・神戸を強調しているというか,それで権威といいますか,いわゆる地場産業でいい品ですよというふうに向かっているんですけども,それ以外にも外からという,外国からというふうなことを言われたんですけど,どういうふうにしたらファッション業界というか,靴も含めて,神戸の名が知られて物が売れるようになるかというのをちょっと教えていただきたい。
27 ◯参考人 まず,初めの1つ目の御説明をしますと,デザイナーというのとメーカーとその辺の違いというのは,デザイナーというのは,要するに,いろいろなそれぞれの産業の──それは洋服に限らないと思うんですけど,いろんな材料を集めてきて,最終的に──だから,料理人だと私はよく言うんですが,肉もあれば野菜もあればいろんなものがあって,それで1つのお料理をつくっていくみたいなところが結局料理人ですけど,デザイナーというのも同じで,どういう生地,どういう特徴がある生地を使ったらどういうふうになるのか,例えば,折れ曲がりやすい,要するに,コットンだからこういう動きがあるとか,例えば,ウールと違うわけですね,動きが。それぞれのそういう素材というものをどういうふうにそのデザイナーさんがどう料理できるかというのがデザイナーの仕事です。
ですから,同じ服といっても,例えば,日本の場合,三宅一生さん,川久保 玲さん,山本耀司さん──本当はそういう資料を持ってくればよかったなと思いますけど,残念ながら持ってきていませんけど,それぞれ服に特徴があるのは,やっぱりそのデザイナーという職業の人がある素材をどう表現したら一番自分の表現に近くなるかということをやるのがデザイナーの仕事で,メーカーさんというのは,どちらかというと,例えば,日本ですと大手が2つありまして,ワールドさん──昔は神戸のワールドさんか,または東京にあるオンワード樫山というのがそうですが,あそこはどちらかというとマーケットが主体なんです。デザイナーというのは,デザイナーの感性が主体なんです。
ところが,ワールドさんとか,そういう樫山さんだとかというのは,マーケットがどういうものを今,世の女性はどういう──やっぱり女性が相手が多いんですけど──どういうものを求めている,どんな色が好きだからこういうものを出そうということで,マーケット主体型で来るのと,もう1つは,金銭的に,例えば,幾らぐらいだったらば──時代によって違うんですね。あるときに──我々の業界でパンツといいますけど,要するにズボン,例えば,女性のズボンが幾らだったら一番買ってくれるだろうとか,幾らだったらばこれは高級なものに入るだろうかとか,多分,女性の議員の方のほうがおわかりになると思う。
例えば,やっぱり2万円を超すパンツというとちょっと考える値段だとかとあるんですね。しかし,それはスカートも同じで。そういうものが全部マーケティングされたものをつくれというのがどっちかというとメーカーさんです。特に樫山さんを初め,ああいうところはいろんなブランドを出していますけど,全部,極端に縛りというのがあるんですね。ですから,デザイナーが自分の好きな素材を使って自分の好きにはできなくて,これは幾らで売る,幾らで売るためには幾らの原価でつくれという,そういうマーケッターサイドの意見が非常に重視されてつくってくれるのがどっちかというとメーカーです。
素材をつくる人というのは,本当にどちらかというと俗に言う職人さんで,自分たちが,どこがいかにいい──私も先週金曜日にちょっとお邪魔しました西脇,播州織でやっぱりずっとやっている方が,小澤さんという方がいて,そこなんかも本当にいろんな生地を新しく,新しくといろんなふうに研究している人がいますし,それを彼なんかもじゃあどうやってパリにというかフランスで売っていけるだろうかと,そうやって御自身で,なかなか西脇市としてできないんです。たまたまそのとき,西脇市の市長も一緒にいてお話をしたんですけど,なかなかやっぱり西脇市としてまとめられなくて,小澤さんなんかは自分で行かれているんですよなんて市長はおっしゃっていましたけど,そうやって海外に自分たちの自分がつくった生地を売っていこうという方が多いですが,結局,それってやっぱり素材の提供であって,それ以上のものができないのが逆に素材をつくっている方の欠点でもあるとは思うんですが。
これを今,フランスでは,特に麻の協会──麻というのはリネンですね──協会が,ベルギーとか,それから北フランスが多いんですが,麻というのも結局,ぼうっと,1メートル,2メートル,ほっといておくと伸びていきますから,それを刈って,それを今度は熟成させて,何年間か,2~3年熟成させたものを引っ張って糸に紡いでいくんですけども,それをつくっている人たちというのは,それをつくっている人たちというのは,それがどういうふうに世の中で使われているか全然わからないというので,それを合体させていくシステムができていて,私も──もう何年前かな──その国際会議に呼ばれて講演させられたことがあるんですけど,私もイッセイミヤケとかヨウジヤマモトとか,デザイナーをやっていましたから,そういう麻をどういうふうにデザイナーは考えて,どういうふうにしていくことを大事にしているのかとか,そういう講演をしてほしいとか麻をつくっている人が,自分たちがつくっているものがどう製品としてなって,どう世の中に認められて,どういう価値がつけられているのかというのを説明してほしいとかというのがあったんですが,素材をつくる方というのは,どちらかというと,残念ながらちょっと狭い世界の中に入っていらっしゃる傾向が強いですね,見ていますと。
もう1つの今後の発信とドゥ神戸,ドコベでも何でもいいんですが,それが結局,さっきお話ししていた,例えば,靴,メード・イン・神戸でもメード・イン・ジャパンでもいいんですが,物の動きというのは本当にもろにビジネスということで成り立つケース──いいものであり,かつそれが値段がリーズナブルであれば,やっぱりそれなりにマーケットというのは出していくことができますし,それは日本の車なんかがいい例で,やはり円が非常に安い時代にああやって世界中を日産とかトヨタとかのがありますけど。
私は,さっきも一番初めに申し上げたように,ソフトの部分,要するに,ソフトというのは非常にぼんやりは言い方としてしていますけど,例えば,才能とかなんかも含めてソフトだと思うんですけど,そういうものを与えていく。例えば,だから,
ファッションコンテストをああいうふうに受かっていった人たちをどう今度は別な形で支援していけるか。前もちょっと西脇の方にお話ししたのは,ああいう人たちに対して西脇の素材って何か提供してあげられませんかとかとお話ししたこともあるんですけど,そういうのを別の形でやることも──そのときに,それが,西脇がもちろん神戸市じゃないのは知っていますけども,例えば,そういうことが神戸市として西脇からうまく素材を引っ張ってきて神戸から提供という形ができないのかなとか,そういうことも考えていいと思うんですけど,どちらかというと私の頭にあるのは,ソフトとして物を動かして,──靴でも何足売って何ぼというのも大事な商売です。でも,そうじゃないもので,神戸から──だから,どこからもとが,ソースが来ようが,それを神戸が集められて,そこからまとめていけるということが大事だというふうに私は考えているんです。それがさっき皆さんにお見せしたイエールだとかなんかもそういうことで,例えば,漫画もそうですし,映画もそうですけど,あれだって大もとは世界中の間から映画が集まってきたわけじゃないですから,やっぱりフランスの映画だけでやっていたものがだんだん広がっていってああやって今,世界レベルになっていっているわけですから,そういう動きの中で,映画だってある意味ではソフトじゃないですか,ある部分。要するに,そういうものがやはりそこに価値を生んできて,そういう価値を生んできたところによって人が集まり,そこにビジネスが起こる,要するに映画の売り買いが起こる,それが大きな──結局,それがカンヌにいっぱいお金も落ちていくわけですし,あれももちろん物すごいお金がかかっていることはよく知っています。例えば,超有名な監督とか俳優さんというのは全部,あそこのオーガナイザーが送るプライベートジェットで来るんですね,ニースまで。でも,それをやっても余るだけの資金ができるわけで,結局は全部スポンサーですから,スポンサーを呼んでありますから,やっぱりすごい大きな規模で動いていますし。
神戸から発信するというのも,結局,神戸市が全部お金を出すかというのは大変なことになるので,そうじゃなくて,やっぱりそこにスポンサリングをどういうふうに今後していけるのかということも考えなきゃいけないと思うんですけど,それがやっぱりカンヌのあれぐらいの規模になれば世界レベルでのスポンサリングがついてくる。そこまで急にしなさいと私は言ったわけじゃないんですけど,そういうことまで考えていったほうが,全部それは自分ところで自前でやろうと思った場合,大変なことですから,やっぱりそういうことも考えながら──自前でやれるところって限界があると思うんです。あらゆる場合,個人は個人でやっぱり自前でやれる限界がありますから,そういう意味で,神戸の発信というだけでやれることというのは,限界というのはあると思いますけど,その間にどう付加価値をつけて,それをどう──それも,付加価値もある意味ではソフトかもしれませんけど,それをどう,変な言い方ですけど,スポンサリングだとかということも考えていけるかなということも考えないと。このままでいっちゃったら,もう何か神戸市民の税金を使ってがんがんやればいいというふうに私も考えていませんから。ただ,きっかけの呼び水は必要だと思いますけどね。
28 ◯理事(森本 真) ありがとうございます。
ファッションで神戸というと,先ほど出ていたファッション美術館というよりも,東京コレクションと神戸コレクションというファッションショーですよね。ただ,神戸でやられたり──神戸でやられているけど,一般の市民には余り遠いというか,若い女性関係は何かキャーといって,それこそ全国から集まる企画なので。神戸の市民にとって一体何なのかという。ニュースネタで,芸能ネタで見るようなぐらいしかないんですけども。何かそれを市民に還元できるような,税金を──税金というか,市税を出すんじゃなくて,反対に何かファッション関係で何かしたら市民にもうちょっと利益が,直接というか,間接的でもいいんですけど,何か利益が戻ってくるような取り組みというのはないんですかね。
カンヌ映画祭でいえば,集まってきていろいろ物──物というか,お金が落ちるだろうというのは感じるんですけど,そうじゃなくて,何か知的──知的というか,物としてもいいし,何か知識がふえるというか,健康になるというか,楽しめるというのが何かあればもっといいんじゃないかなと思うんですが。
29 ◯参考人 そういうのは,例えば,大丸さんあたりと組んで何かをやっていくことというのは可能だと思います。それ,ファッションということで何か集まりをやると,結構皆さん食いつきが東京なんかでもいいですから,例えば,大丸さんと何らの──どういう形がいいかわかりませんけど,そういう市民の方というか,神戸で,神戸市が協賛か何か,どういう形をするのか,それはまた別の問題で。例えば,大丸さんをうまく使っていくことだとか。
あとは,今,みんなのファッションショーという動きがありまして,これは名古屋の椙山女学園大学の教授が推進しているのがあって,今,私,それをちょっとお手伝いして,それを神戸にも落とし込もうと思って,今ちょっと神戸で実はごそごそと動いているんですけども。そういうものが,例えば,ほかの市で東京と大阪を除いてというのがすごく重要だとこの間も話した。なぜ,東京と大阪を除くかというと,東京と大阪ってそんなにファッションのあれが,土台がありますから,そうじゃない,ファッションがもっと市民にわかりやすいところにいるような,それでいてそれなりにファッションのおもしろいことができるまちということで名古屋で今スタートしているのがあるので,それを,例えば,神戸とか広島とか福岡とか京都とかで今できないかなと話をしているんですけど。それになると,みんなのファッションショーというので,相手がプロじゃないんですね。市民が相手なんですよ。そういうファッションショーの企画だとかなんかをやっている方が名古屋にいて,そういうのなんかも神戸に将来落とし込みたいということで,神戸ですごいそれに興味を持っていらっしゃる方がいて,やらせてほしいということで,今それも──今回ちょっと時間がないので,お目にかかれませんけど,来年3月,日本に来たときにまた彼ともいろんな打ち合わせをすることになっているんです。
やっぱりそういう意味で,何か企画して,一般の人が──ファッションショーってやはりどこかですごくクローズされているんですよ。フランス,パリあたりでやっている,パリコレというのが非常にクローズなんです。どうしてかというと,多過ぎて,来る人が。一般開放しちゃったら大変なことになっちゃうんですけども。要するに,日本はそこまでまだクローズにするような世界ではありませんので,逆に私はオープンにしていったほうがいいという考え方をしているんですけど,何か東京の方なんかと話をすると,ちょっとクローズにしたがる傾向がありますけど,私は,多分ファッションなんていうのは,逆に言えば,みんな興味をそれなりに持っているし。だから,取っつきにくい部分になっているような気がするんです。日本でファッションの業界というのが非常にクローズな世界なんです,実は中だけは。それを私は広げたいなと思っているんですけども。
ですから,やり口はいろんな形であると思いますし,今急にこうやったら絶対ですよというのは私もアイデアはないですけど,ただ,例えば,大丸さんとか何かと──そごうさんがいいのか,大丸さんがいいのかわかりませんけど,そういうところでのそういうおもしろいものを企画したりとかということで,トークショーをやったり──じゃあトークショーをやるときに誰を呼ぶんですかということは重要だと思いますけど。何かそういう一般の人が参加できるようなやつ。
あとは,ある時期,年に1回とか2回とか,例えばの話が,これを名古屋でやってすごいいいなと思ったんですけど,大丸さん──大丸さんがオーケーしてくれるかどうかわかりませんけど──大丸さんが扱っている商品がありますよね。それの商品で,モデルさんは超一流なんかは高くて使えませんから,安い人,またはちょっときれいな子等を使って,要するに,その子が上から下までずっと歩くんです。そういうのって例えば企画としておもしろそう。まちを歩いて,お買い物に来た人も,あら,どうしたの,これという,今,そういうのを名古屋でこの間やったとき,非常におもしろいなと思ったんです。
それをまねすれば,同じことをすればいいというんではないんですけど,やっぱり市民の方に,いろんな形で目に触れるようにしないといけないし,例えば,もしお天気がよければ,少し元町のあたり,居留区のあたりを歩かせるとか,それがいいかどうかわかりませんよ。ただ,そういうふうにして,みんなにとって憧れ,やっぱり必要なことって憧れだと思うんですね。やっぱりいいなとか,おもしろいなとか,自分もやってみたいなとかと,やっぱり人間ってそういう憧れというのが必要ですから,それ,何かおもしろい企画というのはいっぱい神戸なんかは立てられそうな気がするんですけどね,私は。立地的にも非常にいいものが,旧居留地なんてすごいですから,いいものがいっぱいあって。それ,彼らが,全員がオーケーしてくださるかどうかはまた別の問題ですけども,それはやっぱり時間をかけて御説明するしかないとは思いますけど,いろんなやり口はあると思います,私は。
30 ◯委員(平野昌司) まず,先生から見て,神戸ファッションの日本における実力はどの程度か。
31 ◯参考人 私がやっているファッションショーのことで,そうですか。
32 ◯委員(平野昌司) 神戸コレクションも含めて,神戸のファッション業界の日本における大体どのレベルにあるのかなということ,これが1点と,それからパリから見てどのレベルなんかなと,神戸のね。
もう1点は,日本以外でこれから伸びそうな──ファッションで──国はどういうところがあるのかなとか,この辺をちょっと教えてください。
33 ◯参考人 日本の中での神戸ファッションって,やはりさっき一からずっとお話ししていた,東京に持っていかれているところが結構ありますので,余り今高くなくて,一時はすごい高いものがあったんです。随分前,神戸ファッションというのは本当に日本をリードしていくぐらいの勢いのときが10何年前かな,20年までいっていないと思いますけど,ありましたけど,今そこまではなくなっています,はっきり言って。
それから,国際レベルで見たら,多分ゼロに限りなく近いんじゃないかと思います。残念なんですけど,申し上げるのは。
それから,最後の御質問が。
34 ◯委員(平野昌司) 他の国で。
35 ◯参考人 そうですね。今これから伸びていこうとしているので,非常にフランスあたりで見ていて力がついてきているのが韓国です。それから中国です。
韓国の場合は──ただ,今,韓国がちょっと経済状態が少し悪くなったということで,この間,韓国のデザイナー君が──デザイナー君がというか──デザイナー君が何かちょっとお金が昔ほどくれなくなったということなんですが,前に韓国の業界の方とお話ししたら,政府を通して,何かサムソングループを通して,サムソングループの一部がそういうファッションをやるためのそういう原資をためて,そこから何かいろんな援助が出ていたらしいんですね。それが今ちょっと滞っていて,何か調子が悪いというのは聞きました。
あと,中国は今すごい力を入れています。例えば,これは,この間も経済産業省の方ともお話をしていて,日本を何とかしないとだめになるでとちょっとオーバーに脅かしたんですけど,中国あたりですと,例えば,上海が1つの国みたいなもんじゃないですか。上海にファッション協会があって,そこにミスターザングとかズングとかという方がいらっしゃって,その彼がずっとパリとつないでいるんですが,パリの
オートクチュール協会の中に人を送り込んでいるぐらいです。ですから,非常に注目があります。すごい力を入れています。モデルになるような子もいるし,それからあと,あそこは素材をつくるのがすごいですから,中国は。素材力で,パリでも素材展をやると半分ぐらいは中国のメーカーです。日本はせいぜい来ても30社とか,そのくらいしか来ませんけど,素材展でも何百社と来ますし,ファッションのもとである素材から始まって──ただ,まだまだ中国はソフトが弱い。
この場合のソフトというのは,デザイン力がまだないということで,それを今つけさせるためにフランスの──日本もそうですけど,日本も文化とか,それから文化学園も含めて,フランスもそういうファッション系の大学には非常に今,中国人の留学生が多いです。エスモードとか,そういう幾つかがパリに今あるんですけど,そういう学校にも半分ぐらいが中国人になっているというぐらい。
ですから,今これから伸びていくのは中国。韓国がちょっと今,低迷を始めちゃった感じがありますけども,韓国はもう日本を抜いています。
36 ◯委員(平野昌司) それで,実は,今,途上国のいわゆる富裕層がごっつふえているじゃないですか,一気に。よく観光客で皆来られるし,あれなんですけども。神戸には医療産業というものを今つくり上げていきよるんですよね。それが,富裕層が神戸に期待しているというのはやっぱり医療の世界なんですよ。当然,そういう人が来たら,家族,奥さんも皆来るわけですから,そういう奥さん方にやっぱりそういうファッションの発信をしたらええんではないかなということと同時に,中国の場合に何ぼファッションだと言われても,ファッションに次いで,同じレベルでマナーが非常に大事でしょう。中国は,言葉は悪いですけど,今現在,マナーが全くだめなんですよね,国民性からいうたらですね。このマナーを教えてくれというのが中国のやっぱり富裕層にあるわけですよね。
そうなると,ファッション,マナー,また神戸ビーフもそうなんですけども,そういうのを全部まとめたらいろんなものができるんではないかなと。ところが,それをやる人がいないんですよ,まとめる人が。先生はパリでやっておられるんですけども,こんなんをここでまとめるという人が。
37 ◯参考人 じゃあ,もう私,神戸に来ましょうか。
38 ◯委員(平野昌司) それについてちょっとコメント……。
39 ◯参考人 確かにおっしゃるとおり,マナーの件というのは,これはちょっと──これも余談ですけど,私が時々ちょっと笑ってしまうことがあるんですが,私,昔々その昔,リヨンというときにお話ししたと思うんですが,学生をやっていまして,あのころ,日本人が外国で,フランスで仕事をするというと,まずパリしかない時代だったんですね,今からもう37~38年前の話で。そのときに,一番初め,とりあえずと言ったら変ですけど,高島屋のパリ支店というのがありまして,お店があったんです。そこに私,とりあえず行くところがなかったので,就職していたことがあるんですが,日本から来た方が,例えば,ホテルを紹介してくれとか,レストランを紹介してくれとかと行く。御紹介する。必ずクレームが来るんですよ,マナーが悪いって。だから,あのころの日本人の方って実はマナーが悪かったんです,さっきおっしゃったとおり。
それってやっぱり──だから,今,中国人の方を見ていて,40年ぐらい前の日本と同じなんだなとつくづく思うんですね。例えば,レストランに行って大きい声で乾杯とやって騒ぐとか,それ,日本人だけだと。あと,おかしかったのが,ホテルでシャワーを浴びるときにカーテンを表へ出したままシャワーを浴びるとか,中がびしょびしょになっちゃったとか,結構そういうのがあって,だから,もちろんマナーの面で中国がまだまだ──フランスで今すごい中国人が多いんです,フランスもパリも。百貨店の横にはバスが何十台と並んで,有名なギャラリー・ラファイエットとかプランタンデパートというのがあるんですが,皆さん平気で唾も吐くし,フランス人の方が皆,この辺にしわを寄せて,嫌ねみたいな顔をしてフランス人が横をちょっと離れて歩いていますけど。
確かにおっしゃるとおり,そういうもので,例えば,物の置き方,合わせ方,それからいろんなものというのは,多分総合的にやったら十分にその素材は神戸にもありますね。今おっしゃるとおり,食べ物も含めて,食べ方──例えば,洋食の食べ方も,これは厳密に言うと英国式とフランス式で違うんですよ,おもしろいことに。私は,だから,初め──日本って何となく英国式でやっていて,初めてフランスへ行ったときに何かみんなと食べ方が違うと思ったら,おまえ,食べ方がおかしいと言われたんです。なぜといったら,フランスではそう食べないとかね。とてもつまらないことですけど,英国式って,スープを飲むときに自分の手前を持ち上げて向こうへやってすくうんですね。フランス人はあれがおかしいと言うんですよ。大体,フランスとイギリスって仲が悪いですからね。本当に仲が悪いです。じゃあ,フランス人はどうするのといったら,向こう側を上げて自分のほうにすると,自分の残りかすが少なくなったスープを相手に見せて飲むなんてすごい失礼だというのがフランス,例えば,マナー的に言うとそんなこともあるんですけど。
そういう意味で,いろんなマナーというものも含めて,何かおっしゃる意味はわかります。神戸でそういうのをまとめたらおもしろいでしょうね。やってみたいですね。
40 ◯委員(平野昌司) それで,今,レベルがどのくらいかと聞いたのは,例えば,神戸のファッションが中国で,まだ中国でも十分いけるんではないかなと。というのは,パリへ逆に発信なんかできないですよね。やっぱり発信というのは上から下というんか,上から下へということになると思うんですよ。やっぱり高いところから低いところへということと。やっぱりまだ神戸のファッションは,上海がいかに何を言おうと,マナーの面も含めたらまだまだレベルはいけるんじゃないかと,発信できる──となると,やっぱり途上国をターゲットに考えるべきじゃないかなと。
41 ◯参考人 おっしゃるとおりです。それは正しいんです。それは正しいんですが,これがまたおもしろくて,さっき日本のメーカーの方,デザイナーの方がわざわざパリに売りに行って,日本のバイヤーさんと知り合っていくように,やっぱり中国でも見ているのは全部パリなんですよ。ですから,パリに──私の知っているある日本人で,結構それなりに一時一世風靡したデザイナーの人もいまだにパリでコレクションのショーをやっているんです。彼は,商売を一切していないんです,パリで。じゃあ,彼はどこでやっているかというと,彼は中国でやっているんです。なぜ,わざわざパリでコレクションをやっているかというと,パリコレをやっている何々だということが中国のマーケットで非常に重要であると。一種のマーケティングの1つになっているんですけど。
やっぱりそういう意味で,パリというのは,ファッションに関しては少なくともパリを完全に外すということはできない。だから,例えば,イッセイミヤケにしても何にしろ,ああいうところも今すごいアジアを攻めているんですね,ビジネスとしては。でも,それはやっぱり輝かしている部分というのはパリにあるという事実はあります。そういう意味で,ファッションに限ればパリをちょっと外すことは難しいかなと思っています。パリとつながっている。だから,ファッションデザイナーとして神戸で誰々が行って,そのブランドがどうというのは難しいと思いますけど,例えば,パリのそういう協会と何かが神戸がつながるというのは──実は日本,つながっていないんですよ,きちんと向こうとは。ですから,逆に神戸が先につながっていくという手もあるかもしれませんね。そういう協会の──何ていうんですか,姉妹都市か何かで,契約と言っていいのかどうかわかりませんけど,そういうことを,例えば,神戸と組んでいるというものもあるかもしれませんし,そういう話,何もしたことがないですけど,そういうことも不可能ではないと思います。ただ,そういうところでパイプがつながっているということが非常に重要だと思います,パリと。
今おっしゃったように,神戸のデザイナーが出ていって,向こうでショーをやって有名になったとかということは考えなくていいと思うんですね,私は。ただ,つながっているよということは結構大きいことです,パリと。それが多分,中国,特に上海がすごい力を入れている部分だと思うんですね。別に,神戸から1人職員を,ファッション協会もパリの
オートクチュール協会に送る必要とかは,そんなのはないと思うんですけど,やっぱり何らの形でつながっている。そこで何かが,情報が交換されているというのは非常に重要なことだと思うんです。
といいますのは,自分のことで申しわけないんですけど,私がクチュール協会のボードメンバーのこういう委員会の一応最高ボードメンバーのシステムがある,そこに私がボードメンバーで2年間ぐらいいたんですが,日本の誰も知らなかったんです。そのくらいやっぱり実は情報が流れていないんです,パリのことが。私がそれをやめた後に,斎藤さん,ボードメンバーをやっていたのと。ボードメンバーって実はすごい権利を持っているんですね。私が持っている権利を使いに来たのは,韓国人とかイタリア人とかオランダ人で,日本人は誰ひとり来なかったんです,私に頼みに。私が頼むと通っちゃうんです,一気に。ボードメンバーが紹介する人は。それだけの権力を持たされていたんですけど,それを私がやめてから日本の人が,斎藤さん,やっていたんだ,頼めばよかったと言うから,ちょっと。でも,それ,ちゃんと公に発表されたんですよ。さっき,例えば,この会議がこちらで神戸市として公になっているように,ちゃんと公に載っていたんですけど,誰も知らなかったという。
そういう意味で,やっぱりいかに向こうの情報が日本はとり切れていないかといういい証拠だなと思ったんですけど。そういうのが逆に神戸が持ったらおもしろいかもしれませんね。そういう部分でのつながりとか,いろんなことが考えられると思います。お答えになっているかどうかわかりませんけど。
42 ◯委員(川原田弘子) ありがとうございます。
きょうのお話で,
ファッションコンテストはもう41年間あって,留学も10数年ですか。
43 ◯参考人 21年とか2年ぐらいになっていると聞きましたが。
44 ◯委員(川原田弘子) ということであれば,その
ファッションコンテストで優勝した方とか,留学して帰って──帰ってこられなくても,海外でそのままブランドを立ち上げたりとかして,私たちがちょっと知っているようなブランドとかもあるのかなとも思うんですけども,そういう方はいらっしゃらないんですか。
45 ◯参考人 いないんだと思います。ちょっとそれは,逆に
神戸ファッション協会の方に聞かないと,私はその辺の情報は持っていないので,一切。あくまで審査委員長なものですから,
神戸ファッション協会をどうするということは私の仕事ではないので,ちょっと申しわけございません,それはわからないんですが,多分,
神戸ファッション協会のほうではそういう資料を持っているんじゃないかなと思うんですけど。
46 ◯委員(川原田弘子) もし,そういう御自身のブランドじゃなくても,どこかの有名なところでデザイナーとして活躍しているとか。
47 ◯参考人 イヴ・サンローランにいますよ,1人。それは知っています。
48 ◯委員(川原田弘子) そういう方をずっと調べていったら,何か結構すごいネットワークになるんじゃないかなと思うので,例えば,そういう──日本風に言うと里帰りじゃないですけど,そういう会を開いて,そういう予算もとって,それに何かバイヤーさんとかも集まってもらって一緒に商談会をするようなことをやったりするのはどうかなというのが1つ思うのと。
それともう1つは,先日,神戸に医療産業都市の中で,KIFMECという海外の方も対象にした病院がオープンしたんですけども,そこの院長先生が白衣をつくるのにワールドに頼んで,生地を播州織でつくってもらっていて,やっぱり同じ白衣なんですけど,おしゃれなんですよ,ちょっと。機能的にも多分,素材の産地の方と一緒にやっているので,とてもいいなと思ったんですけれども,何かそういうような医療産業都市でもあることだし,そういう機能的なウエアのコンテストまでいくかどうかはわからないですけど,そういう発信をしていくとか,そういうことも可能なんじゃないかなと思うんですけど,どうでしょうか。
49 ◯参考人 そうですね。さっきお話が──播州織さん自身は,いろいろと──この間もちょっと西脇にお邪魔したときにお話ししたんですけど,いろいろとこれから市としてもやりたいということもお話しになっているし,この間,JETROの方ともちょっとお話しして,やっぱりそういう生地,素材,日本の素材のいいもの──これはさっきお話しした太田さんというクールジャパン推進機構の社長の太田さんも,やっぱりそういう素材とかというものをこれからもっとどんどん出していこうと。
ただ,日本の場合,ちょっと非常にセクト的であって,俺たち何々みたいな,あるんですね。それをもっと広げられるといいねという話はこの間していて,そういう中で,やっぱり播州織なんかも非常にこれから出て──昔,播州織というのは,私もいろいろ調べたんですが,すごいんですね,昔は。世界中に出ていたんですね,あれ。アラブの国なんかのいろんなターバンみたいなものもつくられたりとかという。だから,すごい結構,播州織なんかも世の中,世界へ出ていたので,そういうのをもう1回,また再開発というか,再構築したいんだというのを播州織の方がおっしゃっていましたけど。
そういうのと,例えば,いろんなユニフォームというのは非常におもしろい分野なので,いろんなところで本当にやれると思うんですね。例えば,ホテルの給仕さんのための服だとか,そういう,ただ今まであった安くて何となく機能的というんじゃなくて,デザイナーさんが入ったことによって──だから,飛行機のキャビンアテンダントなんかはみんな結構,公でやっていますよね。ああいう感覚で何かやっていることというのは──縫製するのは別に神戸でなくてもいいと思うんですけど,そういうのを何か入り口──入り口というか,受け口の大もとが神戸にあるというのはおもしろいかもしれませんね。ただ,急にだからというのは私もちょっと今アイデアがないですけど。
あと,済みません,
神戸ファッションコンテストの昔のこと,私もやっぱり審査委員長という立場というのは,中のことはちょっとよくわからないもんですから,お答えできなくて申しわけないんですけど,多分,きのう,向こうの今の部長とも,そういう今までの過去の人を全部一度,これ,掘り下げていって,もう1度きちんとやりたいと思います。それが,海外の先生からいきなりそれが出たんですよね。あなた方はフォローしているのかみたいなお話が出ていたので,それを積極的にやりますときのうお話ししましたから,多分,今後そういうのも
神戸ファッション協会のほうでやっていらっしゃると思うんですけども,私もまた機会があったら言っておきます。
50 ◯委員(堂下豊史) ちょっと全然話が変わるんですけど,私の地元に有馬温泉という温泉がありまして。
51 ◯参考人 六甲の向こう側ですね。真っ黒な温泉ですね。
52 ◯委員(堂下豊史) そうですね。金泉・銀泉,鉄も含んで,世界的にも有名だと思うんですけど,有馬温泉の観光協会の方々が温泉文化というか,有馬温泉のPRに昨年,パリで,芸妓さんが着物を着て,日本舞踊を披露して,何とか中国とか韓国の観光客はどんどんふえているんですけれども,加えてヨーロッパのお客様もより一層有馬温泉に来ていただきたいというような角度でついにプロモーションされたんですけども,ヨーロッパ,特にパリの方から見て,そういう日本の──有馬温泉に限らず,温泉文化というのはどのように映っているのか,本当に御在住が長い先生にぜひちょっと一度伺いたい。
53 ◯参考人 まず,ヨーロッパの人の中で温泉というのは,日本のような昔でいう湯治なんです,イメージが。要するに,病気の方がそこに行って──本当に湯治です,昔の日本語でいう。ですから,日本の世の中で,例えば,週末に行って温泉に入ってハッピーというのは余り向こうの人にはぴんとこなくて,あとやはり向こうは,混浴ということはよくない。要するに,水着を着て入るケースが多いので,やはり完全に裸になるというのは,向こうの特に女性はノーの方が多いんですね。やっぱり広いところでみんなと入るというのは,うちの家内もだめなんですよ。温泉で,大浴場,一切だめなんです。やっぱり見られると言うんですけど,別に女の人だからいいでしょうというのは私,男の発想で,どうもやっぱり嫌らしいんですね,女性同士でも。そういう意味で,向こうの人の感覚だと,非常に好きな人もいますけど,温泉を好きな人が。でも,やはり絶対数,少ないですね。
ですから,湯治的なイメージが非常に強くなっちゃっているのと,結局,そういうところに行くと,温泉があるところへ行くと,何があるかというと,そこでマッサージがあり,そこに行くと全部できると。だから,そこに,例えば,今──温泉宿と言ったら変ですけど,お宿があったら,そこで温泉に入れて,そこでマッサージも受けられて,何らのセラピーが受けられて,それでそこで食事療法もあって,適当に運動──一日そこでいると1つのプログラムで朝から晩まで,それを例えば1週間,そこに滞在して,それで身も心もすっきり変えて,また神戸ビーフをいっぱい食べるみたいな,そういう生活をするわけですけど,またすぐ太っちゃうという方がいますけど,そういう感覚のほうが強いので,日本式の温泉で我々の楽しみ方とはちょっと違うんですね。それがヨーロッパの人にちょっと受け入れにくいのかなという気はします。
多分そんなに来ないと思うんですね,向こうの方って。そういうパーティーをやると皆さんいっぱい来ますけど,でも,なかなか実際にそのために来る人というのは少ないし,例えば,京都なんかでも,ですから,みんな有名な旅館というのは,お風呂を全部各部屋ごとにもうつけていますよね。大浴場じゃなくなってきて,各部屋にお風呂がついているケースが多いです。やっぱりそういうことというのは影響している──外国の方ってやっぱり一般的に苦手ですね,みんなで裸でわあっと入るのは。男性は平気ですけどね。やっぱり女性はすごい嫌がるケースが多いです。
ましてや──ましてやと言っちゃいけないけど,別に有馬温泉って特徴があるお湯だけに,結構向こうの人って指輪とかを外さないで入っちゃったりして真っ黒になったりして文句を言っている人がいました,昔,私の知り合いで。どこへ行ったのと言ったら,有馬と言うから,あそこはだめだよ,体にそんな金属のものをつけてちゃと言ったんですけど,真っ黒になっちゃってどうのこうのと怒っていましたけど。だから,そういうのも含めて,何かちょっと向こうの人に,ヨーロッパの人に日本式の入り方というのはなかなか伝授するのも難しい。さっきちょっとお話があったマナーじゃないけど,難しいところがあるのかもしれませんね。
54 ◯委員(堂下豊史) ありがとうございます。よくわかりました。
一方で,温泉に限らず,ヨーロッパ,いわゆる日本文化あるいは伝統文化に関する関心というのは,よくマスコミからの情報,マスコミで聞く情報はどんどん高まっていて,そういう意味で観光客もふえているというふうに理解はしているんですけども,私も1990年代の前半に1年間ほどドイツにいたことがあるんですけども,その当時の私のドイツのドイツで住んでいたイメージは,確かにおすしとか伝統文化に対する関心,例えば,日本の禅であるとかという関心はあったものの,それほどということじゃなかったんですけど,離れて,私も戻って,それこそ10年,25年もたつんですけど,ずっと暮らされていてやっぱりどんどん高まっているんですか。
55 ◯参考人 そうですね。日本という国に対して高まるというか,興味は非常に膨らんでいることは事実です。やはりそれは,大変残念な理由ではあると思うんです。やっぱり三陸沖のああいう地震があったとかということは,非常に日本というのは,そういう不幸な部分で日常やっぱりマスコミに出たりしたこともあるということもあると思うんですけども,日本という国に対して,やっぱりまずフランスに限って言いますと,非常にフランス人は京都が好きなんですね。京都というのが,私は京都がパリとは思わないんですけど,結局,彼らのイメージでそれは古都ということで,非常に京都が好きな人が多くて,今,日本に住んでいるフランス人が一番なのは,東京の次には京都なんだそうです。そのくらい京都には外国人もいっぱい集まっていますし,フランス人もいっぱいいますけども,関心度というところでどこまでをもって関心と思うかということに対して,変わったものがあるから関心を持っているというイメージがまだ私には拭い去れないんです。フランス人が持っている関心です。要するに,温泉であったり,お風呂であったり,それからそういう食事の仕方とか,何かそういうもので,東京,日本にただその期間,そういう非常に変わったものに接せられるというイメージがある。あと,やっぱり漫画とかあの辺の文化が非常に強いですよね。
だから,日本って意外と──東京だけなのかもしれません──変わったものがいっぱいあるんです。例えば,ロボットカフェとか,御存じですか。ロボットが給仕してくれる。音楽がグンガングンガン鳴って,ロボットが答えたり,そういうのというのは皆さんすごい発信されているんですね。すごい有名なんですね。要するに,漫画チックというと漫画チックなんですけども,そういうものなんかはみんな行きたがります。だから,文化のある部分というのは非常に──あと,ジブリでしたっけ,あれが外国の方は非常に行きたがりますね。やっぱり彼自身が非常に有名な監督さんになっていますし,漫画も──漫画というか,アニメもすごい向こうでは評判が高いですから。
私自身も宮崎 駿さんに間違えられたことがあるんですよ。飛行機に乗っていたら,キャビンアテンダントの人が来て,斎藤様と──斎藤様と言うからわかっているのかと思ったら,宮崎様じゃないですよねと言われて,はあ,一瞬意味が,いや,私は斎藤ですけどと言ったら,いや,宮崎様じゃないですよねと言うから,いええ,違う,斎藤ですと言ったんですね。ただ,どうしてですかと言ったら,もっとおかしかったのは,外国人のフランス人のお客様が間違いなくハヤオ・ミヤザキがいたと。挨拶して握手したいと言うから,僕は違うからと。あの人,もっとひげ,この辺がすごいよね。外国の人から見ると,私も全部同じに見えちゃうんでしょう。宮崎 駿さんに間違えられて,2回ぐらい間違えられましたけど。
でも,やっぱり彼らにとって日本という国というのは,ラーメンとかおすしとか宮崎 駿さんを通したものとか,やっぱり限られたものになってきますから,そういう中で,例えば,ジャパンエキスポというのが非常に──これはフランス人がスタートしたんですけど,パリの郊外で。年に2回開かれて,これ,物すごいたった数日間で20万人ぐらい集められたのも,そういうジャパンエキスポというエキスポジションがあるんですけど。そういう意味で,でも,それは私,大事なことだと思うんですけど,日本の全部の難しいところではなくて,やっぱり漫画だとかコスプレだとか,わかりやすいところからでも外国の人が日本に興味を持つというのは私は大事なことだと思っているので,私はそういうのは大いにやるべきだと思っているんですね。
ですから,そういうのに,私は見るとやっぱりおもしろいですよ。外国の人が昔式のこういう……(発言する者あり)
みたいなのを着て,私,それを一度見に行って写真がいっぱいある。皆さん,今度はそういう写真を持ってきますよ,機会があったら,時間があるときは。そういうのは,日本人の女性たちが来て,結構おば様なんかでもそういう何かちょっとかわいい昔のカフェの何か──ありますよね,何かお姉さんみたいな,そういうちょっとひらひらひらとしたやつを着てオペラ通りをやるとかというのは。そういうのなんかに来ると,みんなフランス人,目を真ん丸にして見ていますけど,そういうのなんかというのはやっぱり入りどころというのがあると思うんですね。
来てくれというと限界があるけど,向こうに持っていけるものというのでおもしろいものというのがあると思うんです。難しいものを持っていっちゃうとだめですけどね。逆に,お相撲の公演なんてすごいやっぱり──最近来なくなりましたけど,お相撲公演,パリ公演なんて結構非常に人気がありますし。野球はだめですけどね,フランスは。サッカーの国ですから。だから,フランスに入りいいもの,入りにくいものとあると思うんですが,やっぱり日本に対する関心は強いですし,やはり日本食が何か登録されましたよね,ユネスコ──何でしたっけ,何か。(発言する者あり)
なりましたよね,何か。(「文化遺産。」の声あり)
文化遺産でしたっけ。(「世界文化遺産。」の声あり)
日本でこの間──この間といっても大分前ですけど,ことしの春ぐらいだったかな──いろんなラーメンの日本の有名なラーメン屋さんがパリでラーメンを食べさせますよみたいな,何かあったのは,物すごかったらしいですよ,人が。何か仕込んだものが,ストックが上がってはなくなったとかと聞きました。私,忙しくて行けなかったんですけど,日本に食べに行けばいいやと思って,パリでわざわざラーメンを追っかけていませんけど。
だから,そういう意味で,さっき初めのほうにお話ししたように,あちらこちら,やっぱり神戸ビーフ。私,前,お話を聞いたことがあるので,きちっとこれ,神戸ビーフの少なくともファーストカテゴリーじゃないんだろうなと。7番目を切ってぱっと開いたやつの一番いいやつじゃないやつが行っているんですよね,きっと──わかりませんけど。(「公式にはないんですけどね。」の声あり)
何がですか。(「公式というか。」の声あり)
海外には出せないはずですよね。(「いえいえ,海外に出ていますけども,フランスに売っている何キロとかはないな。」の声あり)
いや,フランスに限らずですよ。(「香港とかマカオとか,ええ値段で出ている。」の声あり)
アメリカもそうですよね,神戸ビーフって。(「シアトルなんかでイベントのとき,神戸ビーフを持っていったり。」の声あり)
それは,わざわざそのために持っていかれるんですよね。でも,ちょっと脂っこいやつは皆神戸ビーフとありがたがって食べているから,それはそれでいいんじゃないですか。それ,だってワインと同じですよ。やっぱりそれ,言い出してもしょうがないじゃないですか。昔,日本でコニャックが日本で出おくれたというのはそれなんですよね。要するに,ウイスキーを日本って水で割るという癖があるじゃないですか。ウイスキーなんかを水で割って飲みますけど,コニャックを日本人が割っているのを向こうのコニャックの生産者が嫌がって,コニャックというのは割っちゃいけないんだと,あくまでコニャックグラスで温めながら少し香りを楽しんで飲むもんだとかと非常にかたいことを言っちゃったんですよ。本来こうでなきゃいけないと余りやり過ぎたんで,日本に売らねえとかと言っているうちにどんどんワインに抜かれていったというのがある。余りかたいことを言っちゃうと,かえって出られなくなっちゃうことがあるので,その辺は適当にしたほうがいいのかもしれません。
ワインだって,かたいことを言わせたら何かあるじゃないですか,講釈が。でも,やっぱりおいしけりゃいいんで,余り難しいことを言っていると,何かブーケがどうだとかとあるじゃないですか。色も見ながらとかって。でも,やっぱり日本酒もそうですけど,おいしければ。
56 ◯委員(浜崎為司) 今の神戸ビーフですけども,神戸ビーフというのは,今おっしゃったように,余り輸出はできていないんですね。ただ,北海道で黒毛和牛を育てている人が欧米に出していますね。
57 ◯参考人 和牛ということで。
58 ◯委員(浜崎為司) 和牛という意味です。
59 ◯参考人 和牛というのはあります。
60 ◯委員(浜崎為司) ですね。それを勘違いして神戸ビーフということの解釈をしているんじゃないですかな。
61 ◯参考人 それは,あり得るかもしれませんね。
62 ◯委員(浜崎為司) ですから,ブランドとしては神戸ビーフが売れていますから。ですから,デパートでもスーパーでも売っているらしいですよ,フランスとかあっちのほうでは。
63 ◯参考人 結構見かけるんです。だから,私,おかしいな,こんな多いはずないのになと思っているんですけど。
64 ◯委員(浜崎為司) ちなみにその輸出している人は,やっぱり黒毛和牛をもっともっと売り出したいんですね。ただ,業界がかなり厳しく交渉しているみたいですね。でも,それはもうクリアして輸出していますから。
65 ◯参考人 でも,結局,さっきお話ししたように,ブランディングと言ったらおかしいですけど,ブランディングってディオールやシャネルに限らず,そういう神戸牛という言葉自身が完全にブランド化されているから,神戸牛といったら,もうそれだけですばらしいと思ってもらえちゃう,海外の人から。そういうことってあると思うんです。あらゆるところにあると思うんですね。だから,そういう意味で,神戸というのは,さっきお話ししたように,ビーフを含めて神戸という名前が意外と皆さんが思っている以上に通っている,海外では。
神戸,確かにじゃあビーフしかないのかと言われたら,それは悔しいですけど,でも,さっきお話ししたように,神戸というものの1つのアイデンティティーとしてビーフがあるということは,それはそれで否定する必要はないと思うんですね。その中に次が次がというのがどんどん埋まっていけばいいんじゃないかという気もしますし。
66 ◯委員(あわはら富夫) ちょっと質問になるのかどうかわからないんですけども,久方ぶりにファッションという言葉を聞かせてもらいまして,実は,たしか宮崎辰雄さん──もう前の前の市長になるんですけれど,前の前の前かの市長になるんですけれども,
ファッション都市宣言というのを出されて,それからしばらくして,私の地元なんですけども,ポートアイランドのところにファッションタウンというのをつくられて,そこがワールドだとか,先ほど言われたジャヴァの本社だとか,それとファッションというのは服飾だけではないということで,お菓子のファッションということでスイーツの風月堂なんかもそうなんですけども,それと真珠──これ,神戸の伝統的な産業ですけども,これも要するにファッションになったという,田崎真珠なんかが。みんな,ポーアイのところにファッションタウンとして寄せられたんですよね。
これは,やっぱり神戸の戦略として売り出していこうと。企業も全部連携をとりながら,ファッションというところで1つのつくりをつくっていく。これは,当時としては非常に斬新だし,なぜそれにこだわり切れなかったのかなと。何でかというと,今,そのファッションタウンが非常に廃れているんですよね。ワールドも一時期ほどの勢いがないと。田崎真珠さんも経営危機になったりというふうなことがあって,結果的にファッションという言葉が長続きしないまま,いつの間にか忘れられて,先ほどの質問にもありましたけれども,こういうコレクションをやっていたということも市会議員ですらなかなか認知がないと。
その一方で,神戸の今度はデザイン都市というのをまた打ち出して,このファッション都市というのとデザイン都市というのとどんな脈絡があるのか,その辺がどうも見えないんですよね。だから,ファッション都市というのを打ち出したんであれば,それに対しての一定のどこまでやれて,どこに問題点があって,どこが今生き残っているのかと。ある意味では,このコンテストが生き残っている1つであるし,美術館が生き残っている1つだと思うんですけどね。
だけど,これが再びこういうやり方をすれば価値を見出せるではないかというのを今,先生のほうから提起をいただいて,この委員会として聞いていて,なるほどなと,1つの軸としてこれはやっていけるのかなという感じを受けたんですけれども,そしたらもう1つのデザイン都市とのつなぎみたいなところがどうなっていっているのかと。行政として2つを両立して考えているのか,それをデザイン都市というところで包括しようとしているのかというところがちょっと見えなくて,この委員会としてそれに対してどういう提言をするのかというのは僕はあると思うんですけれども,どうもファッション都市というものとデザイン都市というものとのつなぎをやっぱり一回ちゃんと,古い言葉で言えば,総括をして,整理をしてみる時期にあるんじゃないかなと。
そういう中で,例えば,神戸ブランドというものを──単に服飾だけじゃなくて,全体としてどう売り出していくのかと。例えば,お菓子もあるだろうし,真珠もあるだろうし,何かそういうところをちょっと考えないと,乗り捨てているという感が神戸の場合,やっぱりしていると思うんですね。そこを少し落ちつかせて,歴史性もあるわけですから,そこはやっぱりつないでいくというのは大事なんじゃないかなというふうに思うんですが,その辺,どうでしょうかね。そういう経過を知らないから,余り聞いてもしょうがないので,1つ意見ということも含めてちょっと言わせていただいているんですけど。
67 ◯参考人 今,お話の中で,なるほどなと思うこともありますし,やっぱり
ファッション都市宣言とデザイン都市というのと2つ──デザインとファッションって非常に近い部分と遠い部分があると思うんですね。離れてしまう部分があると思うんですけど。おっしゃるとおり,やっぱりその辺って神戸市としてどうなのかというのは,きちんと──私がどうこうではなくて,ひとつ統一していかないといけない部分だと思うんですけど,その辺,逆に齊木先生なんかはいろいろとお考えになったことがあったようで,前に齊木先生,私は今,向こうの客員をやらせていただいている関係で齊木先生なんかとよくお話しするところがあって,よくおっしゃるのが,やっぱりデザインというもの──あの先生,結構デザインということを言って,デザイン設計に対して非常に造詣が深い先生で,話しているとおもしろいんですけども,ファッションというのも多分デザインという言葉で囲んだら入ってきてしまうと思います。どっちが上とか下ではないんですけれども,デザインという,要するにファッションデザイナーというぐらいですから。デザイナーというんじゃなくて,だから何々のデザイナー,アートデザイナーとかと空間デザイナーというような言い方があるわけですね,日本語で。それはつくられた言葉でもあるのかもしれません。要するに,全てそういう何々デザイナーという言葉があるということは,デザインというものの中に,包括されたものの中にファッションが入ってくるんじゃないかと思います,私個人の意見ですけども。
ですから,そういう意味で,やっぱりデザインという部分のデザイン都市という神戸,じゃあ中に要するにファッション,洋服もあれば,それこそ空間──空間があるかどうかは別ですけども,そこにスイーツだとかなんかも入ってくるんじゃないですか。デザインというもの自身が,ただこういう形でこういう形のものをつくったから,いいね,悪いねという時代では今なくなって,空間デザイナーのように空間をどういうふうに美しくしていくかだとか,当然,ライトのデザインとか,ああいうあらゆるものがデザイン,デザインという言葉で包括されていますから,我々の生活自身もいろんな形で何々デザインという,業界の中でもデザイナーという言葉が非常によく使われますので,デザインというのがまずあって,それの中でいろんなものが──どういうものが。
じゃあ,逆に神戸として,そういうもののデザインが何々のデザインで,洋服──わかりませんけど,空間,何々,スイーツなのか,そういうものというふうにして幾つかのものをはっきりと打ち出していくことも大事かもしれませんね。余りにもデザインという言葉が広いですから,やっぱりそれを幾つかにまとめていっていく中で,神戸が打ち出すものはこれなんだというふうにしていくことが必要かもしれませんけど,私は,逆にデザインが頭にあってファッションだと思います,個人の意見ですけど。
68 ◯委員(あわはら富夫) いや,私も大体そうだと思うんですけど,
ファッション都市宣言をして,ファッションということを表へ出してきて,今度,今,デザイン都市というものを,これ,やっぱりうまく整理してつなげていかないといけないのかなと。ファッションについては歴史性があると思うんですね。それと,よく昔,阪急の岡本駅周辺に──今は余り言わなくなりましたけど,そこを通る女性のファッションを見たら,この秋に,例えば,春であれば,この秋に何がはやるとか,こういうのは大体岡本に立っていればファッションがわかるという。よくファッション業界と,東京からでもそうだったと思いますけど,みんな,岡本の喫茶店でそういう人たちが写真を一生懸命撮って,これが来年はやるんだというふうなことをよく言われたんですよね。
というぐらいに,神戸の中で暮らしている女性たちのファッションレベルというのが非常にかなり高いということがファッション都市ということにもつながってきていると思うんです。だから,もともと持っていたそういうセンスみたいなものを,例えば,それをどうやって生かしていくというところに,もっともっと大事に着目していけば,本当は30年,40年かかるものがもう少し短縮して,1つのパターンとして打ち出せるものが本当はもうちょっと行政もかかわったりすれば,やっていけるところがもうちょっとあるんじゃないかなと。それがやっぱり昔言われた神戸ファッションというふうなことにつながっているんやないかと。
これ,服飾だけじゃなくて,お菓子なんかは,むちゃくちゃ神戸のお菓子はセンスがあると思いますよ,今でも。今でもというか,もっともっとファッションが磨かれてきていると。
69 ◯参考人 今おっしゃるように,岡本のというんじゃないけど,そういうような──そこでお菓子を食べるのがいいとありましたよね。
70 ◯委員(あわはら富夫) だから,そういうのをもうちょっと突き上げていけば,実はファッションとデザイン都市というのをつなげていけるし,1つの戦略になっていけるんじゃないかなと。服飾では少し今,東京に奪われているけども,例えば,お菓子であればもっと打ち出せるというものがあるだろうと思うし,そういうのをもう少し行政がチェックしながら,ファッション,デザイン都市というのをつなげていけば,実はもっと国際的にも打ち出せるものが,僕は発信できるものがあるんじゃないかなというふうに思っているので。これは質問ではなくて,きょうはこれ,委員間討論ですので,そういうのは大事なんじゃないかなと思う。
71 ◯委員長(吉田謙治) ほかにございませんですか。
72 ◯委員(上原みなみ) 済みません,3点お聞きしたいんですけど,ちょっと私も今まで予算で
神戸ファッションコンテストに対してどのくらい神戸市が予算を出しているかというのを知らなかったんです。この休み時間に調べられたらよかったんですけど,休憩中だったので,ちょっと問い合わせもせず,調べられなかったんですけども,もし御存じだったら教えていただけ……。
73 ◯参考人 済みません,それはちょっと。予算はちょっとわからないです。
74 ◯委員(上原みなみ) わかりました。
75 ◯参考人 済みません,審査のほうだけなもんで,ごめんなさい。内情のほうはよく知りません。
76 ◯委員(上原みなみ) 済みません,わかりました。
あと,私,インドに視察に行ったときに,インドで韓国のファッションがちょっとはやっていたんですね。どういうきっかけかというと,韓国の映画が上映されると,そこに登場する女優さんのファッションというのがやっぱりはやるんですって。ぜひ,神戸──神戸というか,日本でもそういう映画からの発信とか,やはり見ないといいなと思うこともないでしょうし,そういうファッションを展開するのにやっぱり映画とか,そういうビジュアルから発信すべきじゃないかなと思うんですけど。例えば,フランスでは,日本の映画を上映したりとか,ドラマとか,そういうのに対しては全然興味がない感じでしょうか。
77 ◯参考人 多分,先ほどのカンヌ映画祭じゃないですが,余り日本の映画は売れないのかもしれませんね。宮崎 駿の映画はすごいですけど。私が宮崎ですと言いたいんですけど。でも,本当に日本の映画って,限られた映画は入ってきますが,やっぱり限られていますね,物すごく。私,だから,例えば,私がこの間,飛行機に乗ってくるときに「るろうに剣心」を見て,おもしろい映画があるんだなと思って,日本の映画でも。あれがいいかどうかは別です。ああいう洋服というのがちょっと海外でははやると思いませんけど,こんなおもしろい映画があって,活劇的ですよね,あの映画。ごらんになったことがあるかどうか知りませんけど,私,飛行機の中で見れて,へえっと思って。(発言する者あり)
漫画なんですね,あれ,もとは。(発言する者あり)
なかなかおもしろかったです。どたばたしていて,すごかった,おもしろかったですよ。格好よかったけど,何とか抜刀斎という方が出てきて。
確かに日本のファッションというのは,元来,海外で,私がもろにかかわった山本耀司さん,川久保 玲さんみたいな,歴史的に言いますと,1970──ちょっと古い話ですけど,フランスの今のファッションの大もとになってきた,いろんなものを牛耳っているというか,トップになっているクチュール協会というのは,1973年に一番近代のものができ上がっているんです。その前の業界としてファッションのオートクチュールというのが1800年代の後半からもうできているんですけども,シャルル・ウォルトというイギリス人がパリにクチュールのお店を入れられてクチュール協会をつくっているという非常におもしろいことが──そういう歴史の話はいいんですけども。
一番最近が1973年からで,そのときに初めてパリコレの今の前身になるものが開かれたんです,パリで。既にそのときに日本人の方が2人いるんです。三宅一生さんと,それから高田賢三さんなんです。そのほかに,もう今は亡くなってしまったデザイナーさんなんかもいるんですが,それが1つのムーブメントでずっと今でも現在のパリコレと来ている。
その後,1976年ぐらいに三宅一生さんがちゃんとフランスに会社をつくったり’80年に耀司さんが入ってくると,そういう流れがずっとあって,そのときにやはりなぜ山本耀司さんとか川久保 玲さんとか一生さんがというと,やっぱりまず向こうの人が絶対使わなかった黒を使った,洋服に。要するに,向こうで黒というのは喪服なんですね,基本的には。またはフォーマルだったものを普通の服に入れたということと,アシンメトリック,要するに非対称の服をつくった。それから,デフォルメといいまして,洋服の形の構造をわざと壊す,要するに,形,本来こうでなきゃいけないものを,わざわざそれを崩壊させて,デフォルメというテクニックを使った。これが海外ではなかったものなんです。
これがじゃあ海外でなかったのはなぜかというと,それは多分,さっきのコニャックの話じゃないですけど,向こうでは,業界ではこういうものだというのがあったと思うんです,洋服というのも。ところが,山本耀司さんとか川久保 玲さんというのは,逆に言うと,俺たちは洋服というのはまだ歴史が浅いんだみたいなところから入っていったので,どうでもやれるぞみたいなのが入っていったのが日本のファッションが非常に認められた。要するに,日本人が全然新しい見方,洋服というものに対して新しい見方を山本耀司さんや川久保 玲さんがやって,かつ一生さんという方が1枚の布ということで──1枚の布って,これは,極端に言うと,これ,イオニア式というんですけど,昔のギリシャ神話とかって何となく皆さん思い浮かべてほしいんですけど,ゼウスさんも,それから女性群もみんな基本的に同じ服なんですよね。同じ服ってどういうことかというと,こういう布があって,それに穴をあけて,かぶって,それでここの両側をぴぴぴぴととめて,それであとはロープ,要するにローブというんですか,胴,体を縛っていくわけですよ。よくオリンピックの点火式のときに女性がいるじゃないですか,女優さん。あれもみんなそうですけど,それ,ただ裸の上にあれを着て──暖かい国だったからよかったんでしょうけど,それで体を縛っていて,そこから始まっていく,それを一生さんは一枚の布ということで出ていって,またそれが評価されてとかと,そういうふうにして日本人のそういうファッションが非常に台頭して,かつ海外の人の目を引いたというのはそういうものがあったと思うんです。
それが今,ちょっと日本のそういう発信力がファッションの中でなくなってきていまして,今,アンリアレイジという森永君というのがちょっと今注目を浴びていますけども,彼もまだ耀司さんとかなんかぐらいまでは,川久保さんなんかのインパクトを持っているかどうかはちょっと私もわからないんですけど,これからの日本のファッションの動向というのは,逆に言うと何でもありに今,世の中がなっていますから,ファッション自身が。何かこれがファッションというものも──洋服ですよ,私が言っているファッションというのは──ちょっと信じられないようなものも出てきていますので,ちょっと迷走しちゃっている部分もあると思うんですね。
ですから,今おっしゃったように,例えば,韓国の映画を見て影響を受けるというのが,多分,インドの方とか,日本のものって高過ぎると思うんです,金額的に洋服の値段が。韓国のほうがやっぱり安いですから,まだ。だから,ちょっとその辺で日本がどういうふうにして今後そういうものを見せていけるのかというふうになると,この間,ジャカルタでやっていましたね。日本のデザイナーさんたちが何人かいて,ファッションショーをやっていました,ジャカルタで。その前はシンガポールでもやっていまして,そういうことは積極的に日本の業界もやっていますけども,それはたしかジェトロさんか経済産業省さんもバックしてやっていると思うんですけども。だから,そういうことで売れていくことはたしかあったとしても,今おっしゃったように,本当だったらば,別の媒体でやっていくことがいいと思うんですけど,ヨーロッパでは少なくとも日本のものを見る機会は非常に少ないです,残念ながら。お答えになっているかどうかわからない変な返事で申しわけないんですけど。
78 ◯委員(上原みなみ) 済みません,あと1つなんですけどね。さっき着物の話が出て,日本の人が,例えば,アフガニスタンの方に着物をプレゼントしたときに,すごく高い100万以上の着物なんですけど,その女性は,本当にそれを着て,すごく胸をはだけて着るような着方をされたというお話をお聞きしたんですね。やっぱり日本の着物というのは,日本人と,それと欧米の人とか,あとアジアの方もそうですけども,やはり日本って隠すような着方をするんですけども,それが海外ではぐっと胸を強調したりとか,そういう着方をするというので,日本の着物というのは余りやっぱり海外でははやらないものですか。
79 ◯参考人 はやらないというか,はやれない。まず,それも日本の業界──これ,京都の方なんかとお話をすると,何とかしなきゃとおっしゃるんですが,やっぱり着物の帯の難しさ。それと,着物を着ると一番外国の人が嫌なのは,足さばきを嫌がります。私も結構着物が嫌いではないんですけど,やっぱり大股で歩けないですもん,男でも。だから,どうやって映画俳優ってあんな格好よく歩くんだろうと。自分でやると,何かおうおうとずっこけそうになるぐらい足さばきが悪いですし,やっぱり機能的ではないと思います,着物というのは。非常に気を使いますし,着物を着ていると。何か食べこぼしも怖いですし。
ですから,海外の方にとって着物というのは,向こうってやっぱりある程度ボディーコンシャスという,女性ってそういう体を見せていくということは別にそんなに抵抗がない。前に一度,これ,ちょっと下品な話に思われちゃうかもしれませんけど,向こうの方のブラジャーと日本のブラジャーが違うと,これ,うちの娘が気づいたんですよ。日本のブラジャーってすごく何か厚いパットが入っているんですって。向こうというのは薄いから,変な言い方をすると,上に物を着ても乳首が見えてしまうぐらい薄いのに,日本のというのは絶対にパットがいっぱい入っているから,ちっちゃいものも大きく見えるとうちの娘は喜んでいましたけど,何かそういう体の線を隠すということが日本の──洋服でも何かそういうのが日本の女性は多い。
向こうの人って,例えば,女性物なんかでTシャツなんかですと物すごく襟ぐりが大きく開いていて,下手に前にかがむんで,みんなおなかまで見えちゃうぐらいのが平気で向こうの人は着れますし,そのことは気にしないんですね。多分,日本人男性だとうっと見ちゃうようなところも,向こうの人は──向こうの人も,男も気にしないみたいなところがあるので,何か文化が違うんだと思うんです,その辺。
ですから,さっきのお風呂のまさにお話にもなると思うんですけど,やっぱり日本人の方はそういうところでは平気だけど,逆に言うと,そうじゃないところ,要するに,男性も女性もいるところではそういうものはできるだけ隠したがる。でも,お風呂で女同士だったらいいじゃない,男同士はいいじゃないというのがあるんでしょうけど,海外では逆にそれがだめで,逆で。どっちも正しいんだと思うんです,私は。どっちが間違っているということを申し上げたいんじゃないんですけど。やっぱり文化的な背景の違いの中で考えると,着物というのは非常に体を締めつけるということ,帯の数が多いじゃない──帯というか,ひもの数が。あれでまず参っちゃうんですね,向こうの人は。やっぱりぷっとやって,ぷっとやって締まったら,それでもう着れるというのが向こうの洋服ですから。それでなかったら,皆さん,例えば,ワンピースを着るときでも後ろでジャーッとジッパーを締めてしまえば終わりですし,やっぱり男性だってボタンにぷぷぷとやれば上着になるわけですから,やっぱりそういう意味で時間的な問題とか。
着物のよさというのは,彼らはわかるんです。美しいとは言うんです。でも,やっぱり着てみたいとは余りおっしゃらないのと,それから外国の人に洋服を着させると,皆さん,体の地が違うので,巻くんですね,いっぱい。何か布団みたいなのを入れて,おなかに。要するに,胸のここんところ,体がこうなっているところを真っすぐにしないといけないので,あれが暑くてたまらないとよく言われますね,外国の方。ちょっと着るのはいいと。でも,一日中よくこんなのを着ていられますねと言われますから,やっぱりそういう何か違いがあるので,着物を勧めよう,要するに,そういう動きって,ムーブメントってあるんですけど,やっぱり機能的でないというところがどうしても着物が残念ながら──京都の人たちも随分それは悩んでいらっしゃいますけどね。だから,帯だとかなんかの西陣織とかなんだとかというものも今は別の形,産業として別の形にしていこうという動きが非常に強くて,例えば,壁紙にして,高級壁紙とか,そういう新しい動きが今出ていますね,京都なんかを見ていても。
80 ◯委員(上原みなみ) ありがとうございます。
あと,さっきのお風呂に入るというのは,温泉にみんなの前で裸になるということに抵抗があるという点でいうと,サウナはどうなのかなと思うんです。私も,去年,ドイツに行ったときとかも,皆さん,サウナに裸で男女で入っているんですね。それに関する抵抗というのはまた別なんですか。
81 ◯参考人 多分,ヨーロッパ,フランスの人だったら得意じゃないと思います。あれは,特にスカンジナビアの人とかなんだとかというのは,あれは──昔,日本が江戸時代って結構混浴で,別にだからって何も問題もないし,みんな平気で男も女も一緒にお風呂に入ってわあわあやっていたというような,そういう感覚が向こうのスカンジナビアとかなんかにはあるらしいんですけども,フランスはだめでしょうね。国によると思います。
ドイツだとかなんかというのは,私もそれ,聞いたことがあります。みんな,サウナ,平気で裸で男も女も一緒に入っていって。聞いたことがありますけど,私は残念──残念だって,行ったことがないですけど,聞いたことはありますけど。
82 ◯副委員長(かわなみ忠一) 委員間討議なんで,ちなみに今のサウナの話なんですけども,私,スウェーデンにいたんですけども,男と女は別々でした。男性は絶対に前を隠さないんですね。堂々と──日本だったらちょっと前を隠したりしますけども,全くそれがなかったんで,ちょっと困惑した覚えがございます。
ちょっと先生に質問なんですけども,2つございまして,世界的に有名な映画祭がパリではないということで,パリ発信ではないということをおっしゃっていただいたんですけども,フランスは日本以上に官僚国家であり,中央集権でございますよね。にもかかわらず,パリから発ではないと。日本は,フランスほどではないけども,官僚主義であって,中央集権的であると思いますけども,その中で,やはり全て情報が東京に集まっちゃうという中で,フランスは何で地方からの発信に成功しているのかということですね。これ,在仏経験が長い御経験から知見を教えていただければなというのが1点。
それから,もう1つが,何かテレビで見たんですけど,フランスの造船業が非常に栄えていたまちがあって,それが造船業が斜陽になって,今,ロボットとかをまちおこしに使っているという──まちの名前がちょっと出てこなかったんです。
83 ◯参考人 シェルブールだと思います。
84 ◯副委員長(かわなみ忠一) シェルブールですか。
85 ◯参考人 多分,シェルブールだと思います。
86 ◯副委員長(かわなみ忠一) そうですね。恐らくシェルブールです。
どんなふうな形でまちおこしされているのかというのを,在仏経験の観点からお伺いできればと。この2点ございます。
87 ◯参考人 まず,初めのお話のやつなんですけども,多分,フランスという国の──これはフランス人の生活,国民性だと思うんですけど,どこかに力が集中すると,それを喜びながら,必ずしもそれを嫌がるという。ですから,例えば,今現在の政権でいきますと,前はUMPと,要するにどちらかと右側が,要するにサルコジというのが大統領でやっていた。そうすると,サルコジはだめだと。外交ばっかりやって,表でええ顔をするけど,中はよくならない。だから,きっと社会党がいいに違いない。今度,オランドが選ばれた。オランドが選ばれたら,また全然あいつは無能でだめだ。また今度,また右かねみたいな。そうすると,今度,極右が出てきて,FNと──フロント・ナショナルというのが出てきたりとかと。
要するに,フランス人って意外とどこかに集中するのが好きでいながら,だめなんですね。特に,今お話しして私どもが関係しているところって文化じゃないですか。要するに,1つのものをつくってどうのこうのとか,それから大きな商品だって──結局,でも,どこかからきちんとパリの大もとというのは入っているじゃないですか,そこに。だから,そこの発信の場所がカンヌであろうがどこだろうが,フランスであるということに対しては彼らは余り疑問がないと思うんです。
これ,イタリアに行くと違うんですけど,日本と違って,日本よりは,そこに生まれてきた人はそこに育って,必ずしもみんながパリには出てこないという傾向が強いんですけども,ですから非常にそういう意味で土着型のところがありながら,そういうものになると結構フランスという1つの大きなまとまりに対する愛着というのを持っている国なんですね,国民性として。ですから,非常にちょっとわかりにくい,一番フランス人がわかりにくい国民だと言われているんですけど,私も40年いても何となくわからないところがあるんですけど,非常に地域性を重視して,おらが国という言い方をするかと思うと,急にフランスはというでっかい話も一緒に同時にしていくみたいなのがフランス人の国民性にありまして。
結局,カンヌの映画祭とか,さっきお話ししたいろんなアルルだとかなんだとかってああいうところに集まっていくというのも,結局,その文化発信というのと──多分,ずっとパリにいるとおもしろくないから出ていこうというのが昔あったんだと思うんです。要するに,これは,例えば,カンヌでいいじゃない,これはどこどこでいいじゃないかという考え方があって,それはそれぞれその土地の例えば政治家の方たちも含めて,そういうふうにして引っ張っていった方が昔いるんですね。昔の時代ですよ,今ではなくて。
それがそういうふうにだんだん土着していったのと,もう1つは,自然発生的。要するに,さっきのアルルのやつみたいに,何となく写真家が集まって仲間同士でやっていたのがどんどん大きくなっていて,そこに行政が絡んできて,だから民からスタートしているものが結構向こうは多いんですね。だから,イエールのやつも,あれ,何となくスタートして学生が集まってやっていたら,じゃあイエール市でこんなことを手伝ってくれませんか,場所を貸してくれ──多分,神戸でも同じでしょうけど,どこかの公園を1週間使うといったら一応許可が必要じゃないですか。それは,多分,市の,お役所の許可を得なきゃいけませんから,それでいったら,そのお役所にたまたまいた若い職員がおもしろいのをおまえらでやっているのをじゃあ市として手伝っていこうかというふうにして,だんだんそれも大きくなっていって今のようになっていって年間で何千人というお客さんが集まるようになっていっているんです。
そういうことに対して,まず基本的に抵抗がない。東京でなきゃいけないという,そこまでの愛着が──愛着と言っては変ですけど,やっぱりパリって寄り集まりのまちですから,本当にパリジャンというのはほとんどいないまちなんですね。でも,私も含めて外国人もいっぱいいますし,移民の国ですし,ですからビジネスとしてのいろんなもののインフラは整っていますけども,それ以外のところに行くことに対して余り向こうの人は抵抗がない。やっぱりそれは,1つは,根本的に狩猟民族ということで,移動することに日本人以上に抵抗がないんじゃないかなという気がします。これは私の個人の意見ですけども。
だから,海外,ほかの地域から発信していくということが別にそんなにパリにいる人にとって悔しいことでもないし,逆に言うと,行けるという。例えば,イエールのフェスティバルでも,カンヌでも,みんなパリからどわっと人が移動していくわけですから,やっぱり皆さん,どこかに──神戸の場合,そういうふうに当てはまるのかどうかわからないんですけど,例えば,神戸で何かあるものがあって,そういうインターナショナルな集まりがあって,東京だとかパリからも,それこそ仁川からというか,いろんな韓国からいろんな人が来たときに,そこだけにぐっとやるんではなくて,余裕があって,それこそ有馬温泉に行けるとか,何かそういうプラスアルファのものが必ずあるんです,そういう町々に。ですから,みんな,カンヌの映画祭に行ったらずっと映画だけを見ているわけではなくて,そこから遊びに行ったりクルージングに行ったりとかという。
だから,今回,例えば,
ファッションコンテストを見ていて,いつも海外からの先生がちょっと不満が出るのは,ずっとあそこの離れ小島にいるだけで,三宮というか神戸の中心を見たことがないという話が出るんですね。ぜひ行きたいと。時間がないんですよ,僕。物すごくタイトなので。皆さん,きょう帰っちゃうわけですね。だから,皆さんは,きょう来た方は,先生方は,今ごろ半分ぐらい飛行機に乗っていると思うんですけど。ですから,そういうときに,例えば,一日どこかで──ルミナリエを見に行ければいいのかどうかは別としては,何かそういう機会をつくってあげて,先生たちに,ちょっと神戸の中心に行くと,例えば,こんなすごいお店があるんだよとか,旧のあの辺の大丸の近くだとか何かを見せてあげるような機会を,本当は余裕を持てればいい。多分,予算の関係で難しいのかもしれませんけど。それ,私が決められないことなんですけど,本当はそういう時間があるといいなと思うんですけどね。そうやって先生方が自由に半日ぐらい。
だから,そういうことで何か神戸に来てこういう集まりがある──わかりませんけど,神戸ファッションミュージアムで,例えば,ナポレオン時代にあった洋服についての世界的なフォーラムなんていうのがあったときに,それに行きたい人たちがやっぱり神戸,バスか何か,一日に何回か動いて,それであいているときには,例えば,三宮だとか,またはハーバーランドとかどこがいいかわかりませんけど,そういうところを見に行ってくださいというようなこともやれるようにすると,気持ちが半分仕事なんだけど,何かどこかで1つ楽しみがあるみたいな,そんなことが本当は計画していけると一番いいと思うんですね。
だから,それが結局,そのまちを知ってもらうことになるわけですけど,審査の先生だって,一回も神戸って──一回,神戸牛を食べたいとかと言われるんですけど,結局,あそこにいて,居酒屋さんで御飯を食べて終わっちゃうみたいなことがいつも同じパターンなので,あれ,ちょっとかわいそうだなと思うときがあるんですけど。なかなかそういう,やっぱり神戸の中心の神戸のいいところっていっぱい,私,何回か見させていただいて,ありますから,そういうところにやっぱり人が来られるような機会をつくってあげるということはいいし,私ども,例えば,イエールのに行ったら,ファッションショーを見に行くのも学生のショーを見に行くのも楽しみですけど,やっぱりいっぱいあのまちの中をそれこそ散策したりなんかするのも楽しいですし,そういう何かプラスで楽しいものというのは神戸なんかはありそうな気がするんですね。そういうものって何かあるような気がするんですけどね,私が見ると。
ただ,1つだけ,多分ヨーロッパの方に受けないだろうなと思うのが,坂を上がっていく,ずっと新神戸に行くところの異人館,あれはだめです。前,うちの娘を連れていったら,何とかちゃんのうちと同じじゃないとかと言われて,そう言われてみればそうだよねと。異人館は,ちょっと外国の方は,ヨーロッパの方はだめですけど。でも,やっぱり神戸の歴史とかなんだとかと余り難しいことを説明しないで,神戸の雰囲気というのがいかに外国の方,特にヨーロッパの方は受け入れやすいものなのかとやると,これ,何か受けそうな気が私はするんですけどね。
だから,学校の先生方なんかももっと中心を見せてあげたら喜ぶだろうなと思っているんですけど,残念ながら今回も時間がなくて。ちょっと遠いんですよね,三宮まで出てくるのが。あそこのあちらのオルビスホールのほうにいると。あそこにあるプラザホテルに泊まるもんですから──会場に近いということがあるので。
88 ◯委員長(吉田謙治) 15分ぐらいですけどね。15分か20分ぐらいですけどね,車でハーバーハイウェイを通ったら。
89 ◯参考人 でも,やっぱり1時間半ぐらいの時間だと行って帰ってこれないでしょう。
90 ◯委員長(吉田謙治) 行って帰って何かをやっぱりする時間は欲しいですね。
91 ◯参考人 そうですね。
全然話が横にそれちゃいましたけど,中央集権でありながら,それは政治的な問題とかそういうのがあっても文化というのが非常に広い範囲でフランスというのは広がっている国なので,それは,歴史的にも昔はフランスという国も幾つかに分かれていた国ですので,それぞれが独立した文化を持っているので,やっぱりそういうものに対してお互いが受け入れていくという。向こうは文化省があるんですね。文化省はフランス中を全部カバーしていますから,やっぱり文化大臣が非常にフランスの文化というのを──別にパリだけじゃない文化というものに物すごく力を入れて,国としてもいろんなところの文化というものを大事にしているところもあるので,やっぱり何か日本とはちょっと文化に対する──保護と言っちゃあれですけど,行政的に扱い方が違うなという気がします。
ですから,そういうカンヌであり何かであり,そういうものがあると,やっぱりそういうのを国がどこからか全面的に応援に入っていきますから,小さくスタートしていったものを途中から官が応援していくみたいな感じで。だから,官の主導ではないんですね,向こうは。その辺がおもしろいところだなと思うんですけど。
あと,さっきのシェルブールのやつのあれは,実は,そのロボットのやつを私は存じ上げていなかったので,ちょっとわからないので,調べてみます。お恥ずかしい話,申しわけございません。
92 ◯副委員長(かわなみ忠一) 日本のテレビか何かで放送されていたので。神戸も造船業で栄えたまちですけども,造船が一時期のようなあれがないということで,ちょっと参考になるかなと思って,もし……。
93 ◯参考人 ただ,ロボットは今,大阪か何かでありますよね,すごいのが。何か聞いたことがありますよ,大阪。
ダンスを踊るだけじゃなくて,何かロボットを本格的に──2000,いつやったか──何かすごいロボットがこれからやっぱり産業としてということになるのが,大阪に何かすごい力を入れているのがあると。ちょっと私,どこだか覚えていませんけど。
造船,そんなにだめになっているんですか,今。
94 ◯副委員長(かわなみ忠一) 商船を撤退する企業があったり,いろんな形で。
95 ◯参考人 そうなんですか。船なんてすごく──これから客船が何か伸びそうな気がするんですけどね。ヨーロッパでは結構人気なんですよ。豪華客船でクルーズに。
96 ◯副委員長(かわなみ忠一) クルーズは非常に人気ですね。
97 ◯参考人 人気ですよ,ヨーロッパでも。
ちょっとロボットのことは済みません,申しわけございません,お答えできなくて。
98 ◯委員長(吉田謙治) ほかにございませんですか。
99 ◯委員(平野昌司) 先週のあれ,土曜日でしたか,私の地元の神戸の兵庫区で,区役所の地下1階の公民館があるんですよ,古い建物ですが。そこでステージを組みまして,歩くところもつくって,シニアファッションショーというのを。
100 ◯参考人 シニアファッションショー,いいですね,そういうのって。
101 ◯委員(平野昌司) それで,これ,芸工大の先生方も生徒も一緒になって手伝ってくれるんですが,シニアといっても,もう70,80のお年寄りが,おばあちゃんが着飾ってステージを歩いて帰るわけですね。意外性なのは,歩いて,それを見て年齢を言ったときに,おおと言うわけですね。そんだけ年をとっているのか,若く見えるというような。
こういうのがほかから──もう何年か前からやっておるんですが,7~8年,5~6年やっておるんですかね──ほかからは興味を持って見に来られておるんですが,まねをしてそんなんやったろうかというような,まだどこもないんですよね。おもしろい企画なんですよ。例えば,これがファッションショーというのはどっちかといったら若い人ばっかりじゃないですか。こういうのは,本当のプロの世界であり得る話なんかなと。
102 ◯参考人 私は本当はあっていいと思っているほうなんです。なぜかといいますと,要するに,パリコレあたりでやるというのは,逆に言えばファッションの大きな傾向を発信するというのがパリコレの目的ですから,それはちょっと違う。パリでそれをやっていいかどうかは別の問題だと思うんですけども,日本ではそういうものというのはもっともっと発展していっていいと思うんですね。
というのは,なぜなら,今,私も含めて,要するに団塊の世代の人がどんどん,私の友人もほとんどみんなエブリデーサンデーになっているのがいっぱいいますから,そういう中で,やっぱり彼ら──でも,男性もそうでしょうけど,女性は特にやっぱり着飾るということって幾つになっても皆さん楽しいはずだし,やっぱりお年相応の着飾り方ってあると思うんですよ。そうやって着飾って,ましてやみんなの前で歩くといったら,やっぱりきれいでありたいじゃないですか,特に女性,どうですか。やっぱりそう思いません。男以上にそうやってきれいに着飾って歩きたいというか。
病院で,例えば,非常に病気で長いこと伏せている方で髪の毛がぼうぼうになっているのをきれいにしてあげて,女性にお化粧してあげると,それだけで元気になってくるというような見解があるんですよね。実験──実験というか,そういう結果が。というふうに,やっぱり病人だから,年をとっているからこれでいいというんではなくて,年をとっていてもやっぱりそれなりの見せ方とか。私,きょうはすごくおとなしい格好をしていますけど,きのう,実は物すごいピンクのシャツに薄いピンクのネクタイだったんです。みんな,年相応じゃないわけですよ。でも,私はそれなりにそういう格好をすることがそんなに嫌じゃないんですね。それは,自分で格好いいと思っていたらそれでいいと思っているので,きょうはそういう格好をしてくるとちょっと皆さんに抵抗があるかなと思って,きょうはおとなしく来ましたけど。でも,そういう上着を,同じスーツだったんですけど,着たらみんな,うおおと言われましたけど,でも,やっぱりそういう今おっしゃったシニアのやつというのは私はおもしろい──それ,逆に何で広げられないんですか。私が広げましょうか。次回,見に行きますよ。
103 ◯委員(平野昌司) そうなんですよ。やっておられるのがやっぱり区役所でしょう。それから,老人会ね。婦人会とか各自治会がやっているわけですよ。だから,動員はできるんですよね。それはお客さんがついてくるし。
ところが,これを産業として本当になり得るのかなと。どういう業界がそれをやり得るのかなと。オールドファッションショー──70,80の人がステージを歩いて,それが,そういう産業が興り得るのかなということで。
104 ◯参考人 産業として興すのは難しいかもしれませんね。というのは,多分,皆さんが着ているものというのは,御自分がつくったものじゃ──やっぱり買ってきたものですよね,基本的に。ですから,ただそういう方たちの買ってくるところのメーカーとか何かと話をしてスポンサリングとかなんかということは可能だと思いますけど,産業としてそれを興していくというのはちょっと。やっぱりファッションショー自身というのの意味というのが,要するにこういうものが来年の──例えば,この間終わったパリコレというのも,東京コレクションもそうですが,来年の2015年春・夏なんですね。必ず半年ごと先をいっているんです。それで,今度,私も帰って1月になると,そろそろ2015年の秋・冬というのが出てくるんです。必ず,半年後にこういうものが傾向ですということで,各デザイナーなり各ブランドが次のシーズンのものを出すというのがファッションショーの流れですので,そういう観点でいくと,そこでシニアの方のための服をつくっていくというのは難しいと思います。体形が違ってきてしまうので。やっぱり失礼な言い方ですけど,お年を召してくると。
ですから,多分そこでやれることというのは,どういうところの服を買って,そういうおじいちゃん,おばあちゃんが格好よく見せたりきれいに見せているのかというところで,そういう人たちを後ろにつけていくようなことしかできないかなと。産業としては,ちょっと今,急におっしゃられても私もちょっと浮かばないですけど。でも,考えてみるとあるかもしれませんね。
105 ◯委員(平野昌司) ちなみに障害者も参加されたんですよ。当然,だから車椅子で参加したり,つえをついて引きながらですね。そういうのは,確かに福祉関係とか,そういうような,今,先生が言われた病院とか,そういうのをそれでやったらおもしろいなと思うんですが,皆,興味は,おもしろいですねと言うけど,誰もやろうとしていないですね,どこも。ほかの都市も見に来られておるようですが,どうもやっているような雰囲気がないですね。
106 ◯参考人 でも,それは逆に発信の仕方として兵庫区でできるんじゃないですかね。私,ちょっとそれ──でも,年に1回ですか。
107 ◯委員(平野昌司) 年に1回です。年末です。先週。
108 ◯参考人 でも,次回はいつなんですか。
109 ◯委員(平野昌司) 来年また12月。
110 ◯参考人 1年待たなだめですね,しまった。先週だったんですか。
111 ◯委員(平野昌司) 先週。写真はありますよ。
112 ◯参考人 先週の土曜日。
おもしろいですね,それ。ちょっと興味がありますね,私個人的に。個人的ですけど。
113 ◯委員長(吉田謙治) 先生,よろしいですか。委員間討議なので,済みません,委員長で申しわけないんですけど。
さんちかを歩いていましても,最近,本当に御高齢の皆さんのファッションがやっぱりすごいねと思うことが多いんです。これは,お年寄りのためにつくった服ではないんだろうと思うんですけれども,コーディネートがすごくいい。それは,男性も女性も非常にファッショナブルになっているなと思います。
あわせて,この間,これ,クレームで,僕,市民相談というか,受けたんですけど,足が悪くなってつえを介護保険でお願いをしようとしたらだめで,買ってくださいと言われたら,つえが1本,1万円も2万円もするんですよね。それは大変だなと思ってしていたんですが,最近,さんちかのあるお店の前のところ,つえ屋のつえが並んでいるんですよ。これが物すごいいいデザインで,物すごいおしゃれなつえをつくっているんですね。どっちかというと,やっぱり御高齢の皆さん,失礼ながら派手なんじゃないかと思うぐらい非常に格好いいといいますか,きれいなデザインのつえをつくっていらっしゃる。よくループタイなんかでも,もうネクタイをするのも大変だからといってループタイの種類も多いですよね。
そういう御高齢の皆さんだけのためじゃないんだけれども,そういうものをやっぱりどんどん──我々は余り実は関心がないものだからよく見ていないんですけれども,何かの機会に見ると,いろいろたくさん種類がやっぱり,御高齢者向けファッションというものがふえていて,帽子も──我々は帽子をかぶらないですけど,やっぱり御高齢の方は帽子をよくおかぶりになっていて済みません,先生のこと,あれじゃないですけども。
そういうやっぱり1つのマーケットとしては確かに──御高齢といったらあれですけれども,そういう方々向けの品物というのがやっぱり昔に比べたら多分ふえているんだろうなと思うんですね。
加えてもう1つは,機能性の服みたいな,例えば,スポーツ用品ですけれども,足の筋肉を支えるとか,膝を守るためのものとか,これが本来はスポーツをやっていらっしゃる方の体のそういう筋肉とか機能を守るとか,あるいはそのバランスを保つとかということのために多分つくったんだろうと思うんですけども,これは,やっぱり御高齢の皆さんが必ず膝がとか肩がとかというのは出てくるので,そういうものも組み合わせたものというのが御高齢者向けにといえば,それはそれで実は生産とか需要が伸びる,そういう人たちに向ければ伸びるもんなんだろうなと。
あとは,こういうものがありますよということは,売り場では,実はサイズの大きい,小さいというのはありますけれども,多少御年配向けの女性の服のコーナーってありますが,お年寄り向けのコーナーというのはないんですね。こういう組み合わせでこういうふうにしたらこうですよというのが余り,私,見たことがないので,そうすると,そういう御提案をされれば,例えば,ファッション雑誌で御高齢者向けファッション雑誌というのも余り見たことがないので。でも,多分,関心はすごく強いんだろうと思うんです。
さんちかを歩いていてあれだけ格好いいお年寄りがふえているということは,多分そういうことにも関心があって,あとはどれだけ情報提供をしてあげるかじゃないかなと思っていたら,平野先生のお膝元の兵庫区でファッションショーをやっているというのは僕は大変びっくりしたんですけども──びっくりしてはいかんのかもわかりませんが,神戸の中心地,兵庫区でこの最先端をいくファッションショーをぜひ先生,お披露目をいただいたら,私,きょう初めて聞いたんで。非常におもしろいことではないかなというふうに思いました。
114 ◯参考人 そういうものというのは,何かできそうな気がしますね,本当に。本当にできると思います,そういう発信って。真剣にちょっと考えて,資料,何かちゃんとあったらちょっと見せてください。
115 ◯委員(石丸誠一) 今,その話,非常に関心深く聞いています。そして,ある意味での,今,先生のおっしゃるように,高齢者向けの云々かんぬんということに関してやけれども,そうやってやって,ある種の独創性というものがそこに出てきたら,ビジネスチャンスというものは後からくっついてくるものやと私は思います。そうするような形でどんどんそういうふうな──今,きのうたまたまやけれども,ふれあい喫茶に行ってみておばあちゃんらと話をしていたら,もう人生おもしろないわと言って,何歳ですねん,81やとかと言うて,あと死ぬのを待つだけやと言う,何の楽しみもないと言う,そういう人たちが何らかの形でそういうファッションショーのランウエーを歩いていくとすれば,非常におもしろいものが出てくるかもわからへんし,楽しみにつながるかもわからへんし,新たな独創性をいろんな形で今,つえであろうと帽子であろうと,我々が一旦見捨ててしまったようなというたらおかしいけれども,それほど帽子をかぶりませんけれども,ほんならかぶってみようかという形で出てくるかもわからへんし,何らかのファッションというものはごく自然と沸き上がってくるもんであるかなと,こんなふうな感じがするとしたら,そこに独創性が発生されたら新たな老人ファッションというものがというたら,どないでしょう,先生。
116 ◯参考人 私は,そう思います。確かにビジネスというのは後についてきますよね,必ず。ビジネスを初めに考えてやることは,失敗こくと──失敗こくとは言いませんけど,結局,ビジネスのいいところと悪いところというのはそこにあると思うんで。ビジネスというのは,100万──投資じゃないですけど,100万円だったらやっぱり200万円にしてこないととなりますから,そういう動きをしていっちゃうんですね。
ところが,多分,今おっしゃっていたシニアファッションショーなんていうのは,別にもうけることとかじゃなくて,みんなが,お年寄りたちが楽しめばいいじゃないというお話でしたけど,そういうふうにしてやっている中で,そこで何か次のビジネスになるものが見つかるかもしれない。それは,ちょっと私は,まだライトがぴんとはともっていないんですが,わわわとともっているので,ちょっと見たいなというのがやっぱりあるんですけども,何かふやふやふやとライトがともり始めているんです。
ビジネスにすぐになる,ならないではなくて,そういうのというのは,でも──大体この
ファッションコンテストだってそうだったと思うんですね。やっぱりこれだけ,一度,風前のともしびになったことがあるというのは伺ったことがありますけど,こうやって何だかんだいっても41年目をまた今回やれたというのはやっぱりそうだと思うんで,それをビジネスとしては今やってはいませんけど,何かそれが発信の仕方によってはビジネスに化けていく可能性もありますし。だから,それはすごい,今のシニアのやつ,私,興味があります,個人的に。時間があったら,ちょっとゆっくりと今度,神戸に来るときに。
117 ◯理事(平木博美) ちょっと今,お話がちょうど出てきているんで。シニアのファッションショーという中で思い出したことがあって,私,全部を見ていなかったのでわからないんですけど,小篠順子さんの半生記の「カーネーション」という朝の連ドラがあって,最後のほうのシーンで小篠順子さんがずっと若いころから張り合ってきたライバルさんが入院していて,だけど,あの人をランウエーを歩かせたいといって,小篠順子さんが病院の中でファッションショーをすることを病院の反対を押し切り,何か一生懸命やられて,その方に最期のはなむけをしたというようなシーンをこの間,回想シーンで見て,こんな話があったなと思ったところだったんで,絶対に──女性の話でしたけど,きれいにして小篠順子さんがデザインした服をあの人に着せたいといって,やっぱりしゃきっとされて歩かれるという話だったので,いろんな意味での元気にするということと,それは町なかへ出てくるということと,あるいは病院の中でも大いにあるというのに気がついていらっしゃるデザイナーさんたちは前からたくさんいらっしゃったんだろうなというのを思い出したので,ちょっと意見として1つそれを言っておきたいのと,もう1つ,私はずっと神戸っ子ですけど,転勤族だったので,神戸を離れているときにすごく気になって──気になっていたというか,すごく神戸のカラーだと言われてよく取り上げられていたのが親子買い物なんですよ。母と娘が物すごく買い物に出るのが多いんです,神戸って。ほかのどのまちよりも,姉妹に見えるような,若い──お年寄りがおしゃれとおっしゃいましたけど,私が娘と出る,例えば,私が母と出るというような,親子で一緒に買い物に行って,お互いに見合いっこしたり,別に私が娘の着るような服を着るというわけではないんだけれども,そういうファッションで一緒に買い物に行こうというのはほかの都市には余りなくて,神戸が大変多いというのを外にいるときにさんざん聞いて,帰ってきてみると本当にそうなんです。大丸へ行っても,洋服屋さんへ行っても結構親子さんが多くて,これって1つのやっぱり神戸の持っている特性のような気がするんです。文化とまでは言わないですけど。こういう世代がつながるというファッションに対する興味,友達と行くというんじゃなくて,親子で行くというものについては,母もやっぱり私に見てほしいと言いますし,うちも子供と一緒に行ったりするというのは,とてもそういう意味では,さっきのファッションショーに私はつながるなと思っているのは,母たちがおしゃれして出るんだったら,娘たちはやっぱり拍手して見てあげたいなと思うし。
118 ◯参考人 親子ファッションショーでもいいですね。
119 ◯理事(平木博美) 親子でもいいと思うんです。何も子育てしている,ちっちゃいお子さんとお母さんがペアというのはよくある話なんですけど,シニアと,例えば,私ぐらいの──80代の母と私がファッションについてそういうところへ出るために家族でやっていこうとか,そういうメーカーさんがどういうところかわからないですけど,メーカーとつながればとおっしゃいましたけど,ああいうメーカーに行くと,デザインは若々しいけど,体形は年齢に合った締めつけないデザインがあるよ,あそこのメーカーに行くよというようなのがつくっていけたらとてもいいんじゃないかな。
縦のつながりのある神戸の女性のファッション客層がいると私は思うんですけど。男性は余りそんなことを感じないと思うんですけど,女性は物すごく感じますけど。そんなことを感じられることはないですかね。
120 ◯参考人 私は,結構,家内とか,特に娘とよく買い物に行きますね。娘が──家内と娘もよく一緒に行っていますが,これは全くプライベートのお話で,結構,娘なんかは,パパ,一緒に来てとかといって一緒に行って,どうとかとやって,ああだこうだと。私が結局,業界にいるからでしょうけどね。やっぱり業界にいないと,普通のお父さんはどうなんでしょう。うるせえなと思っていらっしゃる方が多いんだと思うんですけど。値段を見て,ううっとか,もうちょっとおまえ,こっちにしなさいといってやっているのが大体。私は,家内だって,自分がそういう友人も多いもんですから,うちの娘なんかも子供のときからデザイナーの人たちにかわいがられていて育ってきたんで,そういう意味では生意気ですけどね。確かに──でも,日本人の男性は,往々にして苦手だと言いますね。女性の買い物につき合うのは苦手だと。皆さん多分苦手だと思いますけども,私は結構行っちゃいますけどね。それは業界にいるからでしょうね。やっぱり見るのが好きですし,洋服を。
でも,そのシニアファッションショーはちょっとおもしろいですよ,本当に。そういう考え方を広げていくことって何かできそうな気がしますね。真剣にちょっと話してみようか。
121 ◯理事(梅田幸広) 朝からファッションということで,僕は全然縁がないものと思っていたんですね。というのは,私は先生と一緒で’49年生まれ,一番西区ですから,農村地域やから,とてもファッションなんて縁がないものと,そない思っていましたら,要するに,介護施設なんかへ行きますと,先ほど,老人のファッションやないですけど,若い看護師さんが,おばちゃんら,おじちゃんら,いろいろよう行きまして,そこで若い子が着ているものをそのまま着せたら元気になると,年寄りが。あわせて,年がいったらもう歯も磨けないからということで,歯科医師の先生方に御協力していただいて来てもらったり,散髪屋に来てもらったりしたら,やっぱり身ぎれいにしたらみんなきれいになると。
先ほど,老人のファッションがないと言われていましたけど,実は僕の知り合いで,あるメーカーへ行っている人に聞きましたら,女性はいつまでたっても若い気でおるから,熟年とか老人と書かれへんねんと。
122 ◯参考人 そうなんです。おっしゃるとおりです。
123 ◯理事(梅田幸広) 要するに,物を売る場合は,絶対書けないと。やっぱり太目とか緩めなら書けても,それは書けないから。それを教えてもらったことがあるんですよ。そのとき,先生から見て,これからやっぱりビジネスをするんやったら,老人相手がぎょうさんおるから,何ぞええことがあったらまた教えてえなと言われておったから,老人やらなんやらやなしに,要するに,ゴールドシニアとも言われへんしね。
これは,そのことが1点と,もう1点だけ,去年,山中先生がノーベル賞を受けられて,乾杯のときに日本酒を使われていまして,それが非常に有名になって,何かフランスで国会議員の先生方で日本酒を広めようという議員連盟ができたというて聞いたんですよ。
124 ◯参考人 ありましたね。
125 ◯理事(梅田幸広) それ,ある国会議員から聞いたんですけどね。そういうのは,ほんまに──1人の国会議員やさかい,ちょっと僕は疑心暗鬼で,ちょうど先生,フランスでありましたかどうかだけ確認したいなと,その2点をお願いします。
126 ◯参考人 まず,日本酒は,結構,今いろんな形で,日本大使館も経由して,いろんな──鹿児島からも来ていますし,私は一度,鹿児島から──ごめんなさい,福岡だ。福岡から来た何かそういう食とお酒ということでのそういうのを日本領事館で,日本大使館の官邸でやっていまして,結構,向こうのフランスの国会議員なんかも呼んでいましたし,非常に今の日本酒,あと焼酎──鹿児島の焼酎とか,日本のお酒に力を入れようとしていますね。
問題は,結局,日本ってどっちかというと,日本の宴会といいますかというのは,往々にしてお酒を飲むための食べ物が非常に多くて,飲むために食べる,日本の飲み方が。向こうは,食事に合ったワインという,おいしく食べるために飲むという,それがあるので,その辺をどう今後,お酒というものがやっていけるのかというのがちょっとポイントかなと思うんですけども。お酒自身というのが非常にお好きなフランス人が多いです。私の周りにも非常に多いので,私もちょっと灘の生一本を買っていく時間がなかったんで,飛行場で安いのを買っていこうと思っていますけど,帰りがけに羽田で。
あと,さっきのお年を召した方のというのは,本当に今後──それ,私は真剣に聞いたことがあるんですが,確かにおっしゃるとおり,若い服,無理をするんでなくて,特に女性の場合──男性もそうだと思うんですけど,おっしゃるとおりで,私もいつも行っている床屋さんがやっぱり病院に1カ月に2回,ボランティアで行くんですって。髪の毛を切ってあげると,今まで何かふにゃあとなっていた人がとてもうれしそうに元気になるとかと,やっぱりそういうのって非常に男性・女性関係なしにあるみたいなんですね。ですから,病人なんだからパジャマを着て寝ていればいいというもんではなくて,何かそうじゃない格好をしてあげて,例えば,病院にいてもポロシャツを着せてあげるとか,ワイシャツを着せてあげるとかと,非常にそれは重要だというのはよく聞かれますので,今後,多分そういうのって何か別の形で発展していくんじゃないですかね。ファッションとしてそれを全部まとめていいものかどうか,ちょっと私もわからないんですけども,おっしゃるとおりだと思います。それは,フランスなんかでも医療の中でそういうものを入れていこうとか,やっぱり女性にちょっと紅を引いてあげるとか,香水をちょっと一吹きしてあげるとかということの重要性とかというのは聞いたことがありますので。今後,そういうのってふえていくんじゃないですか,年齢的に。私自身が自分で──今,先生も’49とおっしゃいましたけど,’49年生まれ,昭和24年ですけど,もうすぐ私,66になりますけど,来年になると。でも,そういうのを考えると,自分を見てもそう思いますよね。やっぱり何か元気であるために洋服とかというのは関係してきますよね。実は,ふだんはこういう格好をしていないんです。ふだんの格好を見ると,ええっといって,年相応じゃない格好をしているかもしれませんけども。
127 ◯理事(梅田幸広) どうもありがとうございます。
特に西区の場合は,農産物の農業者が多いんで,女性だけの店をつくってみたり,つくったものをほんなら──例えば,今,ここに産業振興局という局があるんですけど,そこのほうから,本気でやるんかどうかわからんけど,輸出を頑張ってくれと。その輸出も一番難しいイチジクね。イチジクは,2日ほどしかもたないんです。それをいかにして輸出するか,ちょっと真剣に考えてほしいと。いろんなのを現実にやってみて,札幌までは出したんですけどね,航空便で。結局,つくったものをいかにしてよそへ早く売っていって,これはファッションとは全然縁がないんですけど,それも1つの産業振興の役に立つんじゃないかと。
農家で一番の悩みというのは,後継者がいないというよりも,むしろはっきりずばり言わせてもらったら,お金がもうからない。要するに,仕事の割に収入が少ないということで,できるだけお金をもうけられるような形で。俗に言う農林省の役人さんとも話したときに,施設は全部,農林省がつくってくれと。つくった分に対しては,言い方が悪いですけど,個人のやつやなしに反共産的なことで,一緒にやらんととても1人じゃこれから農業はもたないよと,限界集落ばっかりできていますよという話の中で,農林省が今考えているのは,若い人に戻ってもらうためにはどないしたらええやろうかというて,いろんな案を持っているんですよ。
1つ出したら,県へ持っていき,これが切られるとか,市に持っていって,それはできませんと言われるからね。そんなん小出しせんと,全部出して好きなんをとってくれと言ったらどないやと。現実に,地域によったら,けさもテレビで言っていましたけど,福井県のどこかの──要するに,新しく住んでもらうためには,ただで土地を提供しましょうと。そういうところも出てきているぐらいですから,特にやっぱり先生が言われるように,最先端をいっているファッションのバイヤーでしたら,そのやつをうまいことほかの一般の地域のほうにおろせるようなおもしろい企画があったらありがたいんですけどね。
128 ◯参考人 そうですね。ファッションって確かに非常にまだまだ限られた世界だと思いますし,日本自身──特に日本はまだ,非常に開かれていそうでいて,やっぱり何かファッション人間というのは特殊に思われる部分というのが──そういうふうに思われることがよしと思っている人たちもいるような気がするんですね,逆に。だから,ファッショナブルという言葉が何か,私は違うのよという雰囲気がまだあるので,もうちょっとそれは,おっしゃるとおり,逆に言えば,私みたいな海外にいる人間でそういうファッションが当たり前に生活の中に入っている人間が少し変えていかないといけないのかもしれませんねといっても,私ぐらいしかいないのが困っているんですけどね。いないんですよ,余り。私みたいなのが余り。デザイナーで,海外で会って頑張っているのもいるんですけど,デザイナーさんというのはまた違うので,思考がちょっと。デザイナーの方って自分の世界に入っていってしまう方なので,広くものを見てどうのこうのというのがないので,私みたいにそこでずっとビジネスを長くやっている人というのは意外といそうで余りいないんですね。ましてや行ったり来たりする人間って余りいないもんですから,ちょっと孤軍奮闘で頑張っていますけれども。神戸で皆さん応援してください。
129 ◯委員長(吉田謙治) よろしいですかね。お時間も参りましたので,最後にちょっと済みません,お許しをいただいて,少しだけちょっとお尋ねをしたいんですけども。
きょういろいろと大変示唆に富んだお話をいただきましてありがとうございました。
最後に,いろいろお話があった中で,ちょうどこういう
ファッションコンテストを通じて若手のデザイナーの皆さんの登竜門にしていこうということで大変御尽力をいただいてきたわけですけど,例えば,我々,神戸市の中でそういった人材を育成する教育機関というのがやっぱりいるんじゃないかなというふうに思うんですが,全くないわけでもないんですけども。
130 ◯参考人 幾つかありますよね。
131 ◯委員長(吉田謙治) ええ,あるんですけれども,こういった教育観をどういうふうに──ブラッシュアップするって,またちょっと語弊があって失礼な話になってしまいますけども,教育観のレベルというものをどういうふうに考えていったらいいのか,サポートしていったらいいのかということと,もう1つは,今さらの話なんですけれども,神戸がファッションタウンというものをつくって,結構そういう企業の集積を図ったんですが,近年,このファッションタウンがあるところのポートアイランドがかつてのようなにぎわいといいますか,勢いがなくて,そうすると,こういうファッションにかかわる企業の皆さんとかデザイナーの皆さんが,仕事をされる立地条件みたいなものが多分変化したから廃れてきたのかなというふうにも思うし,逆に言うと,これからもう1度改めて盛り返していくためにどういうことを整備していったらいいのか。
先ほどもかつての神戸というのはみんな東京へ行っちゃってということなんですけども,じゃあなぜ神戸で生まれてなぜ東京へ行ってしまっているのかということにもかかわってこようかと思うので,ちょっとあと5分しかありませんが,ちょっと済みません,時間のかかるお話かもわかりませんが,ちょっとヒントだけでもいただけましたら。
132 ◯参考人 まず,ファッションタウンとかという形で,これは結構,神戸市だけじゃなくていろんなところではやったことがあるんですが,これが逆にファッションということでうたっていてよかった時代というのが終わってしまっていると思うんです,今。これは日本中の問題です。逆に,イトーヨーカドーさんですとか,イオンさんだとか,ああいう形の方たちは,逆に今度,あの方たちは,もとは衣服でも,どっちかというとユニクロ的と言ったら失礼ですけど,そういう非常に安くて低価格でいいものを売ろうというのが,それが,例えば,イトーヨーカドーさんとか何かというのが,あと食料品,そういうところが今,今度はモール方式を持ってきて,そこにいろんなたな子としていろんなファッションメーカーなんかを入れてうまくいき始めているということで,多分,今,日本──これは,ヨーロッパもそうです。アメリカなんかはその代表ですけど,モール方式というのがすごくはやり始めているので,この次ってやっぱりモールでないと。
要するに,雨が降った日にそこに行ったら,一日中,おいしいご飯も食べられるし,洋服もあるし,エンターテインメントも,下手すると映画館もあるみたいな,そういう外国式のモールというシステムというのが非常に今求められてきているし,それで成功しているところってあるんですよね,結構。東京の近くですけども,どこだっけな,何かすごいところがあって,私もびっくりしたんですが,そこへ行って。これだけ人が集まって,日曜日なんか,レストランがいっぱいあるのにどこへ行っても並んでいるんですね。たまたまその日,雨が降っていたんで,みんな,雨の降っている日ってここで過ごすんだと。そこはちょっと東京から大分離れているんで,駐車場は無料でしたから,余計に人が集まっている。
ああいうのを見たときに,やっぱりファッションタウンという意味合いがちょっと違ってきてしまって,ファッションタウンというと昔は何かすごく先端的な洋服が並んでいて。でも,そう言いながらでも,やっぱり有名ブランドって来ていなかったわけですよね。ということは,やっぱり有名ブランドを引っ張ることが今大事なんじゃなくて,そういうのはもう百貨店さんに任せておけばいいので,逆に言うとそういうものと──さっきお話があったように,衣とか等に食とかスイーツだとかというものの総合したものの施設にしていかないと,多分,今は洋服だけで皆さんが行くという,それだけの吸収力がないような気がします。
ですから,そうなると,逆にイオンさんがいいのか,イトーヨーカドーさんがいいのか,そういう話ではないんですけども,そういうところのものの中,そんなファッションタウンというのも,ファッションだけではなくて,そこにいたら一日過ごせるようなものとか。栃木県なんかにも物すごい大きなのがあって,私もびっくりしたんですけど,そこもやはり食べ物から衣服から食料品から──それも,その食料品も結構高級な食料品もあったりして,それこそ──そこでこちらのイチジクがあったかどうかは記憶にございませんけど,そういうふうにしていろいろないいものも結構──何か,イチゴが1個何百円もするようなイチゴを売っていたりして,それが結構売れていたりするのがあるので,だから,ああいうのを見たときに,片一方で結構高級志向があったり,それからやっぱりうんちくがついたものが好きという傾向って何となく日本を見ているとある気がするんです。それは,スイーツに限らず,何に限らずで。うんちくという言い方は変ですけども,やっぱりこういう歴史があってこういうものだからいいんですよというものに対して非常にマーケットが反応していくようなところもあるし。
だから,ファッションという意味をそこまで拡大解釈して,それがちょっと私の初めのほうで──昔,ファッションってただ単なる女性の洋服だろうと言われていたのが変わってきているというのはそういうところだと思うんですね。今,
総合エンターテインメントみたいなものも含めて,不便な場所なんだけど,だからこそ駐車場がただで物すごい大きなスペースがつくれるみたいな,そういう開発というのは,関東地方で幾つか回っているとそういう開発が始まっているなという印象,私はあるんです。そうすると,ここの神戸なんかですと,集まるところって結構いろんなところがあって,それこそ西脇の方なんかとお話しすると,結構,神戸に来ているとおっしゃっていましたから,だから,車で1時間ぐらいかかりますよなんて言ったら,大したことありませんよなんておっしゃるんですね。だから,ああ,そうなんだと思って。だから,そういうふうにして,その1時間ぐらい車で高速道路でぶっと来るのも全然苦じゃないとおっしゃるような方たちが集まれるところというと,非常に最先端の神戸のいい有名レストランだとか,有名なシェフがいるところとかというのも神戸にありますし,それこそミシュラン2つとったとかというのも神戸にあるわけですけど,それではなくて,もうちょっと一段,もっと庶民的なものの何かそういう人たちが集まるところというのは,今ないですよね,神戸にはまだそういう大きなものは。あそこのハーバーランドのあっちのほうにちょっとありますけど。
133 ◯委員長(吉田謙治) 物販でいうとそんなに,umieとか──余り固有名詞を出したらいかんのかもわかりませんけども,あるいはアウトレットモールですね。そういうのが一番近いのかなとは思いますが。
134 ◯参考人 それをもうちょっと,そこにアウトレットだけでなくて何か幾つかの要素をつけて,よりお客さんたちが楽しめる──楽しめるというのは,結局,そこで,1カ所でいろんなものが見れるというのはすごく重要な気がするんですね,日本のマーケット。それはフランスなんかでも同じですし,やっぱり大きなモールというのは,物すごい大きなモールがあって,端から端まで行くのが結構疲れるぐらいの,いい運動になるぐらいのところもありますから,今どんどん施設がそういう──建物の中で,余り雨が降ってもやりが降っても関係ないようなところで人がゆっくり物を見れるみたいな,そういう大きな集合的なものが皆さん好きな──好きというか,そういうものに興味を持っている傾向が強いことと,あと駐車場がやっぱり安いということがすごく重要なので。そうすると,まちの中だと駐車場が高くなってしまいますから,そういう意味で,外れたところに出てくるというのは大事なのかなというふうに思うんですけど。
私も,逆に,神戸,何かいろいろとお手伝いをするなら,もうちょっと神戸を勉強しないかんなとは前から思っているんです。神戸に来るたびに,ゆっくり時間をつくって神戸を見たいな,いろんなところに行きたいなと思いつつ,いつも仕事だけやって帰っちゃうんですけども。今度来ます,ちゃんとしっかりと時間をとって。
135 ◯委員長(吉田謙治) きょうは,どうも大変ありがとうございました。3時のお時間が参りましたので。
特に,皆さんから最後,よろしいですか。
(なし)
136 ◯委員長(吉田謙治) それでは,きょう,斎藤様にお越しをいただきまして,大変有意義な示唆に富んだお話をたくさんいただきまして,どうも大変ありがとうございました。
137 ◯委員長(吉田謙治) 次に,委員の皆様に申し上げます。
次回の委員会の日程でございますけれども,1月27日火曜日午前10時より,この提言書案について御協議いたしたいと存じます。
これまで参考人の意見聴取を中心として,実地調査も行いながら進めてまいりましたけれども,これまでの協議と調査の結果を踏まえまして提言書の取りまとめを行いたいと考えております。また,提言書の取りまとめに先立ち,追加意見の照会を委員各位にお配りをいたしております。これまでの委員会の討議内容に関連して追加意見がございましたら,事務局まで御提出いただきますようお願いをいたします。これらを踏まえまして,提言書案の作成につきましては理事会に御一任いただきたいと存じますが,御異議ございませんでしょうか。
(「異議なし」の声あり)
138 ◯委員長(吉田謙治) それでは,さよう決定いたしました。
139 ◯委員長(吉田謙治) 本日御協議いただく事項は以上でございます。
本日の委員会はこれをもって閉会いたします。
どうも大変御苦労さまでございました。どうも大変ありがとうございました。
(午後3時4分閉会)
神戸市会事務局
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